宿題
「えぇっと」
真剣な表情の青木さんの視線に耐えかねて、曖昧な笑顔を浮かべる。冗談のつもりだったのに、月岡さんが飯山を攫った犯人かもしれないなんて。
「あ、違う違う!」
何かに気づいて、青木さんは顔の前でバタバタと手を振る。
「今の話の流れだと勘違いさせちゃったかも。僕は単純に、君が月岡って人物を知ってることにびっくりして......田嶋さんから聞いたの?」
「え?」
どうして叔父さんの名前が出てくるのだろう。
「あれ、違う?小夜ちゃんは言わないだろうしなあ」
「九条君ーークラスメイトから三年前の事件の事を聞きました......月岡さんの畑からお腹が裂かれた妊婦さんが見つかったって」
そう答えると彼はちょっと顔を顰めた。余計な話をしてしまった。そんな表情に見えたのは気のせいではない。と思う。
「そっかそっか。おっともうとっくに三分すぎてるや〜。藍ちゃんも早く行かないと授業遅れちゃうよ」
わざとらしく慌てて、戻っていこうとする青木さんを、わざわざ引き止めることはしないでおいた。今は別件にかまけている余裕もない。
小走りで教室に戻る途中で、風間先生に放課後国語準備室に来いと言われた。
何用か知らないが、丁度いい。飯山さんの件は知らなくても加美奈やオサコさんについて聞けるかもしれない。情報を仕入れ、あわよくば加美奈を説得し、飯山さんを助けてほしい。我ながら浅ましいが、彼女の救出に一番近い道がこれなのは変わらない。
前の学校でも滅多に行ったことのない視聴覚室の隣に国語準備室はあった。念の為、三回扉をノックしてみた。
職員室に入る時なんかにも思うが、引き戸はノックと相性が悪い。ガシャガシャ鳴って少し不快になる。
磨りガラスの向こうから影が近づいてきて、扉がスライドする。
「来たか。ま、入れ」
風間先生は素っ気なくそう言って、私を迎え入れた。
辞書とか古そうな本がこれでもかと詰め込まれた本棚に、最低限の机と椅子。どこに立つべきか少し悩んで、部屋の真ん中辺りで立ち止まる。そんな私の方に体を向けたまま、彼は弁当の白米を頬張った。
「悪いな......。昼、食べ損ねて」
「気にしないでください」
反射的に、笑顔でそう返したはいいものの、かなり手持ち無沙汰だ。先生の食べるペースは早い。にしても、食べ終わるのを待つには残りが多いが。
「えーっと、呼び出しの理由ってなんですか?」
「あぁ」
少しの間、咀嚼音が場を支配した。
「アドバイスしといてやろうと思ってな」
「アドバイス……」
箸を置き、お茶で喉を潤わせた後、風間先生は私を人差し指で指差す。
「雲乗の事だ。お前、ちょっと思い返してみろ。あいつとの会話を」
彼女との会話?
神社で話した時から最初に会った時まで、覚えている限り遡ってみる。
「変だと思ったことは?」
「……変、ですか?それはーー」ある。と言うより、あった。出会って数時間で神云々の話をされたのだから。
「あいつの発言を鵜呑みにし過ぎてるって、1ミリも思わなかったか」
質問というより確認に近い。そんな先生の言葉を聞き、私は首を縦にも横にも振れなくなってしまった。そんな私に構わず、彼は話を続ける。たまに弁当を口に運びながらではあったが。
「ある程度話は聞き出してたし、直接話してるところを見たから言ってやるが...…お前、自分では頭回る方だと思ってるかもしれんが、所詮神と人間だから、どうあってもお前は言いくるめられる側だぞ。
狙われている話、神様だって話、紫がお前の母親だって話。真偽はともかく信じるようにされてるんだ。あいつの力の一端ぐらいは見た事あんだろ?それが自分に使われ保証はどこにも無いわけだ」
どうだ?と今度は箸で指差され、少し嫌な気分になった。
「もし、そうだとして……それってなんだか回りくどくないですか?」
片眉を上げて、先生はお茶に手を伸ばす。
「だって、何もかも信じ込ませられるなら、わざわざ普通の人間のフリする意味ないでしょう?私一人だけに接触して、洗脳でもなんでもしちゃえばいいのに。弱るまで力を使う理由が分かりません」
「ま、そうだな」
思ったよりもサラッと流されてしまった。目線を落とした先生は、残していたのか嫌いなのか梅干しを掴んで動かなかった。
「あのーー」
「卜部。お前は雲乗に会うまでどのくらい神様を信じていた」
どのくらい?言葉を遮られたのも忘れるくらい言葉に迷った。なんて説明すればいいんだろうか。普通の人と同じくらいだと自認はしている。神頼みに意味なんてないと思っているけど、新年には神社に行ったりする。そんな感じ。
「少なくとも今よりは信じてなかったです」
自分で言ってて、求められてる返事ではないなと思う。
「あぁ。なら、ここにも神様がいると言ったらどう思う?」
「それはーー風間先生のことですか?」
オサコさんを連れて行ったことや、加美奈について色々知っていそうなことから導きだした言葉だった。
「俺はそんなんじゃねぇ。ここって言うのはほら」
鼻で笑った後に先生は梅干しをかじった。半分くらい種が覗いたそれを見せつけてくる。
「梅干しの中に神様がいるって言ってるんですか?」
「そんなところにはいないって顔だな」
「八百万の神なんて言葉があっても流石に梅干しの神って……」
「いやいや、それがいるんだよ。種の中には天神様が」
「天神様?」
「菅原道真。歴史で習っただろ?」
「それは……はい。平安時代の人で、確か学問のーー」
「神様」にやりと笑って、風間先生は残りの梅干しを口に放り込む。直後、ガリッと音がした。種を噛み砕いた?歯に悪いんじゃないかと思いながら見ていると、種と白い塊を彼は吐き出した。
「道真が大宰府に左遷された後、都では落雷やら洪水なんかで人死が出てな、それを道真の怨霊だ〜なんて騒いだ挙句、天神。水の恵みを与える神として崇め奉ったわけだ。その道真が梅干し大好きだったんで、この白い部分。仁を天神様って呼ぶんだわ」
説明は終わりだと、仁を飲み込んで満足そうな笑みを浮かべられる。ただ雑学を披露されただけな気がして、黙ったままでいると分かんねぇかと呟かれた。
「人間も神になるし、思い込みでも神は生まれる。雲乗もハクブツ?もそういう所では変わらないんだ。格で言えば差があるにしてもな」
「つまり、つまるところ私は無力だから何も出来ないって言いたいんですか?相手が神様だから」
「おい。そこまで言ってないだろ。そりゃ一対一になった時は好き勝手されるだろうけど」
「言ってるのと同義じゃないですか」
わざわざ言われなくても分かってることを言われてイライラする。
アドバイスなんて言い方して、結局のところ最後通告みたいなものじゃないか。一般人らしく、学生らしく、首突っ込むのを辞めろってことか。
「私、どうしたらいいんですか。自分のせいで飯山さんがハクブツに連れていかれて、味方かと思っていた神様も助けてくれない」
「べんきょーしとけばいいんじゃね?高校三年生なんだから」
「嫌ですよ。や、勉強はするんですけど」
「嫌か……。卜部、お前にも出来ることがあるにはある」
「本当ですか!?」
「だがこれ以上言ったらアドバイスの枠を超えるからな〜。最早答えに近い。どうするか」
風間先生は顎に手を当てて唸り出した。
「教えてください!」
思わず前のめりになった私を見上げて彼は口角を上げた。ように見えた。
「重要なのは信じる心だ」
「はい?」
「おい、ここまで言って分かりませんとは言ってくれるなよ」
そんなこと言われたって困る。てっきり零から百まで説明してもらえると思ったのに。信じる心って何?
「そうだなー。これで無理ならもう一つ。どうして飯山が代わりになったのか。明日の朝に聞くから、どちらかの答えを用意しとけ。それで無理なら、お前の方こそ薄物細故になるわけだ」
それじゃ、とっとと帰れと椅子ごと背を向けられる。
なんだそれ、でも。言う通りにするしかない。
そういうわけで私はすごすごと引き下がった。
「やっと面白くなりそうだ」
ギシギシ鳴る古い椅子を揺らしながら、男は機嫌良さそうに口笛を吹いた。