薄物細故
翌日。行き場の無い不安を抱えながらなんとか教室に着いた私は加美奈が来るのを今か今かと待っていた。
昨夜。林の中で家があったはずの場所で立ちすくむ私に対して、青木さんは狸か狐にでも化かされたんじゃないの?と軽口を叩いたが何も言い返すことが出来なかった。家に戻った後、緋彩に加美奈について聞いてみようかとも思ったけど、知らないなんて言われた暁にはどうしていいか分からなくなりそうだったからやめた。
そして賭けに負けた私は一週間弁当を作ることになった。
忙しくなった時に頼むよ。と言われたので今は気にしなくていいのが幸いだ。
神隠しに合うかもなんてことより自分が見たものがきれいさっぱり無くなっていたことの方が実感が伴いすぎていて怖い。
ホームルームの時間になっても、加美奈は学校に来なかった。
「雲乗は体調不良で休みだとさ。お前らも新学期早々体壊さないよう気をつけろよー」
風間先生がそう言うのを聞いて少しだけほっとした。加美奈の存在は保証された。ただ、休みなのだとしたら一体どこで休んでいるのだろう。家は無いのに。
そんなもやもやを抱えたままで迎えた放課後。風間先生が廊下で私を捕まえてプリントを渡してきた。先生の担当科目である日本史のプリントだった。もう持ってますと言おうとしたところでさらにプリントを渡される。今度は数学だ。
「雲乗に渡しといてくれるか。お前ん家近くだろ」
「え?」
「なんだ知らないのか?」
知っている。叔父さんの家の裏。確かに近所にある。でも、昨日の夜は無かった。
「ちょっと待ってろ。地図描いてやる」
恐らく困惑した顔をしているのだろう私を見て、先生は持っていたノートを開いてサラサラとペンを走らせた。描き終えたものを見て満足そうにした後、ビッっとページを破いて私にくれた。学校から加美奈の家までの経路が簡単にではあるが描いてある。
「わざわざありがとうございます」
「頼んでるのはこっちだから礼なんていい。じゃ、よろしくな」
行くとは言ってないんだけどなと思いながらプリントをファイルに入れて歩き出す。緋彩は九条君と会話が盛り上がっているようだったから置いていく。
私が迷わないようになのか、直線多めの地図に従って歩いてみると当然ながら知らない道ばかりで、ただ何か新発見があったかといえば今のところ特に何もなかった。基本的に畑がずっと続いたりぽつぽつと一軒家があるくらいでこれならいつもの道で帰った方が早かったなと後悔しかけた頃。無人販売所と看板が掲げられた木製の小屋を発見した。
ガラス戸から中を伺うとキャベツ一玉九十円の文字が飛び込んできた。
安い。都会より、スーパーより、商店街の八百屋さんより断然安い。
今度買い出しに行く時絶対来ようと場所を覚えるために周囲を見渡す。見覚えのある家が遠くにあった。
叔父さんの家だ。地図を確認すると家とは逆方向に矢印が引いてある。
そっちを見るとどうやら山に入る道のようで、思わず首を傾げる。
先生の知っている加美奈の家は私のとは違うらしい。この地図にある家もなかったらーー。
馬鹿げた考えが頭に浮かんで、それを打ち消すために足を動かす。
登り坂を少し進んだ右手に階段があり、地図の矢印もそこで曲がっていた。
かなりの段数がありそうなソレにため息が出そうになるがグッと堪えて気合いを入れ直す。
息があがって、額がじんわり濡れてきた頃。ようやくその階段は終わりを迎えた。
鳥居に社務所、手水舎に拝殿。もちろん本殿もあるそこは、間違いなく立派な神社だ。
参道の端に寄って息を整えていると竹箒を持った巫女さんと目が合った。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい!少し休憩をと」
「でしたら、向こうにベンチがありますから良ければ使ってください」
「ありがとうございます。あの、つかぬ事をお伺いしますがこちらに加美奈……雲乗さんはいらっしゃいますか?」
「ええ。何か御用でしょうか」
「クラスメイトなんですけど授業のプリントを渡したくて」
「ああ!そうでしたか。わざわざありがとうございます」
そう言うと巫女さんは私についてくるよう促した。
「オサコさん!加美奈ちゃんにお客さん!」
社務所に入ると巫女さんは奥に向かって大きな声で呼びかける。少しして別の巫女さんがはーいと返事をしながらやって来た。二人は二、三言葉を交わした後、私を連れてきた巫女さんは外へ出ていった。
呼んでくるのでここで待っていてと言われて通された和室で、私はずっと落ち着かなかった。いざ加美奈に会うとなるとどうしていいか分からなくなる。
聞きたいことは沢山ある。消えた家の事。私を探している存在がなんなのか。どうして私を助けようとするのか。ブレスレット無しに一人で行動したけど何も無かったのも気になる。全部手の込んだドッキリなんじゃないかと疑わずにはいられない。
そんな風に考え込んでいると勢いよく障子が開き、オサコと呼ばれていた巫女さんが飛び込んできた。
「あの!加美奈様があなたを連れてくるようにと!」
私の返事を待たずにオサコさんは手を強く引いて無理やり私を立たせ、早く早くと背中を押した。
プリント二枚渡すだけなのに。代わりに渡しておいてくれたらいいのに。
押されるがまま足を動かしていると神社の裏の洞穴に辿りついた。ゆるい下り坂になっていて、舗装されていない地面はなかなかに歩きにくい。
「それにしてもお久しぶりですね!」
後ろからオサコさんが我慢できないといった風に声をかけてきた。
「はい?」
振り返って彼女の顔を見てみる。暗くて見づらいが、クリっとした目が僅かな光を捕らえてキラキラ輝いていた。顔も名前も覚えがない。誰かと間違ってませんかと言おうと口を開いたところで、着きました!と彼女に言われて視線を前に戻した。
洞穴の一番奥は開けた場所ではあったけれど、三人いるだけで狭く感じた。
加美奈はその空間の中央に正座して、私を見上げていた。和服の彼女には奇妙な力強さがあった。ここの空気がそう思わせているだけかもしれないけれど。
「加美奈……体調は大丈夫?」
しゃがみながらおそるおそる聞けば、彼女は薄く笑った。
「大丈夫よ。かなり落ち着いたわ。それより私に聞くことはそれでいいの?」
見透かしたように問われて言葉につまってしまう。オサコさんが火のついたロウソクを私たちの間に置いて、少し離れたところに加美奈と同じように正座した。私が話すのを待っているのか加美奈はロウソクの火を見つめたまま動かなくなった。
「じゃあ、聞くけど」
意を決して深く息を吸う。
「加美奈の家がなくなってたのはどうして?体調悪いのにこんなところにいるのは?私を探してる奴についてもちゃんと説明してほしい。じゃないと何をしたらいいのか、何をしたらダメなのか判断できない。分からない状態で押しつけられたり怒られたりしても困る!」
「随分たくさんあるわね。でもいいわ、今なら納得のいく説明ができると思うから。まず、私の家……。なくなっていたのね?」
少し意外そうな顔で加美奈が確認してくる。
「そう!おかげで一緒に見に行った人に、絶対変なやつだと思われちゃったよ」
「それはごめんなさい。そこまで自分が弱っているとは思わなくて。ところで貴女、この神社が何を祀っているのか、知っているかしら」
話をそらされているように感じたが、知らないと首を振る。
「咲雷神。まあ、雷神の一種なのだけど……それが私なの」
何をいっているのだろうか。彼女との会話はいつもこうだ。突拍子もないことを次から次に投げつけてくる。
「急に、私は神だ。なんて言われて信じる人は、今の時代にはいないでしょうね。」
くすりと笑って、加美奈は手のひらを上に向けて私に近付けた。犬にお手と命令する時と似てるな。と思いながら見ていると、バチッと火花が散った。
彼女の手のひらの上で青白い光が暴れている。静電気なんて比じゃないくらいの大きさだ。
「外に出て雷雲を呼んだ方が、信ぴょう性が増すでしょうけれど。折角休んだ意味がなくなるから、今はこれで納得してちょうだい」
「……本当に雷様、なんだ」
今は何も出ていない手をまじまじと見つめてみる。何も変なところは見当たらない。私と同じ、普通の手。
加美奈は上げていた手を地面につけた。
「この洞穴は大きな龍脈の上に位置しているの。弱った私には、布団の中よりもよっぽど休める場所なのよ」
「龍脈って、確か自然のエネルギーの通り道…………みたいなやつだっけ。一日で元気になれるものなの?」
「もちろんすぐに全盛期の力を取り戻せるわけじゃないわ。そうしようとしたら、ここ一帯の生態系に甚大な被害を与えることになるの」
「……どうしてそんなに力を失ったの?」
そう尋ねると、加美奈は少し迷うような素振りを見せた。
「加美奈様は、あなたが帰って来られたので張り切ってしまったのです!」
今まで静かにしていたオサコさんが、ハツラツとした声を出すと加美奈は驚いた顔をした。
帰ってくるとはなんだろう。私が九十九原に来たことは一度も無いと思う。先程も久しぶりと言われたが覚えていないだけで、実は昔に会ったことがあるのだろうか。
そう思っていると、どこかバツの悪そうな顔で加美奈が話し始めた。
「張り切ったというのは事実ね。人の子になりすまして、雲乗加美奈という人間が存在すると皆に信じさせた。力を込めたブレスレットも、藍の近くに家を創り出したのも、思えばやり過ぎだったわ」
サラッと言ってのけるあたり、人との感覚の違いを感じる。神ゆえに規模がやはり違う。
「そうですね!紫さんは既に加美奈様の加護を受けているのですから、わざわざ近くで見守る必要はなかったと思います」
「紫さん?」
オサコさんの口から飛び出た名前に思わず聞き返すも、彼女はキョトンとしている。
「やっぱり……」
加美奈は呆れた様子でため息をついた。
「彼女は紫ではないわ。藍という名なの」
「え?ですが……」
言い淀んだ彼女が私を黙って見つめてくる。少し暗いにしても、こうも凝視されると居心地が悪い。
「えっと、挨拶が遅れてすみません。私は卜部藍と言います」
軽く会釈してオサコさんを見るも、彼女はいささか釈然としない様子だった。それを見ていた加美奈が、小さく息を呑む音が洞穴に響いた。
「すっかり忘れていたわ...…」
「何を?」
「紫に与えた加護……と呼ぶにはいささか弱すぎるというか、単なる祝いの言葉だったのだけれど。それがあったから、貴女は無事でいられたのね」
「よく分からないんだけど。紫って誰なの?私と関係ある人?」
「紫は貴女の母親のことよ」
「私のお母さんの名前は紫じゃなくて、彩花なんだけど……」
私がそう言うと加美奈は楽しげにくすくす笑った。
「私たちはそう呼んでいたの。彼女が子を授かった時、その子たちが憂いなく生きられるよう私は願ったわ。それがわずかながら今の貴女を守っている」
憂いなく?今の私は憂いまみれな気もするが、なるほど。ブレスレット無しで出歩いても、何も無かったのはそういうことだったのか。
それにしても、オサコさんが見間違えるほど、私は若い頃のお母さんと似ているのだろうか。少しに気なるが、紫という名前と合わせてお母さんに直接聞けばいいかと思って、口を挟むのはやめておいた。
「私が貴女を気にかけたのも紫の子だから。押し付けがましいのは重々承知しているわ。でも、貴女の事は私が守る」
真剣な眼差しでそう言われると、気恥ずかしくなると同時に、少し重いなと思う。正直なところ加美奈が関わってこなければ、九十九原に来てからの憂いのほとんどが、無くなっていたと思わざるを得ない。
「……ありがたいけど、さっきの話からして、これ以上加美奈が何かする必要はないんじゃないかな」
「そういう訳にもいかないわ。……そろそろ、貴女に目をつけた存在について説明しましょうか」
「うん……。その前にまず、なんて呼ぶか決めない?神扱いはダメなんだよね?」
「アレに名前をつけようと言うのね。なら、弱き者とかゴミとか――」
つらつらと名前というには酷い単語を羅列されて、呆気にとられていると、オサコさんが見かねて言う。
「薄物細故はどうでしょうか?」
「はくぶつさいこ?ってなんですか」
「無価値なものという意味です。ぴったりなのではないかと思って」
「いいわね。少し長いからハクブツにしましょう。意味も大きく変わらないし」
今は廃れているにしても、昔は確かに奉られたモノを無価値と断ずるのは気が引ける。そう二人に伝えると、加美奈は頷いた。
「ハクブツについての説明を聞いて、それでもその考えが変わらなかったら別の名前を考えましょう」
「おっと、その前に俺の用事をすませたいんだが」
振り返ると風間先生がいた。頭を打たないように屈んで私たちを見ている。
「先生!」
いつから聞いていたのだろうか。というか、先生がここに来るんだったら、私にプリントを届けさせる意味は無かったように思う。
そんな私の視線に気づいて、風間先生はバツが悪そうに笑った。
「悪いな卜部。雲乗に会いに行くよう仕向けて。ま、オサコを連れて俺はさっさと退散するからさ。こんな狭苦しいところ、長く居たくないもんで」
ほれ、とオサコさんに手を差し伸べた先生に対して、彼女は嫌そうな顔をしながらその手を握り返した。
手と手が触れた瞬間。オサコさんの体はその輪郭を失い、ゆらゆらと蜃気楼のような揺らめきが彼女のいた場所に残る。
「な……」
「なんだ。オサコのことはまだ話してなかったのか」
風間先生は私に近づいて、腕をずいと出てきた。
そこには茶色く、細長い、もふもふ。イタチがちょこんと乗っていた。
「オサコってイタチの異名なんだが。ま、知らないよなあ」
「はい…………」
目の前で鼻をぴくぴくさせている存在が、先程までのオサコさんと結びつかない。
「すっかり雲乗に懐いて、何でも言う事聞いてるが、元々こいつは俺のでな」
それじゃあとイタチの乗っていない方の手を上げて、先生は宣言通り立ち去ろうとする。だが二、三歩進んでから何か思い出したのか、あっと声を上げて振り向いた。
「そういや、飯山って女子。昨日から家に帰ってないんだと」
一応伝えとこうと思ってなと残し、今度こそ先生は去っていった。