噂話
「あ、卜部兄妹」
近所の無人販売所に来ていた私たちは、そう声をかけられ振り返る。
「九条。お前も買い物か」
緋彩にそう問われ、頷いた彼はどことなくバツが悪そうに見えた。
「家から遠くないか」
どうやら九条君の家を把握するくらい、緋彩は彼と仲良くなったらしい。喜ばしいことだが面白くはない。
「ん、安いしさ。たまに走りたくなるんだよ」
習慣付いちゃってと笑いながら、彼は手早く野菜を取る。ジャージ姿なのを見るに実際、走るついでに来たらしい。急いでいるのかと思い、邪魔しないよう黙って様子見ていると、九条君は小屋の角を見上げた。
彼の目線を追うと、その先には監視カメラがあった。
そこに向かって会釈をしてから代金を置く。
見ているか分からないのに律儀だなぁと素直に感心していると、キャベツを二玉抱えた緋彩も同じようにした。
私も流れに乗って軽くだが頭を下げておく。
小屋の外に出たところで、九条君が口を開いた。
「知ってるか分かんないけど、ここで買ったって人にバレない方がいいよ」
「九条君。それってなんで?」
「噂だよ。ここの農家さんに悪い噂があるだけ」
「お前は信じてないんだろ」
「……そりゃまあ」
ここに長く留まるのも嫌なのか歩きながら話そうと言われ、私たち三人は家に向かって足を動かす。
「噂って?」
聞かないと九条君が話し出さない気がして、夕陽に染った横顔に尋ねると、彼は下唇を少し噛んでから話し始めた。
「俺が中三の時の夏にさ、あそこの畑から……死体が見つかったんだよ」
「死体が?」
「そう。食べる気なくした?」
「お前が中三の時ってことは三年も前だろ。俺は気にしない」
チラッと私を見た緋彩に頷く。どう思っていても、この状況なら肯定以外の選択肢はない。
それにしても、やけに野菜の値段が安いと思ったら、そうしないと買ってもらえないから?
「なら良かった。でさ、お腹の裂かれた妊婦さんが埋まってたらしくて」
こっからここまで、と九条君は顔をしかめながら指で下腹部を撫でる。
酷く不愉快だった。この近くでそんな事件があったなんて。犯人はちゃんと捕まったのだろうか。
「農家さん……月岡さんって言うんだけど。事件の前に奥さんに逃げられたらしいし、近所付き合いも悪いしで元々評判悪かったっぽいんだよ。そこに死体が出てきて、後は分かるだろ?」
「……」
「月岡さんが人殺しだって思われてるのか」
緋彩の声には怒りが滲んでいた。
「警察は調べたんでしょ?」
「もちろん。でも、それで納得するような人ばっかりじゃないんだよ。犯人が見つかれば変わるだろうけどさ」
難しいとは思うよと真剣な顔で言う九条君を見て、やるせない気持ちが湧いてきた頃。丁度叔父さんの家に着いたので、彼とはそこで別れた。
噂とは厄介なものだ。
月岡さんにしても飯山さんにしても。
風間先生から飯山さんの話を聞いてから、もう三日が経とうとしていた。
初めは家出だと思われていたが、先日とうとう行方不明者届が出された。
どうして私がそんな事を知ってるのかといえば、学校でもっぱら噂になっているのと、青木さんが探りを入れてきたからだ。
ちょっと忙しくなりそうなんだよねーとお弁当の要求もされたので、明日からわざわざ署に届けに行かなくてはならない。
でも、上手くいけば捜査の話を盗み聞けるかもしれない。
加美奈は当てにならない。初めから興味が無さそうだったので、そこまで期待はしていなかった。
それでも、頼めば少しは手を貸してくれると思っていた。
彼女は学校の時間以外、あの洞穴にこもっているばかり。
一つ助かったのは、青木さんに会ってあの夜の私の発言が嘘では無いと証明すると約束してくれたこと。
ハクブツについての話も結局ちゃんと聞けずじまい。
説明したところで、貴女にできることは何も無いと突然言われてしまっては、食い下がることも出来なかった。
私はずっと無力だ。でも、無力な人間なりに飯山さんのことを助け出したいと思う。
叔父さんに海辺の祠について尋ねてみたけど当然のように知らなかった。勿論小夜ちゃんも。でも、昔のことが知りたかったら小学校に資料室があると教えてくれた。
学校の資料室に、祠についての資料があるとは思えなかったので、調べてみると郷土資料館が隣町にあった。次の休みに行ってみたいとは思っている。ただ、どれだけ飯山さんがもつのか分からないのが問題だ。
「藍」
「何?」
「……さっきの話気にしてるのか」
家に入ってから私がぼんやりしているので、勘違いをさせてしまったらしい。
「気にしてるのはそっちでしょ。珍しく怒ってさ」
「怒ってた……」
緋彩は頬に手を当てて、不思議そうな顔をしている。
「そうかもな。人を殺した挙句、他所の畑に死体を埋めるなんて……月岡さんも勘違いされて可哀想だ」
月岡さんに会ったことも無いのに、そんな風に思えるなんて。それとも九条君の事を信頼しているから、彼の言葉も信じているのだろうか。
多分、共感しただけだ。根拠の無い噂話に苦しめられている月岡さんに。
月岡さんや飯山さんの件が無かったら、噂の中心にいたのは私たちだったかもしれない。
私たちの沈んだ空気を感じ取ったのか、リビングの小夜ちゃんが心配そうにこっちを見ている。
慌てて笑顔を作るとへにゃりと笑ってから、テレビに目線を戻した。三年も前の事件でわざわざ小夜ちゃんを暗い気持ちにさせたくなんかない。
緋彩も同じ考えなのか、意図的にいつもの無表情に戻った。
夕飯のロールキャベツを食べる時、一瞬だけ九条君の話が頭をよぎった。
......死体がなんだ。堆肥とどっこいどっこいだ。どちらも嫌ではあるが、ソレがくっついているわけではないのだから。加熱もしてあるし、となんとかキャベツに歯を立てた。
甘くて柔らかい。うん。コンソメとも相性抜群。
頷いている私を見て、そんなに納得のいく出来だったかと緋色は嬉しそうにする。
違うとも言えず、笑って誤魔化した。
約束したとは言え、昼休みが半分潰れるのは痛い。これを一週間続けるなんて......それに警察署に通いつめるのも周りの目が気になってしょうがない。今日は加美奈が一緒だから少しマシだけど。
署の奥から出てきた青木さんがこちらに気づいて手を上げる。会釈で返して駆け寄るといつもの笑顔をお互い浮かべる。
「いや〜悪いね、助かるよ」
差し出された手に保冷バッグを渡すと、早々に戻っていこうとするので、慌てて声をかける。
「あの!青木さん。ちょっとだけ時間貰ってもいいですか?」
「あ〜、三分ぐらいならいいよ。何?」
そんなに忙しいのか、それか面倒くさいと思っているのか......。時間がないから少し早口で説明することにした。
「まず、この間話した雲乗っていうクラスメイトのことで」
「確か田嶋さん家の裏に住んでるって子だっけ」
青木さんはちょっと驚いた様な顔をしている。この話を掘り返されると思っていなかったのかもしれない。
「そうです」
振り返って入口近くに立ったままの加美奈に手招きする。
「えっと、あの夜は……なんて言ったらいいかーー」
「いいっていいって。僕は気にしてないから。単なる思い違いでしょ?」
「そうじゃなくて!今日はその彼女を連れてきたので紹介したいんです」
そうして私の隣に並び立った加美奈を指し示す。
「うん。で?その子どこにいるの?」
「はい?」
青木さんは私の横にいる彼女をまるで無視して、署内を見渡している。ふざけている感じでもない。まさか本当に見えていない?
困惑しながら加美奈の方を見れば、彼女は苛立ちを隠そうともせずに、一歩前に出て挨拶をした。
「はじめまして。雲乗加美奈です。藍の家の裏に住んでいます」
ゆっくり、はっきりと言い聞かせるようにそう言うと青木さんはようやく加美奈に目を向けた。が、その視線はゆらゆらと定まらず、最終的に私に戻ってきた。
あのさーーと彼が口を開こうとした瞬間、袖をぐいと引っ張られ、そのまま距離を取らされる。
「どうしたの?加美奈」
「彼はダメだわ」
そう言った彼女の額には汗が滲んでいた。
「何がどうダメなの?」
「あの青木とか言う男は信じていないの」
彼女の遠回しな物言いにも少し慣れてきた。相槌をうたなくても話したい事だけは話してくれる。
「どうにか辻褄を合わせられたと思うけれど、これ以上は無理。彼には私の話をしない方が得策だわ」
先に学校に戻っているわとだけ言い残して加美奈はそそくさと立ち去った。
青木さんには加美奈の力が効きずらかったということなのだろうか?見ていた感じだと認識すら危うかったように思える。
気にはなるが、青木さんに聞くのはやめておいた方が無難なんだろう。
残り時間が何分あるか分からない。足早に青木さんの元に戻る。
「すみません。お待たせして」
「いいよいいよ。話、まだある?」
「その、行方不明の子って見つかりそうですか?」
「あ〜」
困ったように頭を掻きながら青木さんは声を潜めた。
「当たり前なんだけどさ、こういうのって言っちゃダメなわけ。それに前に聞いた時さ、よく知らない子って言ってなかった?」
「それは、まだ九十九原に来て数日ですし、よく知らないって言うでしょう。それに......」
実は私の代わりにハクブツに狙われてます。なんて言えるわけが無い。
口をつぐんだ私にため息をついた後、青木さんは目線を時計に走らせた。
「うーん。じゃあもう、噂になっちゃってること今から言うね」
聞いておいて何だが、良いのだろうかと思いながらそれでも、黙って頷いた。
「見つかるって断言は勿論できない。今は、彼女がいなくなる前に、男の人と一緒にいたって目撃情報が出てるから、その周辺の聞き込みを続けてるって感じ。駆け落ちだなんだって話は耳に入ってるでしょ?」
「......はい」
学校だとその説が濃厚だ。噂によると飯山さんには姉がおり、彼女が弓道をしているのも姉の影響らしい。もっとも、その実力には雲泥の差があるようだ。比べられるのが、弓道を続けるのが嫌になり、理解者と逃げたというのが筋書き。三年前の事件と繋がりがある説や神隠し説も出ている。
加美奈の話があるので、私も神隠しだと思っていた。けれど、男性と一緒にいたとなると違ってくる。
「その男性って月岡って方じゃないですよね」
冗談のつもりで言った言葉だった。
早く話を切り上げたくてそわそわしていた青木さんが真顔になる。
「なんで知ってるの」
この人、笑ってないと怖いなと思った。