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短編

私の王子様

作者: 久吉

星持ちと弁当屋の登場人物が名前だけ出てきます。

本編の微妙なネタバレを含んでいますが、単体でお読みいただけます。

 


 長い王宮の廊下に、騒がしい令嬢の声が響き渡る。


「ねえねえ、聞きました?アルトゥール様、養子縁組なさるんですって」

「カティーラの公爵家とか…。体のいい厄介払いですわね」

「あら、わたくしはカティーラの情勢を探るためにと聞きましたわ」

「まあ、さすが氷の皇帝」


 扇子の向こう側で、令嬢たちがささやきあうのを、うんざりした気分でリエッタは聞いていた。

 こんな下世話な話は聞きたくない。

 さっさとここから立ち去りたいものの、高貴な方が廊下を通っている間、自分は端に寄って動くことはもちろん頭を上げることもできない。

 うつむいた視界に、わさわさとドレスの裾がよぎっていく。

 廊下の掃除をしっかりしろ、と殊更に下女が言われるのは、こういったドレスが埃を集めてしまうのを避けるためなのかもしれない。



 令嬢たちの耳障りな声が遠くなってから、そっとため息をついてリエッタは顔を上げた。

 最近の王宮はこの話でもちきりだ。

 王位継承権のない、婚外子の第二王子、アルトゥール殿下。美貌の踊り子が生んだという彼は、暗い金色の髪に薄氷のような瞳の、恐ろしく整った容姿をしている。その美貌といい、しなやかに引き締まった美しい体躯といい、神の造形物だと言われるのも不思議はない。

 恐ろしく整った顔に浮かぶのは、口角を少し上げただけの薄い笑み。それでもその笑みを見た者はすべからく虜になるという。

 彼を狙いにきた暗殺者がその美しくも冷たい瞳に魅入られて膝をついた、だとか、狩りに出かけたら鹿がそっと首を差し出した、だとか、そんな馬鹿なと思うような噂もたくさんある。


 同じ王宮内に王がいながら“氷の皇帝”とはずいぶん不遜な呼び名だが、周囲が勝手に呼んでいるだけなので、言われている当人も、王も気にはしていないようだった。

 唯一面白くなかったのは、王妃だろう。

 王妃はその座に就いてから、王子を一人、王女を一人生んでいる。

 両親の見目麗しさを二人とも余すことなく受け継いでいるが、アルトゥールとは比べるべくもない。

 蝋燭の光と、松明の光を比べるほどの差がある。


 その上、二人の殿下には星持ちに足る才能がなかった。二人とも十になる前からアカデミーに入れられ、十年ほどで卒業したものの、星持ちとは認められなかったのだ。

 一方で、アルトゥールは十三の年にアカデミーに入学し、昨年十八で卒業。それと同時にルドレーリア国最年少の星持ちとして認められた。


 国民が祝いの雰囲気で浮かれる中、王妃は暗躍した。

 アルトゥール自身も王も、そのことには気付いていたが何もできなかった。

 アルトゥールは王位継承権のない王子、何の権限もない。王としては、長年妻を苦しめてきた罪悪感から動けなかったのだろう。


 そして、このたび、アルトゥールのオースティン公爵家との縁組が決まったのだ。


 アルトゥールはオースティン公爵家へ養子として入ったのち、同格にあるディルス公爵家へ婿入りするそうだ。

 現ディルス公爵は温厚ながら、辣腕をふるうと噂の宰相だ。カティーラの現在の繁栄は彼の功績あってのことだ、とささやく声も多い。

 それに、公爵の一粒種の令嬢はカティーラのアカデミーに在学中ながら、素晴らしい才能を発揮しているらしい。早ければあと数年で卒業し、間違いなく二等以上の星持ちになることが期待されている。見目もそれは麗しいそうだ。


 アルトゥールを国外へ追い、カティーラの中枢へ潜り込ませたいルドレーリア国王妃の思惑。


 国の中枢になんとか食い込みたいオースティン公爵家の思惑。


 優秀な星持ちである婿が欲しいディルス公爵家の思惑。


 それらの思惑が絡み合った結果の今回の養子縁組と婿入りの話。


 リエッタはため息をつく。

 自分にはどうしようもないこと、と何度も思うがそれでも胸は痛む。


 そこにはアルトゥールの思いはないから。




 控えの間で編み物をしていたところ、慣れ親しんだベルの音が聞こえてきた。

 編み棒と毛糸を手早く片付け、音をたてないようにそっと扉を開いた。


「おはようございます、アルトゥール様」

「…ああ」


 眠そうな瞳が金色の髪の下でしょぼしょぼと瞬いた。


 重いカーテンを開いてから、ベッドの脇に洗面用の湯とタオルを置き、起き上がったアルトゥールにガウンを羽織らせる。


 顔を拭くと少し目が覚めたのか、じっとリエッタの顔を見てからアルトゥールは微笑んだ。


「ありがとう、リエッタ。おはよう」

 花が咲いたように微笑むアルトゥール。

 侍女であるリエッタに礼を言い微笑むなんて、他の人が見たら己の目の病気を疑うかもしれない。

 だが、リエッタにとってはこれが自分の仕える主。

 心優しく、人を驚かせたり喜ばせたりすることが大好きな、ちょっとおちゃめでかわいい主。




 初めてアルトゥールとリエッタが出会ったのは、アルトゥールが十歳、リエッタが八歳のときだった。


 その日は王宮の庭園に良家の子女や子息が集められて、王子殿下と王女殿下を囲んだティーパーティが行われていた。


 リエッタの家はしがない男爵家なので、本来ならば呼ばれないが、父が大臣の事務係をしていた関係でついていくことになったのだ。


 いつもは着ない豪華なドレスを着せてもらい、髪も複雑に結ってもらったリエッタは浮かれていた。

 王宮へ行けば、おいしいお菓子もたくさんあるだろう。とてもお美しいと噂の王子様や王女様にも会えるのだ。


 だが、そんなリエッタの浮かれた気分はパーティが始まってすぐに、みるみるしぼんでしまった。


 パーティの主役である王子様と王女様は大勢の子どもや大人に囲まれて、近づくことはおろか、姿さえはっきりとは見えない。


 テーブルの上には彩りの綺麗なサンドイッチやきつね色のスコーン、琥珀色の焼き菓子やチョコレート、クリームがたっぷりのったケーキもある。

 だが、どの子どもも親も、手をつけようとはしない。

 何のことはない、主役の二人が殺到する客の対応に追われて何も口にしていないためだ。


 あこがれの二人は遠いところ。近くにあるお菓子はまだ食べちゃいけない。


 父は、と見れば同僚らしき人と話し込んでいる。

 この様子なら、ちょっとくらい探険しても気づかれないだろう。

 父の注意が完全にこちらから外れているのを確認したリエッタは、そっとパーティから抜け出した。


 王宮の庭は春の花が咲き乱れ、芳しい香りを放ってリエッタを誘った。

 あれも初めて見る、こちらも見たことがない、と次々愛でているうちに、気づいたら見覚えのないところへ来ていた。

 これは父に怒られる。何とか気づかれる前に戻らないと、と辺りを見回すリエッタの耳に、かすかに声が聞こえた。


「…っ…う…」

 かすかに風に乗って、誰かの声がする。

 どこに、と首を巡らせると、植え込みの後ろに金色の髪が見えた。


 よく見るとかすかに震えていて、嗚咽のようなものも聞こえる。



「どうしたの?泣いてるの?」

 つい、近所の子に話しかけるように言ってから、リエッタはしまったと思った。

 王宮にいるのだから、庶民の子のわけがない。リエッタよりも確実に格上の貴族の子だろうから、どうかなさいましたか?と訊かなければいけなかった。


 リエッタの声に、弾かれるように金色の髪の持ち主が顔を上げた。


 そのときのリエッタの驚きは、いまだに何ともことばには言い表せない。


 金色の髪が陽光に輝き、薄い青い瞳が涙に濡れている。

 白い頬はこすったのか赤みがさしており、艶やかな唇は強く噛み締められている。


 天上から天使が落ちてしまい泣いている、と言われれば疑いもなく頷いてしまいそうな美貌だった。


 あまりの麗しさに女の子かと一瞬思ったが、貴族の正装である詰襟にズボンを履いているので、男の子だ。


「君は…、誰」

 涙のあとをこすりながら、少年が訊いてくる。

「リエッタ・ブルグと申します」

 スカートを持ち上げながら、習った通りの礼をした。

 今度こそちゃんとできた、と内心大喜びのリエッタだったが、少年は美しい眉をひそめてしまう。


「…さっきみたいに、話して。僕はアルトゥール」

「アルトゥール…様」

 戸惑いながら呼ぶと、少年はまだ不満そうだったが、涙を払って微笑んだ。

 輝かんばかりのその微笑みに、リエッタはあっという間に虜になってしまった。



 ティーパーティに来て迷いこんできたことを説明すると、連れていってあげる、とアルトゥールが手を引いてくれる。

 同じ年頃の男の子と手を繋ぐことなんて、珍しくはなかったが、それとは全く違う恥ずかしさや嬉しさにリエッタは震えた。


 パーティの行われている庭園に戻るまでの道すがら、アルトゥールはリエッタの話を聞きたがった。

 いつもどんなことをして遊ぶのか、好きな本は、好きな食べ物は、楽しかったことは、嫌だったことは。

 一つ一つの話にキラキラと瞳を輝かせるアルトゥールに、リエッタも夢中で話して聞かせた。


 近所の子どもたちも良い子ばかりだが、こんなに聞き上手な子はいない。大体我も我もと自分の話を聞いて欲しがるのが子どもというものだろう。


 庭園にたどり着くと、アルトゥールは寂しげに微笑んでリエッタの手を離した。

 急になくなった手の温もりが、寂しい。


「リエッタ…、また会えるかな」

 首をかしげて問いかけるアルトゥールに、リエッタはこくこくと頷いた。

「お父様に頼んでみる。王宮に連れてきてくれることは前もあったから」

 リエッタのことばを聞いて、ふわりとアルトゥールが微笑んだ。

「約束だよ」



 その数日後、大人の詳しい事情はなにもわからないまま、なぜかリエッタは王宮に上がることになってしまった。

 アルトゥールが王位継承権はないものの、第二王子であることもそのときに知らされた。


 あとから聞いた話によれば、アルトゥールがぜひにと父王に願って決まった処遇だったそうだ。

 何がアルトゥールの目にとまったのかわからないが、男爵家の長女をそばに置きたいと言った第二王子の願いを父王は二つ返事で聞き入れた。



 そんなわけで、リエッタは十一まではアルトゥールの遊び相手として、十一からはアルトゥールの侍女としての教育を受けた。十六からはアカデミーから戻ったアルトゥールの侍女として働いている。


 アルトゥールはリエッタの他には傍には誰も置かなかったから、この二年、正直とても忙しかった。その上、アルトゥールの置かれた境遇や、リエッタ自身の身分の低さから嫌な思いをすることも多かったが、辞めようとは思わなかった。


 何より、アルトゥールの傍にいられることがリエッタにとっては何にも代えられない大きな歓びだったから。


 でも、その日々ももうすぐ終わってしまう。



 編み棒を置いて、肩をトントンと叩く。考え事をしながらの編み物は捗るが、目を飛ばすこともよくある。編み終わったところを手で広げて確認していると、かすかなベルの音が聞こえてきた。


 時間を確認すると、真夜中をまわったところだった。

 とっくにアルトゥールは就寝したものと思っていたが…。


 そっと扉を開けて、お呼びになりましたか、と小さく問いかけた。

 返事はなく、静かな闇が寝室には広がっている。

 気のせいだったか、と扉を閉めようとすると、アルトゥールが声をかけてきた。

「…リエッタ」

 かすれた、小さな声。

 迷子が母を求めるような、切ない声。


「どうされましたか?」

 暗闇を手探りで進み、ベッドの脇に膝をつく。

 ベッドの上には膝を抱えているのか、人影が丸くなっている。


「アルトゥール様?」

 呼びかけると、影がびくりと震えた。

 直後、かすかな衣擦れの音とともに、すがりつくようにアルトゥールが抱きついてきた。


「…リエッタ、侍女を辞めるって本当?」

 絞り出すような声に、胸が張り裂けそうに痛む。

 ずっとおそばにいます、と言ってしまいそうになるが、リエッタは静かに息を吸ってから答えた。


「…はい。アルトゥール様についていくわけにはまいりませんから」

 ただでさえ、リエッタのみを重用するアルトゥールを、そして二人の関係をよく思わない人間は少なくないのだ。アルトゥールの縁組先や婿入り先についていくわけにはいかない。


「結婚するって聞いた」

「はい。ディラン子爵家のご嫡男とのお話をいただきました」

 ブルグ男爵家にとっては、もったいないくらいの良い話だ。



 出会った時から、アルトゥールのために生きてきた。

 彼がアカデミーにいるときは年に数度しか会うことはできなかったが、毎日彼のことを考えて過ごした。厳しい先輩からの叱責も、陰口も、彼のためだと思えば平気だった。



 でも、もうそれも終わり。



「リエッタ。僕は怖いんだ」

 苦しいほどに、アルトゥールの腕が、声が、リエッタを締めつける。


「皆、本当の僕なんて見ない。必要ないんだ。麗しい、美しいと褒めたって、僕が作り物の笑顔を貼りつけていることに気づきもしない」


 リエッタがいなかったら、息もできない。


 そのことばを聞いて、リエッタは猛烈な怒りを感じた。

 それを言って、どうするというのだ。それを聞いて、どうしろと言うのだ。

 互いに半身のように思っていることは、わかっている。でも、これ以上はどうしようもないというのに。



「ディルス公爵家の令嬢は、才覚あふれる魅力的な方だと伺いました。きっとアルトゥール様のことを見つめて、愛してくださいます。私も、王宮で過ごした日々を思い出に、これから夫となる人のことを愛そうと思います」

 言いながら、リエッタは自分の心が血を噴き出して傷つくのを感じた。それと同時にアルトゥールのことを深く傷つけたことも手に取るようにわかった。


 肩口に伏せたアルトゥールは長い間身動きしなかったが、やがてゆるゆると顔を上げた。

 初めて会った時のような、涙に濡れた頬が夜の闇に浮かんだ。


「…リエッタの気持ちは、わかった。僕ももうこれ以上言わない。だから…」



 どうか今夜はそばにいて、と縋った腕を、唇を、振り払えるわけがなかった。


 何よりそれは、リエッタの願いだったのだから。





 翌日は急な休暇を言い渡された。その翌日には、リエッタはアルトゥールづきの侍女を外されてしまった。


 アルトゥールなりのけじめだろうとは思うものの、ひと月後に迫った出立の日までそばにいられると思っていたので、随分堪えた。


 遠目に見かけるアルトゥールは、氷の皇帝と呼ばれる薄い笑みをいつも浮かべていた。

 令嬢たちも、同僚も、麗しい笑みだとため息をついていたが、リエッタには泣き顔に見えた。


 今すぐそばにいって、大丈夫だと言ってあげたい。嫌な時は無理に笑わなくてもいい、楽しいときは口を大きく開けて笑ったっていい。


 でも、もうそれはリエッタの役目ではなくなった。


 これから出会うディルス公爵家の令嬢が、その役目を負ってくれたらいいのだが。

 そう思う一方で、胸をかきむしりたくなるような、真っ黒な気持ちに支配される。


 アルトゥールのことを一番わかるのは自分だと思っていた。

 その座をいつか誰かに渡すことは初めからわかっていたが、こんなに誰にも渡したくなくなるなんて想像もできなかった。



 じくじくといつまでも傷む胸を抱えながら、リエッタは退職の準備を進めた。

 元々は、アルトゥールの出立を見送ってから退職しようと思っていたのだが、侍女を外された以上、自分がここにいる理由がない。


 アルトゥールの好む食べ物、色、苦手なもの、接する際に気を付けてほしいこと…。

 細々としたことを綴って、出立のときにオースティン公爵家の者に渡してほしいと先輩侍女に託した。


「確かに預かったけど…。本当にいいの?」

 リエッタがどのくらいアルトゥールを思い、アルトゥールがどのくらいリエッタを思っていたか、近くにいた者は皆知っている。


 何とか微笑みを作って、リエッタはうなずく。


 出立の日までいてしまったら、きっと泣いてしまう。もしかしたら、連れて行ってほしいと縋ってしまうかもしれない。

 できれば、このまま離れてしまいたい。

 離れてしまえば、いつか思い出にできるはず。時間が解決してくれるはずだから。




 リエッタが退職する日、一台の馬車が裏門につけられた。

 扉の部分には、ルドレーリアの紋章。

 男爵家の馬車を使うと言ったリエッタに、侍女頭が頷かなかったのだ。


「丁重に送るように、とアルトゥール様から言いつけられていますので」

 何度も異議を申し立てたが、これを言われてしまえば従うしかない。


 見送りには、リエッタを指導してくれた先輩侍女と侍女頭が出てきてくれた。

「大変お世話になりました」

 深々と頭を下げたリエッタに、先輩侍女が苦笑する。


「長いお勤めご苦労様。まあ、あなたの場合これからが大変だろうけど…。幸せになりなさいよ」

 髪をそっとなでられ、リエッタは涙をこらえるので必死だった。

「ありがとうございます」

 こぼさないように、もう一度丁寧に礼をして、馬車に乗り込んだ。


 窓ににじり寄って、王宮を眺める。

 もうきっと、二度と来ることもないのだろう。しっかりと目に焼きつけておこう。


 馬車が走り出しても、王宮が見えなくなっても、リエッタは窓から離れようとはしなかった。



 そのため、気付かなかったのだ。



「リエッタ、何をそんなに熱心に見てるの?」

「何って…ええ?!」

 聞きなれた声に普通に答えそうになり、そんな馬鹿な、と慌てて振り返る。

 そこには、いるはずのないアルトゥールが愉しそうに目を細めて座っていた。


「な、なぜアルトゥール様がここに?!」

 思わず立ち上がって、当然バランスを崩したリエッタはアルトゥールの腕に捕まえられてしまう。

 あの日以来久しぶりに触れる温かさと香りに、リエッタは悲鳴を上げそうになる。


「なぜって、これから養子縁組しにいくからだよ」

「よ、養子縁組ってオースティン公爵家ですか」

「ううん。オースティン公爵家は取り潰しになったから」

 にこにこと恐ろしいことを言うアルトゥール。


「色々と調べたら、随分なことを裏でやっている家でね。公費の横領が決め手になって、つい先日取り潰されたんだよ」

「では!一体どこに行かれるんですか?!私は実家に帰るところだったのですけれど!」

「カティーラのメレディア公爵家だよ。子どものいない公爵が僕のことを気に入ってくれて、養子にぜひって。リエッタも一緒に行くんだよ」


 ではそこからディルス公爵家に婿入りするということかと聞くと、にこにことアルトゥールは首を振った。


「残念ながら、ディルス公爵令嬢にはフラれたんだ。だから婿入りの話はなくなった」


 フラれた?!アルトゥールが?

 神の造形物と言われるほどの美貌と才覚にあふれるアルトゥールが?

 ディルス公爵令嬢は、美意識が死滅しているのではないか?

 茫然とするリエッタの頬をそっとアルトゥールは撫でた。


「それでね、メレディア公爵家に入ったら、すぐに結婚することになってるんだ。公爵が早く孫の顔が見たいって」

 結婚、のことばにスッとリエッタのお腹の底が冷えた。


「…では、私を侍女として再度召されるということですね」

 メレディア公爵家にともに連れて行くというなら、そういうことだろう。

 リエッタのことばに、アルトゥールは目も眩むような微笑みを浮かべた。



「ううん。侍女にはしない。リエッタは僕のお嫁さんになるんだよ」



 どうも、耳がおかしくなったようだ。とんでもなく都合の良い空耳がこんなにはっきり。

 真顔のまま耳を引っ張ったり押さえたりしだしたリエッタを見て、アルトゥールは笑みを深めた。


「聞き間違いじゃないよ。リエッタ、僕と結婚してください」

「……ウソ」

 思わず反射的につぶやいたリエッタに、アルトゥールは拗ねたように口をとがらせる。


「嘘じゃないよ。今日のために、すごく頑張ったんだよ。オースティン公爵家の黒い噂を集めてカティーラ国王に奏上したり、メレディア公爵に会いに行ったり、ディルス公爵令嬢に手紙を書いたり」


 え、なに?何のこと?


 ぽかんと開いたリエッタの口を、そっとアルトゥールが塞いだ。

「…!!何を!」

「あれ、キスをせがんだんじゃなかったの?」

 真っ赤になったリエッタを、がっちりと抱き寄せたまま朗らかに笑う。


「カティーラまでは、まだかかるからね。返事はゆっくりでいいよ」

 イエス以外は聞かないけどね、と不敵な笑みを浮かべながら、再度アルトゥールが唇を落としてきた。


 ああ、誰だ。氷の皇帝とか呼んだのは。こんなに好戦的で熱をはらんだ人を。


 カティーラまで、身が持たないかもしれないと思いながら、リエッタはあふれる涙を抑えることができなかった。


お読みいただきありがとうございます。

本編が落ち着いたら、王子視点も書こうかと思ってます。

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