1.エージェント三原色
現実は小説よりも奇なりという言葉がある。この業界にいると、何度もこの言葉を反芻させられる。
その度に緑青子は思うのだ。
「現実は小説よりも”異”なりってね」
──今回の事件の始まりは、ある番組に寄せられた1件の依頼だった。
内容は単純。『以前出会った男の子にお礼がしたい』というもの。
とは言っても、それだけでは何が何やらさっぱりなので、番組の探偵は依頼者である葉山凛に背景を訪ねた。
今から数年前のこと、葉山は登山中に滑落、足をケガし、崖下から動けなくなった。人の気配はなく、水も底をつきかけている、そんな状況に陥ったのだ。
いよいよ死を覚悟したその時、どこからか美しい少年が現れた。少年は何も言わず葉山の足に手をかざした。するとたちまちケガが治っていき、ついには走ることすらできるようになった。ついさっきまで一歩も動けなかったにも関わらず、だ。
そして少年は葉山に山を下る道を教えた後、どこかへと去ってしまった。
以上が、葉山の口から語られた内容だ。一見すると、変な依頼者による変な作り話。しかしこの番組は、そういった変な依頼をメインに取り扱うことで人気を博していたのだ。
そして調査が始まった。だが手がかりになる物など何もない。結局は当時の現場周辺をしらみ潰しに歩いて回るという、果てしなく疲れるわりに撮れ高が少ない方法を取ることになった。
1日中山の中を歩き回る依頼者一同、代わり映えのしない映像。VTRを流しているスタジオの方まで退屈な空気が流れ始めたその時。
「い、家があるッ!」
まったく人の気配がしなかった山の中に、突如として民家らしきものが姿を現した。それも数件。村落と言って差し支えない数だ。「もしかしたらここにあの子がいるかも」と騒ぐ葉山、「ようやく撮れ高や」と冗談交じりに昂る探偵。スタジオの熱気が高まっていく。
だがそんな期待を裏切るように、画面はテロップへと切り替わった。
『調査打ち切り! 本件に関する情報は今後一切、取り扱いません。ご了承ください』
────「ああ~、そういうオチね」
テレビの前でぼんやりと画面を見つめていた女性、赤崎緑青子は、あまりにも投げっ放しな終わり方に怒るでもなく、珍しくもないことだとすんなり受け入れた。
実際珍しい話ではないのだ。国の重要な施設に立ち入ってしまった、あるいは単に取材許可が取れなかった、あるいは予算不足だった等々、雰囲気に反して現実的な理由で取材打ち切り、なんてことはよくある話だ。
番組の方も、謎めいた空気を出してはいるが、これ以上の追求はしないという暗黙の了解がそこにはあった。
『それでは次のご依頼に参りましょう』
何事もなかったかのように、画面の向こうで番組は進行する。その時、緑青子と同じ部屋にいたもう一人の女性がリモコンを操作し、映像を止めた。
「見てもらった通りよ、これが今回の任務」
「おい止めんなよ、アタシ次のやつ気になるんだけど。『ウォシュレットの強に勝ちたいおじさん』ってやつ」
「録画だからいつでも見れるわ。それに、ひたすらウォシュレットをお尻に喰らい続けるおじさんの映像が流れるだけで、あんまり面白くなかったわよ」
「はいっ神回確定、今見る」
「ダメで~す、部長権限で止めま~す」
部長と名乗ったその女性は、緑青子の文句を受け流し、テレビの電源を切ってしまった。そして相手に口を挟む隙を与えず、手に持った資料を読み上げる。
「エージェント三原色、君の任務は当該エリアの観測およびマテリアルの保護である。検討を祈る」
三原色と呼ばれた赤崎緑青子は、気だるそうに頭を掻きながら立ち上がった。物が散乱した部屋の中に、大きな影が伸びる。2メートルにも及ぼうかという長身、出るとこ出てる……というよりはゴツイと表現するのがピッタリな体躯は、見る者に畏怖の念を抱かせるに足るものだった。
「アタシその名前嫌いなんだよなあ、響きが三元豚みたいでさ。アタシは豚じゃねー」
「いいじゃない三元豚、ブランド豚でしょ?」
「三元豚は単に3種類の豚を掛け合わせただけの品種」
「え、そうなの?」
「何より安直なのが最悪だね、名前に赤緑青があるから三原色って。上の連中がそれを思いついた時のドヤ顔が目に浮かぶわ。センスがジジイなんだよあのジジイども」
ぶつぶつと文句を垂れながらも出発の準備をする緑青子を、部長はにこやかに見守る。上層部を罵倒することは本来ご法度なのだが、部長は緑青子がしっかりと任務をこなすタイプであることを知っているので、大いに目をつむってくれていた。
「うっし、じゃあアレ取りにいくか」
「いってらっしゃ~い」
緑青子は長い黒髪を翻し、「武装鎮圧部」の部長室を後にした。
長い廊下を渡り、エレベーターに乗る。不思議なことに、画面に表示される記号は常に下りなのだが、乗っている者の感覚はその通りではなく、途中明らかに上の階に、あるいは左右に向かっていると感じる時もあった。
そして、階数の表示が3桁を超えたあたりで、ようやくドアが開く。
(相変わらずこの建物の構造は意味わかんねーな……)
何度味わっても慣れない感覚に惑いながら、緑青子はエレベーターを降りる。そこは大きな円柱状の吹き抜けになっており、壁には様々な物体が収められたガラス面の部屋がある。それが何階層にも渡ってズラリと並んでいた。
保管庫と呼ばれるその場所に、緑青子は足を踏み入れる。同時に、警備をしていた男が彼女に声をかけた。
「お、三原色ちゃん。部長さんは一緒じゃないのかい」
「またその質問かよ。ったく、ここの男どもはみんなセシルが好きだね」
「当然だろ、金髪眼鏡おっとりお姉さんが嫌いな男はこの世にいねえよ」
「黒髪むちむちデカ女は需要ないのか?」
「あー、自分より身長高いとなぁ……あとお前むちむちってよりガチムチ──」
パカンと1発頭を叩き、目的物の元まで歩いていく。
何度補充してもなぜか空になるトイレットペーパーのホルダー、特定の言葉に反応して動き出すマネキン、ターゲットの元に瞬間移動して出来立てのポップコーンを食べさせようとしてくる機械――などを過ぎた先に鎮座しているのは、何の変哲もないトランク型の旅行かばん。
「あー、こちらセクター1、マテリアル88との接触許可求ム、どーぞ」
警備員が耳につけたインカム越しに許可を求めると、かばんが納められている部屋の扉に付いたランプが赤から緑へ切り替わった。
それを横目で見た警備員は、無造作にドアを開ける。
「はいどーぞ」
「もうちょっと警戒心持てよ……一応危険物だぞ」
とは言いつつ、緑青子も慣れた手つきでそのかばんをガッと持ち上げ、最初から自分の物であったかのように携えた。
「それじゃ行くかな──っと」
緑青子が再びエレベーターに乗ろうとドアの前に立った途端、操作もしていないのにドアが開いた。中に乗っていたのは、件の部長だった。
「ぶ、部長さん!?」
「あ、お疲れ様です~」
アイドルの登場に、保管所から喝采が湧く。わざわざ上の階から降りてこようとする者までいるほどだ。
このセクターで警備にあたっている者はみな性格がバラバラだが、セシルに対してだけは同じ反応をする。
「あ? セシル? 何しに来たんだ」
「なんだか急に胸騒ぎがして……この任務、いつもと違うかもしれない。気をつけてねミオちゃん」
「わざわざそれを言いに……?」
セシルがいつも自分を気遣ってくれているのは知っている緑青子だったが、この時ばかりは様子がおかしかった。しかし、今ここで不安になっていても仕方がないので、気にしないフリをしてエレベーターに乗り込んだ。
名残惜しそうな空気を断ち、二人は箱の中に消えていった。
「はぁ……あの人気、少しは分けてほしいな」
「欲しいならあげたいくらいよ」
セシルは眼鏡を外し、大きくため息をつく。その目つきは緑青子よりも鋭く、険しかった。しかし彼女はすぐに眼鏡をかけ直し、いつものおっとりお姉さんに戻る。
「でも、使えるものは使っておかないとね」
気まずさとは違う沈黙。大女は狭い檻の中で縮こまり、眼鏡をかけた獣から遠ざかる。
長い旅路の果て、エレベーターはようやくメインホールへ到着する。緑青子は早く抜け出したいがために、ドアが開いていく途中でも開ボタンを連打していた。
やっとの思いで檻から脱した緑青子は、市役所のような雰囲気のメインホールを抜け、外界との唯一の接触点である玄関口へ向かう。
「三原色、行動開始する」
「セシル・秋巳・フォンテーヌ、申請を受理します。頑張ってね」
──日本時間午前9時26分、エージェント三原色、「対異質特務機関コネクト」を出発。