違和感と放置
どっと押し寄せた疲れから湧き上がった深い溜め息を吐き、外の空気を吸いたくて外へ出たら。隣の部屋から同じタイミングでヴィルが出て来た。
「あ、ヴィル」
「ジューリア」
「何時からいたの?」
「最初から」
「そっか」
多分いるのではないかと察していた。
「なんであんなにしつこいんだか」
「公爵が言っていた通りだからじゃない?」
「うん?」
「ジューリアと本気でやり直したい、許してほしいから少しでも可能性があるなら縋りつきたくなるの」
「私は断固お断りだって何度も言ってるのに?」
「それでも、じゃない?」
「はあ……」
向こうだって頭のどこかではきっと解している。頭がそうでも心はそうじゃない。時に人間は思考ではそう考えても心が別だと違う行動を取る。
「いい加減に諦めさせる良案ない?」
「一番簡単な方法ならあるよ」
「なになに?」
「ジューリアが諦めてフローラリア公爵家を受け入れる」
「言うと思った!」
ジューリア自身もまた、彼等が諦めるには自分が謝罪を受け入れればいいと解している。一度でも受け入れれば、次に何かあった際拒絶した時、一度は許してくれたのにと責めてくるのが見え見えだからだ。面倒で苛つくだけの分かりやすい未来が来ると知っていて受け入れる馬鹿はいない。
向こうがしつこく来ようとジューリアとて同じく断固としてやり直す気は更々ない。
ヴィルの揶揄いにぷりぷり怒っていると隣の部屋からもう一人現れた。
ネルヴァだ。側にはリシェルもいた。
複雑な面持ちをしているリシェルの横、ネルヴァは噴き出す笑いを零しながらジューリアと目線が合うよう膝を折った。
「君の頑なな性格は、フローラリア夫妻のしつこさと前世の割り切りの早さが合わさって生まれたのかな?」
「知らない。でも、そうなのかも」
赤ちゃんの頃から記憶があり、七歳になるまで深い愛情を注がれて育った。シメオンとマリアージュが親なのは紛れもない事実。それは否定しない。
「約束は取り付けたんだ。今はそれで良しとしないかい?」
「後で使者を送るって言ってたし。今日はもう出掛けない」
「ヴィルはどうする?」と訊ねるとヴィルも同じでのんびりすると欠伸をしながら返答される。ジューリアは何気なく、複雑な面持ちをして考え事をしていそうなリシェルの側に寄った。
ジューリアに気付きハッとなったリシェル。
「私と公爵様の言い合いを聞いて幻滅したでしょう? でも、こんな親子だっているんですよ」
「……うん。私の周りであんな風に親を拒絶している人はいなかったから、ちょっとだけ驚いて……」
「多分、それが普通です。まあ反抗期の時とかは別として……親じゃなくても、あれだけ謝る人を受け入れない人もまあいないかも」
「ジューリアが言うんだ」とはヴィルの台詞。
「言うよ」
「そう」
「最初に捨てたのはあっち。捨てられた側は、一度でも捨てられた時の恨みは忘れない」
「今じゃフローラリア側がジューリアに捨てられちゃったもんね」
「私が捨てたところで大した不利益はない筈なのにね」
利益不利益で言うなら、とうの昔にジューリアは無能は不要だと屋敷を追い出されていただろう。その方が良かった。人間、死ぬ気になれば何でもやれる気がするのだから。
「“浄化の輝石”はヴィルと……後は誰が来る?」
「ジューリアも戻りなよ。折角だし」
「絶対嫌」
「じゃあ、仕方ないか」
誘って断られたらヴィルは強制しない。但し、ジューリアに限る。
「私も気になってるから私も行くよヴィル」
「最悪」
「態々言わなくても……」
ヨハネスはどうするかとなり、ヴィルに置いて行かれるのが嫌でも側にネルヴァがいるなら留守番を選択しそうである。
シメオンと話したせいで甘い物が欲しくなったとぼやくジューリアを見兼ね、厨房に行ってお菓子を貰おうとヴィルが誘うと嬉しそうに手を繋いで行ってしまった。
ずっと複雑な面持ちをしているリシェルの金色の瞳は、ヴィルと楽し気に会話をしながら厨房へと向かうジューリアへ注がれていた。
「可哀想だと思った?」
不意にネルヴァから問われ、ゆるゆると首を振る。
「ジューリアさんのお父様が後悔しても、ジューリアさんにその気がないなら諦めるべきなんだと思う。『異邦人』は、前世不幸であった事が生まれ変わって幸せになる人、なんだよね?」
「本来ならね」
「ジューリアさん……ほんとはずっと、家族と良好な関係でいたかったんだよね」
「ああ。魔法や癒しの能力が扱えなかったのは、彼女が『異邦人』だったからだ。彼女自身のせいじゃない」
もしも、もしも、とリシェルは自分が魔法を使えず何なら魔力も無かったら父リゼルは愛してくれたかと考えてしまった。母が亡くなり、元々愛情深かったのに娘まで失ってしまったらとより深くなった。リシェルが今何を考えているか悟ったネルヴァが「リゼ君はフローラリア夫妻のようにはならなかったさ」と額にキスを落とした。
「たとえ、君に魔力がなくても魔法が使えなくてもリゼ君は君を見捨てたりしない。君だって分かっているんだろう?」
「うん……パパはとても愛情深い人だから。だから……余計に分からないの。魔法や癒しの能力が使えないからって簡単に見捨てられるものなの?」
実の子供なのに、と紡いだリシェルの疑問は尤もだ。無能と判明した直後捨てられたとジューリアは語っていた。ジューリアと手を繋いで歩くヴィルを見つめるネルヴァは、とある予想を抱いた。
「確か……今まで家庭教師や侍女の言葉を真に受けていた両親が彼女の言葉を聞く様になったのは、ヴィルと会ってからだったっけ……」
「ネロさん?」
急な掌返し。
ヴィルは「ジューリアが言い返したから急に気にし出したんじゃない?」と言うが、たかが一度言い返されただけで約三年間放置した娘を気にし出すだろうか。
二人仲良しなジューリアとヴィルの邪魔をしたら、暫くヴィルに口を利いてもらえない気がし、外に出ようとリシェルを促し大教会の裏口から出て、周りを見て見たいと言うリシェルの希望通りゆっくりと歩き出した時。建物の横にある長椅子にヨハネスが眠そうに座っていた。
「ヨハネス」
「!!」
ネルヴァが声を掛けた瞬間大袈裟に肩が跳ね、長椅子から転げ落ちた。慌てて逃げ出そうとするのを首根っこを捕まえ、無理矢理長椅子に座らせるとネルヴァも横に座った。
「当面の間はお前を天界に連れ戻す気はない。だから、一々私を見る度に逃げなくていい」
「ほ、ほんと?」
疑いの目を向けられ、本当だと頭を小突いた。一応信じたらしいヨハネスの銀瞳がじっとりとリシェルへ移った。
「……この子、魔王の補佐官の娘って聞いたけどなんで一緒にいるの」
「それを言ったら、お前はどうして魔界の王様にガブリエルの退治を頼んだんだ」
「だって、ヴィル叔父さんが駄目なら他を頼るしかないじゃないか」
「あのね……」
百歩譲って自分で退けるならともかく、神や天使の天敵たる魔族の王に熾天使の撃退を頼むのはどう考えても奇抜。
「あ」
「なに」
「ね、ねえ、ネルヴァ伯父さんは祖父ちゃんと祖母ちゃんが何処にいるか知らない?」
ヨハネスにとっての祖父母はネルヴァやヴィルの両親となる。が、幼いヴィルが大怪我を負わされた際言い放った言葉に激怒したネルヴァによって半殺しの目に遭い、以降は大人しく離宮に籠った。ネルヴァが知る限りでは、最後に見たのはやはり半殺しにした時。
「あの二人がどうかしたの?」
「ヴィル叔父さんにも言ったけど、二人の姿を長く見てないって父さんや母さんが前に話していたのを思い出して」
「お前自身も長く見てないの?」
「多分見てない。最後に会ったのは……あれ? 何時だっけ……父さん達が話しているのを聞いて思い出したくらいだから……」
朧げな記憶の引出しを開けて探るのなら、大して重要じゃない。ふう、と息を吐いたネルヴァは死んでいても一切感情が浮かばない両親が何処で何をしようと関係ないと切り捨てた。
半殺しの目に遭わせた際、神力を大幅に削った。
——仮に何か企てていようと下位天使にすら劣る神力しか持たないあの二人なら始末すればいいだけ。




