2.古炭久村
「さあ、というわけで私は、目的地のすぐ近くである古炭久村までやってきたわけですが」
『なにそれ?』
「え? 探偵のマネ。何かがあって調査打ち切りになった番組の代わりに、例の美少年の姿を収めてやろーと思って」
『分かってるだろうけど……仕事で来てるんだからね』
インカムの向こうから、セシルの呆れた声が届く。緑青子は適当に返事をしながら村を歩いた。
「しっかしなあ、今回はハズレな気がすんだけど。確かにあのテロップは気になるけどさ、ありがちなお蔵入り回じゃないの? いわゆる放送倫理に引っかかるようなモン映しちゃったとか。山奥の田舎村、そこでは時代錯誤な差別が行われていたー! なんて」
冗談めかして笑う緑青子を律するように、セシルは言った。
『あの放送の後、取材を担当していた芸人さんと依頼者が行方不明になってるの。それと……先に派遣したウチの調査員も数名』
「それを早く言えよ!」
『一応渡した資料に書いてあるんだけど……やっぱり読んでなかったのね』
管制室で、セシルは眼鏡を外し頭を抱える。姿は見えずとも、その光景は緑青子の頭にもしっかり浮かんでいた。
「……アタシは荒事担当、セシルはそれ以外の全部担当、持ちつ持たれつ!」
『あらあら、デカい図体して持てる量少ないのね~』
「体のことは言うなよ……気にしてんだから……いっつも変な目で見られるんだよ」
緑青子の言う通り、彼女の大きな体格は人の目を引かずにはいられなかった。現にこの村に来るまでの間、彼女は注目の的だった。
『でも私は、そんなミオちゃんを頼りにしてるから』
「はいはい、お気持ちだけ受け取っときますよ。それじゃ張り切って調査開始だぁ〜」
緑青子は改めて村のデータを確認する。
古炭久村は山の麓にある小さな田舎村だ。山の反対側は海に面しており、村民の多くが漁業従事者という、どこにでもありそうな村。
海の男たちの拠点にしては雰囲気ものどかで、そこにいるだけでのんびりとした気分になってしまう、そんな場所。実際に村を眺めてみても、何か異常が見つかるどころか、むしろその「なんともなさ」こそ印象に残る。
「うーん、パッと見で変なとこはないな。観光スポットみたいなのもない。よそ者を拒む、地元民だけのテリトリーって感じだ」
『そうね、鉄道路線も廃止されて久しいみたい。人の出入りも、資材や魚を積んだトラックが確認されてる程度よ』
「ここでバスを降りたのも乗客の中でアタシだけだったしな。外部の目が届かない村、か。例の山より、まずここが怪しい気がする」
潮風に乗って届く磯のにおい、その中に、自然には有り得ない生臭さが混ざっているのを、緑青子は感じ取っていた。明らかにヤバい何かに足を踏み入れている、そういう時のにおいだ。
だが、彼女にとってその程度のことなど恐るるに足らず。危険に幾度となく足を踏み入れ、それと同じ数だけ無事に帰ってきた、それが赤崎緑青子という女なのだ。
「調査の基本、まずは聞き込みだ」
大きな旅行かばんを携えて、緑青子は内部へと歩き出した。
『どこか目星は付けてるの?』
「そりゃお前、こういう時は酒場か飯屋と相場が決まってるだろ」
人が集まっていそうな場所を求めて道を歩く。途中で数人の村民が遠巻きに自分を眺めているのに気付いたが、緑青子はそれを無視し、そして「おかえり食堂」と書かれた店の戸を開けた。
「おっ、昼時だから人が多いねえ。ラッキーラッキー」
店内は、いかにも漁師といった格好の、オーバーオールにねじりハチマキ姿の男たちであふれかえっていた。彼らは緑青子が来店すると同時に一斉に振り向き、競りの出物でも見るかのような目つきで彼女を睨めつける。
(急にデカ女が現れたから……じゃないな、そういう視線じゃない。やっぱよそ者が来たってことの方が気になってるか)
その体格ゆえ、日常的に奇異の目に晒される緑青子は、人の視線には人一倍敏感な方だ。だからこそ、普通の視線とそれ以外の視線は簡単に見分けがつく。
すぐにでも村の正体を探りたいところだが、「テメェらどう見ても普通じゃねえな」という言葉は飲み込んで、緑青子はただの明るい女性として振る舞った。
「こんちはー、今席空いてます?」
「いらっしゃあい、ここが空いとるよ」
厨房にいた中年の女性が、彼女のすぐ目の前のカウンター席を指さした。勧められた通りに、緑青子はそこへ腰を降ろす。
「古炭久丼がオススメだよ」
「じゃあそれください」
席についた瞬間、その女性は注文も取らずに謎のメニューを勧めてきた。緑青子がそれを頼むと、女性はうなずいて厨房に向かった。
(オイオイ、新規の客に対する態度がなってねえぞ。あと古炭久丼が何なのかを聞かなかったことにツッコめよなぁ~……つーかマジでなにそれ?)
来店早々、いくつもの違和感に包まれる。少なくとも、自分があまり歓迎されていないのは確かだ。
変なものを食わされるんじゃないかと警戒する緑青子の前に、一杯のどんぶりが差し出される。見た目は普通の海鮮丼だった。
「いただきます……」
鮮やかな赤身の上に醤油を回しかけ、下の米にまで届くよう、箸を豪快に突き立てた――つもりだったが、何か弾力のあるものに引っ掛かり、止まった。
気になって刺身をめくると、米の上に謎のブヨブヨした黒いものが乗っているのが見えた。
「え、なにこれ……」
初めて見る食べ物(?)に緑青子が戸惑っていると、周囲の目がより一層厳しくなったような気がした。
(食えってことか? これを?)
後ろを振り返る……のは目が合いそうで怖いので、緑青子は頭の中で店内の様子を思い浮かべる。そういえば、他の客が食べていた料理にも、この黒い何かが入っていたように思える。つまり、一応は食べても安心ということだ。
(まあこれも調査の一環ということで……)
おそるおそるその物体だけを箸で掴み、口に運んでみる。特段香りはなし。ゼリーよりも固い、でかいタピオカを食べているような感じだ。噛み切れない、飲み込むタイミングが分からない。下手に飲もうとすると嘔吐いてしまいそうだ。なんとなく「深海魚って食べたらこんな感じなんだろうな」と緑青子は思った。
なんとか細かくすりつぶし、物体を飲み込む。鼻に抜けるはずの後味も特に感じなかった。
これはいわゆるゲテモノのトップに立つ食材だろう。だが正直言って、緑青子が覚悟していたほどの衝撃はなかった。
「うん……ま、こんなもんじゃねーの。なんかよくわかんねーけど……イマイチ味がしねーよコレ」
「ちがうちがう、刺身と一緒に食べるんよ」
「へっ?」
さっきまで不愛想にしていた中年女性が、打って変わってニコニコと話しかけてきた。その変わりようにむしろ警戒心を掻き立てられるが、今はこれの正しい食べ方が気になった。
言われた通りに、刺身と謎の物体を一緒に口に入れてみる。あの独特な弾力をまた味わうのかと辟易していた緑青子は、思わず呻った。
「う……」
周りの男たちの目が、一層ギョロついた。
「ゥンまああ~~~いっ」
あの物体を刺身と一緒に食べると、出来損ないのタピオカじみた歯ごたえはなぜか消え去り、ほろほろと崩れて刺身と絡んだ。ジュレとソースの中間のようなトロトロとした食感。舌触りも心地よく、無味無臭だったはずが今は、出汁のような濃厚な旨味を放っている。今度は「飲み込んだらこの感動が終わってしまう」という名残惜しさから、飲み込むタイミングが分からなくなる。
だがまるで意思を持っているかのように、あの物体が絡んだ食物は、緑青子の意思に逆らって食道の奥へと落ちていった。
「どや姉ちゃん、うまいやろ」
「初めてゴンダを食べた奴はみんなそうなる」
緑青子の後ろから声がかかる。振り返ると、店内の客たち全員が笑顔で緑青子を見守っていた。
(お? なんか友好的じゃん?)
謎の物体――ゴンダと呼ばれたそれ――を食べた途端、明らかに雰囲気が変わった。予想していたより遥かに展開が早いが、仲良くなれるならそれは好都合、利用しない手はない。
緑青子は箸を止めることなく会話を続ける。
「こんな美味しいの初めて食べました」
「ウチだけで捕れる特別な魚だべ」
「にしても姉ちゃん、ガタイのわりにキレイな食べ方するな」
「ダメダメ、今の時代そういうのはセクハラって言うんだよぉ」
「こらいけねえや、ガハハハ!」
田舎特有の距離感? いやそうではない。やはり何かを値踏みするかのような、そういう近づき方ではある。
だが、「値踏み」は緑青子も同じこと。
(今の時代ね。外部とは遮断されてるかと思ったが、世情を知ることくらいはできてるのか。電波も来てるみたいだし)
食堂の天井隅を見やる。備え付けられたテレビでは、普通に現在のニュースを報道していた。
目下、視聴者の気を引きそうなニュースと言えば。
〈人気お笑い芸人の田村明さんが行方不明となっており──〉
ちょうどよく、今回のきっかけとなった人物の話をしていた。もっとも、その芸人は緑青子の捜索対象ではないが。
さっそく緑青子はその芸人の話をしようとしたが、
「あーやだやだ、暗い話題は気が滅入っちゃうねえ」
口を開いた瞬間、遮られた。
何か言うよりも早く、女性がチャンネルを変えてしまった。
「ところでお嬢ちゃん、今なにか言おうとした?」
「おいしかったって言おうとしただけです。では──」
「そういやあんた、こんな辺鄙なとこに何しに来たんだ?」
話を切り上げて席を立とうとしても、さらにそれを男が遮る。
「大学のレポート課題で漁について調べることになって、色々調べてたらここを見つけたんですよ。興味をひかれたんで来ちゃいました」
「へえー……」
「そうだ、この村のことについて詳しく知りたいんですけど、どこかいい場所知りませんか?」
「そんなら図書館があるよ。まあちっこいから姉ちゃんのお眼鏡にかなうか分からねえが」
「いえ、ありがとうございます。それじゃごちそうさまでした」
適当なことを言って代金を払い、食堂を出る。静かだったインカムから、再び声が聞こえた。セシルだ。怪しまれないよう、緑青子が中にいる間は黙ってくれていた。
『もしかして、かなり怪しい雰囲気?』
「ぽいね。よそ者に過敏なだけか、あるいは何かを隠してるか……。それより食べたことあるか? ゴンダ。すごいよアレ、この仕事がなきゃアタシは人生半分損したまま終わるとこだった」
『そんなにおいしかったのね。えーと、ゴンダゴンダ……あっ、方言でクロマグロって意味らしいわ』
「クロマグロ? ……アレが? アタシが食べたのは希少部位だった……とか? まあいいや、近くでまたマテリアルが見つかったらアタシに仕事回してくれよ。もっかい食べに来るから」
あの食材が不自然なほど頭から離れない。だがそれも納得なほど、あれは美味かった。
「次は図書館だな」
新たな目的地を設定し、緑青子は歩を進める。小さい村なだけあって見つけるのに苦労はしなかった。
「開いてるけど誰もいないな」
『電気はついてるし、入ってもいいんじゃない?』
「だな、おじゃましまーす」
古い本ばかりの図書館を見て回る。絵本、小説、図鑑、それらと並んで、村の歴史をまとめたコーナーがあった。
「なになに、昔は炭鉱の町として栄えたが採掘量の減少に伴い次第に漁業へ。その頃に村名を古炭久へと変更……あー、それで古い炭が久しいって書くんだ」
『炭鉱時代の名残ってわけね』
「村長の発案で村おこしに力入れてた時代もあったみたいだぞ。写真もある。この人が村長かな? そんで隣のは……へー、マスコットキャラまで考えてたのか。コズミッくん……? 村名取り入れたのは分かるけど、変な名前だ。見た目も妙に気持ちわりーし……魚とタコと人を混ぜたよーな……」
『言葉だけだと全然想像つかないわね……』
「キモカワブームの時代か? でも写真の感じだともっと古いんだよなぁ」
『他には何かある?』
促され、もっと細かい情報が載ったものはないかと視線を動かす。そして見つけたのは――
「おっ、〈ジョジョ〉あんじゃん。こんな小さい村にまで置かれてんのかよ、すげーな」
『ちょっと? 今任務中なんだけど』
「これも調査だって。何巻まで揃ってるか? 置いてるのは初版か? 何刷目か? そういうのを見れば、この図書館が現役で稼働してるのかどうかが分かる。そういう点で、今も続いてるシリーズものはピッタリだ。〈ワンピース〉とか〈こち亀〉もあれば尚良し、期間が長いやつはひとつの基準になるからな……。ところでセシルは何部好き?」
『…………4部』
「あ~~いいねェ、日常に潜む怪異がメインって感じで。アタシらの仕事に通じるとこがある。おぉ~、この巻誤字が修正される前のやつだ! 生で見るの初めて!」
『…………写真撮って送ってくれない?』
「ダメだよ、図書館ってどこでも基本的に撮影禁止なんだから。それに著作権の問題とかあるしな……」
『なんでそんなとこだけ律儀なのよっ』
「そう怒んなよ、テキトーに実況してやるから」
~~~~~
「今何時?」
『うーんと……7時!?』
「はァ!?」
ずっと漫画を読んでいたら、もう日が沈む頃になってしまっていた。
「なんで何も言わなかったんだよボケッ」
『私だって気づいてたら言ってるわよ! 行方不明者出てるとこでマンガ読みふけるとか何考えてんのよもぉ~~~~ッ!』
慌ただしく本を棚に戻し、急いで図書館を出る。日が落ちた村に街灯は少なく、また家庭から漏れる明かりも少ない。
片側は海、片側は山。もとより外界から隔絶されていたような村が、より一層異界じみて緑青子を包んだ。
「くそったれ、まともな情報がコズミッくんくらいしかねーぞ。誰かが話に乗ってきたせいだ」
『こっちも全然調べる時間がなかったわ。誰かが話振ってきたせいでね』
「ククク……」『ふふふ……』「『アーハハハハハハーッ!』」
『思ったより長丁場になりそうね。先に宿を見つけた方が良さそう』
「そうする。できればまともな宿がいい」
この村がまともではないことなど、とっくに気づいていたが、むしろその不安を払拭するかのように緑青子は強がる。
潮風のせいで髪がきしむのを感じながら、彼女は薄明りを頼りに村を見渡した。
「と言ってもね」
ここはド田舎の漁師の村、漁師というものは船の上で過ごすことが多いので、陸地の宿の需要は薄い。それでも観光客が来るような地域であれば、宿のひとつやふたつあるのだが、この村に観光地としての魅力はない。つまり宿を営んでいるような人物は、この村にはいないだろう。
「こういう時、普通の企業なら近場のビジネスホテルとか手配してくれるんだろうなァ~~」
『イヤミっぽく語尾を伸ばされたところで何もできませェ~~~~ん』
取り扱う対象の性質上、この仕事はあまり世間の目に触れてはならない。緑青子が所属するのは、秘密裏に始まり秘密裏に終えることを是とする組織だ。そこに予算の都合といった複雑な事情が絡むことにより、このような状況が生まれていた。
「若い美女が野宿なんてしたらさぁ、いつ襲われるかわかったもんじゃないよ?」
『ミオちゃんの体格見て襲う人なんていなそうだけど』
「若い美女ってトコ否定しないの嬉しいよ。それがさ、年々デカ女の需要が高まってるらしい。ま、来たところで全員返り討ちだけど」
緑青子はかばんをポン、と叩き、実際に襲われた時のことを想像してみた。
「でもよく考えたら、一般人との揉め事なんて避けたいよな」
『よく考えなくてもそうね』
改めて村を見渡す。すると、暗がりの向こうから人影が近づいてくるのが見えた。
「誰か来る」
『っ! 警戒は怠らないで』
いつでも戦闘に入れるよう覚悟しながら、闇の中で目を凝らす。
見えたのは、食堂の女性の姿だった。