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「辻馬車はどこから出るのかしらね」
町娘が着るようなワンピースに髪を隠すように巻いたハンカチーフ。
ちょっと嵩張るが頑丈なトランクに歩きやすい編み上げのブーツ。
それが今のディアーナの出で立ちだ。
極めつけは手にしたメモ用紙で、完全に家出娘と化して下町に紛れ込んでいる。
…と思っているのは本人ばかりで、周囲の人間は訳あり貴族か裕福な家の娘だろうとハラハラしながら見守っていた。
それもそのはず、ここは下町だ。
城下町であるのは間違いないがそこに居合わせる人間すべてが善人である保証はない。
たまによろしくない者も紛れ込むことがある。
「なんだぁ?そりゃどーいう了見だ、ばーさん」
見れば少し奥まった路地の片隅に大きな黒いマントを被った老婆がうずくまっていた。
その周辺には店でも始めるつもりだったのか小物を乗せた敷布が踏み荒らされ散らばっている。
誰もが顔をしかめ踵を返す中でそこへ突っ込んでいく人物が一人。
「その方がそこで露店を開くのに何の問題が?この国の法はそれを禁じてはいません」
目の前の店にトランクを預けたディアーナである。
馬車乗り場を探しつつも周辺に気を配っていたおかげで周辺の人間の会話は大体把握している。
目一杯胸を張りながら難癖をつけている男たちの前に立ちはだかった。
【幕間】
そんなバカなことがあるか、と思った。
そんなことを許してはこの王室が貴族たちから反感を買ってしまうことは火を見るより明らかなことなのに、目の前のこの人物は全く意に介していないように見受けられた。
だが、と男はすぐに思い直す。
候爵家に嫁した王妹は祖父の代であるしもう既に亡き人である。
件の令嬢は三代経過しているのだ。
此度の責任を取って一つくらい爵位を落としてもいいではないか。
通常であればそれがいかに危うい事であるのか判るはずなのに、疲れ切った頭は常ならぬ決断をしてしまった。
「フルールシア国王が許す」
何を隠そうこの男、年間通して花の咲き乱れる王都をもつ、この国の国王であった。
後に「何だ、花畑の(王都を持つ)王国では人の頭にさえ花が咲き乱れるのか。難儀だな」
と、とある王に言わしめる悪政の始まりであった。
***
「威勢のいいお嬢ちゃんじゃねーか」
「よく見りゃ上玉だな。よし、ばーさんの場所代はこの嬢ちゃんに払ってもらおうか」
老婆から手を離した二人組の男たちはにやにやと嫌な笑みを浮かべてディアーナに手を伸ばした。
「ですから法はこの場での金銭を要求しておりません。あなた方理解していて?」
ディアーナはぴしゃりと言い返し、同じように扇子で伸びてきた手を叩き落とした。
払われた男は何やら喚いているが知ったことではない。
持ち前のすばしっこさで二人を上手く躱して老婆のそばで膝をつき、彼女を抱え起こした。
「お怪我はありませんか?」
サッと老婆の身体に目を走らせ怪我の箇所を把握するとポケットに忍ばせていた傷薬を振りかける。
何か言いかけた老婆を目で制し、足元の小物を敷布の上へ避難させて四隅を縛って抱え上げ、老婆に押し付けた。
わずかに目を見張った老婆を背にかばいディアーナは声を上げる。
「おまわりさーん!ここに不良市民がいますわー!!」
ディアーナの視線の先、不良市民二人組の背後には既に警備隊が迫っていた。
男たちに警備隊員の手がかかるのを確認したディアーナはクルリと踵を返し預けていたトランクを受け取る。
預かってくれたお礼と要望通り警備隊を呼びに走ってくれたことに礼をし、これまたポケットに忍ばせていた換金性の高い小物を握らせて、老婆と共に路地のその先の小道に駆け込んだ。
その行動のあまりの手際の良さに、事情を聴きたかった警備隊が追いかけたものの見つけることができなかった。