6.いい男
『ミオちゃん、全員無事?』
「無事だ。まずは少年とおばちゃんを逃がしたい、いったん村の外へ向かう」
『了解』
武器をしまい、建物の陰に隠れながら、緑青子たちは静かに村の端へと向かった。
「いまさらなんだけど少年、お前は儀式とやらに付き合わなくていいのか? アタシが教祖だったら、こんな存在手放さないんだけど」
「ううん、僕はできないんだ。儀式をやる場所は知ってるけど、その中までは入れてくれない」
少年は寂しそうに俯いた。
「それに、教祖の目的はもっと別の何かみたいなんだ。僕がひとりで出歩いてても、みんなあんまり気にしない」
「うーん……狂信者って感じだな。これほどの美少年を前にして、他のモンに夢中になるか? 普通」
「おかげで、僕がダゴンの力を弱めたってことにも気づかれてない」
「マジでただの子どもだと思われてんのか」
緑青子に共感するように、おばちゃんもうなずく。
「私から見たら、特別な子だってわかるんだけどねぇ。みんなゴンダを食べてからおかしくなったんよ。教祖様は最初から変やったけど……」
「まあ、おかしくなるのも納得のウマさだったよ。おばちゃんも一回食べてみれば?」
「食べん! 絶対食べんよ!」
「ふふっ、アタシだって二度と食べたくない。でもおばちゃんの料理はほんと美味しかった」
星の御子の出自を探りつつ、陰から陰へ移っていく。
村人が山の方へ行っているおかげか、村内の生臭さは潮風のにおいと打ち消し合い、多少は動きやすくなっていた。それでも時折、妙なにおいが漂ってくることもあった。それは敵の居場所を知る手がかりとなり、結果的に安全に移動することができた。
「真夜中だからバスもないよなあ、けっこう歩くかもしれないぞ。がんばれよおばちゃん、少年」
緑青子はかなりペースを落とし、2人を気遣いながら先導する。
村の入口にもだいぶ近づき、いよいよ村から出られるというところまで来たとき、不意に少年が立ち止まった。
「やっぱり……行けない」
「は? 少年、いきなり何いってんだ」
「村のみんなを、見捨てられない」
緑青子は少年の純粋さに感動するより、呆れ果てた。この少年は、自分のことを気にもしていない連中を、見捨てられないと言ったのだ。
「早まるなよ少年、今は退くってだけだ。教祖どもはアタシが片付けてやるから、お前は逃げろ」
「そうよ御子様! やっと逃げられる日が来たんよ?」
「僕がこの村から離れたら……ダゴンの力が復活するかもしれない」
そう言われ、緑青子は思案した。
ダゴンの話を他の地域で聞いたことはない。つまり、その力が及んでいるのはこの村だけのはずだ。ダゴンが召喚されたのは少年よりも先のことらしいので、支配領域の広さに少年は関係ない。おそらくダゴンの支配下における限界が、この村ほどの範囲ということだ。
(なら同じように、少年の能力の限界範囲もこの村くらいかもしれない)
少年の言う通り、彼がこの村から離れた瞬間に枷が外れる可能性もある。おそらくは、その眷属たる魚人たちの枷も。魚人1体程度なら緑青子の敵ではないが、複数に囲まれれば危険度はハネ上がるし、それが強化されるとなればなおさらだ。
(田村さんの魚人化も進むはず。……ナイトスコープでまた元気に探偵やってるとこ見たいよな)
理由は色々と思い浮かぶ。だが、この少年を村に残すのは悪手であるような気がした。
「少年もアタシの強さは見ただろ。アタシとコイツがいれば、神話のバケモノでもどうにかなるっしょ」
緑青子は、少年と同じくらいの大きさの旅行かばんをを見せつけ、自身の戦闘能力をアピールした。
少年はしばらく黙っていたが、しぶしぶ納得してくれたようだった。
「よし、そうと決まればさっさと出るぞ」
緑青子は村の境界線に向かい、歩きだした────つもりだった。
「お、お姉さん……何してるの?」
歩いているはずの緑青子は一向に進むことなく、その場で足踏みを続けていた。
「オイオイオイオイオイ、なんだよコレっ、進めないんだけど!?」
あと一歩で村から出られるという位置、そこには見えない壁があり、緑青子たちを阻んでいた。
「ふんっ……ぐぎぎぎぎぎ」
緑青子は体を押し付けてみた。豊満──という言葉では足りないかもしれないほどの圧倒的質量をもってしても、見えない壁はびくともしなかった。
「チッ、範馬勇次郎みたいにはいかねえか。むかし上層部の部屋で試した時は、うまいこと強化ガラスぶっ壊せたんだけど」
『……そういうことは通信切ってから言いなさい。あれ、ミオちゃんだったのね。収容違反でも起きたのかって大騒ぎだったのよ?』
「やべっ、聞こえてた」
『それよりミオちゃん、もしかして緊急事態?』
「村に来てから緊急事態の連続だけどな……今回はヤバめだね、村から出られなくなった。おそらく結界かな」
緑青子は虚空に手を当てながら、横にズレて数メートル移動する。どこまで行っても手が押し返される感覚があった。出口が封鎖されたのは明らかだ。
取り出した刀で、適当に壁をひと突き。案の定それも跳ね返され、緑青子は「やれやれ」と刀をかばんに戻した。
「と、閉じ込められたんか……?」
「心配しないでおばちゃん、空間操作系は意外と簡単に解除できるから。って言われても安心できねーだろうけど」
かばんを担ぎなおし、緑青子はおばちゃんに笑みを向ける。
特殊な空間を生み出す主な方法は「結界を張ること」、もしくは「別の空間どうしをつなげること」だ。だが、それをやるには起点が必要になる。楔となる道具や、術者だ。つまり空間を解除するには、その道具や術者を叩いてしまえばいい。そういう意味で、解除は簡単だった。
(問題は、そこにたどり着くまでがクソめんどいってこと)
不用意に心配させないため、余計な情報はあえて伝えない。
これでおばちゃんは落ち着くだろうと思ったが、彼女の心配事はそれだけではなかったようだ。
おばちゃんは、自身を閉じ込める結界よりも、少年の方をしきりに見ていた。
「御子様だけでも助けてあげたいんやけど……」
そういえば、おばちゃんは少年に対して「やっと逃げられる日が来た」と言っていた。何年前からなのかは知らないが、こういう機会を待ち続けていたのは確かなようだ。
「そうだお嬢ちゃん、あんたのその不思議なかばん、その中に匿えんね?」
おばちゃんは、緑青子の持つかばんを指して言った。緑青子がこの中から武器を取り出したり、しまったりするのを見て、その異質に気づいたらしい。
確かに内部空間の広さを考えれば、少年ひとり入れるくらい簡単だろう。しかし忘れてはいけない。このかばんは、危険物なのだ。
「コイツは特別でね、たまに中のものが消えるんだ」
脅しでもなく、淡々とそう言った。少年は興味深そうにかばんを眺めた。
「消えるのは食べ物優先なんだけど……少年はうまそうだからな、食われちまうかもよ?」
「……やめとく」
「それが賢明だね。なんかあったらアタシの責任だし。報告書に【うまそうな少年食べちゃいました】なんて書いたら、色々勘違いされちゃう」
〈うまそう〉にどれだけの意味が込められていたかは知るよしもないが、少年は緑青子が本気で言っていると理解した。
『ミオちゃん、あんまり情報漏洩は……』
「今さら言ってもしゃーないだろ、もうおばちゃんにも少年にも見られちゃったし。なんなら、アタシがセシルとしゃべってんのもバレてっから」
『それはそうだけど』
「2人は味方っぽいしな。お墨付きを与えたのはセシルだよ? そんで目下の任務だけど、結界の原因つぶして、少年連れて脱出な」
『ええ、ええ……それでいいわ』
セシルがコーヒーを一気にすする音が聞こえた。彼女は、言いたいことを無理やり押しとどめる時、いつもそうする。
話を終え、緑青子は少年とおばちゃんに向き直る。「再出発だ」と言いかけた時、少年が緑青子の服のすそを掴んだ。
「お姉さんなら、止められるかもしれない」
「どした少年」
「お願いします、僕たちを助けてください」
少年はうやうやしく頭を下げた。あどけない見た目に似合わない、礼を尽くした完璧な姿勢だった。おばちゃんは少年を見て口ごもった後、並んで頭を下げた。
「本当はこんな村早く出たかった。でも、まだ出られない。まだやるべきことが残ってるから。これはきっと、そういう運命だから」
出られないのは単純に結界を張ってるやつのせいだぞ、と思ったが、それを口にするほど緑青子は野暮な女ではなかったし、少年の覚悟を決めた目が、緑青子の胸を打っていた。
「ダゴンから、教祖から、村のみんなを解放しなきゃいけないんだ。じゃないと、僕はここから出られない」
結界が解除されないという意味ではなく、少年の心が納得できないという意味なのは明らかだった。
使命感に駆られる少年の目は、純粋にみんなを助けたいという気持ちに満ちていた。
仕事は割と冷徹にこなすタイプの緑青子だったが、彼女はこういうのに弱かった。
「急にこんなことを言われても困ると思う。でも、あなたみたいな人をずっと待ってた。だから、お願いしますっ!」
緑青子は、少年との会話が向こうにも聞こえているのを知ったうえで、あえて通信をオンにしたまま、わざとらしく言い放つ。
「う~ん、アタシはいい男の頼みは断れない女なんだよなァ」
『私も同じタイプ』
「よく言うよ。セシルにフラれた男の数は、収容されてるマテリアルより多いって噂だぞ?」
『その中にいい男はいなかったから』
「お高いねえ。で、そんなセシル様からして少年はどう?」
『今までの中じゃ1番、かな』
カッ、と、飲み干したコーヒーカップを小気味よく叩きつける音がした。セシルは機嫌の良い時、いつもそうする。緑青子はそれをよく知っていた。
「上司の許可も出た。少年、儀式を止めて、一緒に村を救おう」
「本当!?」
緑青子は優しく微笑み、少年に手を差し出した。少年は、自分のその小さな手をめいっぱい広げ、包むように緑青子の手を取った。
正直なところ、緑青子もセシルも「どっちにしろその結界って、村の儀式止めなきゃ解けないんじゃない?」と思っていたが、やはりその辺りは口に出さない。2人ともいい女だった。
「お嬢ちゃん、いいのかい…? あんたがこの村にために命を張る必要なんて……」
おばちゃんはまだ足踏みしているようだ。ゴンダを食べさせてしまった責任もあってか、彼女はおそるおそる緑青子を見上げる。
「村のためじゃない、少年のためだ。それと、おばちゃんには一宿一飯の恩があるからね」
恩──。緑青子は暗に「ダゴンのことは気にしていない」と伝え、おばちゃんにも手を差し出した。おばちゃんはその手を取り、何度もお礼を言った。
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