神様どうか
「びっくりしたぁ!声かけてくださいよ先輩」
弓道場の入口で佇んでいた私に気づいた飯山さんは大袈裟に声を上げる。
「ごめんごめん。邪魔したくなくて」
影から出て、笑いながら彼女に近づく。彼女の顔を注視すれば、前とは違う弱々しさがそこにはあった。
「もう大丈夫なの?」
何がとは言わないけれど、飯山さんは頷いた。
「鈍っちゃいますから」
先ほどまで彼女が向き合っていた霞的には、矢がいくつか刺さっていたが、どれも中央からは離れていた。
「先輩もやってみます?あ、でも私……約束守れなかったからダメか……」
何も付いていない手首を撫でて、飯山さんは下を向いた。
ちぎれたブレスレットの事をどうしても思い出す。人間相手には意味をなさず、彼女を危険に晒した。
「約束のことはいいよ。それより、数ヶ月しか参加出来ないのに、私。本当に入部していいの?」
ぽかんとした顔で私を見ていた飯山さんは、すぐに笑顔になった。瞳に活力が満ちている。
「はい!」
それからあれよあれよという間に着替えさせられ、弓の扱いについて聞かされた。
一人的の前に立ち、構えてみる。彼女は、力で弓を引かないと言ったけれど、どうしたって力が入る。
タンッと硬い音が弓道場に響く。私の矢は的から大きく離れた地面にあった。
「考え事とか悩みとかがあると矢は思った通りに飛ばないんです。余計なことは考えずに正しい姿勢、正しい動作を行う。当てようなんてことも考えたらダメ」
「難しいこと言うね……」
長く息を吐き、本当に難しいと実感する。
初めてはこんなもの。なんて言葉も無く、飯山さんは真顔でどこか遠くを見ている。彼女も考え事が邪魔をして、上手く弓を放てないのだろう。
「飯山さんはどうして私を誘ったの?」
「部活なので人数が欲しかったのもありますけど…………こういうのが必要なんじゃないかなって、そう思ったから誘ったんです」
相変わらず彼女がどこを見ているかは分からない。
「こういうのって?」
「周りのごちゃごちゃを気にしないで、無心で、打ち込めるもの……」
呟くみたいに小さな声だった。
飯山さんは壁際に歩いていくとストンと腰を下ろす。一拍遅れて、私も彼女の隣に正座した。
「私のお姉ちゃんの話聞きましたか?」
「軽くだけ」
「噂で、ですよね。…………姉は優秀な人で、弓道も勉強もできて、私はそうじゃなかった。でも、期待されちゃうから頑張ってたんです。部員の皆にも同じように頑張ってほしくて……」
その結果がこれなんです。と自虐気味に笑う飯山さんを見て、私はハッとした。
どうして飯山さんが私の代わりに連れていかれたのか。
くだらない噂に辟易していて、それなのに求められているように振舞おうともする。そしてそれが良い方に転がらない。
きっと私の作り笑いを彼女は見抜いていた。それとも似た孤独を感じ取ったのかもしれない。
「私はスパルタでも耐えるよ?どうせ少しの間だし」
「あはは。私も反省と学習をしましたからしませんよ、もう。先輩は気楽にやってください」
「ふふ。ありがと」
入部すると決めて良かったと思う。二人きり。それが私には心地いい。
立ち上がろうとして、足が痺れてることに気づいた。
「もうここには来ねえと思ってたわ」
背後からの声に振り返らないでいると、風が髪をぐちゃぐちゃに乱してきた。隣に立った男を見上げれば、その肩に乗ったイタチが申し訳なさそうに小さく鳴いた。
「私も……そう思ってました」
二度とあんな目には遭いたくない。だから、もう神の居るような場所には近づかない。そんなふうに考えていたけれど、どうにも胸のもやもやが晴れず、自然と足が神社に向かっていた。
「自分のせいだと思ってんのか?」
手櫛で髪を整える私に風間先生が問いかけてきた。
「それは、実際そうでしょう?私のせいで加美奈は消えてしまった」
「少し違うな」
「?」
「あいつは待ち望んでいた事を成し遂げた。卜部、お前はそのきっかけを作っただけだ」
「慰め……のつもりですか?」
「事実を言ってんだよ。俺は。それに――」
風間先生は本殿の柱に手を添え、空を見上げた。つられて私も同じようにすれば、そこには晴天が広がっていた。
「加美奈としての肉体は失ったが、神様ってのはそう簡単に消えないもんでな。祀る場所があって、祈る者がいればしぶとく生きるんだよ。望もうとも、望まざろうとも」
ハクブツのことが脳裏によぎる。
トンッと右肩に重さが加わり、意識と目をそちらやるとイタチの柔らかい毛が頬を撫でた。
「オサコさん……」
「加美奈が再びそいつを俺から奪って、人間にするには数百年はかかるだろうけどな」
戻ってこいと言う様に伸ばされた大きな手にオサコさんは噛みついた。慣れているのか、風間先生は怯みもせずに鷲掴んだ毛玉を自分の肩の上に戻す。
「信じる力ってやつがあればその年数も変わるんですか?」
「ある程度は。ま、一人の信仰じゃ誤差の範囲かもな」
「…………ですよね」
「俺としては今の方が静かで楽なんだが」
面白味にも欠ける。そう続きそうな表情に見えるのは、私の気のせいだろうか。
「緋彩もお参り?」
鳥居をくぐった所で緋彩と鉢合わせた。
「いや、藍がここにいるかもと思って」
さすがは双子の兄。よく分かるなあと思わず笑みがこぼれる。
「何かあった?」
「こっちに来てからずっと、何かはある…………帰ろう」
緋彩は上ってきた階段をすぐさま下りる。私が着いてくるか確認もせずに。
九条くんのことが引っかかっている事は言われなくてもわかる。私はそこまでの交流があったわけではないが、兄は違う。珍しく気の合う友達だったのに。
「彼、ちゃんと自首した?」
「あぁ、でも……あいつは警察に本心は伝えない。殺人に正当性は当然無いが、未成年で、父子家庭で、外から来た人間で………………可哀想を演出するのは簡単だ」
よく喋るなと思った。それだけ九条くんの存在は大きかったのだろう。
「でも九条くん、嘘はつかないでしょ?」
緋彩は階段途中で立ち止まり、数段上にいる私を振り返った。
「そうだな。俺たちと話してた時も嘘は言ってないと思う。けど、選んでた。受け取り手がいいように解釈してくれそうな言葉を」
「そうなの?なんで分かるの?」
「分かるよ。あいつは待ってたんだ。次のチャンスをずっと。その時にはちゃんと還れるよつに、しくじらないように」
確信がある。本当に緋彩は理解しているみたいだった。出会って数週間でそこまで分かってしまうものなのか。
少し怖くなった。もしかしたら兄の中にも似た思考があるのかと。
「時間は関係ない」
呆れたように、見透かした言葉を投げつけられる。苦笑いする私から目をそらし、緋彩は再び階段を下りだした。
「考えてもみろ。九条がどうやって叔母さんの腹を裂いたのか」
「それは、もちろん凶器で――」
私の返答に緋彩は早足になった。階段を一番下まで下り、坂道を行く。畑が視界に入るまで彼は沈黙を保った。
「月岡さんの畑は、現場は、あの人の家から離れたところにある」
「?」
「九条は魔が差したと言った。そうだな」
「うん。思わずやってしまったって感じだった」
「だとしたら、凶器は近場で調達するはずだ。一番可能性があるのは月岡さんの家」
「でも、距離があるよね。紫さんが泣いてたとしても九条くんが往復するのを、明らかな凶器を持って返ってくるのただ待って……いるなんて、おかしい?」
想像してみると滑稽だった。それに、衝動的な殺人の後に、死体に顔を埋めるなんてことができるのか今更ながら疑問に思った。
「俺もそう思った。そうなると、自然なのは元から凶器を準備していた線だ。彼女と何度も顔を合わせているうちに、感じるものがあったんだと思う。…九条は案外敏いから」
「…………計画犯罪って言いたいの?」
「……全部俺の勝手な妄想だ」
ここまで言っておいてそれはない。
屋上で、緋彩に詰められて嬉しそうにしていた九条くん。緋彩の言葉が間違いだったらあんな風に笑わないだろう。自分の理解者に対する、好意に満ちた反応だ。今となってはそうとしか思えない。
「警察が、俺たちの代わりに答えを出す」
「そうだね……」
「おかえり。お二人さん」
私たちを出迎えたのは、叔父さんでも小夜ちゃんでもなく青木さんだった。片足を靴に突っ込んだ状態を見るに、丁度帰るところらしい。
「今日は夕飯、食べていかないんですね」
兄の問いに彼は困ったような笑顔を向ける。
「また忙しくなっちゃって」
九条くんの件だと、私たちは合点がいった。
沈黙を疑問故だと解釈した青木さんは、そのうち耳に入るよとだけ言い残し、足早に去っていった。
どうせ噂になるって、もう知っている。
月岡さんへの誤解は解消されるだろうか。
と考えてから、それは難しいと思いなおした。殺人はしていなくても、飯山さんの拉致監禁がある。たとえハクブツのせいでも、世間様には通用しない。
「藍」
気が重くなって、玄関で立ちすくんでいた私に緋彩が心配して声をかけてくれる。
と思ったらどうにも違うらしい。静かにするようにと口の前に人差し指を立てている。
居間の手前にいる兄に近づいて、中を覗いてみる。
叔父さんがテレビを見ている。
何を静かにすることがあるのかと訝しんだが、テレビの音の隙間からすすり泣きが聞こえて、私は再び立ちすくんでしまった。
父娘の寝室から、小夜ちゃんが出てくるまで二人してそこから動けないでいた。
「しばらくはあの調子かも、お父さん」
小夜ちゃんは淡々と言った。
寝室の小さなテーブルに彼女の宿題が広げられている。入ったことのない部屋で、真っ先に目に入ったのがそれだった。片付けられていないだけで、とっくに終わって暇を持て余していたように思えた。
「これ、お母さん?」
緋彩が指さした先に仏壇があった。電気の蝋燭の間で彼女は笑っている。
「うん。お線香あげる?」
断れない提案。三人で仏前に座って順に線香を香炉に立てた。お父さんがいないからと火のついていない線香だった。
紫さんは憂いなんてこの世にないと言いそうな、完璧な笑顔でそこにいた。
「藍お姉ちゃん、たまにお母さんみたいに笑うよね」
合掌したままの小夜ちゃんの言葉にどきりとする。それは私の、どの笑顔だろう。心からの笑顔の時ではない気がして、脈が早くなる。
「そうかな〜」
脳のリソースが足りなくて、曖昧な返事しかできない。
「お母さん、男の子が欲しかったって本当?」
何か言わなくちゃいけない気がして口をついたのは、よりにもよってコレだった。絶対今じゃないし、この子に聞くことじゃない。
「うん…………ううん。お母さんはわかんない。お父さんは、男の子が良かったみたい」
あぁ、最悪。言わなくていいことを言わせた。
今まで気にしてなかったけど、彼女が女の子らしい格好をしているところを見たことがない。ショートヘアなのも、もしかしてそういうこと?考えすぎ?
嫌な汗がにじむ。
「ごめ――」
「お母さんがいなくなってから、お父さんソレ言わなくなったのに、お姉ちゃんに話したの?」
「違う違う!あの〜……噂で」
「ふーん」
気にしてない風の返事。小夜ちゃんはパッと立ち上がると、風みたいな速さで部屋を出ていった。
「あぁ……」
私は畳に頭を打ちつけた。追いかけたとしてかけるべき言葉がない。
「大丈夫か」
「全然大丈夫じゃない」
「じゃあいいか」
緋彩も部屋を出ていく。
大丈夫じゃないと言えるなら大丈夫。小夜ちゃんはそう言えない。だから兄はそっちを優先した。
「はあ〜」
一人残された部屋で大きなため息をつく。
「すみません。紫さん」
謝る相手が違うのは理解している。でも一連の流れを見られていた感覚があって、謝罪をしたくなった。
後で小夜ちゃんと話さないと。
「……」
紫さんの遺影をもう一度見る。夕闇の中の死体とは1ミリも重ならない。彼女はこの完璧な笑顔で本心を隠していたんだろうか。夫にも娘にも話さず、すれ違うだけの学生に吐露して、その結果殺された。
彼女が話す相手を間違えたとも思えないのが厄介だ。
紫さんは何を考えていたんだろう。死にゆく彼女の目に加美奈は映っていたのか。
憂いなく生きられるようにと言祝がれた我が子と共に、終わってしまう時。神に助けを求めたのか、それとも――。
私はただ両手を合わせて、目を閉じた。
暗闇が広がる。
外の光を感じる。
久しぶりに親に連絡をとってみようと思った。




