灰街
灰は降り積もり、鉄は問い続ける。
この国、ボロス王国は四方を山に囲まれ、
豊かなはずの大地を支配するのは、いつしか神ではなく“鉄の巨人”となった。
機動鎧──
戦場を駆ける鉄の棺は、神性を宿すと呼ばれ、
王家と教団が権威を競う道具となった。
だが鉄が神を名乗る時、
その足元に生きる人々は、何を信じればいいのか。
灰街。
王都の外れ、煙と煤に覆われた貧民区。
そこで一人の少年が生まれ、捨てられ、問うことしか許されなかった。
「俺はなぜ、生きている?」
「神はなぜ、黙っている?」
答えのない世界で、
少年はやがて“問いに応える鉄”と出会う。
それは、信仰ではない。
剣を握り、血を流し、自らの意志で選び取る未来。
そのために、彼は剣を取る。
鉄に、神に、そして自らに問い返すために。
灰が降っていた。
山々に囲まれたボロス王国の外縁部に、ひときわ汚れた街がある。
かつて皇都の産業を支えた鋳造場、精錬工房
廃棄場が集められた結果、生まれた街。
煤と油の匂いが肌を焼き、息を吸うたびに灰がひりつく。
空からは雨ではなく、灰色の粉が絶えず降り積もり、地面を鉛のような色に染めていた。
人はここを“灰街”と呼んだ。
だが街などと呼ぶのも烏滸がましい。
崩れかけた煉瓦造りの建物、
骨組みだけが残った工場、
廃棄された機動鎧の残骸をくり抜いて作った簡易住居。
そこに寄り集まって生きる人々は、飢えと寒さ、そして暴力の中で生き延びるしかなかった。
ウォルフが初めてこの地に足を踏み入れたのは、まだ五歳の頃だった。
彼はこの灰色の街で、最初の記憶を刻まれることになる。
⸻
彼は本来、この街の出ではなかった。
生まれ皇都ボロスの一角、皇族の屋敷の片隅。
父バラス=ボロスは、王家の妾腹として生まれた男であり、弟である現国王により許嫁を奪われ、領地と地位を失った皇族だった。
だが、バラスには異常な執着があった。
──機動鎧──
戦場を駆ける鉄の巨人。王権を象徴し、神性を宿すとまで信じられた鎧。
彼はそれに魅せられ、一体、また一体と収集し続けた。
衣食を捨て、家具を売り、家を傾けても鉄を買った。
その結果、彼と妻、そして生まれたばかりのウォルフは、いつしか飢えに瀕するようになっていた。
母は薄布一枚を纏い、夜明け前から働きに出た。だが病が蝕んでいく。
バラスは鉄の欠片を磨き、鎧の残骸を愛おしむばかりで、家族を顧みることはなかった。
七歳の冬、母は息を引き取った。
冷たい寝床で、幼いウォルフの手を握ったまま。
「……ごめんね……強く……生きて……」
その最後の言葉だけが、彼の心に刻まれた。
同じ夜、屋敷の権利を奪いに来た領主代行が、ウォルフとバラスを灰街へ追いやった。
⸻
灰街に来たバラスは、なおも鉄を追い続けた。
粗末な小屋に鎧の部品だけを詰め込み、息子の食料すら換金しては鉄を買った。
ウォルフが空腹で倒れても、父は振り返らない。
やがて父は行方知れずになり、鉄屑の山に残されたのは幼いウォルフ一人と黒鉄の鎧だった。
ここには掟がある。
──奪われる前に奪え。
──弱ければ、命すら取られる。
ウォルフは泣く間もなく、飢えと寒さに追われて盗みを覚えた。
同じ年頃の子供たちと食料を奪い合い、時には殴り、時には殴られた。
痛みと血の味を知るほどに、彼の中で小さな炎がくすぶり始める。
「どうして俺だけが、こんな場所に落ちた……?」
「皇族の血を引いてるって……なんの意味があるんだよ……」
問いは夜の空に溶けるだけで、誰も答えはくれなかった。