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3.マテリアル88 錬金鞄

「あっ、おばちゃん」

「お嬢ちゃん、もしかして~、泊まるとこ探してんのかい」

「いやー実はそうなんですよね」

「よかったらうち泊まってきぃ、部屋は空いとるよ」

「え、ホント? それじゃお言葉に甘えちゃおうかな」


 まさか会話を聞いてたのか? と思うほどタイミングが良い。だが、ここであからさまに警戒する態度をとっては、むしろ事態を悪化させることにもなりかねない。こちらが怪しんでいることがバレてしまえば、相手が強硬手段に出る可能性もある。


「助かったー。レポートが全然進んでなくて、町の方まで戻ってまたここに来るのは大変だなって思ってたとこなんですよ。電車ないしバスの本数少ないし」

「田舎だからねぇ。バス停があるだけでも感謝しないといけないのかね」


 女性はゆっくりとした足取りで、昼間の「おかえり食堂」へと向かう。緑青子はできる限り学生っぽく見えるように意識しながら、彼女の後を追った。


「はいおかえり、なんちゃって」

「ただいまー」


 食堂に着くと、女性は建物の2階が自宅になっており、空き部屋があることを教えてくれた。さっそく上に行こうとした緑青子を、女性は「ご飯食べていきなさい」と引き止める。

 食堂の中からは男たちが酒盛りをしているような声が漏れており、緑青子は正直言って絶対に行きたくはなかったが、女性の「お嬢ちゃんみたいなべっぴんさんが来たら、みんな喜ぶよ」という善意たっぷりの笑顔を裏切ることができなかった。


「おお、お姉ちゃんまた来たのか」


 案の定、中では漁師たちが飲んだくれていた。いつの間に漁に出ていたのか、彼らは若干の魚臭さを放っているようだった。


 緑青子の登場により、漁師たちの高揚感は一層高まる。遠慮もなしに緑青子に近づいては手を引き、自分たちの中心に座らせてしまった。彼らは露骨に体を触ってくるようなマネこそしないものの、網にかかった魚を今にも引き上げようとせんばかりの手つきだ。


 さすがの緑青子も握る拳に力が入ろうというもの。しかし一般人との揉め事は避けると言った手前、易易(やすやす)と拳を振り抜くわけにもいかない。むやみに暴れれば上からの処分は必至、その場合自分の直属の上司であるセシルまでもが監督責任を問われる。緑青子にとって最も避けたいのはその事であった。


 仕方なく、緑青子は漁師の宴に加わることとなった。


(さすがにおっさんは守備範囲外なんだよなぁ……)


 緑青子は自身を取り囲む中年たちをじっと眺めた。

 脂ぎった肌、開いた毛穴、抜けた歯、生臭さ、どこを取っても趣味に合わない。強いて評価点を挙げるとすれば、漁師生活のおかげで彼らの体は、だらしない中年とは無縁の引き締まりを維持しているという部分だろう。それでも、


(ゴツい体は見飽きてんだよ)


 緑青子は自分の体格を気に入っていない。他人を通して自分のコンプレックスを刺激されるのは、鏡で自分の姿を見るよりも酷だった。


 だから彼女は、漁師たちの体格ではなく、もっと細かい部分に目をやった。


 彼らの目。ギョロっとした目つきの人間は珍しくもないが、それにしても彼らの目は一様に大きい。まばたきの回数も少なく、常にこちらを見ているような感じがする。

 彼らの手。明らかに大きい。水産業従事者の宿命なのか? 指と指の間、いわゆる「水かき」の部分がやけに発達している。緑青子は自分の手も眺めてみた。どう見ても彼らより小さいし、水かきなんて無いに等しい。

 彼らの足。不自然に大きい。長靴というものは元々大きいものだろうが、彼らが()くゴム製のブーツは、どこで手に入れたのかも分からない大きさだ。


 そして緑青子は視線を上に戻し、自分のすぐ隣にいた男を見た。その時目に入ったオーバーオールの下の皮膚、見間違いでなければ、そこには(うろこ)があった。


 思わず緑青子は二度見する。だが上手い具合に服に隠れ、確認することはできなかった。


「どした姉ちゃん、ジロジロ見て」

「えっ、ああいや、皆さん体おっきいなーって思って。普段から鍛えてるんですか?」


 不意に問われ、緑青子は咄嗟(とっさ)に答えた。無言で観察したせいで怪しまれたかと思ったが、男たちの返答は意外にも明るいものだった。


「おう! 鍛えてなきゃデカい魚どもとは()り合えねえからな!」

「でも一番の秘訣は──」

「──ゴンダ、やろ?」


 言葉を継いだのは、厨房の方にいた女性だった。彼女はそのまま緑青子たちの方に向かってくると、料理を乗せた盆を置いた。


「おばちゃん、これは?」

「ゴンダの煮付け」


 昼に食べた例の魚、ゴンダが、今度は煮付け定食になってやってきた。見た目は相変わらず真っ黒でブヨブヨしてグロテスクだが、その味を知っている者には極上のごちそうに見える。


「これも何かと一緒に食べるんですか?」

「いんや、煮付けならそのままでも美味いよぉ」


 そう言って、彼女は他のテーブルにも料理を並べていく。


「ゴンダ食うと体が丈夫になんぞ」

「そうそう、若い頃より今の方が長く海に潜ってられるしな」


 つまり彼らの体の変化はゴンダによるもの、ということだろうか。そう考えると、緑青子の目にはこの黒い物体が、再び怪しいものに見えてきた。しかし、一度味わったあの味、その魅力にはどうしても抗えない。


「ゥンまああ~~~いっ」


 結局、緑青子は食べてしまった。

 見た目の悪さを一瞬で打ち消すおいしさ。ゴンダは昼の時と同じようにスルスルと食道を通り抜け、胃に落ちていく。

 その様子を見て、周囲の人々は満足気にうなずいていた。



 〜〜〜〜〜



「つ、疲れた……」

『ミオちゃん大丈夫?』


 その後どうにかこうにか宴会を抜け出してきた緑青子は、用意してもらった部屋に倒れ込んだ。ややカビ臭い部屋と布団だったが、あの独特な生臭さに比べればなんということはなかった。

 彼女は愚痴がてらに、店内での出来事をセシルに報告した。


「おっさんどもしつこすぎんだろうがよ〜、飲まねえっつってんのに。酔わせたいならもっと上手くやれよ」

『でもちゃんと逃げ切れたのね、えらいわ』

「仕事が仕事だからね、酒入れるわけにはいかないよ」

『それよりミオちゃん、鱗の話、本当なの?』

「チラッと見えただけだから確証はないよ、ただ……妙な予感はする」

『その変化がゴンダのせいなら……ミオちゃんも危ないんじゃ……2回も食べちゃったんでしょ?』

「うん……だけどアレほんとに美味いんだ。セシルも一回食べてみた方がいいよ」

『いやいや、そんなヤバそうなもの人に勧めないでよ』


 そう言われて、緑青子は自分の言動を不思議に思った。セシルの言う通り、いくら美味くても、安全かどうか怪しい食材を人に勧めるのはおかしい。だが、なぜかセシルにもあれを食べてほしいという気持ちがふつふつと湧いてくる。先ほど胃に落ちていったゴンダが発しているかの如く、腹の底から、ふつふつと。


「あークソっ、なんかボーっとする、疲れてんのかな? 今日はもう寝るわ」

『ミオちゃんが何ともないなら良いんだけど……気をつけてね。それと、寝る時も通信は切らないで』

「了解、おやすみ」


 実際遠い田舎に来て疲れているのもあったが、セシルと話しているとやけにゴンダの事を考えてしまうので、緑青子はさっさと寝てしまうことにした。


 男の皮膚に鱗が付いているように見えたのも、この不気味な村の雰囲気がそう錯覚させたのかもしれない。明るくなってからもう一度見れば、村はただの長閑(のどか)な村、漁師はただの(たくま)しい漁師に戻っているかもしれない。そんな期待を胸に、さっさと眠ってしまいたかった。


 が──、


「寝れねえ……」


 いくら布団の中で目をつむろうとも、眠れる気配がまるでなかった。


『私もよ』


 誰にともなく呟いた緑青子の言葉だったが、セシルはすぐさま反応してくれた。


「そういやセシルは、アタシが出発する時に胸騒ぎがするとか言ってたよな」

『ええ、今もしてる』


 保管庫でのやりとりを思い出す。あの時はただの心配性だと思ったが、今となってはセシルの察知能力に感嘆するばかりだ。


「なんか気を紛らす話ないかなー……ってそうだ、噂の美少年はどうした? おっさんかおばさんしか見てないんだけど」

『あら、忘れてなかったのね』

「そりゃそっちが本来の目的だからな」


 そう、この村に来たそもそもの目的は、今朝見た番組の中で取り上げられていた、謎の美少年を探すためだ。決して魚料理のためではない。


「どんな感じかなー、少年……」

『かっこいい系かカワイイ系、ミオちゃんならどっちが良い?』

「カワイイ系、かな」

『ふーん……オラオラ系のデカお姉さんと可愛い美少年か。うんうん、良い組み合わせじゃない?』

「……これ何の話だっけ?」

『気を紛らわせたいって言うから』


 確かにさっきとはだいぶ気分が変わったが、これはこれで眠りづらい気がする。


 緑青子はおもむろに立ち上がり、部屋のドアへ向かった。


「マジで眠れない。ちょっと外行って来るわ」

『こ、こんな夜中に?』

「なんか外出たい気分なんだよ」


 かばんを持って、静かにドアノブを回し、ゆっくりと部屋から出る。隣の部屋では食堂のおばちゃんが寝ているはずだ。


「さすがに下は人いねーよな」


 外階段を降り、明かりが消えて人がいなくなった食堂を確認する。夜も遅いので当然だが、さっきまであんなに活気付いていた店内にもう誰も人がいないのは、孤独感めいた恐ろしさがあった。


「さてどうしようか。なんとなく……海見たいかも」

『どうせなら山の方見に行ってみてくれない? そっちがメインなわけだし』

「そうだな……そうするか」


 セシルの勧めもあって、緑青子は調査対象である山へ向かうことにした。本当は入山許可やら何やら必要なのかもしれないが、その辺りは気にしていなかった。


「うっわ夜の山怖えーッ! 逆にテンション上がってくる!」

『そこは有神山(あるかむやま)、文字通り神様がいるって伝説が残る山よ。そのテンション、神様がパワーをくれたのかもね』

「マジかよ神様太っ腹じゃん、ついでに少年にも会わせてくれよなっと」

『油断はしないでね。こっちからも行方不明者が出てるんだから』


 懐中電灯で照らしながら、それなりに険しい山道を登り、周辺を調べていく。ひとまずの目的地は2ヶ所、番組の探偵が家屋を発見したポイントと、機関が派遣した調査員との通信が途絶えたポイントだ。


「そうだな、油断はできない」


 行方不明者のことを考えると、頭が冷静になってくる。


 ふと、気になることがあった。


「人、いねーな」

『そりゃこんな田舎の山奥だし』

「にしてもだよ。仮にも人気番組で取り上げられたんだぞ、しかもあんな終わり方。もうちょい反響があってもいいと思うんだけどね。動画配信者の1人や2人いてもいいはずだ。……もしかして人気番組だと思ってんのアタシだけ?」


 冗談じみた質問だが、緑青子にはこの気がかりが重要なものに感じられた。


『みんなに聞いてみようか? すみませーん、この中に〈ナイトスコープ〉見てる人がいたら挙手お願いしまーす。……みんな毎週見てるって、すごいわね、管制室だけなら視聴率100パー』

「セシルが聞いたからそう答えただけじゃねーの……? てかそこ今何人いんの?」

『私含めて5人』

「ああそう……」


 みんなのアイドル、セシル・秋巳(あきみ)・フォンテーヌが聞いたのだ、彼女に気に入られるために嘘をついた奴がいるかもしれない。そうでなくても、サンプル5人では参考にならない。


『あの回、ネットではまあまあ話題になってるけど、せいぜいが真相不明の都市伝説扱いね。ちなみに放送回が一緒だったせいで、ウォシュレットの強に勝ちたいおじさんがめちゃくちゃバズってるわ』

「んだよその情報……」


 仕事終わったら絶対録画を見よう、と決意を改め、いやに湿った土を踏みしめていく。


 枯れたというよりは腐ったような葉っぱ、小動物にかじられ悪臭を放つ木の実、そういったものが敷き詰められた地面は、一歩一歩、足の裏に嫌悪感を与えてくる。


「くっそ~、やっぱ海行っときゃ良かった」

『もう少しで調査員との通信途絶地点のはずよ、がんばって』


 ギュジッ、ギュジッと、鼓膜を逆なでする音を立てながら、緑青子は必死に山を登る。その途中、不意に緑青子は寒気に襲われた。


「なんだこれ……めっちゃ鳥肌立ってる」

『潮風にやられて風でも引いちゃった?』

「いや、そんなことはないよ。そういう寒気でもないし……」


 まさかこの足音で? と緑青子は思った。が、瞬時に否定する。確かにこの山道を歩く時の音は最悪だが、いくらなんでもその程度で体が拒否反応を示すはずもない。


 緑青子は立ち止まり、耳を澄ませた。


 ピチッ、ペタッ、ピチッ、ペタッ。


 自分は立ち止まっているはずなのに、足音が止まない。しかもその音は、靴を履いた緑青子のそれとは違い、まるで魚が跳ねているような、ヒレを叩きつけるかのようなものだ。


 山中で聞こえるはずのない、そしておよそ人間のものとは思えない足音が、自分に迫ってきていると理解したとき、緑青子の全身の毛が逆立った。


「セシル、敵だ。おそらくは()()

『ようやく仕事の時間ね』


 明かりを消し、緑青子はかばんを持つ手に力を込めた。


 足音が大きくなり、敵がその姿を現す。


「は? あれコズミッくんじゃね?」

『え』

「図書館で見たやつ。魚とタコと人を足したよーな」


 音声しか情報がないセシルには伝わらないだろうが、丸い頭頂部、まぶたのない大きな目、ひげのように口元から生えたタコ足、鱗に覆われた体、水かきが異常なまでに発達した手足、これらの特徴は、かつて古炭久が村おこしで用いたと思わしきマスコットキャラクター「コズミッくん」そのものだった。


「着ぐるみ、じゃないな。この臭いは本物だ」


 村で出会った誰よりも、目の前のコイツは生臭かった。


 おぞましい悪臭を振りまきながら、その魚人は聞くに()えない鳴き声を放った。水中で無理やり喋っているような、くぐもったうめき。


 緑青子がその声を分析しようとするよりも早く、相手は彼女に殴りかかった。


「っと! 挨拶もなしか? セシル、使()()()!」

『ええ、使()()()()()()()()


 歪に握られたヒレの拳を飛んで避け、緑青子はかばんを構えた。


「起きろ──アルキュミア」


 緑青子が呼びかけると、かばんはひとりでに口を開く。その中は底の見えない、闇と形容するのがふさわしい空間になっていた。

 ためらいなく、緑青子はその闇の中へ手を突き入れる。彼女が手を引き抜いた時、そこには日本刀が握られていた。


 ──マテリアル88、錬金鞄(れんきんかばん)

 世紀の鞄職人が死の間際に作り上げた一品……の隣に突然現れた鞄。

 自身の最後の作品となるであろう鞄を徹夜で完成させた職人が、工房で起床した時に発見。

 発見当時は中の空間が異常に広いだけの、物がたくさん入る旅行鞄として認識されていた。職人の意向により一般販売され、一度は好事家の手に渡るも、噂を聞きつけた機関が交渉の果てに入手に成功。


 以来百数十年に渡り安全に保管されてきたが、エージェント三原色(トリクロマ)との接触時に異常発生。内部から機銃を生成し、弾丸を射出(これまでの調査により、銃火器等が鞄に収納されたことはないと確定している)、その際、鞄内部が漆黒に変化。幸い弾は誰にも命中せず。

 その後幾度となく三原色が接触を図ろうとしたが、彼女が近づく度に対象は内部を変化させ、何らかの武器を生成した。

 鞄を気に入った三原色は対象をアルキュミア・ラウムと命名(彼女以外のスタッフは錬金鞄(れんきんかばん)と呼ぶ)。

 命名以来、マテリアル88は三原色に対し敵対姿勢を取らず、従順になっている。

 三原色いわく、たまに中のものが消えるらしい──。


「ハッ!」


 かばんから生成された刀を振るい、緑青子は魚人を叩き切る。袈裟(けさ)斬りを食らった相手は、上半身がずり落ちた後、動かなくなった。


「ふざけんなよ……こんなヤベえマスコットで村おこしできるわけねェだろうが」


 切断面からこぼれ出る内蔵、血液を見下ろしながら、緑青子はこの生物が何だったのかを確かめようとした。しかし、彼女の目に真っ先に飛び込んできたのは、その死体に張り付いていた布切れだった。


「おい、コイツ……ウチのやつだ……」

『は……? どういうこと?』

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