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制裁の夜、追いつめられたのは誰か

作者: 宇野 肇

「この場に相応しくない者がいるな」


 その時、善良で賢しい者たちは皆口をつぐんだ。

 華やかに彩られたパーティ会場で、デビュタントを迎えた若々しい少年少女たちを微笑ましく見守る年嵩の保護者たち。

 主役を差し置いて声を張り上げた無粋さに眉を顰めることさえせず、静かに音が引いた。


「そなたが身分を偽っていることは分かっている」


 声を上げているのは、既に公爵位を得ている王弟のエドワード・サリバンだった。

 彼の妻がまだ学生だった頃、学園の卒業祭で和を乱したことがあった。そこに自ら介入し、場を収めたのは彼だった。

 その彼が、今は率先して場の空気を壊している。

 違和感に気づけた者も、もう耄碌したのかと嗤う者も、祝いの場に相応しくない彼の振る舞いに息を潜めた。



 聖王国シェメシュでは、身分の貴賤を問わず一定の年齢――一般的には子を成す準備が整い、身体が成熟し安定したと見做される十代半ば――になった際に、その歳まで生きたことを祝福する儀礼がある。災害が多いこの国で、数ある祝祭の中でも最も尊ばれる重要な式典だ。

 聖職者として最高位である国王が自ら演説を行い、民の健康と幸福を祈る。失われた命には追悼の意を示す。

 実際に国王の声を拝聴できるのは限られた一部だけだが、演説の書き起こしは新聞社で盛んに行われ、また教会の人間たちが口伝で伝えることで殆どの人間はその年の王の言葉を知ることができた。

 葬儀と生誕祭が渾然一体として、この時ばかりはどんな悪人も静かになるとまで言われるほどだ。


 冬の寒さを抜け、花のつぼみが綻ぶ頃に行われる、一年に一度の、国を挙げての大切な行事である。


 既に王の言葉を賜り、後は比較的柔和な空気の中、歓談に興じる時間にはなっていたものの……そんな日に不和を起こしたとなれば、どれほど高貴な身と言えど糾弾は免れない。


 例えそれが、婚約者が他にある身で親しげに男爵令嬢の腰を抱く伯爵令息相手であっても、だ。



(――あら? でもこう言うのって、普通エンディングで行われるのじゃなかったかしら。どうしてこんな、まるでオープニングのように――)


 衆目がエドワードに集まる中、同じく目を遣ったリアナ・シェルヴァンはそう思った。

 そして直ぐに疑問を抱く。


(おかしい。どうしてこんな、脚本を批評するような発想なんて……?)


 エドワードを視界に入れながら、小さなろうそくの炎が、シャンデリアにぶら下げられたガラスや、壁や天井にはめ込まれた宝石に反射して不規則に煌めいている光景にちらちらと何かが湧き立っていく。

 リアナは突如湧き上がる自分ではない、この国ではない時代を生きた記憶に当惑した。それでも、平静を装って、会場で振舞われている料理に舌鼓を打った。

 一匙のスープは芋を丁寧に漉したなめらかな舌触りで、かつ仄かな暖かさが喉を伝って体内を温めていく。舌からじわりと広がる塩の旨味に目尻が下がった。

 同時に、身体と意識が乖離する感覚から、確かに今ここにいるという実感が帰ってくる。

 そのことにほっとしながら、もう一度目線を戻す。

 現実離れした感覚に倒れずに済んだのは、ドレスの中で必死に踏ん張っていたからだけではなかった。

 和やかな空気に水を差したエドワードの視線の向こう。戸惑いに萎縮した姿に、よくよく見覚えがあったからだった。


 肩を震わせたのは、最近学園でなにかと噂になっていた男爵令嬢だった。

 リアナも聞いたことがある。やれ婚約者のいる男子生徒に色目を使っただの、彼女のせいで婚約がなくなっただの。不穏な話が多く、最近では遠巻きにされることが多かった人。

 金色の髪に薄くパールピンクを注いだような髪は緩やかに波打ち、垂れ目の大きな目元や、ぷっくりとした唇も相まって、可愛らしい人形めいた雰囲気を持つ希有な少女。

 なまじ見目が良いため、噂の発端はただのやっかみや嫉妬ではないかと一笑に付されていたほどだった。


 あまりにも似た話が重なるので、最近では噂も真実かのように扱われていたが――


「最近学園が騒がしいと聞いてな。少し前から調べていた。私の振る舞いがこの祝いの日に相応しいかどうかは……各々の判断に任せよう」


(だからといってわざわざサリバン公爵閣下自ら泥を被るようなことをなさるだなんて。きっと何かお考えがあるのでしょうね)


 彼女を糾弾しているエドワードに目を向けながら、リアナはそう思った。

 シェルヴァン家はエドワードに恩がある。一時領地が困窮した際、素早く動いてくれたのが彼だったからだ。協力した家々にはインセンティブを、と言って物資の流通や寄付が異常に速やかに行われた。

 幼いころは酷く利発で、王位も狙えるとまで言われた彼が、長じるにつれてのらりくらりとかわすようになり、果ては学者や研究者の畑に没頭するようになったことには未だ賛否両論がある。

 悪し様に昼行灯などという者もいるが、本来援助を受けるためには一方的な力関係になることを飲み込んでの契約や婚姻を結ぶ必要がある。

 そんな方法を用いずに済んだというだけで、リアナにとってエドワードは決して王族としての振る舞いを忘れたことなどないのだと信じるに足るのだ。


 よって、彼がよりにもよってこの祝いの日にこんなことをしでかしたことについても、勿論『何かがあるのだろう』という見方を崩すことは無かった。

 デビュタントを迎えた年若いリアナでも分かることだ。

 そう思って僅かな好奇心と共に様子を見ていると、ふと落ち着きのない気配を感じた。

 リアナの後ろで固唾をのんで事態を見守っていたのは、見知らぬ婦人。しかし、心当たりはあった。


(サリバン公爵夫人のカタリナ様だわ。見慣れないご婦人なら、彼女しかいない)


 夫の行動をどんな気持ちで見ているのか。

 リアナは『この人も昔はあちら側だったのだな』と妙な感慨に耽る。

 一方で、そわそわとする夫人へ声を掛けた。


「こちらからお声がけする無礼をお許しください。サリバン公爵夫人、体調が優れないようでしたらお付き添いできますが」


 そっと声を抑えて囁くと、夫人の目がパチパチと瞬いた。

 それからゆっくりと表情が取り繕われ、そして眉尻が下がる。


「まあ。今日の主役にそんな心配を掛けてしまうなんて。わたくしもまだまだ至りませんね。あなた、お名前は?」

「夫人にお目に掛かるのは初めてとなります。リアナ・シェルヴァンと申します」

「ああ、五年前の飢饉は酷かったですね。けれど、あなたが健康そうで本当に良かったわ」

「ありがとう存じます」


 リアナの肌に、それとなく視線が突き刺さる。

 カタリナがエドワードの妻であることは広く知られている。故に、夫の行動について何か知っているのではを耳をそばだてているのだろう。


「それはそうと、わたくしは大丈夫です。少々気がかりなことはありますが、夫のことは信じておりますから」

「そうでいらっしゃいましたか。では、わたくしから申し上げることもありませんね」


 サリバン公爵家が王都の夜会に出てくることは殆どない。

 夫人の教育が進まないせいだと揶揄する声があることも知っているが、リアナからすればサリバン家の特殊性を知らない下位貴族のひがみにしか見えない。

 歴史的にみて、王家から『サリバン公爵位』を与えられる王族がでるのは一般的なことではない。またサリバン公爵位を戴く王族がいる間は、他国の記録と比べても、不気味なほど情勢が安定している。

 先天的か否かは不明だが、何らかの役割を持っているのは間違いないだろう。そんな人が凡夫であるはずがない。


 なにか()()()()()()()()()()()()()()()


 それが今宵の不和であるならば、点と点が繋がる感覚も間違いではないのだろう。


 エドワードと少女の方へ目を遣ると、少女の後ろから会場の警備についていた騎士たちが彼女の腕を取るのが見えた。


「心配せずとも、そなたをここに連れてきた者も既に別室へ向かわせている。本来この場にいることを許されているのは貴族法において認められた者のみ。……それでは後は、陛下と王太子殿下に見守っていただくこととしよう」


 エドワードが手を叩き、衆目を引きつけた。

 その隙を縫うように、リアナの耳にカタリナの囁きが吹き込まれる。


「リアナ嬢。あなたの厚意に報いるほどの価値があるかは分かりませんが、この後わたくしについてきてくださる?」

「夫人からお声がけいただけるなんて、光栄です。是非」


 苦笑いの国王が右手を上げる。――そしてようやく、会場には音が戻り始めた。

 保護者たちが率先して場の空気を作り、デビュタント組の緊張が柔らかく解けていく。それを背中で感じながら、リアナは夫人の後について会場を抜け出した。

 その足取りは今夜デビュタントを迎えたとは思えないほど楚々として、迷いのないものだった。


******


 シェメシュでは愛人や多妻は原則認められていない。条件付きではあるが、離縁が認められているためである。

 故に、不義密通は充分に咎められる事案となる。

 これは婚姻関係にある場合だけでなく、公私問わず婚約関係であれば成立する。


(とはいえ、死罪ほど重い罪では無いのよね。今回の場合、噂を鑑みて処罰されるのは男爵令嬢だけ……ということかしら。でも、公爵閣下が敢えてこの日を選んだのには理由があるだろうし、今だって、夫人がお誘いくださるくらいだからそう簡単な話でもないように思えるけれど)


 会場から抜け、警備の目がある廊下の先には、何部屋か休憩室が設けられている。

 それさえも通り過ぎると、カタリナはメイドにドアを開けられ、一つの小部屋に入った。リアナもそれに続く。

 そこは隣の部屋の話を聞くためだけに設えられた傍聴室だった。


「あなたもお掛けなさい。楽にして。飲食もしていいわ」

「はい、夫人」


 ソファに腰を下ろし、互いに顔を寄せて声を潜める。

 香りの良い紅茶に砂糖とミルクを落とし、ひと口、喉を潤した。


「あなたはわたくしよりも落ち着いているわね。まるで何か知っているかのよう」


 カタリナが切り出した。

 リアナは一度カップを置くと、口元に笑みを浮かべた。


「今からどのようなお話を聞けるのか、非常に興味をそそられています。サリバン公爵閣下はよく噂が流れる方ですが、その行動に叛意があったことはありません」

「ふふ。その口ぶり。まるで昔の閣下のようだわ」


 カタリナは目元を緩めて、少女のように笑った。

 こういう所を閣下は尊ばれているのだろうなと分かる、風のような気ままさがあった。

 彼女が抑圧されていない証左だ。


「畏れ多いことです」

「ふふ。けれど、閣下も内面は普通の殿方です。あなたもきっとそうなのでしょう」


 ひそひそと話をしているうちに、隣室がにわかに騒がしくなる。

 数人が入室する足音や衣擦れの音の後、ドアがかたく閉まる。

 カタリナとリアナは自然と息を潜めていた。

 リアナがちらと見遣ったカタリナの表情は、会場よりも遙かに落ち着いていた。


『ふう。人払いは済んでいるし、この部屋の中にいるのは僕の信頼している部下たちだ。力を抜くと良い』

『は、はい。サリバン公爵閣下、この度は助けていただき誠にありがとうございます』


 エドワードの声が響く。続いて聞こえてきたのは、渦中の男爵令嬢のものだった。

 震えているため拾いにくいが、エドワードの穏やかな声からすると、実際にここで厳しい追及があるわけではないようだった。


(それどころか、やはり噂は噂でしかなかったということね)


 リアナの考えを見透かしたかのように、カタリナが耳打ちする。


「彼女、あの伯爵令息に強引に言い寄られてひどく困っていらしたの。けれど、告発すれば吹けば飛ぶような、まだ叙爵されたばかりの家でね。後ろ盾どころか、彼女を手に入れるために、わざと彼女の品位を貶めて、家ごと取り込んでやろうという動きがあったのよ」

「確か令息は次男でしたね。既に婚約者もいました。にもかかわらず、令嬢を強引に手に入れようとするものでしょうか」

「あの男爵家が叙爵されたのは、大陸との販路(パイプ)があるからなの。商家上がりで裕福。時勢を読む力もある。緩やかに下り坂をいく伯爵家からすれば、多少無理をしてでも欲しかったでしょうね。

 それに、婚約者が抗議した事実もない。内々に婚約解消か、なにか近しい話は進んでいたかも知れないわ」

「……男爵令嬢からすれば怖い話です」

「ええ。そこで、まわりが介入できなくなる前に一芝居打って、彼女を社会的に殺そうという話になったの。他でもない、彼女たっての希望でね」

「よく助けを呼べましたね」

「少し前に、夫が学園の蔵書について参観したついでに何人か生徒の相談を受けたと言っていたわ。その際に上手くやったのでしょう」

「ああ……そういえばありました」


 当時、王弟殿下が直々に来るくらいだから、噂の男爵令嬢の件でなにかあるのではないかと話題になった。

 リアナはその時、『既婚者にまで言い寄って、とんでもない女だ』などと言っていたのは誰だったかを思い出した。――無論、例の伯爵令息である。


(彼のことはよく知らないけれど、男爵令嬢の噂の発端が彼なのだとしたら……夫人の話ともつじつまは合う)


 だとすれば、酷い話だ。

 力ない令嬢が社会的にも敵わない男性に強引に事を運ばれたらひとたまりもない。

 男爵令嬢は孤立する中にあって、いっそ死を選んだということだ。処刑人として王弟を引き込めたのは、彼女にとって素晴らしい幸運だっただろう。

 並の女にできることではない。


「彼女のこと、よく知らないままでしたけれど……とても勿体ないことをしたのだという気持ちでいっぱいです」


 感じたことを舌に乗せると、カタリナはリアナを見てくすりと笑った。


「あら。そんな他人事でいいのかしら」

「え?」


 意味深な言葉に、無防備な聞き返しをしてしまう。

 しまった、と口元を指先で塞ぐと同時、エドワードのくぐもった声が壁を震わせた。


『さあ、服と髪を替えよう。その後のことは僕に任せるといい。都合上、衝立の奥で、になるが……』

『これ以上ないご配慮でございます』


 令嬢の声の後、音が止む。着替えが始まったとしても、隣室にまで届くような音ではない。


「この後、この部屋に人が入ってきたら、わたくしも夫と合流します。何か食べておくなら今のうちよ」


 綺麗にウインクをして、カタリナがスコーンに手を伸ばす。優雅な手つきでクリームをたっぷりつけた後、大きな塊にかじりついた。

 クリームの油で唇が怪しく光る。それを見つめながら、リアナは遅まきにやってきた緊張にぎくしゃくと手を動かし、彼女に倣った。


(捕食者の唇だと思うなんて、おかしいわよね)


 どきどきと逸る胸を誤魔化しながら、小さなサンドウィッチをつまんでは紅茶を口にする。

 保護者が見ればはしたないと眉をひそめるだろうが、公爵夫人が率先しているので、リアナは汚く見えない程度にはぱくぱくと口と喉を動かした。

 口内の乾きのまま紅茶を喉に通す。渋みがやけに舌の上に残り、後を引いた。


「男爵令嬢……いえ、スピカ様はこれからどうなるのでしょうか」

「サリバン領で、夫や私の目の届く範囲にいてもらいます。わたくしの実家のグルーバー領でもいいのだけれど……あそこは、適性が無いと辛くなってしまうから」

「グルーバー伯爵領というと、魔鉱石が採れるという」

「そうよ。普通の人にはちょっと毒なの」


 軽く言うが、そこで生まれ育ったはずのカタリナは平気なのだろう。顔色に影が差す気配さえ無かった。


「それに皆あそこは辺境の厳しい地で、流刑先とまで思っているでしょう? まだまだ先が長いのですもの。彼女はサリバン領の豊かな自然に囲まれて、もう少しのびのびとすればいいわ」


 反応に困る内容にリアナが言葉に窮すると、カタリナはそれさえも笑い飛ばすかのように快活に言い切った。

 そこに、ノックが響く。


「どうぞ」


 そう言って、カタリナの声を受けてドアが開く。

 居住まいを正したリアナは、頭を低くして礼をとった。


「はあ、疲れたよ。人助けとはいえ、柄にもない事はするもんじゃないな……っと、失礼。レディがいらっしゃるとは」

「シェルヴァン子爵の娘さんよ」

「ああ、この間は大変だったね。元気そうで良かった。エドワード・サリバンだ」


 夫婦揃って言うことが同じだ。

 仲の良さを感じ、リアナは下げた頭の陰で口角が上がるのを止められなかった。


「お目にかかれて誠に光栄でございます、閣下。シェルヴァン子爵家の次女、リアナと申します」

「リアナ嬢。頭を上げて楽にしてくれ。

 それで? どうして僕の奥さんは今日の主役をこんな所まで引っ張り出したのかな」


 リアナが頭を上げる側で、カタリナが楽しげに声を上げる。


「少し前のあなたとそっくりだったものですから」

「ほう?」


 エドワードの目がリアナへ注がれる。

 先ほどまでの紳士然とした柔らかな視線は一転し、まるでなんらかの御禁制に触れたかのような眼差しだった。

 ひゅ、とリアナの息が詰まる。パーティ会場での厳しい目が放つ圧を実際に目の当たりにし、気圧される。しかし男爵令嬢がどんな気持ちであの場に立っていたかを思うと、怯むのは悔しかった。

 ぐっと顎を引きながらも、エドワードの視線を堪える。

 妙に長い時間が経ったような気がしたが、カタリナにそっと肩を抱かれて、エドワードは相好を崩した。


「是非話を聞きたいものだ。リアナ嬢はしばらく王都のタウンハウスに?」

「はい。本日は母を保護者(シャペロン)として参りました。父は式典には出席しましたが、恐らく今は男性の社交場にいるかと存じます」

「なるほど。母君にはこちらから君を預かっていると伝えておこう」

「ですが閣下、」

「気になるだろう? スピカ嬢を貶めた男にどんな制裁が待っているのか」


 ごくり。

 リアナの喉が小さくなる。

 カタリナの言葉を考えれば、あの伯爵令息は既に婚約者はおらず、今回の件は不貞には当たらない。エドワードがまるで断罪劇のような様相で指摘した内容も、男爵令嬢の身分詐称――恐らく今日までに貴族の身分を捨てたのだ――の件のみ。

 ならば、この国で令息への罰はないはずだ。

 しかし不当に名誉を汚され、汚名をそそぐこともできないまま表向き死ぬしかなかったスピカを思うと、どうしようもなくあの同窓生に対する義憤が煮え立つ。

 会場で感じた違和感以降、ずっとそのことに苛立っている。

 それはこの国、この時代における価値観としてはあまりにも異質だと、リアナ自身も分かっていた。


 その上で、令息にも罰を下すと言い切ったエドワードに強い親近感が湧き上がる。


「閣下、まさか」


 ぽろりとまろびでた言葉に封をしたのもまた、エドワードだった。


「その話は改めて、もっと信頼できる場所でしよう。さあ、こちらだ」


 もはやリアナに、ついていかないという選択肢は無かった。




 その後、リアナもまた選択を迫られた。

 今世ではない記憶を持っていることの特殊性からサリバン公爵家の目が届く場所での生活を余儀なくされたものの、女性が積極的に仕事に携われると聞き、学園卒業後はカタリナ付きの専属秘書として働くことを認められた。

 そして、先に登用されたスピカと遅まきながら交友を深めることになる。


 その頃には、彼女たちの元にもとある男がいつまでも結婚相手の選定に苦労していると聞こえてきたが――日々の穏やかな時間の前にはすっかり色褪せて、わざわざ口にするほどのこともなかった。

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