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7.ひぅん

「ミッションを〈対象の護衛〉へ変更する」

『承認します』


 緑青子たちはもう一度山へ入るべく、来た道をたどっていた。物陰に隠れながら、ネズミが()うように、ソロソロと。

 緑青子の気がかりは、気絶させた魚人が復活していないかという事と、図書館から出る時に見えた影は何だったのかという事だった。


 図書館まで戻って確認したいところだが、こちらが戻ったタイミングで向こうも目を覚ましたりなんかしたら、元も子もない。緑青子たちにできることは、敵と出会わないように祈りながら進むことだけだった。


 山に近づくにつれて、異様な雰囲気が濃くなっていく。直視したくないような、認識を拒むような不快な感覚だ。それでも少年は平気なのか、緑青子よりも前に出て先に進んでいく。


「急がないと……」

「待て! 少年」


 突然、少年は緑青子に抱きつかれた。後ろから両腕でがっしりとホールドされ、少年は思わず声を出しそうになる。しかし彼が(のど)を震わせる前に、緑青子は見事な手際(てぎわ)で少年を回転させ、自らの体に押し当てる形で口をふさいだ。


「……! ……!」


 今までに感じたことのない感触が少年を襲う。息がつまるが、それはこの村全体に漂う閉塞(へいそく)感とはまるで違う、別種の圧迫感。筋肉が発達しているにも関わらず、しなやかで、やわらかい。それに村人たちのにおいと違って、甘く、優しい香りがした。


「お、お嬢ちゃん! 御子様になにしとんよ!」

「静かに」


 やっていることとは裏腹に、緑青子の意識は遠くへ向けられていた。

 おばちゃんは緑青子の視線を追う。少年も緑青子の胸に(はさ)まれながら、彼女が何を警戒しているのか探った。


 緑青子は後ずさり、全身を建物の陰に収めた。

 息をひそめ、建物の向こう側に意識を集中させる。


 いあ、いあ──。


 曲がり角の向こうから、それは姿を現した。


 巨大で、威圧的な。

 姿かたちは、タコみたいな連中より遥かに人間らしかったが、村で見た何よりもおぞましく、恐ろしい。


 それは緑青子たちに気づいていないのか、謎の言葉を口にしながら、山の方へ歩いて行く。その手には、何らかの球体が(にぎ)られていた。


「チィーッ、なんだよあの球は。あれも回収しないとダメか? 仕事増やすなよボケッ」


 緑青子は陰でしゃがみながら、あえて巨人を無視し、謎の球体について悪態(あくたい)をつく。緑青子なりの強がりだった。


 しかし、彼女が本当は(おび)えているということが、少年にはよくわかっていた。

 抱きつかれたまましゃがんだせいで、先ほどよりも体が密着していた。緑青子の心臓が早鐘(はやがね)を打つ音が、少年の耳を()らしていたのだ。


 僕の力なら、彼女を(いや)せるかもしれない。その思いから、少年は緑青子の体に手を伸ばした。ケガを治した時のように、彼女の心臓を治すつもりで、少年は緑青子の胸に触れる。


「ひぅんっ」


 返ってきたのは、緑青子の雰囲気からは想像もつかぬほどに甘い声だった。


 思わぬ展開に、少年はさっきまでの恐怖も忘れ、真っ赤になって緑青子のそばから離れようとした。だが緑青子のたくましい肉体がそれを許さない。


 こんな時に何やってんだバカ! と緑青子は叫びそうになったが、少年が必死に首を振っているのを見て、妙なことを考えているわけではないと理解した。


 しばらくの間、緑青子と少年は赤面しながら見つめ合っていた。

 少年のおかげで、確かに緑青子の恐怖は消え去ったが、いまだに胸は高鳴ったままだ。


 生臭い村に甘酸っぱい香りが流れる中、おばちゃんが水を差した。


「ななななな、なんなんアレ!?」


 彼女は眼前で繰り広げられる「出会い」には目もくれず、ついさっき通り過ぎた巨人のことで頭がいっぱいだった。


 緑青子と少年は互いにもう一度見つめ合った後、おばちゃんの介抱(かいほう)に回った。


「少年、あのバケモンはもしかして」

「うん……ダゴン」


 緑青子は(おどろ)かなかった。アレを一目見た瞬間、こいつがダゴンだと本能的に理解していた。まるで遥か太古の時代に飛ばされたかのような、原始的な恐怖感がそこにはあった。


 いよいよ本格的に神話を相手取ることになったという事実が、じわじわと緑青子に張り付いていく。しかし今の緑青子は、謎の余裕に満ちていた。


『ミオちゃん、さっきの声なに……?』

「セシルか。いやなに、少年がアタシのおっぱい触ったの。まあ先に当てたのアタシなんだけど」

『詳しく説明してもらえる?』

「悪い、今それどころじゃない。ダゴンを確認した」

『……本当に、神話のあのダゴン? どんどん危険になってくわね』

「ほんとだよ、最初は少年を〈回収する〉だけだったのに」


 それを聞いた少年は、目を丸くして、おずおずと緑青子を見上る。


「お、お姉さん……」

「ん? ああ……。そうだよ少年、アタシは最初から少年をさらう目的で、この村に来たんだ」


 緑青子は(あや)しく微笑(ほほえ)んで、一歩、少年に近づいた。

 ダゴンを見ても恐怖しなかった少年は、この時初めて、本気で怯えた顔を見せた。


「み、御子様に何する気……?」

「どきなよおばちゃん、ケガしたくないだろ?」


 もう一歩、緑青子は近づく。おばちゃんが立ち(ふさ)がるが、足はすくみきっていた。


「ふふふ……なんてな」


 2人が今にも逃げ出そうとした瞬間、緑青子は緊張を解いた。少年は何が何だかわからないまま、緑青子の顔をのぞく。


「さっきのお返しだ」


 ツン、とそっぽを向く緑青子の(ほほ)は、ほんのりと染まっていた。彼女はこれ見よがしに胸を手で覆い、「アタシにも恥じらいはある」とアピールした。ギュッと押された胸が腕からはみ出し、少年に抗議の声を伝える。


 少年は何か、見てはいけないものを見たような気がして、咄嗟(とっさ)に顔を隠した。ただ、体の奥から突き上げる好奇心にはどうしても勝てなくて、彼は指の隙間から緑青子を見た。


 月光の下、黒髪をなびかせ頬を染める長身で豊満な「女性」が、少年の目に焼きついた。


『ミオちゃんやりすぎ。保護対象怖がらせてどうするの』

「少年がカワイイ反応するもんだから。ま、現場にいない人間にこの感覚はわかんねーよ」


 気を紛らわせたかったのか、はたまた単純な興味か? 緑青子はこの純粋な少年を見ていると、なんとも言えないむずがゆい欲求に駆られた。


「お姉さん……」


 少年は遠慮がちに手をどけて、緑青子を見つめた。


「少年、ああいうのはいきなりやっちゃダメだぞ」

『いきなりじゃなかったら良いんだ?』

「お前ちょっと黙ってろ」


 少年の目に映る緑青子は、完全に元の雰囲気に戻っていた。それでも少年の中には疑念が残る。「少年の回収」と言っていた時の緑青子は、とても冗談で言っているようには見えなかった。


「信じていいの?」

「…………。」

「お姉さん!」


 即答してくれると信じていたのに、緑青子は無言だった。マイクの向こうにいるはずの人も、しゃべっている様子がない。


「少年、アタシがお前を回収しに来たのは事実だ。アタシはそういう仕事をしている」

「っ!」

「だが決して危害を加えるためじゃない、保護することが最優先だ。今は護衛だけどな」


 緑青子は片膝をつき、少年と目線を合わせた。


「村を救うという決意も本物だ。少年、アタシが嘘をついてるように見えるか?」


 少年は、その()み切った青い瞳で緑青子を見据えた。何度見つめ直しても、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。


「御子様……」


 おばちゃんは隣で見守ることに(てっ)していた。自分が口を挟むより、星の御子が自分の意志で決めることが重要だと感じたからだ。


 外を知らない少年にとって、〈人間〉とは村の人間のことを指す。外の知識自体はあっても、やはり実感が(ともな)うかどうかは大きい。

 自分の記憶と照らし合わせて、少年は緑青子が信用できる人間か考えた。

 それでも結局、考えただけでは、少年には判断がつかなかった。村は教祖とダゴンに支配され、まともなのはおばちゃんだけ。村人、おばちゃん、自分のどの知識とも、緑青子は照合しなかった。


 初めて出会うタイプの人間。裏表のない性格のように思えるけれど、僕の知らない何かを隠している。


 考えれば考えるほど、眼の前が暗くなっていく。少年は、自分が目を閉じていることに気づいた。

 目を開けるのが怖かった。そこにいるのが、本当に自分を救ってくれる人なのか分からなかった。


「少年」


 呼ばれて、思わず目が開いてしまった。

 真っ先に目に入ったのは、温かな眼差しで自分を見つめるお姉さんの姿だった。慈愛、鼓舞、支持。様々な感情が伝わってくる。そのどれもが、本気で自分のことを想ってくれているものだと、少年の本能が感じ取った。


「──信じるよ」


 そう決めた。


 少年は決意を込めて、もう一度お姉さんを見つめた。彼女は満足そうにうなずいて。少年の手を取った。


「ありがとう、少年」


 お姉さんは優しく少年を抱きしめて、耳元で(ささや)いた。それだけで少年は、今までに出会った誰よりも、この人は信じられると感じた。


 抱擁(ほうよう)を解き、お姉さんは立ち上がる。背筋を伸ばしきるころには、真剣な、仕事人の目になっていた。


「ダゴンを倒して、この村を救うぞ、少年」

「うんっ!」

「そういえば、まだ名乗ってなかったな。アタシの名前は赤崎緑青子(あかざきみおこ)だ」

「……なんか呼びづらいから、お姉さんでもいい……?」

「それでいいよ、少年」


 呼びづらい、というより〈少年・お姉さん〉の呼び合いが心地よく思えて、少年はそれを望んだ。緑青子は安心したように笑い、それを受け入れた。


『……ほんっとヒヤヒヤしたわ……こういうことになるから、情報漏洩(ろうえい)は控えろって言ったの』

「結果ベストな展開だからこれで良いんだよ。見てみ? 少年のこの笑顔、あっ、お前からは見えねーか。もったいないねェ~」

『チッ……まあ、うん、保護対象と良好な関係を築いたことは評価します』

「さすが、評価点を見逃さない上司の(かがみ)

『だから……その子の期待、裏切らないであげてね』

「おう、舌打ちされないように頑張るわ」

『えっ、聞こえてたの……?』


 緑青子は不敵に笑い、かばんを担いだ。


 そんな彼女を見て、おばちゃんは星の御子の肩を抱く。


「御子様、いい人に会えたねぇ」

「うん。いい人、2人目」


 おばちゃんに笑いかける少年は、緑青子の時以上に愛らしかったが、当の緑青子はセシルを(あお)るのに夢中で、それを見逃してしまっていた。

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