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追放されたので料理をしたら、なぜか皇帝案件になった

「聞こえなかったの? リヒト・エドワード。あんたとの婚約を解消するわ」


 皇女マリアンヌは、元婚約者に言い放った。


「……え? マリア、なんて?」

「“マリア”って呼ばないで! ほんっと、気持ち悪い!」


 皇女は、リヒトを睨みつける。

 その傍らで、男がふっと笑った。


「そういうことだ、リヒト。気安く俺のマリアンヌの名を呼ぶな」

「ルーク? なんで……?」


 ルーク・アーモンド。リヒトの親友だった男だ。


「ふふっ、あなたって本当に最低ね。あたしが好きすぎるあまり、暴漢に襲わせるなんて」

「ぼうかん? 僕が……?」

「嘘ついても無駄よ。襲われているところをルークが助けてくれたんだから。問い詰めたら、すぐ吐いたわ。あなたに雇われたってね!」

「待ってよ、僕はそんな――」


 言葉を失った。

 ルークが、笑っていたからだ。


「それは本当かね、マリアンヌ?」


 背後からの声に、リヒトは息を呑む。


「えぇ、本当ですわ、お父様!」

「違います、陛下!」


 国王は、ただ静かにリヒトを見つめていた。


「……それは残念だ。リヒト・エドワード殿。貴殿は娘の暗殺未遂を企てた。証言も一致している」

「陛下――」

「よって、貴殿を国外追放の刑に処する!」


 ざわめきが広がる。

 公爵令息が、今この瞬間に平民以下へと落とされた。


「君には、期待していたのに……裏切られたな」

「誤解です!」

「この者を、つまみ出せ」


 兵士に引きずられながら、リヒトは振り返った。


 貴婦人たちは、誰一人として目を合わせない。

 皇女は忌々しげに、ルークは楽しげに笑っていた。


「チッ、大人しくしていれば国王になれたのにな」

「二度とその顔、見せるな!」


 乱暴に放り出され、冷たい地面に叩きつけられる。

 重厚な扉が、音を立てて閉じられた。


「……っ」


 膝が痛む。

 馬車へ向かい、執事にだけ短く告げた。


「……今すぐ出してくれ」


 遠ざかる王宮を背に、リヒトは息を吐く。


 今日だけは、笑うことができなかった。


 自分は、騙されていたのだと。


 親友によって、愚直な王女によって、娘思いな国王の手によって、リヒト・エドワードは――追放された。



 ◇◇


「おじさま……エドワード家に泥を塗ることになってしまい……申し訳ありません」


 書斎奥の応接間で、リヒトは土下座していた。


「……リヒト」


 バートンは一度、言葉を切る。


「この十二年間……ずっとお前の面倒を見てきた。お前がそんなことをするわけがないと……私は、信じている」

「叔父上……」


 顔を上げたリヒトを、バートンは苦しげに睨んだ。


「わかっているのだ。……けれど、この家に……傷つけたお前を、許すことはできない……!」


 息を整え、姪を睨んだ。


「今すぐ荷物をまとめて……出ていけっ! そしてその汚名を晴らすまで、二度と帰ってくるな!」


 その怒声に、リヒトは書斎から転がり出た。



 ◇◇


「リヒト様……」


 荷造りをする背に、執事が声をかける。


「ん? どうした?」


 衣装を畳みながら、リヒトは振り返った。


「私は……リヒト様を信じております。旦那様も、決して……」

「うん。分かってるよ」


 荷をまとめ終え、リヒトは執事と向き合った。

 父の代から仕えてきた老執事、ギリオン。


「必ず戻る。それまで……叔父上を、よろしく頼む」


 強く言い切ると、執事は片膝をつく。


「御意」



 ◇◇


 荷物を抱え、薄暗い夜道をリヒトは歩いていた。

 目指すは隣国、アルディーノだ。


「この調子なら、夜中には着くな……」


 彼は、いつも遠慮して生きてきた。


 婚約者のために成績を落とし、力を隠し、無知なふりをして。


「よし、町に着いたら商売を始めよう」


 それは、彼にとって自然な選択だった。



 ◇◇


 書類に目を通していたダラード王国外務大臣は、その文書の違和感に気が付いた。

 いつもの洗練された美しい文書が、そこにはない。

 代わりにあったのは、口調の乱れた走り書きだった。


「これは……誰が作成した?」


 書類をめくり、部下は答える。


「マリアンヌお嬢様です」

「……なるほど」


 外交大臣は、静かに書類を置いた。


「婚約破棄の翌日だ。無理もあるまい」

「えぇ」


 部下もにこやかに微笑む。


「私が直しておきます」

「あぁ、頼む」


 外交大臣は気づいていなかった。

 他の八人の大臣も、同じような会話をしていたことを。



 ◇◇


 隣国アルディーノ王国。

 朝の重たい空気を打ち破るように、リヒトは声を張り上げた。


「いらっしゃいませ! 温かいスープはいかがですか? 無料でお配りしていますよ!」


 食欲をそそる香りが広がり、男が一人、足を止める。


「……本当に無料か?」

「えぇ。キノコのスープです」


 男は器を受け取り、一口すすった。


「……うまい」


 その一言で、人が集まり始める。


「じゃあ俺も!」

「私も!」


「はい、どうぞ。まだありますよ」


 列ができる中、幼い少年が必死に背伸びをしていた。


「お兄ちゃん、こっち……!」


 その様子に、リヒトは指を鳴らす。

 木の台が、すっと低くなった。


「はい、どうぞ?」


 少年は目を輝かせる。


「魔法!?」

「うん……まぁ、少しね」


 どよめきが走る。

 お玉がひとりでに動き、器がふわりと宙を舞った。


「魔法の……スープ?」


 噂は瞬く間に広がり、列は伸びていく。


「えっと、朝限定です! 九時までですよ!」


 鍋の奥では、包丁がひとりでに動き、きのこを刻んでいた。




 ◇◇


「美味かったよ、兄ちゃん。また来るぞ」


 空の器を返しながら、次々と笑顔が向けられる。


「ありがとうございます。またどうぞ」


 リヒトも自然と笑っていた。


「……旨かった」


 フードを深く被った背の高い人物が、短くそう告げて人混みに消える。


「お兄ちゃん! こんなスープ初めてです! お母さんにも飲ませたいな!」


 少年は目を輝かせて器を差し出した。


「じゃあ、明日は一緒に来てくれるといいな」

「ありがとう。でも娘は病気でね……歩けないんじゃ」


 老婆はそう言い、リヒトに皿を渡す。


「そうですか……」


 胸が、少しだけ痛んだ。


「……また、来てください」

「ありがとう。それと――お前さん、貴族じゃろ?」


 リヒトは言葉に詰まる。


「その話し方と服じゃ。隠しても分かる」

「……」


 老婆は笑った。


「仕事柄、見慣れておるだけじゃよ」


 最後の客を見送り、リヒトは裏へ回る。

 食材は、すべてなくなっていた。


「……成功、だよな」


 だが、ふと少年の言葉が蘇る。

 来られない人も、いる。



「おい、ガキィ、いるか!」


 叫び声と共に、扉を叩く音がした。


「は、はい、います!」


 扉を開けた先には、不機嫌そうに腕を組む一人の女性の姿があった。

 赤い髪をみつあみにし、つり上がった目が鋭く彼を睨む。


「てめぇに山ほど苦情が来てるぞ」

「苦情……?」


 彼女は苛立たし気に舌打ちをする。


「あぁ、無料でスープを配るせいで、周りの店に客が来ないってね。貴族の道楽で、生活潰されたらたまんないんだよ」

「それは……」


 ただ、必死で。

 他人に構う余裕さえなかった。


「……すみません。でも、僕は、明日も――」

「その金は税金だろう!? 汗水たらして働いた金が、貴族のお遊びに使われるなんて、冗談じゃないよ!」


 敵意むき出しの怒り。

 リヒトは一つ、息を吸った。


「……確かに、僕は貴族でした。けれど、材料はすべて自分で用意しました」

「大釜も、この設備もかい?」


 はっ、首を振るエレナ。


「全部、魔法です」


 その声と共に、あった器具も、その設備も何もかもが消える。


「僕は自分の力で、出来ることをやろうとしています! 確かに今回迷惑をかけましたが、それでも僕は……」


 目を丸くしたエレナは、リヒトを見つめる。

 その強い意思に、ため息をついた。


「……悪かったね、アンタにも事情があるようだ。でも…vもし明日もやるつもりなら、見逃せないよ。売るなら話は別だけどね」


 金を取る。

 それが、商売だ。


「……分かりました」


 リヒトは、うつむいた。




 ◇◇


「殿下!? 他人の料理を口にした、というのは本当ですか!?」

「……あぁ」


 書類から目を上げ、男は短く答えた。


「おめでとうございます!!」

「何十年ぶりだろうな」


 淡々とした声に、部下は身を乗り出す。


「幻の料理人でも現れたんですか!? 伝説のシェフが来ているという噂も――」

「いや」


 男は肩をすくめ、口角を上げた。


「市場で配られていたスープだ」

「……市場で? 配られていた……?」


 困惑する部下に、男は頷く。


「その気持ちも分かるが、本当だぞ? なにせ俺の目でしっかりと見たんだからな」


 赤い髪の男が書類をひらひらとしながら、部屋に入ってくる。


「至って平凡なスープを口になさったんだ」

「まさか、本当に……?」

「ほんとだよ……ところで殿下、ダラードからの便りなんですが……」


 赤髪は、持っていた書類を机に置く。

 それを一瞥(いちべつ)し、男は眉を寄せた。


「言葉が……硬いな」


 文面、形式は完璧。

 けれど、条件が衝突した際の緩衝表現が、ない。


「……担当者でも変わったのか?」

「いやそれが、表向きは、皇女のままなんですよ」


 その名に、室内が一瞬、静まる。

 男は戸棚から資料を取り出す。


「ここだ。この譲歩の入れ方」


 指先が止まる。


「この文書には、それがない」


 沈黙の末、結論は一つだった。


「――好機だな」


 交渉力が落ちた国は、攻めやすい。


「次の会談、条件を強めろ」

「反発されたらどうしますか?」

「……できないはずだ」


 男は薄く笑みを浮かべる。 


「“以前の調整役”がいないなら、な。……サリ、ダラードの情勢を洗え」

「承知しました」

「それと、明日も街に出かけるぞ」

「……殿下!?」



 ◇◇


 翌日。アルディーノの市場。


「おや、兄ちゃん。今日は店をやらないのかい?」

「すみません……今日は……」


 リヒトは申し訳なさそうに眉を下げた。


「昨日のスープを飲んだら、一日中働けたんだけどな」

「私なんて、一度もお皿を割らなかったわ」


 人々は残念そうに肩を落とし、去っていく。


 金を取るくらいなら、やめる。

 彼が出した答えは、それだけだった。


「結局やめたのかい。根性ないねぇ」


 台に突っ伏すリヒトの頭上から、呆れた声が降ってくる。


「……僕には、お金は取れません。それに、身勝手で始めただけですから」


 エレナは眉を寄せ、少しだけ笑った。


「少しは見直したよ。あとは金を取る覚悟だけだね」

「……はい」


 リヒトは小さく息を吐いた。


「お兄ちゃん! 今日はやってないんですか!?」


 昨日の少年が駆け寄ってくる。

 その後ろを、老婆が杖をつきながら歩いてきた。


「ごめんね、今日は――」


 ぎゅるぎゅる。


「……あ」


 少年は顔を真っ赤にして腹を押さえる。


「実は……楽しみで、朝ごはん食べてこなかったんです……」


 うつむいたリヒトに、老婆が静かに言った。


「大方、そこのお嬢さんに金を取れと言われたんじゃろ」

「……」

「そうだよ。文句あるかい、ばあさん!」


 老婆は首を横に振る。


「お前さん、なぜ無料で配る?」

「……みんなで食べることに意味があるんです。値段を付けたら、それはもう……」


 言葉が詰まる。


「では、そのスープに価値はないのかい?」

「違います」

「なら、金を取るのが心苦しいのか?」

「……」


 老婆は穏やかに続けた。


「それは平民を侮辱していることになると、分からんかね」


 リヒトは目を見開いた。


「そうだぜ。あたしらは施しを受けたいんじゃない。美味かったから、また来たんだ」

「うん! ぼく、お兄ちゃんのスープ、また飲みたい!」


 胸の奥が、きしりと音を立てた。


「……分かりました」


 顔を上げ、リヒトは言った。


「明日から、十バースで売ります。一杯」


 老婆は満足そうに頷いた。


「安すぎるだろ!! 百は取れるって!」

「それは……」

「いや、あの味なら当然だよ!」

「……エレナさん、食べたんですか?」


 エレナは目を見開いた。


「ち、違っ……心配だっただけで……!」

「僕のこと、気にしてくれて……?」

「んなわけあるか! 仕事あるから行くぞ!」


 赤い髪が揺れ、角へ消えていく。


「ねぇ、お兄ちゃん。どこから来たの?」

「……ダラードだよ。ちょっとした事情で」

「その様子じゃ、宿にも泊まれておらんじゃろ」


 老婆は彼を見て、微笑んだ。


「うちに来るかい?」

「いえ、それは……」

「ただでは頼まん。ただ、料理を作ってほしいんじゃ」


 その言葉に、リヒトは目を瞬かせた。



 ◇◇


「んー、美味しい!」

「お口に合ってよかったです」


 利害の一致――そう言っていいのだろう。

 リヒトはこの家に居候する代わりに、料理を振る舞うことになった。


「こんな姿で、ごめんなさいね……」

「いえ」


 ベッドに上半身だけを起こした女性に、リヒトはそっとスープを差し出す。


「どうぞ」

「……優しい味ね。身体だけじゃなく、心まで温まるわ」


 一口含み、母親はほほえんだ。


「それは、よかったです」

「フィナにも食べさせてやれて……本当に、ありがとう」


 木々に囲まれた静かな一軒家。

 一階は仕立て屋で、生活の匂いがどこか懐かしい。


「改めて、よろしくお願いします。僕はリヒトです。お名前を伺っても?」

「ぼくはルイ!」


 少年が元気よく名乗った、その時。

 乾いた鈴の音が、店先から響いた。


「すまない。セレ婆はいるか?」


 低く落ち着いた声に、老婆がゆっくり立ち上がる。


「はいはい、お待ちくださいねぇ」

「あ、手伝います」

「すまないねぇ……」


 リヒトは手を貸し、慎重に階段を降りる。


「セレ婆、朝早くすまない。実は――」


 男は言葉を切り、リヒトに視線を向けた。


「……?」


 群青の髪、紺碧の瞳。

 どこかで見たことがある顔。


「……アレクサンドラ殿下……?」


 その声に、男は素早くフードを深く被る。


「あっ、アレク様! この人、昨日のスープ屋じゃないっすか!」


 背後から赤髪の男が顔を出す。


「……イリス」

「え、あ、はい……」


「今日はどうしたんだい、アレク?」

「……頼んでいた服を取りに来ただけだ」

「分かりました。少々お待ちくださいねぇ」


 老婆は杖をつき、奥へ消えていく。


 三人の間に、気まずい沈黙が落ちた。

 イリスがにやにやとリヒトに顔を近づける。


「スープ屋さん、今日はやってなかったっすね。アレク様、結構――」

「……黙れ」

「……はい」


 静寂。

 耐えきれず、リヒトが口を開いた。


「昨日……スープ、食べてくださったんですか?」

「ああ。今まで食べた中で、一番だった」


 一瞬だけ、男の表情が緩む。


「今朝も楽しみにしていた。だが、今日はやっていなかったな」

「材料が、間に合わなくて……」


 苦笑すると、男は小さく頷いた。


「……そうか。では、明日は?」

「はい。あ、明日からは代金を頂くことにしたんですが……」

「問題ない。一万バースの価値はある」

「えっ」

「冗談だ。……適正な値で売れ」


 その時。


「はい、こちらですねぇ」


 奥から老婆が戻ってきた。

 杖と荷物を同時に抱え、足元がおぼつかない。


「あの、」


 声を上げるより早く、荷物が崩れ落ちる。


「危ない!」


 リヒトは即座に老婆を庇い、魔力を展開した。

 透明な盾に荷物は弾かれ、床に散らばる。


「あいたた……」

「すみません! 怪我はありません!?」


 杖を差し出すと、老婆は呆然とした顔で受け取った。


「……あぁ、助かったよ。ありがとうねぇ」


 その光景を、二人の男は黙って見つめていた。


「殿下……今のは」

「……」


 フードの奥で、男の瞳が鋭く光った。



 ◇◇


 一週間後。


 《日替わりスープ》と名付けられたリヒトの店は、連日盛況だった。

 一杯四十ダーズという高値にも関わらず、開店前から長蛇の列ができる。


 スープを飲んだ日は仕事が捗ると、荒くれ者から主婦までが列に並んだ。

 例のフードの男と、赤髪の連れも、欠かさずに。


 その夜。

 積み上げた硬貨を数え終え、リヒトは思わず天を仰いだ。


「……売り上げ、十万ダーズ突破したよ」

「まぁ、めでたいことだねぇ」

「十万って、どれくらいすごいの?」


 ルイの問いに、フィナが微笑む。


「安い家なら、買えてしまうくらいかしら」


 彼女は、もう自分で歩けるほどに回復していた。

 それも、リヒトがこの家に来てからだ。


 リヒトは小さく息を吸う。


「……実は、家を買おうと思っています」

「え?」

「エレナさんが探してくれていて……条件のいい家が見つかったら、引っ越そうかと」


(これ以上、迷惑はかけられない)


 水道代の請求額を思うと、申し訳なく思う。


「そんな……リヒト、もう一緒にいられないの?」


 ルイが抱きついてくる。


「……そうだね」

「やだ! ずっと一緒がいい!」

「ルイ、困らせてはいけませんよ」


 フィナの声に、ルイは唇を噛みしめる。


「……もう寝る!」


 そう言い残し、寝室へ駆けていった。


「ごめんなさい……あの子、あなたを本当に慕っていて」

「いえ、平気です。……僕も、寂しいですから」


 その様子を見て、老婆が呟く。


「別れには、いくつになっても慣れないものだねぇ」

「……はい」


 その夜、リヒトは眠れずにいた。

 自分に何が返せるのか、それだけを考えて。


 ふと、静かな声が聞こえてくる。

「お前の病が治るなんて……」

「えぇ。……そろそろ、潮時なのかもしれません。元ある場所へ、戻るべきなのでしょうね……」


 その言葉は、夜に溶けて消えた。


 ◇◇


「陛下、少しご相談が……」

「む、なんだね」


 国王アントニオは、穏やかな笑みで応じた。


「実は、マリアンヌ様のお仕事についてでして……」

「マリアンヌの?」


 大臣たちは互いに視線を交わし、意を決したように書類を差し出す。


「大変申し上げにくいのですが……内容に、問題が多く……」

「……何?」


 目を通した瞬間、国王の表情が凍りついた。

 稚拙な文章。

 合わない数字。

 法に触れる条文への署名。


「……これは、すべて……?」

「はい。ここ最近の文書は、すべてこの調子で……修正が追いつかず……」


 沈黙。


「……分かった。余が直接、聞こう」


 国王は娘の部屋へ向かいながら、胸騒ぎを覚えていた。

 優秀な娘が、こんなはずがない。


「マリアンヌ」

「お父様! わざわざ?」


 書類を差し出す。


「これは、お前が?」

「ええ、もちろん! あたしが処理しましたわ」


 胸を張る娘に、国王は問いを重ねる。


「最近、困ったことはないか?」

「ないわ! うるさいリヒトもいなくなって、清々してるもの!」

「そうか……」


 じくり、と胸の中にある違和感が広がっていく。


 部屋を出た国王は、足早に文書保管庫へ向かう。


「……あった」


 一冊の古い記録。

 そこに挟まれていた一枚の紙。


『リヒト・エドワード』

 筆跡を見比べ、息を呑む。


「そんな……?」

 皇女の業務を支えていた影。

 それは、婚約破棄されたリヒトだった。


 書斎に戻り、国王は命じた。


「リヒト・エドワードの所在を調べよ。併せて、婚約破棄の経緯をすべて洗い出させ」


 国王の額から一滴、汗が滑り落ちた。




 ◇◇


「見つかったんですか!?」

「……あぁ、とびっきりのところがな」


 エレナは笑みを浮かべる。

 だが、その笑みはどこか引きつっていた。


「案内してくれるんですか?」

「その前にこれ、つけてくれ」


 差し出されたのは目隠しだった。


「え、どうしてですか?」

「ま、まぁ、あれだよ、サプライズってやつ!? そっちの方が楽しいだろ!」


 押し切られ、リヒトは目隠しをつける。


「しましたよ?」

「おーし、そしたらゆっくりと前に歩け」

「? はい?」


 誰かの手に導かれ、段差を越える。


「そしたら……あ、頭!」

「いっ!?」


 衝撃とともに、何かに転がり込む。


「え? なんですか、ここ?」

「すまん、リヒト! じゃあな!」


 馬のいななき。

 床が動き、また頭をぶつけてしまう。


「いった! え、これ馬車ですか、エレナさん? ……エレナさん?」


 恐る恐る目隠しを外すリヒト。

 その目に入ったのは、自らを見下ろす視線だった。



「え?」

「……大丈夫、か?」


 差し出された手を取り、立ち上がる。

 それは前に、仕立て屋で会った、聖紺の瞳をした男だった。


「もしかして、いや、もしかしなくとも、アレクサンドラ殿下……ですよね?」


 その類まれなる美貌と、神秘的な雰囲気。

 この国の皇太子、アレクサンドラ・アルディーノが目の前に座っていた。


「あの……」


 その様子に戸惑っていると、視界の端で明るい何かが輝いた。


 眩い光を反射した金色に輝く建物。

 全て純金で作られたという、ダイアモンド王宮。


 噂でしか聞いたことのない王宮を、この馬車は走っていた。



 ◇◇


「すまなかった」


 王宮の一室。

 紅茶の香りの中で、殿下は頭を下げた。


「わけを説明したら、逃げられると思ったから……」

「いえ、殿下からのお誘いを断れる方などおりません」


 リヒトは笑顔を保ったまま、内心で逃走経路を探していた。

 もっとも、扉の前には赤髪の護衛が立っているが。


「実は、お願いがある――リヒト・エドワード殿」


(わー本名バレてますね)


 そんな思いで、愛想笑いを浮かべる。


「はい、なんでしょう?」

「実は、俺と……同棲をして欲しいんだ」

「はい、……え?」


 んんっという咳払いの音に、ハッと殿下は瞬きをする。


「いや、つまり……俺のために一生飯を作って欲しい!」


 その言葉に、今度はリヒトが瞬きを繰り返す。


「……ぇ?」

「殿下! 誤解を招くような発言はおやめください!」


 扉が開き、外からつかつかと水色の髪をした男が入ってきた。


「私は、殿下の側近のサリと申します。この度は我が主人の無礼を、心から謝罪いたします」


 そう、流れるように土下座される。


「代わりに申し上げますと、殿下は毒を盛られたトラウマで、他人の料理を口にできなくなってしまったのです」


 その勢いに圧倒されて、頷く。


(あれ、でも)


「殿下、僕のスープは食べてくれましたけど?」

「そう、殿下はなぜか、貴方の料理()()を口にできたのです! これがどういう意味かお分かりですか?」

「それは……」


 国王の食事となれば、それなりのものが要求される。

 それを全部自分で作るなど。


「……そういうことだ」


 殿下が口を開く。


「俺は、ますます国を栄えさせなければならない。そのために、お前が必要なんだ」


 まっすぐな視線。


「それは……どうして、そんなに、頑張るんですか……?」


 リヒトには、ある記憶が思い出されていた。



 幼い頃、王宮ですれ違った少年。

 余りにも重たそうな衣装を(まと)い、青い顔をしていた。


 それはもしかしたら、無理に他人の料理を食べたからではないかと。



「皇太子として生まれたからには、努力するのは当然のことだろう?」


 迷わず、断言される。


「それに俺は、"聖女"を探している」

「聖女?」

「古来から伝わる、伝説です。どんな病でさえも治してくれる幻の存在。殿下の母君は、二人目を出産された時に……」


 サリが目を伏せ、静かに告げる。


(そんなことが……ん、二人目? アルディーノに、皇太子は一人のはずじゃ……)


「はっ!? いけない、国家秘密を漏らしてしまいました! どうしましょう殿下!?」

「そうだな……」


 男はこちらを見つめる。


「え、ちょっと! 僕は何も聞いてませんからね! それにもう、王家だの陰謀だの、正直うんざりなんですよ!」


 吐き捨てるように言った瞬間、空気がひやりと沈んだ。


「……それは、リヒトの婚約破棄の話か?」


(やっぱり知ってるんだ。……あと、ナチュラルに呼び捨てされてるのなんだろう?)


 リヒトは小さく息を吸う。


「ええ、そうですよ。どうせ騙されてたのに気づかなかった、僕が悪かったんです」

「……は?」


 その一言は、氷のように冷たい。

 殿下は、まっすぐこちらを見つめていた。


「才能に気づかず、利用して、切り捨てた馬鹿どもがいるだけだ。お前は、何も間違っていない」


 淡々とした口調なのに、その言葉は不思議と胸に刺さった。


「お前は悪くないだろう?」


 その言葉に、少し、ほんの少しだけ、抑えていた感情が漏れ出た気がした。


「辛かったな。誰にも信じてもらえなくて」


 一瞬、言葉に詰まったように見えて、殿下は続けた。


「だが、もう大丈夫だ。お前を傷つける奴は、俺が許さない」

「……」

「――もちろん、俺の配下になるなら、だがな?」


 皇太子は意地悪く微笑んで、リヒトの顔を見つめた。


「……裏切らない、ですか?」

「あぁ、約束しよう」

「僕は……役に立てるか、分かりません」

「問題ない。俺は、絶対にお前を手放さない」


 強い断言。

 その声に、心が少しずつ揺らいでいく。


「……お店、出してもいいですか」

「リヒトが望むなら」

「百億ダーズ欲しいって言ったら?」

「お前なぁ……あげるけど、なに? なんか文句あんの?」


 くしゃり、と顔を歪ませ殿下は笑う。


「欲しいものは全部やる。だから――俺のものになれ」

「……いやです」

「は?」


 完全に予想外、という顔。その顔に微笑んだ。


「殿下が僕のものになるなら、考えなくもないですけど」

「は、お前なぁ……」


 呆れたように笑う殿下。

 次の瞬間、片膝をついてこちらをのぞいていた。


「俺はお前のもんになります。ただし俺は凶暴なんで暴れます。しっかりと手綱握っておいてくださいよ……?」

「のぞむところだよ。こちとら暴れ馬だけは乗り慣れてるからね!」


 視線が絡む。

 やけに甘い沈黙。


「っ……イデア、リヒトに最高級のもてなしをしろ」

「はいはい、殿下も人使い荒い。リヒト様、失礼しますよ」


 そのままヒョイっと赤髪に、肩にかつげあげられる。


「なっ、放せ!」

「命令なんで。……軽いっすね、これならお姫様抱っこでも――」

「するな!!」


 じたばたする声を残し、扉が閉まる。



「はぁ……」

「殿下、だめだめじゃないですか。最後の方、抑えきれていなかったですよ?」


 机に肘をつき顔を埋める殿下。


「うるさい、これでも我慢したんだ……」

「なんでしたっけ、歳上で余裕があって、困り眉が似合う男性? 殿下とは真逆ですね」


 サリはくすり、と笑みを浮かべる。


「そろそろいい加減に――」

「それより、夜会のことですが」


 空気が切り替わる。


「皇女とその婚約者、出席を確認しました。そしてやはり――実務を担っていたのは、リヒト様です。国王も気づいたようで」

「……今更だな」


 殿下は、楽しげに笑った。


「後悔させてやる。リヒトを、失ったことをな」


 ニヤリと笑った殿下に、サリは一言。


「世界一、困り眉が似合わないですね……」



 ◇◇


「完成しました」


 鏡の前で、リヒト・エドワードは息を呑んだ。


「……誰だ、これ……」


 そこに映っていたのは、見慣れた自分ではなかった。

 まるで人形のように美しく、風格さえ漂っている男がそこにはいた。


「……この色……」


 胸元のブローチが、淡く光を受けて輝いていた。

 殿下の瞳と同じ、深い聖紺。


「リヒト」


 背後から聞こえた声に振り向く。


「殿下……いや、アレクサンドラ。……アレク! なんだこれ、僕を着せ替え人形みたいに扱いやがって!」


 怒りを露わにしても、まるで反応がない。


「……アレク?」

「ぐっ! 名前呼び上目遣い、」

「何か言ったか?」

「いえ、リヒト。何でも?」


 キラリと爽やか王子スマイルを浮かべ、アレクサンドラはリヒトに腕を差し出す。


「ほら、エスコートしてやる」

「は? どこに行くんだよ」

「決まってるだろ」


 強引に、リヒトの手を自分の腕へ絡める。


「――さよなら逆転パーティーだ」



 ◇◇


「お父様? どうかしましたか?」


 マリアンヌの声に、国王アントニオは我に返った。


「……いや、何でもない」


 隣国に招かれた式の最中。

 にも関わらず、彼の胸にあったのは、一抹の後悔だけだった。


 なぜ余は、あの時あの言葉を信じてしまったのだろうか。


「アレクサンドラ・アルディーノ陛下、並びにリヒト・エドワード様のおなーり」


 いつも横暴な娘の世話を焼いてくれていたリヒト殿。


 そう、リヒト殿はどこに……


「今、リヒトって言わなかった?」

「気のせいだろう、マリアンヌ。今頃リヒトはのたれ死んでるに違いない」


 顔を上げた二人は息を呑んだ。


 アレクサンドラの顔は、神々しさをたたえ、それでいてどこか威圧を感じさせる顔立ちだった。

 一方、その隣にも、負けず劣らぬ美しい顔立ちをした男が降りてくる。



「……嘘」


 マリアンヌの喉から、掠れた声が零れる。


 自分が幼い頃に一目惚れした、天使のような青年がそこにはいた。

 そう、いつからそれを忘れていたんだろうか。


「リヒ、ト……?」



 地上に舞い降りた神々に、皆が会釈をする。

 無言でお辞儀をさせる圧が、両者にはあった。


「顔を上げろ」


 アレクサンドラは微笑みを浮かべ、アントニオの元へ足を運ぶ。


「今宵、ダラード王国からお越しになったアントニオ国王だ」

「……ご紹介、感謝いたします……」


 リヒトは、階段を降りたそばでにこやかに棒立ちしていた。


(どこに、いりゃいいんだよ!)


「……リヒ、ト……?」


 肩が、自然に震えた。

 今までに何万回と見てきた顔と目が合う。


「リヒトだよね……?」


 無意識に、マリアンヌが一歩踏み出す。


 伸ばされた手。


(今更何を……!)


 全身は、彼女を拒否していた。

 けれど、身体が動かない。


「マリアンヌ!」


 鋭い声が、空気を裂いた。

 ルークが彼女を引き寄せ、薄く笑う。


「久しぶりだな、リヒト。随分と変わったじゃねぇか」

「……ルーク」


 マリアンヌは、我に返ったように手を見つめた。


「あたし……何を……」

「騙されるな、マリア。奴がお前にしたことを忘れたのか?」

「っ、それは……」


 段々と、マリアンヌの瞳に輝きが戻ってくる。


「っ、そうよ! あんたは国外追放を受けたはずでしょ! 何でこんなところにいんのよ、あたしを襲ったくせに!?」


 甲高い叫び声に、一斉に周りがこちらを向く。



「――レディ、言葉を収めてください」


 細い指が、マリアンヌの唇に触れた。。


「可愛らしいお顔が台無しですよ」

「……えっ……」


 上ずった声。


「ところで……今、興味深い話を聞きました」


 アレクサンドラは微笑んだまま、ルークを見る。


「リヒト・エドワードが、令嬢を襲わせたと?」

「あぁ。俺が助けたんだ」


 自信満々の答え。


「その場面を、見たのですね?」

「……いや、細かいことは――」

「ではなぜ、場所と日時を知っていたのです?」


 一歩。


「見たのなら覚えているはず。見ていないのなら、知るはずがない」


 ルークの顔が、引きつる。


「――そこまでにしてくれ」

 割って入ったのは、青ざめた国王だった。


「アレクサンドラ皇帝、ご無礼を……」


「いいえ」

 穏やかな声。


「むしろ、今こそはっきりさせましょう」

 皇帝は、静かに告げる。


「リヒトは、そこのアーモンド卿に濡れ衣を着せられただけ。そしてそれに気づかず、貴方は国外追放をしてしまったのだと」


 ざわめきが、凍りついた。


「な、何言ってるのよ!」

「……マリアンヌ令嬢」


 リヒトが、初めて口を開く。


「僕は、貴方を襲わせたことなど、一度もありません」

「……っ」

「全て、ルークが仕組んだことです」


 ルークが後ずさる。


「ち、違う、マリア――」

 リヒトは、国王を見据える。

「アントニオ陛下……今、国はどんな状態ですか? まぁ、変わらないでしょうね。なんたって()()()マリアンヌ嬢がいますからが」


 国王は視線を伏せ、かすれた声で答える。

「……すまなかった。だが、もういいだろう? 戻ってきてくれ。君がいないと、この国は回らない」


(……すまなかった? 何に対して。どうして、僕が戻らなければならない?)


「そ、そうよ! あたしも悪かったわ! もう婚約破棄なんてしないから、早く戻ってきなさい!」


 焦ったようにマリアンヌが口を挟む。


(悪いと思っている顔じゃない。最後まで、自分が上だと信じている)


「違う! みんな、騙されてるんだ!」

 ルークが、悲鳴のような声を上げた。


「そんなこと、俺がするわけないだろ! だいたい――」

「……ルーク」


 低く名を呼ばれ、ルークは言葉を失う。


「まだ分からないの? 今、この瞬間――ダラードは」


 リヒトは、はっきりと言い切った。


「僕の手に、堕ちたんだ」


 ルークの顔に、初めて動揺が走る。

「……は? お前、何を――」


「殿下、準備が整いました」


 いつのまにか殿下の横に、サリが立っていた。

 手には巻紙を抱えて。


「ふっ。では、新外交政策に基づき、王位の交代を宣言する。アントニオ・ダラード――」

「リヒト様、こちらへ」


 サリに促され、リヒトは半ば引きずられるように歩き出した。


「ちょ、ちょっと、何が――」

「手短に申し上げます」


 階段を上りながら、サリは淡々と告げる。


「本来、ダラードの王位に就くはずだったのは、貴方の父上でした。しかしアーモンド侯爵――ルーク様の父上によって暗殺され、現王が即位しました」

「……は?」

「前皇帝はそれを予期しており、遺言を我がアルディーノに託していたのです。“次代は、その息子リヒト・エドワードに”と」

「……え?」


 最後の一段を上り切ったところで、サリはマントを掛けた。


「リヒト様、いえ、リヒト陛下。ダラード王国の正統な国王は、貴方です。自信を持って下さい」

「いや、は、え?」

「では、開けます」


 扉が開く。


「――以上の文書に基づき、ダラード王国の国王は、リヒト・エドワード陛下となります」


 一斉に集まる視線。


(もう、何がどうなってるの……?)


 けれど。

 マリアンヌも、アントニオも、ルークも。

 誰一人として、反省していない顔をしていた。


 リヒトは、深く息を吸う。


「……皆様、お初にお目にかかります。リヒト・エドワードです」


 リヒトは指を一振りする。

 天井から降り注いだ魔力が、星屑のように煌めいた。


「若すぎる、と思われる方もいるでしょう。でも問題ありません」


 穏やかに、しかしはっきりと。


「僕はこの十一年間、皇女の代わりに公務をこなしてきました」

「……っ」


 マリアンヌの顔が、凍りつく。


「無詠唱魔術も扱えますし、政務も外交も把握しています。ついでに顔も悪くない」

 どよめき。


「というわけで――僕が王になります。反対する方は」


 にこり、と微笑んだ。


「実力で、黙らせてください」


 誰も、声を出せなかった。


「以上です! ……あ、一つ、忘れていました」


 リヒトは、さらりと言う。


「アントニオ、マリアンヌ、ルークは終身幽閉で……国外追放は、火種になりかねませんから」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

「冗談だろ、リヒト……!」


 すがるような視線。

 それを見て、リヒトは優しく微笑んだ。


「――冗談に聞こえました?」


 次の瞬間、兵士たちが三人を連行する。


「それでは皆様」


 静まり返る会場で、ただ一人、彼だけが楽しげだった。


「パーティーを、お楽しみください」


 誰も、動けなかった。




 ◇◇


 翌日。


 アルディーノ帝国の門前に、一台の馬車が止まっていた。

 側面には、ダラード王室御用達の紋章。


「だからアレク、また会えるって」

「そう言って、どうせ一年くらい会えないくせに」


 不満そうに腕を組むアレクサンドラに、リヒトは苦笑する。


「だってさ、こーんなにかっこいいんだぜ? どうせ国に帰ったら、ぜひうちの娘とー、って山ほど打診を受けるんだろ?」

「それは否定できないけどさ……」

「あーほらまたそうやって! 不安を煽るようなことばっか言うなよ!」


 口を尖らせるアレク。


「陛下、そろそろ……」

「ほら、行かなきゃ、だから離れて――」


 振り向いた瞬間、首筋にちくりとした痛み。


「……え?」


 次に目に入ったのは、完璧な王子の微笑みだった。


「また会える日を、楽しみにしております」

「うん、僕もだよ?」


 改まった態度に警戒しつつも、素直な感情を露わにする。


「では最後に、お別れの挨拶をしましょう」

「ふ、何だよそれチューでもするつもりか?」


 そう言われて笑った、その瞬間。


「――ん」


 短く、塞がれる唇。


「……っ!?」

「じゃーな、また今度、な?」


 そのまま、リヒトは馬車へ押し込まれた。


「ちょ、アレク! 待っ――」


 扉が閉まり、馬車は動き出す。

 窓越しに見えたのは、いつもの余裕しゃくしゃくな笑み。


「……あの野郎……!」


 国王を乗せ、馬車は山道を登っていく。

 真っ赤な顔した陛下を乗せて。


 彼は、まだ知らない。


 自分の料理に宿る“力”のこと。

 フィナの正体のこと。


 そして――

 アレクサンドラが、どれほど深く彼を溺愛しているかも。



 それはまた、別の話である。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

ぜひ、二人を応援していただけると嬉しいです。

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