15.信頼の入浴
頬に感じる暑さで、緑青子は目を覚ました。
窓からは白い光が差し込んでいて、それが緑青子に当たり、ジリジリと肌を焦がしていたのだ。
地上では、太陽がちょうど真上に昇る時間だろうか。
「この光、よくできてるよなぁ」
〈コネクト日本支部〉は地下深くに建造された施設だ。本来なら、陽の光など届くはずもない。
だが、技術者たちのたゆまぬ努力と〈マテリアル〉の力により、擬似的ではあるが施設内でも自然環境が再現されていた。
ベッドの上であぐらをかき、軽く背伸び。
こり固まった体が解放されていく。同時に、緑青子は何かが足りないことに気づいた。
「そうだ、少年! どこ行った!?」
あの温かく、やわらかい感触がない。緑青子は起きざまに頭を回転させ、少年のことを考える。
少年は古炭久村での儀式で召喚された存在だ、あの儀式を止めたせいで少年の存在も消えてしまったのか? あるいは自分が何かを間違えた? やはり少年も一度検査をして、管理方法を確立するべきだった。
嫌な予感ばかりが募っていく。
その時だった。
「おはよう……ございます」
「しょ、少年っ!」
寝汗に加えて冷や汗をかき始めていた緑青子の前に、少年はひょっこりと姿を現した。その胸には、少年の後から召喚されたあのメンダコ、〈クーちゃん〉も抱えている。
単にソファの影に隠れて姿が見えていなかっただけなのだと、緑青子はようやく理解した。
「あーびっくりした。消えたかと思った」
「ごめんなさい……その、暑くて」
そう言われ、緑青子は自分が汗ばんでいることに気づいた。真っ昼間に2人でくっついて寝ていたのだから当然だ。
「着替えもしないで寝てたからなあ……服が汗で張り付いてる。よし、風呂入るぞ、少年」
少年が何か言う前に、緑青子は彼を小脇に抱え、そのまま部屋に備え付けられたバスルームに向かう。
緑青子が何をしようとしているのか理解した少年は、緑青子の腕の中でジタバタと暴れたが、大人と子どもの体格差の前には、なす術もなかった。
「悪いな、一応少年は監視対象だからさ、できるだけ目ェ離さないようにしないといけないんだよ」
腕の中ですっかり大人しくなった少年を見下ろす。ずいぶん聞き分けの良い少年に、緑青子はむしろ苦笑した。
(親戚のチビどもとは大違い)
小さい男の子を風呂に入れた経験は何度もあるが、こうもすんなりと行くものではなかった。
緑青子の親戚の子どもたち、彼らはみんなやんちゃ盛りで、まず風呂場に行くだけでも苦労する。騒ぎ、走り、暴れ、服を脱ぐ前に浴槽へ突撃したりするのだ。
「はい、バンザーイ」
チビどもと比べて、少年はとても素直だ。言われた通りに手を上げる少年に、緑青子は胸の奥をくすぐられるような心地だった。
シャツを脱がせ、流れるように手は下へ。
「そ、そっちは自分で脱ぐ……」
「うん、そうしてくれるとお姉さん助かる」
自分で脱いでくれればこっちの手間が省ける、緑青子にとってはその程度の認識だ。だが少年にとっては一大事だった。それに気づかないまま、緑青子は自分の服を脱ぐ。
大柄な体格に見合った、豊満な体。緑青子の集大成とも言うべきその体は、彼女の試行錯誤の結果だ。
元々ケンカっ早い緑青子は、ケンカに負けないように鍛え方を学んだ。中でも気に入ったのは、〈筋肉の上に脂肪をつけ、その上にさらに筋肉をつける〉というやり方だ。緑青子はそれを実践した。体型は気にするが極端な制限はしない。脂肪がつくことを受け入れ、それでいて筋トレを欠かさない。
その結果出来上がった体は、戦闘能力の面でも、女性的魅力の面でも、極上の肉体に仕上がっていた。
もっとも、その性格と大きすぎる身長ゆえに敬遠されがちな緑青子は、他者からの真っ当な評価を受けずに生きてきたのだが。
少年の前で、極上の女が、無自覚かつ無防備に服を脱ぐ。
閉鎖された村で育ち、女性との関わりなど無いに等しかった少年にも、「けっこうスゴイことが起きてる」ということだけは理解できた。
「しょーねーん、お姉さんの体が気になるのはわかるけどな、あんまジロジロ見られるとアタシも恥ずかしいぞ」
「み、見てない」
「そうか? じゃあそこのクーちゃんに聞いてみようか」
緑青子は少年の頭上でフワフワ飛んでいたタコに目を向けた。
「なあ、少年はアタシが脱いでるとこガン見してたよな?」
タコは器用に触手で腕組みし、「うんうん」とうなずいた。
「ちょっ……!」
「はっはっは! 勝負ありだ少年、まあ減るもんじゃないし良いけどね」
緑青子は少年に小さめのタオルを渡す。
「それ巻いて。少年もその方がいいだろ? 繊維が詰まったりするから、ホントはあんまりタオル持ち込まない方が良いらしいけど」
年下の男の子の裸を見ることも、逆に自分が見られることも、緑青子にとっては慣れっこだ。とはいえ、このままだと少年は一緒に入ってくれそうもない。
緑青子は自分もバスタオルを前にかけ、少年を促した。
「ほら、これで恥ずかしくない」
恵まれた体格ゆえ、ただのバスタオルでは最低限度でしか緑青子の体を隠せない。だがひとまずの安心感を得たのか、あるいは観念したのか、少年は自分からバスルームへと歩を進めた。
クーちゃんの方は、2人に気を遣ってくれたのか、室内には入らず外で待機する素振りを見せた。
〜〜〜〜〜
風呂に入っている間、少年はとてもおとなしかった。
ただ黙って頭を洗われている少年、何のことはないその光景が、緑青子の胸に染み渡った。
「少年は……いい子だな」
「いい子?」
「おとなしく洗われてくれるだけで……もう、ホントに」
緑青子は、チビどもとの格闘をしみじみ思い出しながら、丁寧に少年を洗う。
(監視対象つっても、こうしてるとただの男の子にしか見えないんだよなぁ)
そう感じた瞬間、逆に緑青子は気を引き締めた。
(いや、その感覚が危険なんだ)
この世界に紛れ込んだ〈異質〉、それらの中には、一見するとなんの変哲もない物が多い。だがそんな物たちも、取り扱いを間違えれば一瞬で牙を剥く。
(本来は少年にだって、安易に触れていいわけじゃないんだよな。油断しちゃいけない)
――が
「お姉さんの手……きもちー……」
(んんんん~~~~かっわいい~~~~!)
緑青子は少年と密着してしまいそうなほどに、体を近づけた。
(これは油断じゃなくて信頼だからセーフだろ)
緑青子は、数秒前の決心を早くも隅に追いやった。少年を〈マテリアル〉ではなく〈ただの少年〉と見る、そのことに、彼女は何のためらいも持たなかった。
たった1日の出来事ではあったが、緑青子と少年は協力して命がけの戦いを攻略したのだ。警戒を解くには十分すぎる。
少年の体を洗ってやりながら、緑青子は軽く投げかけた。
「なー少年、少年はアタシのこと信頼できるか?」
「できるよ?」
少年は「なんで今更そんなこと聞くの?」とでも言いたげな表情で緑青子を見上げた。あまりにもまっすぐな目が、緑青子にはまぶしかった。
「そうか、そうだよな。ありがとう」
このままでは妙な気持ちになってしまう、そんな予感が脳裏をよぎったので、緑青子は手早く少年の体をお湯で流し、会話を切り上げようとした。
「はいおしまい。じゃアタシもパパッと洗っちゃうから、ちょっと待っててな少年」
「うん」
緑青子は言葉通り、なめらかな動作で自分の体を洗っていく。聞こえてくるのは、布が擦れる音と、かすかに漏れる吐息だけ。
少年はその姿をただ黙って見ていたが、無言の時間が伸びるにつれて、段々と恥ずかしさを覚えていった。こういう感覚は、改めて意識してしまうと止まらなくなるものだ。しかしまだ幼い少年はそのことを知らない。なぜこんなに緑青子が気になってしまうのか自分でもわからないまま、少年はただ緑青子を見ていた。




