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僕らの秘密基地 Re

作者: 眠々

「なんだあれは……」

 一人の兵士が地面に設置されたシェルターから戦場の様子を窺った。

「子供が爆発、したのか?」

 別の兵士が言う。

「いや、あれは──意図的に爆発させているんだ! クソが、イカれてやがる」

 壁を叩き、呼吸を荒らげながら怒りを静かに消火している。

「……いいか、お前ら。人がゴミのようにポンポンと消費されていく時はな、盤上がひっくり返る前触れだ」

 この班で唯一落ち着いて感情を保っていた男に注目が集まる。胸には位の高そうなバッジがついている。

「そして、この戦争を終わらすチャンスでもある。皆、行くぞ」

 号令をかけたその時、一人の男が彼を引き留める。

「……待ってください、班長。なぜかはわかりませんが現在、敵の戦意は喪失しているように思えます。これ以上の攻撃は新たな犠牲を生むだけはないでしょうか」

 意見を述べた男の目には正義とは何か、既に答えは出たというような色が現れている。それを見た班長はやれやれ、という顔でシェルターの扉の隙間から戦場を俯瞰する。

「少しでも火種が残っている以上、全てを消さなければ二次被害も起こり得る。この国を守るためには例え非道と言われようがやるしかないのだよ」

 班長命令は絶対ではあるものの、その判断には彼が納得した。家族がいる、大切な人がいる、情がある。誰も彼もが戦う理由は同じであり、戦いたくない理由もまた同じであった。

「──突撃」

 戦意を失ったままの敵は絶望で動けないまま仲間たちに殺されてゆく。いや、きっと敵ではない。硝煙と炎の内に紛れ込んだ小さな人影は泣き顔を浮かべたまま赤い血を飛散させながら爆発した。どちらの軍であろうとも、この世界に紛れ混んだ子供を見つけては抱きしめて、共に死んでいく者も多い。内紛であろうとも、守るべきものは同じであることが多く、少なくともこの内紛はすれ違いと誤解が生んだものだと俺は思う。

 終わる気配の無い殺戮の最中では敵も味方も混乱状態であり、両者は既に立ち止まることのできるボーダーラインを越えてしまっていた。

 投げつけた感情の分だけ守るべきものが失われるこの戦場はあまりにも非現実的で、皮肉にも夢のような場所だった。様々な色がチカチカと閃光をあげている。

「地獄だ」

 俺ほ声は仲間が上げる炎の中で燃え尽きるようにあっさりと消えた。この戦場で一体何が起こっているのだろうか。明らかに戦う意味を失っている。

 不明である。

 少しずつ夏が近づいて来るにつれて、日に日に暑さが増してゆくような気がする七月前半のこと。今年、十三の歳になるナツとコーサクは気怠さの漂う暑い放課後に、川原の坂で寝転がっていた。抜けるような晴れた青空のはずなのに、初夏の空には大人に張り巡らされたフィルターがあるような気がしてどこか息苦しい。ナツは憂鬱な気分を払うように隣で寝ているコーサクに話しかけた。

「コーサクぅー」

「なんだよぉ」

 二人は気の抜けた炭酸みたいに軽い調子で言葉を交わし合う。

「秘密基地って知ってる?」

「ヒミツキチ? なんだよ、それ」

「図書館で百年くらい昔の本を読んだ時に見つけた言葉なんだけどさ。あ、僕達の生まれる前には沢山の木や自然があったことはコーサクも知ってるよね?」

「……?」 コーサクはそうだっけか、と苦笑い。「授業で習ったでしょ」とナツは説明を続ける。

「その時代では秘密基地、っていう隠れ家みたいな。ええと、なんていうのかな。木の枝、葉っぱとか、とにかく色んな物を組み合わせて誰にも見つからない自分たちだけの空間を作るんだよ!」

 説明するうちに興奮気味になって立ち上がったナツ、それを下から見上げているコーサク。鳥が鳴いている。

「面白そうじゃん!」

「やっぱり言うと思った!」

「あ、でもよ」

「なんだよ」

 弾みをつけて「よっ」と腰をあげるとコーサクは諦めるように首だけを空に向ける。

「そんな草木が生い茂って森のような場所なんてきっとこの世界のどこにもないぜ。あったとしても自然破壊とかなんとか理屈つけられて逮捕されるだけだ。俺たちの生まれるとっくの前に本物の自然は無くなっちまった」

そしてコーサクは「あるのは二酸化炭素を酸素に変える人工芝と偽もんの木サー」と、むしるのを禁止されている人工芝を一握りぶちぶちと引き抜くと川に向かって投げつけた。しかし、風向きは全てこちら側なので全部コーサクの顔面にかかった。

「うわあ!」

 一人で暴れているコーサクを横目に、ナツは陽射しで光る川面をぼんやりと眺める。

「そうかなぁ」

 別に僕らが悪いわけじゃないのにどうして出来ないことがあるんだろう? ナツは無性に諦めきれずにいた。絶滅したと思われていた動物だって、ひっそりと生き残ってたりしたこともあるんだから、もしかしたらこの世界のどこかにまだ。

「俺も残念だけどよ。少なくともこの町にはないぜ、ナツ」

 ナツは夢を見ていた。誰にも内緒の秘密基地を作りあげ、やがては海や山をも越えて未知なる世界を歩き回る。嫌な事があれば大人に見つからないようにそっと僕らだけの基地に逃げ込んでイタズラの計画を立てる。

 さっきまでは冷めた事を言っていたコーサクでさえも、口角に想像がじんわりと滲み出ている、にやけているのだ。『秘密』というワクワクする響きに心踊らせない子供なんて居ないのだ。

 二人で「やってみたいなぁ」と様々な妄想話を広げていると、「ナツー、コーサクぅー!」と草を踏みしめながらこちらに駆けてくる声が聞こえてきた。二人は坂の上を見る。ハルセだ。

「おー、今日は遅かったな」

「先生に呼び出されてて」

 ハルセはコーサクの隣に座った。三人は学校のクラスが違うにも関わらず、いつも放課後になるとこの川原で暗黙の待ち合わせをして談笑するのが日課になっている。

「なんかやらかしたの?」

 ナツが聞くとハルセは「まさか」と否定する。

「何もしてないわよ。ただテストの点が良かったって褒められただけー」

「良い点とっても呼び出されるのかー。なんだかなあ」

コーサクはちょっと意外そうな様子で、ナツは「そうみたいだね」と返す。

「あら、でも頑張った結果が形で示されるのってすごく嬉しいことよ? もちろん結果が出ない時もあったけど。無駄ではなかったって、わかるのよ」

「ふうん。確かに僕も一生懸命作ったプラモデルが完成した時は嬉しいかなぁ」

「そ、それはなんか違うかも? いや、でも、うん! そんな感じかな」

「まー俺はテストの点はそこそこで呼び出されなきゃ良いかなぁ。でもハルセ、元々頭の良いヤツだとは思ってたけど、最近いつも以上に頑張ってないか? ちょっと心配になるぞ、何かあった?」

 最近はここに三人が集まることも一週間に一度くらいしかなくなっていて、いつも決まっていないのはハルセだけだった。

「僕も気になる」

 ナツは三人の真ん中に座るコーサクを推すように言うが、ハルセは舌で唇を舐めるとちょっと変な顔をした。

「えへへ、何んにもないよーだ」

「えーー」 

 コーサクは声をあげてがっかりした様子だったが、ナツは心の中で気づいていた。

 うそだ。

 ハルセが嘘をつくときは決まって舌をチロリと出すからだ。コーサクはそれに気づいているのだろうかとナツは隣で笑うコーサクに疑問を抱くが、ハルセにわざわざ問いただす必要も無かった。誰にだって言いたくないこともあるし、もう少しだけ黙っておきたいこともあるかもしれないからだ。三人は夕暮れの川原で目をつぶった。放課後の空は暮れるのが早い。青から水色へと薄くなった空の下、こうしていると三人の心が平均的にならされて同じ場所で生きているという事実が直に地面を伝わって流れてくるような気がする。

 呼吸が穏やかになりウトウトと微睡んでいた時、水中で聞こえるような濁った物音がしてナツ、コーサク、ハルセは目を見開いた。

 ゴゴゴオオン……!

「なんだ!?」

 わずか一秒ほどの地鳴りのような音だった。どこから聞こえてくるのか見当もつかず、ナツはのんきに羽ばたいている鳩の群れの行方を目で追っているといると、急にハルセは林の方を指差して叫んだ。

「見て! あそこ、あの林の奥で何か光った!」

 ナツとコーサクは黄昏の影伸びる人工林の奥をじっと見つめたが変化はない。

「ちょっと見てくる!」

「あっ、待てよ、ハルセ!」

 コーサクの引き止める声も聞かずに、ハルセは駆け足で林の中へと入ってゆく。考える暇もなくナツとコーサクは「行こう」とハルセの背中を追いかける。カラカラとした材質の人工林をかき分けて進んでゆくと、立ち止まっているハルセの後ろ姿が見えた。コーサクは声をかける。

「一人で先行くなよなぁー」

 「……」

 返事がない。どうやらハルセは何かを見入っている様子で、まるで聞こえていなかった。

「ハルセ? なに見てるの」

 口元を抑えながらハルセはその目線の先を指さした。二人は両脇からひょこりと覗く。

「えっ!」

「タイムマシン!?」

 三人は知っていた。テレビのニュースでは何度も何度も「失敗した」と嘆かれているものだということを。あと少しで完成というところで、必ず何らかの不具合が発生するらしい。なぜなのかは誰にもわからない、その繰り返しをかれこれ五年はやっているらしい。夢が有るのか無いのやら。

「でもなんでこんなとこにあるのかしら?」

 ハルセは不安そうに二人の顔を窺う。

「もしかして、工場からタイムマシンがワープしてきたとか?」とコーサクが言う。

「うーん。でもタイムマシンはまだまだ未完成で、完成の見込みはまるで無いからワープなんて。うちのお父さんが言ってたから間違いないわ」

 ハルセのお父さんはタイムマシンの開発を手伝っているので、その情報は信用できる。それにネットのニュースを確認してみてもそれらしき記事は見当たらない。

「不思議だなあ」

 三人はタイムマシンには極力触れないように様々な角度から観察してみたが、特に良い発見は見つからず、最終的には「触ってみろよ」「やだよ。怒られたらやだし」とコーサクとハルセが言い争っていた。

 そうこうしているうちに本格的に日が暮れてきた。作り物の木々がオレンジ色の光を反射してやたらに眩しい。もうそろそろうちに帰らなきゃ、とナツは言った。

「ハルセ、コーサク。このタイムマシンどうしよう。このままほうっておく?」

「大人に言ったら絶対に持っていかれるぜ。三人だけの秘密にしよう」

「そうね」

「うん、わかった」

 三人は家路をたどった。分かれ道に差し掛かったとき、コーサクは振り返ってナツとハルセにある一つの提案をした。

「なあ、明日調べてみて、もし、あのタイムマシンが使えそうならさ」

「?」

「過去に行ってみないか」

「え!?」

「ほら、だってナツ言ってただろ。秘密基地を作ってみたいって。過去に行けたなら、本物の自然だってまだ残っているはずだろ?」

「えっ、なに? 秘密基地!? うわあ面白そうね、私は賛成! ナツは?」

「そっか、タイムマシンを使えば……! やったあ!」

 ナツは自分の腰の高さを優に越える程の大ジャンプをして、嬉しさを全身で表現した。そして、三人は拳と拳と拳を合わせると約束をした。

「夏休み、また秘密基地で!」

 それからの日々はとても楽しい気分で過ごした。日に日に暑さも増して蝉の声が聞こえてくるようになると、クラスメイトはほぼみんな半袖になった。

 先生なんて、首にタオルまで巻いていておでこに冷えたシートまで貼っている。コーサク含めた友人たちは「先生だけずるーい」と口々に抗議したため、後日冷シートがみんなに一枚ずつ配られた。なお、この日、この地域での過去最高気温を記録したらしい。

 お昼休みにはコーサクとハルセが毎日のように窓際のナツの席に来て、秘密基地の構想を練った。一枚の紙に、消すことさえも忘れて描き足してゆく。

「これじゃあ基地に入れないじゃないの」

「あっ、ほんとだ」

「じゃあ入り口をこっちにして……」

 たまにクラスメイトが「なにやってんのー?」とやって来るので、ナツは「なっ、なんでもないよ。ただ話してるだけさ!」と誤魔化して、三人だけで密かに笑い合った。ナツ、コーサク、ハルセだけの秘密。バレないように必死になって隠し通すこと。そのドキドキ感が妙に楽しくて、より絆が深まったような、そんな気がした。

 夏もいよいよ本番となり、夏休みまで残すところあと一日となった今日、蒸し暑い体育館での終業式が始まった。みんな、真面目に立ち校長先生の話を聞いている『ふり』をしている。どこかソワソワとしていて落ち着かない空気が流れている。

 夏休み何をしようか? なんて事をきっと誰もが考えていて、『よい夏休みを』というシメの挨拶で何かすごく楽しいものがぽんっと弾けたようにざわざわと熱気が増した。

 両手にたくさんの荷物を抱えて一時のサヨナラをすると、学校を出る。晴れた青空が僕らの明日をより良いものにしてくれるんだと信じて、ナツはいつもより軽くなった足どりで帰り道をたどった。

 その日の夜。ナツはベッドで何度も寝返りをうっては転がっていた。布団を抱きしめても、目をつぶって呼吸を調えても一向に想像は鳴り止まない。カーテンを引っ張り、仰向けのまま網戸越しの夜空を見上げると湿り気のある宵月が私を深く深く見下ろした。やがて雲が月を隠すのとほぼ同時に、私は幸福なあたたかさに包まれる。おやすみなさい、ナツは目を閉じる。

『きょうは全国的に晴れとなっております。続いては各地の気温と……』

 テレビから流れてくる天気予報には目もくれずに、ナツは朝ごはんを大急ぎで食べ終えると「いってきまーす!」と勢い良く家を飛び出した。後になって思い出す両親の驚く顔が少し笑える。

 朝九時の空はまだ誰にも触れられていない。車の排気ガスや人間の呼吸なんてのもまだ薄い。ナツは学校のある日は仕方なく起き、寝ぼけ眼で家を出るので空なんか見上げない。だから、朝日に包まれた町だとか、澄んだ空気だとかがこんなにも綺麗だなんて思ってもみなかった。

 待ち合わせ場所には既にコーサクとハルセが居た。ナツは遅れたのかと思い時計を確認するが、待ち合わせ時間まではあと二十分もある。

「おはよう。二人とも早いね」

「おはよー、ナツ。まーねぇー、楽しみすぎてさっさと家出てきちゃった!」

「ハルセなんて、パンくわえながら来たんだからな。朝から腹がねじれそうになるほど笑ったぜ」

「そんなにおかしくなくない?」というハルセに「潰れたハムスターみたいな顔してたんだからな」コーサクが言い、顔真似を披露する。ナツは唐突にやられた変顔があまりに面白くて吹き出した。

「違うよナツ! 私そんな顔してないから!!」

 三人はタイムマシンに乗り込むとシートベルトをしめる。ナツは早々と出発ボタンを押そうとしているコーサクの腕を掴み、聞いた。

「あっ、ちょっとまてよコーサク。年代はセットしてないけどそのままでいいの?」

「いいんじゃねえかな? 変にいじって壊れてもやだし」

「年代は過去、百年前の世界ね」 身を乗り出して操縦席を見るハルセ。

「俺は未来に興味はねえぜ。いつかは嫌でも行くことになるんだからな。行くのは過去、俺たちの生まれる前の世界だ!」

 ボタンを押すと目の前が真っ暗になり一瞬だけ宇宙が見えたような気がした。いつの間にかナツは固く目をつぶっていて、何かが遠ざかってゆく感覚を暗闇の中で感じた。やがて全てが静まり返り、その不安に駆られたナツが目を開くとそこには大自然と共存するように建てられた都市があった。周りには新鮮でむせかえってしまいそうになる程の木々と草花のざわめきがある。まるでこの世に生まれて初めて聞いた時の音のように思えた。

「うわあ……」

 巨大な草花のゴーグルのような崖から見下ろす圧倒的な広がりと、未だ知らない世界の感動を言葉に表すのが追い付かず三人は「ニシシ」と悪そうな顔でただ笑うことしかできなかった。そしてナツは興奮する二人とはそっと距離を置き、ふっと心を落ち着かせる。

「二人とも大事なことを忘れてない? これからが僕たちの本番だよ。秘密基地を、つくるんだ!」

『おーっ!』 三人は叫ぶ。ナツだって冷静なように見えても、まだ心臓がバクバクと鳴り止まず、いつもよりも早口になっている。そして、嬉しさで笑顔が消えない。

「ハルセ、設計図持ってる?」

「あるよ。えーっと……はい!」

 ハルセはポーチから四つ折りに畳まれた秘密基地の設計図を取り出した。

「おおっ、ちゃんと書き直してある!」

「ありがとうハルセ」

「いえいえ」

 学校での昼休みに何度も書き加えた設計図はボロボロになってしまったので、字の綺麗なハルセには新たに書き直してもらうようにお願いしていた。

「基地の場所はどこにするの?」

「ここでいいんじゃない? 眺めも良いし」

「そうだな。ここは最高だ、土地は平坦、景色は絶景、そして……」

「うっ、ひゃあ!?」

「なんだよナツ」

 ナツは変な叫び声をあげながらパタパタと背中を扇ぎながら走り回る。

「背中になんか入った!」

 ハルセとコーサクはナツを心配そうに見ているが、あきれているかもしれない。すると、「大丈夫?」と言いかけたハルセの足元に小さな丸いものが転がってきた。ハルセは最初、「虫!」と後ろに飛び退いたが、よくよく見るとそれは木の実だったようでそれを拾い上げナツとコーサクに見せる。

「木の実だわ! これ、本物かしら」

「どこから落ちてきたんだろう?」

 ナツは上を見上げた。

「木の実がいっぱいなってるよ! 木には実が生る種類もあるって聞いていたけど、まさかこんなに沢山あるなんて……」

 コーサクは手に持った木の実をじっと見つめ、「これ食べれんのかな?」と口に持っていこうとする。

「ダメよ! もし毒でもあったら大変でしょ、ちゃんと帰って調べてからっ!」

「はーい」

 ナツは少し離れた所の乾いた地面まで駆け、それから棒を刺した。

「よし! じゃあ今日からここが僕ら三人の秘密基地ってことで、いいよね!?」

「いいわよ!」

「おう!」

 心は原色の青空へと放たれた。

 次の日も僕らは、河原の側の人工林に隠してあるタイムマシンの前で落ち合った。

「おっ、きたかナツ」

「おまたせ、準備できてる?」

「おう、ばっちりよ」

 その会話を聞いていたハルセはタイムマシンの助手席から顔を出してまずは挨拶。それから思い出したように言った。

「あっ、そうだ。ナツが来る前にね、私たちすごい発見しちゃったのよ!」

 ハルセとコーサクは「ねーっ」と息ピッタリだ。勿体ぶるようにナツの顔を見るので、「なんだよ」と不満げに聞いた。ハルセはにやけながら言った。

「教えてあげてもいいけど。ナツ、目をつぶって。私たちがいいよって言うまで開けちゃだめだからね?」

「絶対だぞ」 コーサクが念を押す。

「う、うん……」

 ナツはそっと目を閉じる。二人のたてるガチャガチャという物音だけではまるで想像がつかない。不思議なドキドキが瞼裏の暗闇でパチパチと炎をあげていた。

「うん、もう目を開けていいわよ!」

 ナツは目を開ける。そこにはさっきまでとは少しも変わらない二人がいて、その背後にはタイムマシンがあるはずだった、が、無かった。消えていた。

「ない! ちょっとコーサク、ハルセ、タイムマシンをどこにやったの!?」

 大慌てのナツを得意気に見る二人。

「フフフフフ……。どこへやったかって?」

「そこにあるじゃん、ねー、コーサク」

「そうそう。そこにあるよナー。もしかしてナツには見えないのか?」

 二人は悪魔みたいな顔で何もない場所に指をさす。するとナツは頭をクシャクシャに撫でられて呆然とする猫のように、目をまんまるくしていた。そして可哀想に思ったのか、少ししてハルセとコーサクは笑いをこらえながらナツに謝った。

「ごめんね、ナツ。コーサクがどうしてもナツを驚かせせたいって聞かなくてさ」

「オレのせいかよっ!」

「ほら、タイムマシンはここよ。早く出して、コーサク」

「りょーかいっ」

 ハルセの合図でコーサクが何もない空間に手を触れると、霧が晴れるようにタイムマシンが現れた。呆然としていたナツははっと意識を取り戻し、今度は「どうして?」という質問を繰り返した。

「このタイムマシン、透過機能がついてるらしいんだ」

 コーサクはタイムマシンに片手を置き、反対の手で鼻頭をかいた。

「ええっ、二人ともよくこんな機能よく見つけたね」

「すごいでしょ。これでタイムマシンは誰にも見つからないわね」

「へっへん、オレを甘く見てもらっちゃ困るぜ?」

「でも私がお父さんにタイムマシンの機能についてを聞き出して来たんだから、私のお手柄よ!」

「うっ。そ、それはまあ、だな……。と、とにかくはやくいこうゼ!!」

 三人はタイムマシンに乗り込んだ。

 現代からは最新の工具一式とリュックに入る分だけのお菓子やジュースなどを持ってきていた。

 過去に到着した三人はさっそく設計図の通りに秘密基地を作り始めた。ハルセとナツは材料を集め、コーサクは工具で拾ってきた石や木などを加工。ナツは腕からこぼれ落ちるほどの小石を拾ってきて「この辺でいい?」とコーサクの返事を待たずにゴロゴロと置いた。

「いいぜー、ってもう置いてんじゃんかよナツ」

「いやー以外と重たかったもんでさ。あ、ハルセ!」

「二人ともおつかれ! ねえ、これ見てよ!」

 ハルセが二人に広げて見せたのはハルセの顔がすっぽりと見えなくなってしまうほどに巨大な葉っぱだった。

「凄ーい! 僕にもちょっと持たせてよ」

「いいよ。はい」

 ナツが持たせてもらった葉っぱは、両手を広げてやっと持てるくらいの大きさだった。ナツは木々の間から途切れ途切れに降りてくる太陽の光に葉を透かし、血管のように生き生きとした美しい葉脈をまじまじと眺めた。ナツは「きっと宇宙から見つめた青い地球の姿もこのくらいに素敵なんだろうな」と思いながらその儚い美しさに酔いしれた。時間さえも気にならずに見つめているとその大きな葉の片隅で何かがちらついたような気がして、目線をそちらに動かした。

「青虫だ」

 葉の上を逆さまに這う青虫はナツの声に答えるように動きをとめ、首かよくわからない首を緩やかに曲げてナツの方をじっと見た。かわいい。ピンク色の触角がピクピクとこちらに向いている。やがて沢山の足を動かすと葉の真ん中にかけてを横断し始めたので、ナツはそっと林の中の葉に移動させてあげる。

「ナツぅー、何してるの」

「葉に青虫がくっついていたから逃がしてやった」

「えっいいなぁ。私にも見せてほしかったー」

 がっかりするハルセにナツは驚いた。

「えっ、ハルセこの前、虫に驚いてたから嫌いだと思ってたよ!」

「そりゃいきなり目の前に現れたら誰だってびっくりするでしょ! それに青虫なら図鑑でも見たことあるし可愛いじゃん」

「そ、そうだね。わかった。次見つけたらちゃんと声かけるから」

「ありがとう、よろしくね。それじゃあ私、また葉っぱを取ってくるわね」

 ハルセが行こうとするのを作業中だったコーサクが慌てて止める。

「おい待てよっハルセ! 川の方は足を滑らせたら危険だぜ、後で三人で行こう」

 ハルセは少し考えたあと「それもそうね」と二人の側でまた材料を探し始めた。

「ナツもあんま遠くに行くなよー」

「わかってるよ。さみしがり屋のコーサクを置いてけぼりになんてしないよ」

「はぁーー!?」

「あっコーサクだめ! 落ちる落ちる、落ちるから!」

「わあ!」

 椅子から落ちそうなコーサクを支えようとしたが、一足遅くナツはコーサクの下敷きになった。

「重い……」

「ご、ごめんな! ナツ」

 新しいもの。過去のものととらわれずに真っ直ぐに心の部分を見つめれば世界はもっと楽しくなるんだということを三人は知った。この景色を忘れなければ、心の奥底に焼き付けておけば例えおじいさんになったとしても昨日の事のように思い出せるような、そんか気がしていた。

 やがて陽は暮れ始め、遠くに見える都市は蒸し暑さのせいで燃え、少しずつ乾いていくように見えた。

 三人はそうして一日一日を終え、帰路をたどる。夢中で毎日を過ごして五日も経てば、秘密基地は完成に近づいていた。あと、二日目にはこんな笑い話もあった。できあがったと思ったら、なぜか三人がぎゅうぎゅうで身動きがとれないほどの小さな基地になってしまっていたのだ。設計図があったにも関わらず、どうしてこうなったかというとコーサクが骨組みのサイズを読み間違えていたからだ。

「コーサク、サイズを間違えたね?」

「ミニチュアじゃないのよ!」

 コーサクの間違えた小さな基地は今では小鳥の餌場になっており、毎日が賑やかになった。

 六日目。ついに基地は仮で完成した。仮、というのはまだまだ三人にはやりたいことが沢山あり、例えずっと基地が未完成のままであったしても誰にも怒られない。それこそが三人の自由の秘密基地だ!

「僕とコーサクでハルセの部屋もつくってみたんだけど来てよ!」

「え、うそ!? 嬉しい!」

「こっちだぜ」

 ナツとコーサクはハルセの為にちょっとした一つの空間を作ってみたのだった。それは二人の男子としてのセンスもあってか、とても簡素な部屋だったがハルセは大喜び。ナツとコーサクもハルセのはしゃぐ姿を見て大満足だった。

 秘密基地の中には過去から持ってきた少しの食べ物を保管する為の棚や、コーサクお得意の物作りでできたテーブルやイスなどもあった。

「材料は夏とハルセが拾ってきたものを使った。ナツ、この前は丸太と一緒にリスまで連れてきたよな」

「そんなこともあったっけ」

「あのリスすごく可愛かったわ。また連れてきてよ」

「そんな無茶な」

 ナツは笑った。

「あっそうだ、ハルセ、コーサク。二人に見せたいものがあるんだ!」

 ナツは二人をツリーハウスへと案内する。ナワはしごを上った先には、緑の額縁に入れられた青い空がドーム状に広がっており、ここからなら宇宙の星々まで覗けそうなくらいに澄んでいて綺麗だった。

「で、これがオレの作った望遠鏡!」

「うおっ! ナツ……お前いつのまにこんなスゲーもん作ってたんだよ!? ……のぞいてみていいか?」

「いいよ」

 木々の真ん中に無理矢理穴をこじ開けた望遠鏡だった。そこから見る景色には小鳥や虫などがとてもハッキリと見える。まるで小さな異世界がすぐ目の前にあるかのよう。夕方の雨上がりには葉から雫が溢れ落ち、それらが様々な場所に反射して万華鏡のように世界が溢れた。

「ねえ、私ものぞきたい! 早く代わってよ」

 ハルセはコーサクを押し退けて台の上に立って望遠鏡を覗くとたちまち感嘆の声を漏らした。

「わあ、綺麗だー!」

 何度も交代して望遠鏡を覗く二人に、ナツはとても嬉しくなり「俺にも見せて!」と仲間に加わる。一緒に騒ぎたかったのだ。

 はしゃぎまわって疲れ果てた三人はツリーハウスの中で横になって「ふうっー」と興奮を冷ます息を吐く。

「ナツ、コーサク。お腹空かない?」

「すいたー」

「すいたなー、なんか食うか」

「あっ待って。それなら私が作った秘密の場所で食べようよ」

「ハルセも何か作ったの?」

「うん! こっちよ、ついて来て!」

 縄はしごを降りて木の中の倉庫から食べ物をいくらか抱え持つと、張りきるハルセの後を追いかける。

 足元の地面には一枚の布が敷かれており、ナツはは頭をひねって少し考えたがやはりわからなかった。

「遠足……?」

「違うっ! そんなわけないでしょ、この下よ。しーた!」

「見て驚きなさい」とハルセは地面に敷かれた布をハデに引き抜いた。風を切る音がした。

「えええ、なにこれえぇ!」」

「すげえ!?」

「でしょー? ふっふん。私だってやればこのくらい楽勝よ」

「これ、俺やナツよりもセンスあるぜ」

「秘密基地の設計図を書き直したのは私だからね、当然よ! ってナツはもうくつろいでる」

 台形を逆さまにした形に掘られたその穴の深さは約二メートル。台形の底の地面には長方形のテーブルが置かれていて、子供なら四人、大人なら二人が向かい合わせで座れるくらいの広さだ。

 壁や床には、木の板が敷かれていて土でどろどろに汚れる心配もあまり無い。小さなひじ掛けのようなくぼみにはジュースだって置ける、最高のくつろぎ場になっていた。

「ここすっごく居心地がいいよ。周りが土に囲まれているから静かで……落ち着く。早くおいでよ!」

 コーサクとハルセは逆さ台形の穴の斜めの部分から滑るように入ってきた。ナツが自分で作った望遠鏡に感動してしまったのと同じように、ハルセあまりの出来の良さに驚いていた。

「うわあ、私が想像してたよりも全然良いわね、ここでトランプでもしたい気分!」

「俺はみかんが食いたい!」

「ねえ、それってお正月にコタツでするもんじゃない?」

 それでも結局、次の日にはお菓子を持ってきてトランプをすることになったのだけれど。トランプのゲームはババ抜きで、ナツは一度も勝ったことが無かったので常に本気モードだった。

「それにしてもさー、三人だけの秘密基地ってなんかちょっと緊張するよね。誰かに見つかったらどうしようって考えちゃうナー」

 ナツが一枚、コーサクから引いた。

「あー、わかるなーそれ。実はオレ、誰かに見つからないように今日は声を抑え気味にしてるんだよな」

「えーっ? いつもと変わってないけどぉー?」

 コーサクはナツとの話に気を取られ、ハルセの方をまるで見ていない。コーサクの指先だけがハルセのカードを引こうとしている。ハルセは自分の手札の位置をここぞとばかりにちょっとずらして、コーサクにジョーカーを引かせた。

「あーーーっ!」

「ばかね、ヒッヒッヒッヒ……」

 ハルセは魔女みたいな笑い方をしている。

「バレバレだよ、コーサク。ジョーカー持ってるんでしょ?」

 大層ごきげんなハルセはナツから一枚引くと、七と七が揃ったようで「やったあ、あがり!」とテーブルの中央に積み上がったトランプの山に投げ捨てた。

「つよいなあ、ハルセは」

「運よ。私は運が良いのよ」

 背伸びをしたハルセは二人の勝負の行方の見守りに行動を移す。ナツは「ジョーカーを引くもんか!」と人差し指でコーサクの持つ二枚のカードを行ったり来たりとさせる。

「はやくしろよ、ナツぅー」

 「いざっ!」と勢いよく引き抜いたカードがジョーカーだった。

「へっへっへ。今回も勝つのはオレだぜ!」

 このやり取りを五回も繰り返しすほどの熱戦だったが、最後の最後で集中力が切れて負けたのはナツだった。

「うおっしゃあーーーー! 勝ったぞおお!」 

 コーサクは拳を振り上げてガッツポーズ。

「あぁー、ビリだあああ!!!」

 二人ともお疲れさま、とハルセが壁のくぼみからジュースを取り出すとナツの顔を下から覗き込むようにして笑った。

「ナツが負けちゃったのね。さて、何をお願いしようかなぁ~?」

「え、何ソレ! 聞いてないよ!?」

「三番の人が一番の人のお願いを聞くのよ。常識じゃない?」

「ええー。なんかそれって違うゲームのような気がするんだけど……」

 ナツはコーサクに助けを求めるがコーサクは「面白そうだから」と笑い、ナツを「どんまいっ」と励ました。薄情な奴! ハルセは困り顔なナツに笑いかけた。

「あんまり難しいお願いはしないから大丈夫よ。うーん、そうねー」

 ハルセはあごの下にピストルの形の左手を当てて考える。ナツは何をお願いされるのかと内心ドキドキしていた。

「よし決めた!」 ハルセはピストルの形の指をナツに向けた。

「じゃあさ、ツリーハウスの木の下に花壇をつくってほしいな! お花が咲いたらきっと、キレーよねー……」

 ナツは心底ほっとした。

「側転して!」とか「ツリーハウスの上からのバンジージャンプ!」とか言われたらどうしようかと思っていたからだ。

「仕方ないなぁ、でもまぁ、僕も花好きだから。喜んで作るよ」

「やったー、楽しみにしてるねっ」

 この日はこれで解散。三人は現代へと戻るとそれぞれの家へと帰った。明日もまた楽しい一日になるんだろうな、ナツはワクワクで胸がはち切れそうになっていた。

 次の日、待ち合わせ場所にハルセは来なかった。何かあったのだろうかと不安に駆られ、ナツとコーサクはそれぞれ腕にはめた小型通信機を確認した。ちょうど二人が家を出た頃の時刻にメッセージが送られて来ていたようで、ナツとコーサクは黙ってそれを読み上げた。

『今日は行けなくなってごめんなさい。昨日挫いた足がまだ痛むのよ。病院に行ったら安静にだって言われて。治るまでに三日もかかるみたい。私のことは心配要らないから。冒険の話、帰ってきたらたくさん聞かせてね、待ってるよ。ハルセ』

 昨日、ハルセは川に行った時に足を挫いて痛めていたのだと二人は帰り道で聞いていた。コーサクは一瞬悲しげになった雰囲気に灯りをともすようにナツを勇気付けるようと肩をバシッと叩いた。

「なあ、そういえば今日はハルセの為に花壇を作るんだって? オレも手伝うぜ」

「ありがとう。帰ってきた時にハルセをうんと驚かせてやろうっ!」

 タイムマシンを起動させるとブオオンという小さな羽音とほぼ同時に青の光がモニターやツマミの隙間から溢れ、放たれる。

「今日もタイムマシンは絶好調。行けそうだな」

 タイムマシンは四人乗りでナツはいつもの癖で後ろの席に座った。本当なら隣にハルセが居るはずなのにな。ナツはぽっかりと空いた席を埋めるようにシートの真ん中へと移動した。

 同日の夕暮れ時、子供のように小さな花束を抱えてナツはハルセの家へと向かった。コーサクは家の用事ということで来れなかったが、ナツは『コーサクの分までハルセに元気をあげよう』という心持ちで、夕日の影が伸びる住宅街で足を早めた。

 部屋のドアをノックして入ると窓際に置いてあるソファーの上にハルセがいた。子猫のように体を丸め、窓から侵入してくる濃いオレンジ色の逆光がハルセの身体に黒い影を落としている。いつもとはまるで違う悲しげなシルエットに、ナツはつい自分まで泣きそうになってしまうがそこはぐっと堪える。

 ハルセの部屋は微かに草原のような香りが漂っている。それはどこかで嗅いだことのあるような、懐かしい匂いだった。

「お見舞い、ありがと」

「どういたしまして。ねえ、それより挫いた足の具合はどんな感じなの? 治りそう?」

「しばらくは自宅で安静にー、だって。でも明後日には普通に歩けるようになるよ。激しい運動はできないけどね」

「そっか。でも治りそうでよかった」

 そう口にした言葉はナツの心をゆっくりと落ち着かせた。そしてハルセの陰影のある横顔が次第に輪郭を見せてきて、部屋には新しい空気と雰囲気が漂い始めた。

「ナツ、今日の秘密基地の話、聞かせてよ!」

「! もちろん! 今日はね、花壇を……」

 ハルセは夏の話を聞くとふんふん、と興味深そうにうなずいたり、時には大笑いしてお腹を抱えたりもした。ハルセがナツの見てきた世界を少しでも共有されたいと常に覗き込むような目をしていたのも確かなことだった。

「羨ましいな、私ってどうしてこう肝心な時に怪我したり、楽しく過ごせないのかな」

「大丈夫だよ、ハルセはちゃんと努力して結果を出してるんだから! 将来、絶対必ず、すごい人になれるよ!」

 ハルセは顔を上げた。

「それに、ひたむきに努力する人ってそれだけも素敵な人間なんだって、僕は思うナ」

「もうっ、そんなほめないでよ!」

「あーー照れてる! ハルセが、珍しい!」

「そりゃ褒められたら嬉しいし照れるわよ!」

「あはは、それじゃ僕はもう帰るね。ハルセ、花壇楽しみにしてて」

「うん。ありがと!」

 ビースサインでポーズを決めてハルセを笑わせたあと、ナツはハルセの家を出て自らの家路をたどった。夜の気配が蝉の残り香を連れ去ると辺りにはたちまち静寂が訪れた。明日からのコーサクとの花壇作りは楽しみだけれど、ハルセがいないとちょっとだけ心細い気もする。ナツは本当の静寂の中で得体の知れないを不安を感じていた。

 部屋から出ていったナツの残影を追ったハルセは薄暗がりの部屋で一人涙を落とした。

「男の子っていいなぁ。体が丈夫でさ」

 涙に濡れた顔を天井に向けて目をつぶるとハルセは口に出して決意した。

「がんばらなきゃっ!」

 さらに次の日。二人は秘密基地の前に立てられていた看板に愕然としていた。

「コーサク、何かした?」

「いんや、してねえ。なんだこれ」

 木で出来た看板かな張られていた紙には注意書きがあった。

『二人へ。物置小屋はツリーハウスの横に建てるべきだ。穴の近くは地盤が弱い。また明日来る。』

 二人は辺りをキョロキョロと見回してタイムマシンの近くへと後ずさりをする。

「誰か来たんだ……」

「てか、なんでオレが物語小屋作ろうとしてることを知ってるんだよ!」

「気味が悪い!」 ナツはそう言いながらタイムマシンに乗り込んだ。

「とりあえず今日は一度帰ろう。明日ハルセん家に行って相談だ」

「うん……」

 その夜、ナツは夕食を食べ終えた後、ぼんやりとテレビを眺めていた。そして考えているのは秘密基地に立てられていたあの看板のこと。底の知れない違和感と気持ち悪さが胸に張り付いていた。

 テレビの中では遠い国で行われている戦争についてのニュースがやっている。人と歴史と爆弾と。まるで現実味が感じられないのだけれど、時々、隣の和室に飾られている祖父の肖像とテレビの中の戦う人が幾重にも重なって見えることがナツにはあった。優しい顔や怖い顔、泣き顔や真面目な顔、そして無表情が目の前に迫って来られるようでナツはあまり仏壇には近寄らないでいた。

「ねえ、その、おじいちゃんってどうして死んじゃったの?」

 父はその言葉を待っていたかのようナツの近くに座るとこう言った。

「おじいちゃんは戦争っていうのに行って死んだんだよ。ナツが生まれる前かなあ」

「ふうん」

 父は聞かれればもっと話すつもりだったようでじっと次の質問を待っていたが、ナツがそれ以上の興味を示さなかったので話を静かに結び、終わりということにした。

「はーい、あら? 君たちこんな朝早くからどうしたの!」

 時刻は朝八時。ナツとコーサクはハルセの母にどう事情を説明しようか戸惑っていると、階段の向こうから「ナツとコーサクなら入っていいわよ!」という声がした。

「お邪魔します!」

 二人は見慣れた廊下を走り抜け、コーサクはハルセの部屋の前でピタッと立ち止まる。行きすぎたナツは慌てて急ブレーキをかけて振り返る。高鳴る鼓動と息を切らしながら、ドアをノックをすると「どーぞー」という声が聞こえてきて、ナツとコーサクは扉を開けた。もちろん事前に「行くよ」という連絡をしてある。会って早々、いきなり本題へと移る。

「なあ、ハルセはあの秘密基地へ行ってないよな?」

「行けるわけ無いでしょ! まさか私のこと、ばかにしてる? 朝から何言ってるのよ、二人とも」

 ナツは昨日、秘密基地の前に看板が立てられていた事、張られていた紙にはコーサク以外知るはずのないが計画が書かれていたことを話した。

「誰かに秘密基地を知られたみたいなんだ。だから、これからどうするべきかってハルセに相談しに来たんだけど……」

 するとコーサクは慌ててナツの説明に言葉を付け足した。

「なんでオレの頭の中の事まで知ってんだ、ってことが問題なんだよ。偶然にしちゃあおかしいぜ」

「不思議ね……」

 結局、何の結論も出ないまま話は終わり、ハルセの家から戻った二人は人工原っぱに寝転がるとため息のような細い吐息を空に吹き上げる。

「もしあの秘密基地が誰かに見つかったから、とられちゃうかもな」

「そんなの、やだな」 ナツはモノクロな空を睨む。隣でコーサクの唾を飲み込む音が聞こえた。

「戦うことになるかもな。あの秘密基地はオレたち三人の大切な居場所なんだ。このまま引き下がれないぜ。これは俺たちの秘密基地だってちゃんと証明しないと」

「うん、わかってる。僕もそうしたいよ。でも、さ」

 ナツは泣きそうな感情をぐっと堪えるが、出した声は水に濡れたわたあめと同じくらいに消え入りそうな、か細いなものだった。

「誰かに見つかっちゃった秘密基地に意味なんてあるのかな」

「……」

 沈黙した会話を反映させたかのように空は白く濁り、雨が降る前触れによくある独特な匂いが空気に混じり始めている。

「お昼だな」

「帰ろう? 雨も降ってきそうだし。えっと、明日はどうする?」

「行くしかねえ。俺たちの秘密基地を守るんだ。なんなら、誰かに壊される前に俺たちが」

 コーサクと別れるとナツはおつかいとして頼まれていたそうめんをコンビニで買った。あんまりお腹は空いていない、それよりも僕らの遊び場がまた奪われてしまうかもしれないという悲しい出来事、それだけでもうナツはお腹は一杯になっていた。

 一日中雨の予報で朝からどんよりとした重たい雲から大粒の雫が降り注いでいた。夏の雨というのはどこに居ても蒸し暑く、古いゲームの中の街並みのようにじんわりと脳内に密着する。

 乱れた雨音をベッドの上で聞き流しながら、ナツはコーサクに「やっぱり今日も行く?」という内容のメッセージを送ると、数秒で返信が来た。

「行くぜ」

 ナツは折り畳み傘をさして家を出た。家族には「ちょっと遅くなるかも」と話した。もしかすると今日は秘密基地にやって来た誰かと戦うかもしれないからだ。

「ナツ、あれ持ってきたか」

「うん、持ってきたよ。これでいい?」

 袋から出したのは動物用の罠やロープ、ビニールテープ、プラスチックの玉の入る玩具の銃など。互いの家からこっそりと持ってきたこれらで罠を仕掛け、犯人を捕まえるつもりだった。

「いいぜ、さっそく仕掛けよう……!? ええ!?」

『罠は危ないからやめなさい』

 看板には昨日と違う紙が貼られていた。背中に毛虫が這って来たかのようにぞっとむず痒くて怖い。

「だからなんで俺たちのやることをなんで知ってるんだよ!?」

 コーサクとナツは気が狂いそうになり、頭を抱えた。大袈裟な表現だが、二人にとってはとにかくそれくらいに不思議で未知で、怖くてたまらなかった。どうするべきか、迷っているとハルセの作った秘密基地から小さな物音がした。

「誰かいる!」

「くそう、行こうぜ!」

「うん!」

 二人は秘密基地の近くまで素早く転がって移動すると、穴に玩具の銃を同時に向けた。ナツはまるで刑事の気分だった。コーサクも同じだろう。だが高揚する心とは裏腹に手はしっかりと震えていた。

「「動くな!」」

 基地の上から犯人とおぼしき男を見下ろすと男はゆっくりと顔を上げ、ナツは怯えながらもお決まりの台詞を言った。

「だ、誰だ~!」

 横でコーサクは「格好つかねぇなあ」と小声で言った。ほっとけ。

 男は嬉しそうに自分の顔を指さすと意味のわからない自己紹介を始めた。

「あっ、俺か? 俺は未来から来たんだぜ。ナツ、コーサク」

「はあぁ?」 ナツはいつになく呆れた声でそう言うと二人は顔を見合せた。

「こいつ、アタマおかしいんだよ、きっと」

「ね。今すぐケーサツ呼ばなきゃ」

「おっ、おい!」

 穴の中から男の声が聞こえるが夏とコーサクは完全に無視。

「でも、ここ過去の世界だしよ、それにこの秘密基地がバレればケーサツにだって壊されて追い出されちまうゼ?」

「あ、そっかあ。じゃあやっぱりここは二人で片付けるしかないね」

「よし、ナツ! やるか」

「オーケー!」

 ナツとコーサクはツリーハウスの制作で使い余った大きな木の板で穴を塞ごうとした。その上から重りを置いて閉じ込めてしまう作戦だ。ちなみに二人とも、あとの事なんてなにも考えちゃいない。

「誰だか知らないけど、お兄さん、ナムナム……」

「うわあああ! 待てまてらちょっと待ってくれ!落ち着いて考えてみろ、お前たちはタイムマシンでこの時代にやって来たんだろ? なら、俺がさらに未来から来ていたって不思議じゃないだろう。ありえる話だ!」

「まだナンカ言ってるぞ、ナツ」

「うーん、でも確かにこの人の言う通りかも。オレ達の名前を知っていたし、作ろうとしていた花壇や罠、物置小屋の事だって知ってた! だから本当に未来から来た人なのかも」

 男は秘密基地の穴から出してもらうとツリーハウスと二人の姿を交互に見て喜んだ。

「いやあ懐かしいなあ! ガキん頃、よくこうやって遊んだもんだ。でも俺、こんなに野蛮だったかな?」

 男はポカンとしているナツとコーサクの頭に手をのせるが、二人はすぐにその手を払いのけ、後ろに下がった。

「触るな! ここは俺たちの秘密基地だぞ、そもそも勝手に入ってくんな!」

「ちょっ、コーサク。相手は大人だよ、もう少し言葉を」

「大人だからって今は俺たちが正しいんだ。引き下がることはねぇっ!」

 男は驚いた顔をしていたが、その後すぐに笑いだした。

「あー、昔の俺は本当に口が悪いなあ。でも勝手にお前らの秘密基地に入ったのは悪かった。ごめんな」

「い、いいけど。おじさん誰?」

「おじさんってひでぇなあ、俺はまだ二十代前半、まあいい」

 二十代前半のおじさんは一度咳払いをして身なりを整えると大きく両腕を広げ、全身を見せびらかすモモンガのように言った。

「見てわかんないかな、二人とも」

「えーーー。そう言われても……」

 コーサクは両手を腰に当てて悩ましい顔で俯きながら唸った。「うーん」

 この人の特徴といえば頭に着けた古いゴーグルと……。考えていたナツは「あっ、わかった!」と拳を握る。

「もしかして、未来のコーサク?」

「おっやるな、正解。ナツは頭がいいな」

「えっへ、ありがとうございます」

 褒められてすぐにお礼を言えるのがナツの良いところだ。

「でもやっぱりおかしいぞ。ここは過去の世界だし、なんで未来のオレが過去にいるんだよ。……信じねえからな!」 

 そっぽを向いたコーサク。一方でナツは未来のコーサクと目を合わせてみた。瞳の奥にはちゃんとコーサクが居る。

 未来のコーサクはわざとらしく両手を雨受け皿のようにして「ハァ」とため息をついた。助言してやれ、ということらしい。ナツはコーサクに耳打ちをする。

「あそこにあるもう一台のタイムマシンであの人は来たんだよ。大人のコーサクなら秘密基地の事は当然知ってるはずだし、僕らのやろうとしてる事だって大体わかってるはずだよ」

「ムムムム……」

 それでもまだ納得してくれないコーサクにナツは奥の手を使った。「これなら、どうだっ!」

「コーサクは物造りの天才だから、大人になれば一日で花壇を完成させることだってできる!」

 ばっ! 顔を上げるとすぐに赤面。そして嬉しそうな笑顔、頬を赤らめる。コーサクは「ま、まあな。しっ、シカタナイ」と言うと腕を組んだ。

「わ、わかったよ。信じる、信じるからなっ! 未来のオレ!」

 ナツは心の中でしたり顔でピースした。ちょろい。

「ナツ、助かった」

「いやあ」

 未来のコーサクは「しっかし昔の俺がこうも単純だったとはな」と顔を手で隠す。

「じゃ、まあ。とりあえず立ち話も何だから」という未来のコーサクに対して、「おい待てよ未来人。ここはオレとナツの基地だぞ」「と、いうことは俺の基地でもあるんだ」。という会話の後で三人は木で作られた丸テーブルに着く。

「未来の、あ、コーサクさんの事なんて呼べばいいですか? どっちも同じコーサクだし」

「そうだなあま。二人は名前で呼びあってるんだよな? 普段ファーストネームは使わない?」

「使わないよ」

「使わない」

「よし、じゃあ俺の事はクチバって呼んでくれ。大人になれば名前で呼ばれることは少ないから、これに慣れてるしな」

「わかりました。じゃあさっそく聞きますけど、クチバさんはどうして過去にやって来たんですか?」

「それ! 俺も不思議に思ってたんだよなー、まるで俺たちを待ってたみたいにさ」

 クチバは言い辛そうに口元を押さえながら、小声で「実はお前達二人がこの時代に秘密基地を作ったことが原因なんだよな……」と言った。

「え……?」

 クチバは二人の絶望したかのような反応に戸惑い、慌てて訂正をする。

「あ、いや。これはつまり、昔のオレらのせいでもあるんだけどな。実は今いるこの時代、つまり、お前らからして百年前の過去の世界は秘密基地を作る事が禁止されてるんだよ

「禁止!? 百年前なら自然もこんなに沢山あるのに。どうして?」

「さーーーな。俺に知ったことか」

「なんだよ、適当だな」

 ナツは「まあまあ」とコーサクをなだめる。

「でもな、一つだけはっきりしてることがあるんだ」

「なに?」

「秘密基地を作った子供たちに科学ウイルスを飲ませ、もう二度と作れない身体にさせている。それだけは確かなだ」

「なあ、クチバ。それは、どんな感じなんだ……?」

 すると、クチバはいつになく真面目な顔で答えた。

「爆発四散」

 ……。ナツは身震いし、話題を変えた。

「あ、あのさ、未来の僕とハルセはどこにいるの? クチバさん」

「ナツは知らん。ハルセは死んだ」

「死んだ!? それってどういうこと!?」

「とある事故で……ってお前らの所のハルセは生きてるのか?」

「何言ってんだよお前? 当たり前じゃんか」

「今、どこに?」

 クチバは辺りを見回した。

「今は足を痛めて家にいるよ。川に行ったとき転んでたみたいでさ」

 コーサクはナツの言葉に頷いて言った。

「そういえば、あいつ、足挫いてんのにもう一回行こうとか行ってたよな。あれ、止めといてよかったな」

「だね」

 二人の会話にクチバはとても驚いた顔をしていたが、そのあとに「そうか」と言って笑った。

「クチバさん、未来のハルセってもう死んでるんですか?」

 クチバは少し間を置いたあとに言った。

「……冗談に決まってるだろ! はっはっは、お前らもまだまだ子供で笑っちゃうぜ」

「このやろお!」

 笑えない冗談はやめろ、とコーサクはクチバをボコボコにした。笑いながら「すまんすまん」とおどけるクチバは「おっとこうしちゃいられねえ!」とわざとらしく言って立ち上がった。

「いいか、ここにはさっき言ったように秘密基地を作る子供を取り締まる悪~い奴等がやって来る。だから、ほら帰りな」

「「嫌」」

 二人はほぼ同時に言った。

「突然来てなんだよ! この基地は誰にも渡さない、オレたちが守ってやる!」

「だというと思った。なあ、じゃあ帰らなくてもいいから俺の師匠の家に向かってくれないか? 俺も後で行くから、な?」

「……」

「悪い奴等を倒したらまた秘密基地を作れるようになるから、な?」

 しかしコーサクは黙ったままだ。ふて腐れているのだろうか。

「あの、クチバさん。師匠って誰ですか?」

「俺が大人になってからお世話になっている博士だ。ロボットとか作れんだぜ?」

 コーサクはその言葉を聞いて顔を上げかけたがまたそっぽを向いてしまった。

「タイムマシンのこのボタンを押せば街にある博士の所まで移動できる。さ、早く行きな」

「……なんか、やだな。オレ」

「え?」

 コーサクはナツとクチバから少し距離を置いて言った。

「だってよ、突然色んな事を言われて素直に従えなんてさ。未来のオレなのに、別人みたい」

「ごめんな。でもいずれわかるさ、頼むよ。今はすごく大変なんだ」

「……」

「行こうよ、コーサク! 未来のお師匠さんなら何か良いこと教えてもらえるかもしれないじゃん!」

 どうも腑に落ちない様子で二人はタイムマシンに乗り込むと博士の元へとワープしていった。

「ハルセ。お前ともう会えないなんて今でも信じられないぜ」

 クチバは似つかわしくない言葉を吐露したあと、気持ちを入れかえるように頬を叩いた。二人が作った秘密基地とツリーハウスを見上げると、どこかの木から一枚の葉が落ちてくる。若葉の季節はとうに過ぎ、その葉は既に濃い緑色になっていた。

 その頃、ナツとコーサクは博士の家とおぼしきものの前で戸惑っていた。

「これが、クチバの言っていた博士の家なのか?」

「なんだか要塞みたいだよね」

 街のはずれにある埃だらけの材木置き場。そこに堂々とそびえるは石を何段にも積み上げた感じのボロい建物だった。街と海辺の砂浜とのちょうど中間に建っている。

 チャイムを鳴らして「すみませーん」と呼ぶと中から出てきたのは無精髭を生やしていていかにも寝起きのおじさんだった。

「あー、誰だぁ?」

「あの、俺たちクチバから言われてきたんだけど、あんたが博士ですか?」

「??? クチバがお前らをうちに寄越したって? 何言ってるの君たち、そんなことあるはずない……よ」

 おじさんは片目を擦っている。

「博士には未来のコーサクが連絡しておくって言ってたよね?」

「うん。まだ連絡してねーのかな?」

「早く来すぎちゃったみたい?」

 サンダルにティーシャツに寝癖の酷いおじさんは二人の会話を面白くなさそうに眺めていたが、やがて大きなあくびをすると手で追い払うような素振りを見せた。

「あー、すまん。お前たちの言うことはよくわからん。悪いけどおれ、今忙しいんだ! じゃあな」

 ばたん!

 ……。

「「えーー!?」」

「閉められちゃったぞ!? ナツ」

 コーサクは訳もわからずに「おれら、どうしたらいいんだ?」と呟いた。

 リビングに戻った博士は「やれやれ、変な子がいるもんだなぁ」と、先ほどまで毛布を被って寝ていたソファーの上でもう一度横になると再び眠りにつこうとする。毛布を被ろうとした時、電話の不在着信ランプが光っていることに気がつく。少しでも気になってしまうと、もうなかなか落ち着いて眠ることができない。起き上がって留守録を再生すると若者によくある洒落た声が聴こえてくる。

『博士、今からそっちに子供二人行かせるから面倒見てやってくれ。昔のナツと昔のオレだ。あ、あとよタイムマシンの件なんだが……多分バグがあると思うんだ、だからすぐに直してやってほしい。そんじゃ、よろしく!』

「しまった」

 ハカセは血相を変えて玄関へと走り出すが、落ちていた紙の資料に躓いて思いきり転んだ。

 一方、ナツとコーサクは行く宛もなくなり仕方無く秘密基地へとまた戻ろうと回れ右をしたところだった。すると研究所のドアがけたたましい音をたてて開いたので二人は足を止めて振り返る。

「はぁはあ、すまなかったー! 二人とも中に入ってくれー!」

 博士は白衣を着ていたが、たった今溢したコーヒーのおかげで迷彩柄になっている。二人はあんまり必死な大人の姿になんだかおかしくなって大笑いした。

 クチバは二人の秘密基地の前でラティを待っていた。ラティは博士の知り合いでナツを連れ戻すのを手伝っているようと聞いていた。

「お待たせ。……いやぁ、それにしてもここはすごいね」

「だろ? 昔のオレとナツが作ったんだ」

 秘密基地を見上げてラティは微笑んだ。ラティは帽子を深めに被り、目の形がギリギリわかる程度に薄い色の入ったサングラスをかけている。そのためラティの瞳の奥にある複雑な表情までは読み取ることができない。

「タイムマシンは博士の所にチビ二人と一緒に送っておいた。で、次はいよいよ王の城に乗り込む、でいいよな?」

「ええそうね。でもまだよ、人手が足りないわ。私たち二人でなんてできっこないから仲間を集めようと思ってるの」

「宛はあるのか?」

「もちろん。この国は今、偽りと嘘で満ちてるの、そこを突けば一点突破よ」

 その頃、ナツとコーサクは博士の家でまったりと過ごしていた。お菓子をつまんでいたナツはふと思い出したように言った。

「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」

「おおいいぞ。なんだ」

「どうして秘密基地が作れなくなったんですか?」

「……とある子供が『秘密基地』を作っている最中に死んだんだ。それを皮切りに秘密基地のように大人に秘密をしてはいけないと、法律まで作られたんだ。やりすぎだよな」

「ほんと、ひでえな」

「秘密基地が悪いわけじゃないのに。なんで禁止しちゃうんだろ」

「……」

 博士はその後、ちょっと疲れたから寝るといってソファの上で寝てしまった。

「ねえ博士ー、起きてよ。オレたち暇だよー!」

「うーん。外に遊びに行ってこいよ」

 いくら話しかけても起きる気配がしないので二人は仕方なく外に出ることにした。研究所を出て、町の中を歩いていてもなんだか埃っぽくて息苦しくなってきた。二人は博士から貰ったお金でソーダを買い、町の片隅にある小さな原っぱのコンテナの上に座って一休みをしていた。やがて買った飲み物も飲み干してしまい、する事もないままぐだっとしていると遠くから騒がしい子供のざわめきが聞こえてきた。

「誰か来るみたいだぜ」

 わちゃわちゃと混ざり合うようにやって来た子供達、その中の一人がコーサクとナツを見るなり言った。

「見ない顔じゃー、名前は? どっから来た」

 一番体格が良く、二人とは同年代のように見える。

「えっと、僕はナツ」

「俺はコーサク」

 話しかけてきた子はケンジというらしい。あとは五人の子供がいて、その中の年少の子二人はナツとコーサクを興味深く見つめている。それに気がついたケンジはナツとコーサクに言った。

「よし、一緒に遊ぼうぜ!」

 どこから、来たとか名前とか。そんなものはあんまり気にしないようで、ナツとコーサクはみんなに混じって楽しく遊んだ。町の中でのかくれんぼや夕方になると影踏みなどもした。やがて夜の気配を察すると、集団は散り散りになり、解散となったが「また明日」という約束をしたので明日がとても楽しみになった。

「僕らも博士のところに戻ろっか」

「だな!」

 すると帰り際、ケンジが二人を引き留めた。

「ちょっと、いいか」

 丘の上、街から反対の方向のはるか遠くには水平線が見える。海の色はオレンジでいっぱいだ。そして、今日は夕暮れが長いような気がする。

「どうしたんだよ、ケンジ」

「お前らはさ、この戦争についてどう思う?」

「えっ、どう思うって……」

 ナツとコーサクが言葉に詰まっているとケンジは疲れはてた笑顔で笑った。

「そうだよな、言えないもんだよな。そういうのって」

 高い空ではカラスと海鳥がお互いの航路を上手く交わしながら泳いでいた。海から吹く風が心地よい。

「なあ、ケンジ。戦争ってどんな感じなんだろうな」

「わからねえ。でも、みんな疲れてる。前に街からこっそりと出てみたこたがあるんだ。そしたら敵のマークを背負った兵士が倒れていたんだけど」

 ケンジは笑った。

「おんなじだった! 化け物とか、幽霊とかじゃなくて同じ人間だったんだ」

「ああ、それなら悪い人じゃないね!」 ナツは言った。

「かもしれないぜ。だって、ただの喧嘩で人を殺すなんてそんなの馬鹿げてるからな」

 コーサクの一言に二人は大笑い。お腹を抱えて笑った。

「また、明日な」

「おう、またな!」

「ばいばーい!」

 研究所に帰ると博士が待っていた。

「楽しかったか?」

「うん! 友達もできたしね」

「そうそう、ケンジっていうんだよ。 すっげえいーやつでさぁ……!」

「そういえばこの研究所って、この町の建物と随分違いますよね」

「まあな、そもそもこれの研究所は俺が作ったでかいタイムマシンだからな」

「!? このガラクタみたいな家が!?」

「コーサク、失礼だよっ」

「あはははっ。自分でもそう思ってるから気にしなくていい。でも見かけによらずすごいんだよ? このタイムマシンは飛行機にも船にもなれば、この時代の人には記憶にだって残らない」

「「ハカセ、すっげええ!」」

 二人は目をキラキラさせて言った

「だろう? さ、元の時代に送ってやるから二階に上がってな。二階は操縦室だ」

 街から少し離れた場所には城があり、そこには王様が居たという。だが、未来からやって来た何者かに王様は捕らえられてしまったのだ。

「きっと何かの間違いだ。あんなことをするヤツじゃないんだ、あいつは……」

「だと、いいけどね」

 街の中から続いている野原が途切れたところにあるその地面に、城の内部へと続く地下通路への入り口はあった。遠くには大きな城が見え、その近くでは王軍とそれに反抗する革命軍が硝煙をあげて戦っているのが見える。血の流れる音が聞こえる。

「こんな場所からも地下に入れるのね。知らなかったわ」

「博士が地底探査してくれたおかげだ。街の地下には迷路のような通路があることをまだこの時代の人は知らないんだ」

 ラティとコーサクは地下を通り、城の方向へと歩いて行く。ラティは城の地下に王軍の部隊が待機していると言い、二人はそこに向かっていた。

「な、今から味方につけようとしているのは『アイツ』の手下になっている王軍、つまり敵なんだろう? 行って大丈夫なのか」

「心配ないわ。実は私、アイツの所に少し前から潜入していたから」

「ええ、まじかよ!?」

「ちなみに今は組織のナンバーツー。アイツの次に偉いの」

 ラティは胸につけた王軍の紋章を見せる。

「うわー、悪女だな」

「女ってのは百面相なのよ。それに裏切りは女のアクセサリー、ってどこぞの大泥棒の愛人さんも言ってるじゃない」

「はは……」

 クチバは苦笑いをしようとしたが、途中であることに気づいて真顔に戻る。

「ということは俺を裏切るってこともあるわけだな」

「かもね、って冗談でも言えないわ」

 ラティは急に声のトーンを低くして話始める。

「まずこの戦争が起きた理由を考えてみて」

「理由?」

「そう、そもそもどうしてここまで内戦が酷くなったかってことよ」

「王様が捕らえられて、アイツが王になって……。ええと、秘密基地禁止命令をしたから?」

「それはまだ禁止しただけのことなのよ。問題はその命令に逆らったらどうなるか、ってことよ。わかるわよね?」

 クチバは黙って息を飲んだ。それからラティは息継ぎを震わせながら、沸々と盛り上がってくる怒りを言葉に宿すように語気を強めていく。

「アイツは子供達に無理矢理、科学ウイルスを飲ませて戦争に参加させようとしてるのよ!? ありえない。それに子供達は大人にノーと言えるだけの立場を持ってない。なのに死んでもいいと子供を爆弾のように使ってさ、人間の命の大切さを知らないあのクソ権力者を許せるわけないのよ!!」

 クチバはラティの気迫と現状の酷さに眩暈を覚え、通路の冷たい壁に寄りかかった。少しでも力を抜いたらもう立てなくなりそうなくらいに足が震えていた。

「……まだ言いたい事は山ほどあるわ。クチバまだ私があなたを裏切るとでも思うの?」

「いや、すまなかった」

 会話の途切れた丁度その頃に、長い地下通路の出口と思われる扉を発見した。橙色に焼けたその扉を開けると、小さなホールが目の前に広がる。それと同時にいくつもの視線がクチバとラティの隣で交差するが、決して目と目が合うことは無くコーサクはラティの横顔を不安げに見つめる。

 不思議な光景だった。ホールの至るところでは銃を持った人たちが談笑をしていたり、負傷した兵士が壁に寄り掛かって手当を受けていた。二人がそれらの光景を眺めていると、兵士の一人がこちらの存在に気がついて近づいてきた。

「失礼。ここは立ち入り禁止なんだ。悪いが」

 ラティは胸に付けた王軍の紋章を強調すると、兵士は顔を文字通り真っ青にして「し、失礼しました!」と怯える。ラティは「落ち着いて。私はアイツを捕まえに来ただけ、潜入してただけなのよ。だからあなた方の味方よ」と言った。

「味方……?」

 元々の王軍は優秀な王様の下でかなり良い行いをしていたという。そして王様は街の民からも愛されていたが、ある日、未来から来た者によって全てを奪われてしまったのだ。

 クチバとラティはホールにいる二十数人を全て集めると皆に協力を呼び掛けた。

「今、私たちはある事件について調べているんだけど協力してくれない?」

「ある事件?」

「そう。実はこの内戦の中、子供達が突然戦場に現れるという事件が起きているの。誰か見たことある人はいない?」

「!?」

 兵士たち、唖然。

「それに共通しているのは、その子供の現れた場所は必ず、跡形もなく爆発しているということ」

 いくらかの人の顔が変わり、兵士の内の一人、また二人と手を挙げ始めた。

「俺も聞いたことがある。戦場で死んだおれの友人はうわ言のように『おれの息子が見えたような気がした、気のせいだよな?』と言いながら、死んだ」

「俺は、俺は実際に見た」 視線が男に集まると男は何かを謝罪するように早口になった。

「でも信じられなかったんだ! それに誰かに言えばあの独裁者に家族を殺されると思ってて! ずっと幻だと、思っていたかった」

 少しずつ、身の毛もよだつような恐ろしい考えがここにいる全員の頭を駆け巡ろうとしていた。ラティは嗚咽を堪えるようにゆっくりと口を開いた。

「子供たちが、科学ウイルスを飲まされて無理矢理戦争に駆り出されているかもしれない」

 兵士の中には成人に満たない者もいた。だが、彼らは弟や妹を守るため、この国に住む大切な誰かを守るためにいつ始まったのかもわからない内戦で戦ってきていた。それは決して嫌々来たわけではなく、身が熱さで溶けてしまうほどの誇りを持って来ていた。

 しかし、どちらの軍も戦えば戦うほど守るべきものが失われていっていたのだ。元を辿れば同じ国の仲間だ、アイツが来るまでは誰にも境界線なんて無かったはずだ。このホールに蒸気する怒りと悲鳴が壁の割れ目となって刻まれる。屈強な男の拳が壁に吸い込まれてゆく。

「俺たちは何のために戦ってきたんだよ、最低だ、最悪だ!!」

 ナツとコーサクは次の日もケンジ達と一緒に遊んでいた。午後、またみんなで集まって缶けりをしていると突然どこからともなくサイレンが聞こえてきた。

「なんだ?」

 秒数を数えていたコーサクが顔をあげると、隠れていたケンジ達が一斉に出てきて叫んだ。

「はやく避難だ!」

「へ?」

「警報だよ、知らないのか!?」

「え、えと……」

「とにかく早く近くの防空壕へ!」

 ケンジはすばやくコーサクの手を取り、連れて行こうとしたがコーサクは「ナツがいない!」と辺りを見回した。

「ナツーー!!」

「くそっ、ランもいない! きっとアイツらもどこかに避難するはずだ、さあコーサク、行こう!」

「でも……」

「ナツも誰かに連れられて避難するはずだ。さあ……急げ!」

 ……。

「なんだ、この音?」

 ナツは隠れていたが辺りの様子が騒がしくなり、近くに隠れていた一人の女の子に話しかけた。

「あの、この音……」

「何言ってるの、はやく避難するよ!」

「え!?」

 訳もわからないまま、ナツは女の子のあとについて走るが、女の子は石に躓いて転んでしまった。

「いてて……」

「ねえ、どこへ逃げればいいの? ねえ!」

 次第に辺りはサイレンの音の中で静けさを増してゆく。慌てるナツの言葉に目をまんまるくして女の子が指差したのは少し先の丘の近くにある人工の洞窟のような所だった。

「わかった!」

 ナツは女の子を抱き抱えると洞窟まで早足で向かった。冷や汗が額を虫のように這う。一心不乱に先を行くのは心だけで体がまるで追い付かず、呼吸が浅くなっていく。

「はやく入れー!!」

 首にタオルを巻いた若い男性が入り口で呼んでいる。二人は転がり込むように中へと入るとそれと同時に扉が閉められた。

「耳ふさいでっ!」

 女の子に言われてナツは耳をふさいでぎゅっと目をつぶると小さく丸まった。真っ暗な世界の外では何かが爆発するようなが聞こえ、地面が小刻みに揺れた。身体の内側から巻き起こるような激しい振動だった。それはナツにとって今まで体験したことなんて無く、ずっと鳴り止まないんじゃないかと泣きそうなくらいに不安になる。音が聞こえなくなっても耳に残る音が消えない限り、恐怖は続く。

 そっとナツが顔を上げて周りを見ると周りには沢山の人が居て、一人ぼっちでなかったことを心から祝福した。が、ナツの全身の震えは止まらなかった。

「大丈夫だったかー!」

 誰かのその一言で場が動き出した。猫が毛繕いをし合うように家族、他人関係無く無事を確認している。

「ねえ、あの」

 ナツは女の子に話しかける。

「怪我、大丈夫?」

 しかしナツが話しかけた途端、女の子の瞳からは涙がこぼれ、それを隠すようにナツは背中を擦る。

「大丈夫。ありがとう」

「よかった。えっと名前、は?」

 女の子は涙を拭って答える。

「ランよ。あなたはナツ君でしょ? ケンジから聞いた」

 外へ出ると辺りの木々はボロボロになっていて、屋根も土も道も小さな花にさえも穴が空いている。この争いは一体誰と戦っているものなのか、尋ねようとしたときに遠くから博士とコーサクがやって来るのが見えた。

「おーい! ナツー、大丈夫かー!」

「大丈夫だよー! ランも一緒だって、ケンジに伝えてー!」

「わかったー!」

 次の日から、ナツとランは今までよりもすごく仲良くなった。同じ場所で同じことをしていてもすれ違う呼吸は、一度でもピタリとハマればそれでもう大切な友達になれる。

 でも、次の日もまた警報が鳴ると夢のようなひとときは覚め、すぐ怖い夢が始まった。

「僕は残る。ランやケンジ達と一緒に避難する」

「わかった。オレは研究所に戻ってナツのこと、博士に説明しとくから!」

「ありがとう、コーサク」

 ナツはランやケンジ達とともに避難洞窟へと走っていった。

 一方、クチバとラティは。

「ラティ、そろそろ行かないと犠牲者はもっと多くなる」

「そうね。では、行きましょうか」

 淡々と言葉を発すると歩き始めるラティにクチバは何を思ったのか、今度はクチバが立ち止まってしまった。

「なあ、俺たちは本当に正しいことをやっているのかな」

「弱気ね」

「間違っているんじゃないかって、たまに思うんだ。争いを無くすために戦うのもまた争いなんじゃないかって」

「ははあ、よくある綺麗事ね」

「自分でも思うさ」

「クチバ、綺麗事ってのはね。誰もが『思って』いることなのよ。忘れがちで、当たり前のことだけど誰も実行しない」

 クチバは指示する。

「王軍は城の兵士と、戦場にいる者達全てに現在起こっている事実を知らせてくれ。そして、この戦争を終わらせてほしい。アイツとは、俺が一対一で話す」

 それぞれがうなずくと前方と後方に散っていった。

「ラティ、それじゃあ行ってくる。アイツの所に」

「ええ、気をつけて」

 クチバはその後、城の皆に真実を伝えながら進みついに『アイツ』のいる王座へとたどり着いたのだった。

「久しぶりだな、ナツ」

「久しぶり。どうしたの?」

 その反応にクチバことコーサクは苛立ちを覚え、ジャケットのポケットの銃を握り締める。

「本当なのか、子供に科学ウイルスを飲ませて戦場に送り出しているというのは。なぜ、こんな事をする? あとなぜ秘密基地を禁止に……」

 ナツは話を遮って言った。

「それとこれは別。子供にウイルスを飲ませたのは仕方なかったんだ、大人が苦痛に感じるのは自分の子供を殺された時だ」

 そして、とナツは話を続ける。

「秘密基地を禁止した理由なんて簡単だよ。彼らが秘密基地を悪だと言ったからだ」

 人殺し呼ばわりした奴等が人殺しをしてまで反乱するって笑えるよな、とナツは呟いた。そしてコーサクは胸ポケットに入れていた手をそっと下ろした。

「まさかお前、あの時の事をまだ」

「そうだよ、僕はあの時のことをずっと忘れてない。ハルセが死んだ後、沢山の人に俺は責められた」

 今から十四年前、二人が秘密基地を作っていた時のこと。ハルセは基地の材料を取りに一人で川に行き、溺れた。二人が駆けつけた時にはもう、ハルセの呼吸は止まっていた。しかし、生きてると信じながら死体を持って病院へと行ったナツとコーサクは酷い疑いをかけられた。

「あなた達が殺したんじゃないの!?」「秘密基地? 誰よ、言い出したのは! 大人に隠れてそんなことをやるのがいけないのよ!」「この人殺し!」

 ナツは怖くて全てを正直に話した。秘密基地にコーサクとハルセを誘ったのは自分だということ、そして、タイムマシンのこと。ナツは突然タイムマシンが現れてそれに乗って過去へと行ったと話したが、信じてはもらえず、実際に見てもらうことにしたのだが。

 タイムマシンは消えていた。宙を触れても何も無い、透過機能ではなく本当に消えてしまっていたのだった。その後、ナツは嘘つきで人殺しという罪を着せられ、酷い仕打ちを受けたのだった。

「大人に秘密を作っちゃいけないなら、その根源を潰すべきだろう? 秘密基地は、悪だったんだ」

 コーサクはナツを撃った。鋭い銃声に遅れて赤い血が地面に流れ出す。

「バカだよな、お前も。俺を殺せば全て終わると思ってんのかよ」

「あの日、タイムマシンがどこから現れてどこに消えたのかはわからない。だが、タイムマシンを直した。これであのチビ達は俺らのような経験をしないで済む……」

 ナツの太股からは大量の血が流れているが、ナツはそれを気にする様子はない。

「やっぱりバカだね。ハルセが死んだ未来で俺らはどう生きてきた? 無意味なんだよ、俺たちが秘密基地を作った時点で未来は定まっていたんだ……」

「いいや、ハルセは生きていた。俺たちの過去とは少し違っていたみたいだぜ。ナツ」

 ナツの驚いた顔を見たコーサクは即座に銃を発砲した。ナツはその顔のまま、息耐えた。そしてコーサクはナツの横に寝転がると、無線で仲間に連絡をとる。「聞こえるか、こちらクチバ。ナツを殺した。俺はウイルスを飲んでいる、じきにこの城に爆弾が落ちる。すぐに退避しろ!」

 淡々と無線機に呼び掛けるが、コーサクはもう溢れだす涙と後悔を押さえることができない。

「ごめんな! 俺、ナツを殺ぢまっだ! 俺は自分の欲で、殺した! 許せなかった、戦争を、終わらせることが、できながっだ!」

 無線機を切り、しばらく時間が経過する。コーサクが冷静に後悔を考え出した時、急に全てがしんと静まり返り、世界が真っ白になった。

 爆弾が落ちた。

 ラティは丘の上から、炎に包まれた城を見てゆっくりと息を吐いた。ため息なのかそれとも全てが終わったという安堵なのかは本人でさえもよくわかっていない。炎の赤色が空へ流れてゆくように次第に暮れは訪れ、やがては夜が来るだろう。争いは鎮火されてゆく。

「戦いを戦いで止めようとする人は結局、悪人と同じ結末になるのね」

「そうみたいだな。あのチビ二人には暴力物事を解決するような大人にならなきゃいいけどな」

 博士は活気を取り戻してゆく街並みを見ながらその言葉に頷くと、笑いかけた。

あのチビ二人はどうなると思う? まさか、死んだ大人組の二人と同じ人生を歩むわけじゃないだろうな」

「もちろん。私がちゃんと原因を処理しておいたからね」

「原因?」

「ええ。どうやら故障したタイムマシンが複数のパラレルワールドを勝手に行き来して、それぞれの世界に影響を及ぼしていたみたいなの。そのせいでナツがおかしくなったり、別世界の私が死んだり」

「まるでバグだな」

「笑っちゃうくらいに面倒くさい話だよね。でも、それも今回で終わったわ。私がバッチリ、タイムマシンを直してやったからね。もう安心だよ」

 博士はヒュウと息を吐いた

「はは、さすが天才タイムトラベラーだ」

 博士はヒュウと息を吐いた。

「この記録をしっかり持ち帰ってくれよな。世界は違えど同じ研究者として平和への一歩が確実に進めることを願っている」

「ありがとう、博士。さーて、じゃあ私は子供のコーサクとナツを元の世界に送り届ける準備をしてくるわ。準備ができ次第、研究所に行くわ」

「りょーかい」

 博士と別れた後、すっかり忘れ去られた三人の秘密基地の前でハルセは今までのことを思い出していた。

 私は父が何度も失敗を繰り返しているタイムマシンを完成させるのが夢だった。父の夢を叶えるとかそんなんじゃなくて、ただ私が興味を持っただけ。それに私は女の子。本当は男の子のように無茶をしたり冒険をしたりサッカーをしたかった。でもそんな筋力も無ければ、身体も男の子には全然追い付かない。

 だから私は誰にも真似できない、『私にだけしかできないこと』をしてみたかった。沢山勉強をして、それをからかわれたり心配されたりとしたけれど、今、私がここにいることが何よりの結果だ。

 二十一歳の時、私はついにタイムマシンの最後のパーツを発見して完成させ、初めてタイムワープに成功した。たどり着いたのは翌日の世界。だがその世界の私は研究所で倒れていた。抱き起こすとぬるりとした感触が死を悟った。死にかけの私何があったのかと尋ねると、『公表は、しないで』と言い息を引き取った。

 私は言われた通りタイムマシンの公表を取り止め、私用として使うことに決めた。父は否定も肯定もせずに翌年、亡くなった。もちろん、ナツにもコーサクにも話していない。自慢はしたかったけれど、私は私の言うことを信じることにした。そして、公表をした世界での私が殺された理由を探しにタイムワープを繰り返していたある日、博士の研究所にワープしてきてしまった。

『お、お前ハルセじゃないか!?』

 話を聞くと、ここは私が子供の時に川で溺れて死に、父も自殺を計ったとみられる世界だった。博士は父の研究を引き継ぎタイムマシンの完成を目指しており、私が最後のパーツの存在を示唆して完成させた。

 ちょうどその頃、ナツが「突然、過去に行ってくる」と姿を消してしまい、コーサクがタイムマシンの完成を急かしている最中だったので私は正体を隠し、ナツを連れ戻す作戦へと参加したのだった。

 ナツが過去の世界に来れたのも、きっとあのバグタイムマシンのせいだろう。あの一台が全ての運命を狂わせていたんだと思う。私が殺された世界にタイムマシンが無かったのも、きっと政府が奪い去って行ったからだろうと私は推測する。

「私は今を生きることに決めたわ、ナツ、コーサク。だって私は、昔の自分が誇れる私にもうなれたんから」

 現在時刻よりも約一時間前のこと。戦争の終結を未だ知らないナツとコーサクは夕方、ケンジとランに「いいもの見せてやるから来いよ」と言われ、堤防の近くの茂みへと向かった。事前に虫刺されに気をつけろとも教えられていたので虫除けスプレーをかけてきた。

 長らくの間放置されていたと思われる草むらは四人の背丈と同じくらい伸びていて、はぐれてひと度見失うとお互いの場所を把握するのにとても苦労した。ケンジやランにとっては平凡で日常的なエピソードですらも、二人にとっては大冒険だった。そんな、知らない世界が沢山溢れているこの世界が、この町が二人にとってはちょっとだけ羨ましくも思えていた。

「二人の住む町には背丈の長い草むらとか、ないのか?」

「うん。だから羨ましいよ」

「二人の町にも気づかないだけであるかもしれないぞ? 見ただけじゃわかんねえ、探せば意外とあるもんだぜ」

 しばらくついて歩いて行くと、少しだけ草の剥げた地帯がありそこにはなんと、ケンジとランの秘密基地があった。それは背の高い草むらの中でも一番奥の方にあって木や布、石などで作られていた。二人が作った秘密基地とは種類が違い別物のようで、大きな仕掛けや過剰な便利さなどは無いがそのシンプルさが新たな展開を予期させてくれる。

「すげえーー!」

「なんかカッコいい。二人で作ったの?」

「そうだぜ。俺らの秘密基地だ!」

「あれ、でも秘密基地を作るのは禁止されていて作ると大人に怒られちゃうって聞いてたけど大丈夫なの!?」

 ナツは周囲を注意深く周囲の草むらを見回したがランは真面目な顔で落ち着いている。

「大丈夫なわけないよ。だ、か、ら『秘密』のなの!」

 『ケンジとランの秘密基地!!』と豪快に書かれた手作りの看板を指差してランは笑った。

「あっ、そっか!」 ナツは照れくさそうにやり場の無い手を宙に浮かせた。

 それからランに「案内するね」と言われて握られた手が無条件に温かいものだとナツは気がつき、照れよりもまず心が感じた。その証拠にナツの顔の筋肉が自然なものになっている。それは誰から見ても一目瞭然のことだった。

 まず向かったのは古い大きな車だった。その車には苔や茎などが至るところから生えており、すっかりと寂れてはいたが、瞳の奥に魂を宿す老人のようにその生きた輝きはここにあった。

「うおお、すげえ!? 元からここにあったのか?」

「ううん、実はケンジが運転してここに持ってきたのよ。ほら、海岸の近くにスクラップ場があるでしょ? あそこから」

「ええーーっ!? ケンジ意外とやるなあ!」

「へへっ。ナツだって、ランを助けたり勇気あるじゃんか。お互い様だぜ!」

「なあ、ケンジ乗ってみてもいいか!?」

「いいよー。じゃあ俺たちは後ろに乗るぞ、ラン」

 コーサクが車の運転席側に乗り込むと、中は改造されていて光を遮るためのカーテンが取り付けられていたり、運転席と助手席の背もたれが倒されて中央には簡易テーブルが置かれていたりと来れば退屈しないような空間になっていた。

「どうだ、すごいだろ。この車冬でもガソリンを入れれば暖かいんだ」

「夏は涼しいしね。快適」

「あとなあとな! 車を移動させようと思えば動かせるけど、せっかくナツとコーサクがいるからやってみるか!」

「だーめ! 前アクセル踏んだら川に落ちかけたでしょ。ぜーったいに駄目だからね」

「ちえーっ」

 良いコンビだなあとナツは思っているようだった。ケンジとランを見ていると、一人と一人が互いを補い合いながら一緒に進んでいくことがとても素敵なことのように思えてくるのだ。

「あと、もうひとつ面白い場所があるんだ」

 ケンジは草むらの中に置かれたソファの上に座ると、ナツとコーサクにも隣に来るようにと促した。

「ここから見る景色はなあ、最高なんだよ。ナツ、コーサク目をつぶってみな」

「えっ目を閉じたら何にも見えないよ?」

「いいからっ。言う通りにしてみて」

 ランにも言われて二人は目を閉じてみた。

 耳を澄ませる。草の一本一本が揺れ、かさかさとざわめき、その隙間でバッタが軽やかに飛んでゆく音が聞こえてくる。辺りはそれ以外には何もない。ここは小さな生き物の世界。少し遠くからは猫の鳴き声も聞こえ、ポコポコと水の流れる音もする。匂いは、雨上がりのよう。水を多く含んだ絵筆が想像の中で薄い青を描き始め、自然の緑がにわか雨のように降り注いでいった。

 高くまっ青な空を見上げれば草むらのドームのような視界から、やがては宇宙まで届きそうな透明な暗闇でさえもをその心に浮かばせてくれた。

 やがて四人は秘密基地を離れ、深く蒼い海の見えるあの丘へと向かった。海は心を正直にしてくれる気がするんだ、とナツは笑った。

「今日は誘ってくれてありがとな、楽しかったぜ!」

「おうっ。またいつでも遊びに来てくれよな!」

 ケンジとコーサクは楽しそうにハイタッチを交わしたが、ランはなんだか落ち着かない様子。

「どうしたんだよ。腹でも痛いのか?」

 するとランはきゅっと結んでいた唇を開いてナツの目を真っ直ぐに撃ち抜いた。

「あの、あのね。ナツ君にどうしても聞いておきたいことがあるんだけど……」

「い、いいよ。なに?」

 そうナツが答えた途端、コーサクは「俺、先に博士んとこ帰ってっから! ゆっくりでいいぞ」と走り出し、ケンジも「まああとでな! ナツも、また会おうぜ」と言ってそさくさと

「んもー、そんなんじゃないよーぉ」

 ランはやんわりと否定したが、それでも二人だけの時間はやってきた。頭上に広がる雑じり気のない青空は、いつ見上げても色褪せない。その下で見つめ合うナツとランの間には爽快な風が吹きはじめた。

「あのさ、ずっと聞きたかったことがあるんだけど聞いてもいい?」

「うん」

「どうしてあのとき、私たちについてきたの?」

「え」

「ナツ君はあのまま逃げていれば安全だったんでしょ? 私知ってるよ、ナツ君がこの世界の人じゃないってこと。服とか、言葉とかで」

「ああ……」

「ねえ、わかんないの。私、ナツ君がどういう人なのか。もっと知りたかったの……」

「僕も。おんなじだよ。ランがこの世界でどんな苦労をしてるのかとか、どうやって遊んでるのかとか。ランと話するたびに一緒の世界で遊べたらってずっと思ってた。だから、少しでも近づきたくて……!」

「……ナツ君のそういう少しでもわかろうとしてくれるところ、好きよ」

「ありがとう」

「いつか、大人になったらさ、私やケンジに会いに来てよ。そしてまた一緒に話そう?」

「もちろん! じゃあ、僕とランの秘密の約束だね。必ず、また会いに来るね」

「うん……!」

 約束を誓った二人の小指が離れた瞬間、ナツとランはお互いに反対の方向へと駆け出した。振り向かずとも心で繋がった糸は切れることはないと信じて。二人は歩調を緩めた。

 未来のハルセはナツとコーサクを現代まで送ると、「それじゃあね。元気で」と言い残して帰って行った。ナツとコーサクは後ろから来る夜の影に追いつかれないように人工林の中を立ち止まらずに歩いていたが、ナツの「あれ?」という言葉で二人はピタリと動きを止めた。

「なんだよ、急に」

「なんか、おかしくない? クチバさんと出会ったばかりの頃に未来のハルセのこと聞いたよね。そしたらクチバさん、『ハルセは死んだ』って言ってたよね」

「そういえばそうだったな。でもあれは冗談だって言ってただろ」

「うん。そうなんだけどさ。あの時、クチバさんすごく悲しそうな顔をしてたし、『僕らの時代のハルセは生きてる』って教えた時も驚いてた」

「だから、最初に冗談って誤魔化したのは僕らを傷つけないためだったんしゃないかって、思うんだ」

「……ナツはすげえな。人のそんな細かいところまで見てるなんてよ。オレは雑把だから気づかなかったけど、ナツが言うんならきっとそうなんだろうな」

 コーサクは歩きなからそう言っていたが、突然振り返ると怖い顔をしてナツを見た。

「どうしたの、そんな変な顔して」

「ナ、ナツの話が本当なら、さっきまでいた女の人は誰だったんだ……? まさか幽霊だって言うんじゃないだろうな」

「……さあ?」

「おい、やめろよ。オレそういうのは苦手なんだよ」

 身震いを押さえるように身体を抱いた。

「幽霊……だったのかも」

 寒風がスッと人工林の中を通り抜けると、作り物の木々が窪んだ顔になってゆく。怪談話は幽霊を寄せ付けるって聞いたことがある。

「うわああああ!」

「えっ!? 待ってよコーサク! 僕だって怖いんだから一人にしないで!」

 早く明るい場所に出よう。そして会いに行くんだ、今生きているハルセに!

 二人は人工林を抜け、急いでハルセの家に向かったがハルセはまだ帰っていなかった。ついさっきまでは居たらしい。

「待たせてもらいます!」

 それから約一時間半もの間、二人はハルセを待った。そして、ついに帰ってきた時には「生きてた!」と大声で叫び、「やめてよ! ママに聞こえちゃうでしょ!」とハルセに殴られた。

「……足の具合はどう?」

「バッチリよ、もう何ともないみたい!」

「「よかったぁ……!」」 と二人は無事に治った事に安堵する。

「ねえねえ、聞いてよ! 今日ね、すごいことが」

「ストップ。知ってるよ」

「え?」

「未来の自分たちに会ったんでしょ」

「な!? なんで知ってんだよ!」

 コーサクとナツは驚いて言った。

「え? だって私も行ってたから。五時頃だったかな。突然、未来の私がタイムマシンで現れて、『あの子たちばっかり楽しむのは悔しいでしょ?』って。二人で未来の世界のちょーー美味しいケーキ屋さん巡りしたの! もうお腹いっぱい!」

 ハルセをほっといてずっと楽しんでいた事にひたすら謝るナツとコーサク、そしてつんとふてくされるふりをしていたハルセはクスクスと声に出して笑った。夜の帳が降りた窓辺ではふっくらとした一羽の雀が鳴き、星が瞬く間に空へと飛び去っていった。夏はまだ、始まったばかりだ。


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