8.コズミック秘密教団
「おばちゃん、アタシらについてきて大丈夫か?」
再び山道を登りながら、緑青子はおばちゃんを振り返る。おばちゃんは肩で息をしながら、汗だくになって、緑青子たちの数歩後ろを歩いていた。
「はぁ、はぁ、あのまま村にいるよりは、緑青子ちゃんと一緒にいた方が安全そうだからねぇ。御子様も心配だし」
「確かに。どっちにしろ逃げ場ないしな」
「僕も、おばちゃんが近くにいてくれた方がいい」
少年は力強く言い、おばちゃんの手を引いて彼女を支えた。
「懐かれてんなおばちゃん、やっぱお世話係とかやってたの?」
緑青子は気になっていたことを聞いた。少年が特に何も言わないので流していたが、やはりおばちゃんと少年の距離感は不思議だった。
おばちゃんはうなずいた。
「教祖様に頼まれたんよ、予定とは違うけど無碍にはできんって。本当は教祖様の言うこと聞くのは怖かったんやけど、私も御子様のことが心配だったから」
「おばちゃんが、僕にいろんなことを教えてくれたんだ」
少年はにこやかに話す。こんな村にいながらも楽しい思い出に囲まれていたことが、ありありと想像できた。
思い出話に花を咲かせたいところだが、3人の言葉は途切れ途切れにならざるを得なかった。というのも、村人たちが儀式を行っている声が、次第に大きくなっていたのだ。
儀式が進行しているのは明らかで、早く止めなければ大変なことになるという予感が、緑青子たちを襲った。
少年は村人たちの声と自身の記憶を頼りに先導し、儀式の場へと向かう。ただ、村人たちの声はもはや、四方八方から聞こえるまでになっていた。
「声が響きまくって方角がわからないな。少年、道これで合ってんだよな?」
「合ってる……はず、なのに……いつもの場所が見えない」
緑青子は携帯端末を取り出し、マップを開いた。表示される地図モデルと実際の視界は一致する。ただ時折、現在地のマークが急速にズレ動いていた。
日本のはずがアメリカにいることになったり、かと思えば次はイギリス。けれど位置がおかしくなるのはほんの一瞬のことで、またすぐ日本に戻ったりした。
(現在地がおかしくなるってのは、普通の地図アプリでもよくあるけど……これはちょっと異常か。ま、通信生きてるだけで御の字だな)
タイミングよく、セシルからも通信が入る。
『ミオちゃん、村について少しわかったことがあるわ。〈コズミック秘密教団〉って知ってる?』
「いや……聞いたことない」
端末にデータが送られてきた。宗教法人として認可されていない、いわゆる新興宗教、ハッキリ言えばカルト教団の情報だった。
「代表者は〈星守辰並〉……あ、こいつ村長じゃん」
データの中にあった顔写真、それはこの村の図書館で村史を調べた時に見た、古炭久村の村長と同じ顔だった。
「セシル、これ2人に見せてもいいか?」
『ええ、これは普通にネットにも上がってるものだから』
「オッケー、見て見ておばちゃん」
「あら? これ若い時の教祖様やないの」
少年にも見せると、おばちゃんと同じ反応をした。
『コズミック秘密教団は、数十年前に活動していた宗教団体よ。〈宇宙と繋がって真理を目指す〉、典型的なカルト教団ね。あの時代はこういう団体が多かったみたい』
「で、なんでそんな奴がここで村長やってたんだ?」
『端的に言えば乗っ取り。星守辰並は資金繰りのために、村の鉱山事業に目を付けたのよ。質が悪いことにこの教団、けっこう優秀な人材もそろってたみたいでね。成功しちゃったの、事業』
さらにデータが送られてくる。土地や山林の登記だった。数年がかりで名義が教団のものになっていく様が、克明に記されていた。
「村を豊かにしてくれた教祖が、そのまま村のリーダーになっちまったわけだ」
『そういうこと。で、採掘量が減ってきたら漁業に切り替えて、今に至るって感じ』
「洗脳とも違うってのが厄介だな。外部も手を出せなかったのか」
村がじわじわと蝕まれていった歴史を想像して、緑青子は顔をしかめた。
『でも、今伝えたいのは村の歴史じゃないわ』
「あ? まだなんかあるの?」
『〈ナイトスコープ〉に依頼してきた女性、いたでしょ?』
「葉山凛、だったか」
緑青子の脳が素早く回った。「前に会った少年にお礼がしたい」という名目で依頼を送り、番組クルーと一緒に山へ来たあの女性。その後行方不明となり、図書館の地下で中途半端に魚人化させられた、第一被害者のはずだった。
しかし少年から聞いた話では、その女性との面識はないという。
『彼女の戸籍を調べたの。あ、方法は秘密ね? 葉山凛の旧姓は星守。彼女――星守辰並の娘よ』
「そうきたか」
一度切られた線が、もう一度つながっていく気がした。
少年に出会ったと嘘をついた葉山凛、彼女はカルト教団と直接関係があったのだ。
『初めから教団とグルだったのかも』
「なら地下のあいつは? 魚人になりかけてるのは置いといて、娘をあんなとこに監禁か?」
『確かに……娘は何も知らなくて、父親に利用されただけって線もあるわね』
「どっちにしろ、教団はロクでもない組織ってことだ」
緑青子の中で迷いが生じた。あの娘を助けるべきか否か?
緑青子は少年を見る。彼の表情は、今もしっかりと「村の全員を助ける」という気概に満ちていた。ならば緑青子の答えはひとつだ。
(敵だろうが味方だろうが、救える奴は救わねえとな)
緑青子としても、人が助かるに越したことはない。万が一敵であったとしても、それはその時になってからぶちのめせばいいだけのこと。
何にせよそれを確かめるには、教祖に会って事の真相を知る必要があった。
「だから結局は、儀式やってる場所を探り当てないといけないんだよなあ」
村を救うのも、自分たちが村から脱出するのも、鍵となるのは「儀式」だ。
「少年、お前が言ってたいつもの場所ってのは何?」
「えっと……山の中に、お家がいくつかあって、その奥に洞窟があるの」
山の中に、家が数軒。思い当たる節があった。
番組の中、〈調査打ち切り〉のテロップが出る寸前、クルーたちは山中で家屋を発見していたのだ。
「番組だと、突然家が現れたって感じだったよな……」
『空間操作、とか?』
「ああ、そうか、それだ」
相手が空間を変化させる術を持っていることは、先の結界で確認済みだ。山中に異界を作り出し、その中で儀式を行っているのだとしたら、外側からそれを見つけるのは至難の技。
術者や道具を破壊できれば問題ないが、その術者たちまで異界の中に入っていてはお手上げ状態。
「おばちゃん、儀式の参加者ってのは毎回決まってる?」
「いんや、私以外の村人は自由やったよ。結局ほぼみんな参加するけど……時間守る人もおったし、後から山に入る人もおった」
ならいける、と緑青子は思った。
確定ではないが、おそらくこの異界は、〈許可されていない者〉を弾く仕組みだ。逆に言えば、許可されている者なら後からでも自由に入ることができる。
「問題は、許可された者かどうかを区別する方法……」
彼らにあって、緑青子たちにないもの。
「ダゴンか」
村人たちに寄生している、あの黒い塊。あれが許可証の代わりだ。
「おばちゃん、注文いいかな。古炭久丼ひとつ」
「な……なに言っとんの?」
「お姉さん、まさかまたダゴンを食べる気?」
「ああ、ちょっと必要でね。少年がいれば、また吐き出せるだろ?」
ためらいもせずに、再度ダゴンを食べる覚悟を決めた緑青子を見て、少年はさすがに苦笑した。確かに自分ならダゴンの寄生を解除できるが、だとしても、あの気持ち悪い生命体を食べる気になれるものだろうか?
「ダメだよ、お姉さん」
少年は緑青子を止めた。それはただ緑青子を心配したのではなく、ひとつの懸念があったからだ。
「感じるんだ。ダゴンの力が、どんどん強くなってきてる。今食べたら、どうなるかわからない」
「まいったな……あれがないと困る」
その時、辺りを見回していたおばちゃんが息をのんで尻もちをついた。彼女は何かを見つけたようで、遠くを指さし、緑青子にすがりついた。
「お姉さん、あれ!」
「くそっ、こんな時に!」
あの不吉な足音が聞こえる。フラつきながら近づいてくるひとつの影。手に傷を負い、体のところどころに紫色のアザがある魚人が、何度も転びそうになりながら山道を登っていた。
「アルキュミア――」
『ミオちゃん、待って!』
「セシル?」
『ダゴンが通行許可証になってるなら、その魚人についていけば、異界を突破できるんじゃない?』
「やば、天才か」
緑青子は取り出しかけた武器をしまい、少年とおばちゃんを連れて身を隠した。2人にセシルの案を説明し、それに従ってもらうことにした。
3人で固まりながら、コソコソ魚人を尾行する。
「あいつよく見たら、アタシが図書館でボコったやつじゃん」
魚人の体の傷を見て、緑青子は個体を判別した。見れば見るほど、心当たりがありすぎる。
その魚人は息も絶え絶えになりながら、まともに動かない体を奮い立たせ、必死に山を登り続ける。教祖様のために、ダゴン様のために。
眷属として生まれ変わりおよそ20年、彼が儀式に出なかったことは一度もなかった。漁から帰ったばかりで疲労困憊の日も、体調を崩してヒレがシナシナになった日も、決して不参加の汚名は背負わなかった。年間最優秀眷属賞を受賞したこともあった。それがあんな小娘に不覚を取り、このようなことに。手土産など考えるべきではなかった。
だが教祖様は、今日の儀式は特別だと言っていた、長丁場になると言っていた。今からでも間に合うはずだ。遅れは祈りで取り戻すのだ。
ああ、ようやく祭壇が見えてくる。待っていてください教祖様、私は今日も――
「えいっ」
不意に襲い来る、後頭部への衝撃。彼はその場に倒れた。
「アンタの姿勢は尊敬するよ、心からそう思う……。マジで言ってるんだぜ、後ろから見てて応援したくなった。でもゴメンな」
緑青子はもう一発、かばんを魚人に振り下ろした。鈍い音がして、魚人の体が地面にめりこむ。これで準備は整った。
緑青子たちの目の前で、空間が歪み始める。
「あ、ここ……!」
「よしよし、ビンゴだな少年」
さっきまでは何もなかった場所に、突然家が現れた。その周囲は輪状に大気がうねり、ゲートを形成していた。このゲートが、現世と異界の境目だ。
「おーっ、セシルが言った通りになってんじゃん」
境目たるゲートは、ある程度まで広がった後、今度は収縮を始める。さながら自動ドアだ。しかしその自動ドアが完全に閉まることはない。なぜなら、ちょうどそこに魚人が倒れているから。
『この前コンビニのドアに挟まれてるワンちゃんを見てね、それで思いついたの』
ゲートは閉まりきらず、魚人の体をギューッと押した後、また開いていく。バグ技じみたやり方で、緑青子たちはダゴンを食べることなく、儀式の場へ足を踏み入れた。
「ボスエリア到達って感じだな」
家屋が立ち並ぶ奥、そこには大きな洞窟があった。その深い闇の奥から、村人たちの祈りの声が湧き上がってくる。
崇め沈み奉る。深世におわす主様。
水底清め奉る。吾が身は礎なりてこそ。
緑青子は耳をふさぎたくなった。祈り歌だけではない、合いの手のように挟まる「いあ、くとぅるー」という声が、心底嫌悪感を掻き立てた。
「おばちゃん、大丈夫か?」
「緑青子ちゃんこそ……」
お互いの背をさすりながら、緑青子たちはまず家屋を探った。血なまぐさい臭いに耐え、一軒一軒回っていく。
ほとんどの家には血痕があるのみでそれ以外は何もなかったが、一軒だけ、小さなノートがポツンと置かれていた。
「日記帳か? 人のプライバシー覗くのって気が引けるよね」
そう言いつつ、緑青子は容赦なくノートを開いた。画像をセシルに送る準備も万端だ。
〈幼い頃から見る夢が、日増しに色彩を濃くしていく〉〈私は選ばれた〉〈仲間もできた〉〈宇宙の声を聞いた〉
それは教祖の日記だった。数ページめくってみても、うぬぼれ男の勘違い独白が延々と続いていたので、緑青子は大幅に読み飛ばしていった。
〈教団の法人化が認められなかった。真理はそこにあるというのに〉〈お布施の量が減った〉〈役場や警察がよく来る〉
文章が不穏になったところで、緑青子はまた読み始めた。
〈人目につかないところがいい〉〈因洲升という村がある〉〈炭鉱を奪った〉〈村人は従順だ〉〈炭鉱が崩れた。地下の空洞に祭壇があった〉〈また声を聞いた。儀式を始めなければ〉〈失敗した。友が死んだ。あれは何だ? あの黒い魚、食べてはいけない〉
この辺りから、字が震えていた。
〈友が帰ってきた。海から来た〉〈友ではなくなっていた。村人にあの魚を食べさせようとしていた〉〈ダゴンが恩恵をもたらした〉〈娘ができた。この子は村にいない方がいい。妻と共に外へ行かせた〉〈村人が常に私を見る〉
少年もおばちゃんも、つばを飲んで日記を眺めていた。緑青子は重要そうな部分を抜き出して読み進める。
〈また食べたい〉〈ダゴン様は帰った。星がそろう時に来ると言った〉〈一度目の星辰。ダゴン様と儀式を行った。少年が現れた。ダゴン様は落胆していた。だが、何かが進んだ感覚があった〉
少年の記述。緑青子は、自分の隣で子犬のようにちょこんと座る彼を見た。落胆する理由が理解できなかった。
〈ダゴン様は次の星辰が最も大きいと言っていた〉〈花嫁も用意しろと仰った。私の娘が、ちょうど育っている〉
そこで日記は終わっていた。
「教祖、怖がってた」
「ああ、儀式ミスってダゴンを召喚したのがダメだったな」
「もしかして……教祖様もゴンダを無理やり食べさせられたんか……?」
「最初は警戒してたのに、急にダゴン様とか呼ぶようになってるし、たぶんそうだろうね」
家屋を出て、炭鉱を見る。中からは相変わらず声が聞こえていた。
「採掘量の減少に伴い封鎖ねえ……大嘘つきやがって」
『実態は、崩落事故と祭壇の隠蔽だったわけね』
緑青子は村の真相を暴くため、いよいよ敵の本拠地に乗り込む。
「ふたりとも、アタシのそばを離れるなよ」
明かりを点けて振り返る。少年とおばちゃんは、静かにうなずいた。