言質は取った
大教会に戻ったジューリアは、外で待っていてくれたセネカにお礼を述べ、父が待っている大教会内にある応接室へと案内された。
扉前に来るとケイティと繋いでいた手を離した。
「此処からは私一人で行くよ。ケイティは待ってて」
「お一人で大丈夫ですか?」
「平気平気。今から私にとっては大事な戦場よ!」
「大袈裟な気もしますが……」
「それでも、だよ」
心配するケイティに笑って見せ、扉をノックしたセティカに続いて入室した。
室内には顔だけ男前と内心で何度も毒吐いた父シメオンが固い面持ちでジューリアを待っていた。側に父の従者がいる。
「ジューリア……」
「お待たせさせてしまい申し訳ありません公爵様」
先に言わせまいとばかりにシメオンが立ち上がったのと同時に礼儀として礼を執った。ミリアムから散々駄目だししかされなかったがヴィル曰く「上手な方」らしいから、シメオンの機嫌を損ねることはないだろう。
「本日はどの様なご用件ですか」
「……」
あくまでも他人行儀に。そして早く帰ってもらう。難解かつジューリアにとって最も大事なミッションだ。一つでも失敗すると長居されてしまう。何かを言い掛けたシメオンは口を閉ざしてしまい、言葉を発するのを酷く躊躇っていた。妙な空気が室内を覆う。ケイティの言う通り十日後に待つジューリアの誕生日についての話を切り出したかったのだろう。が、当のジューリアのあまりの他人行儀な物言いにシメオンは言葉を詰まらせた。見兼ねた従者が「お嬢様っ」とジューリアを非難する。
「旦那様は十日後にあるお嬢様の誕生日パーティーについて話をしに来たのですよ?」
「多分そうだろうと思いました。ケイティにも聞きましたから。公爵様、私の誕生日パーティーは不要です。今年だけではなく来年もこれからも。二度と開いてもらわなくて結構です」
「お嬢様!」
「メイリンや上の人と差別は良くないからと毎年開いてくれていましたね。正直言うと私にとっては苦痛以外何者でもありませんでした。私がパーティーの最中、親族に何を言われていたかご存知でした?」
非難してくる従者を華麗にスルーし、来たら絶対に言ってやろう、聞いてやろうと決めていた言葉を次々放っていく。問われたシメオンの表情は暗く、後悔が滲んでいた。掠れた声で「……知らなかった」と紡がれ、でしょうねと溜め息を吐いた。仮に知っていたとしても魔法も癒しの能力が使えないジューリアが悪いとされるだけで終わっていた。
ゆっくりとシメオンは深く頭を下げた。目を剥く従者やジューリア、同席しているセネカ。
「ジューリア……お前が私やマリアージュを許せないのはよく分かっている。お前の願いを何でも叶えてやる。お前が望むならどんな罵詈雑言も受け入れる。だから、どうか、私達に一度でいいからやり直すチャンスをくれないか?」
「お断りです」
考える一瞬の間もなく即答したジューリアを今度はシメオンの瞳が瞠目した。大きな声でジューリアを非難する従者へ強く睨んで黙らせた後、唖然とするシメオンにも殊更冷たい瞳をぶつけた。
「たとえ、公爵様達が私と同じ環境になると言っても私は許しませんし、そんな事をしてほしいとは思いません。そっちは誠心誠意謝れば良いとお思いでしょうが傷付けられた側の傷は一生消えない。ふとした拍子に傷付けられていた時を思い出す」
「ジューリア……」
「私が意固地だ頑固だと非難したいならお好きにどうぞ。寧ろこのまま、フローラリア家から除籍されてただのジューリアになりたいぐらいです」
「娘をそんな……!」
「無能の長女がいなくて困った事なんて一度もないでしょう? なんなら、最初から私なんていなかった事にしてメイリンを長女にしたらどうですか? それなら、最初からフローラリア家の子供は二人になりますから」
「ジューリア、私やマリアージュがお前とやり直したい気持ちに偽りはないんだ。全てを信じてくれとは言わない、だがせめてほんの少しでもいいから信じてくれないかっ」
「嫌ですお断りです」
心からの叫びとはよく言う。ジューリアが伸ばした手を、助けを求める声を、悉く払い捨てて耳を塞いだのは紛れもない——フローラリア。たとえ周囲に無能だと蔑まれても両親だけは愛してほしかった。やっと手に入れた父や母の愛を得られて幸せだった。兄という、樹里亜にとっては害でしかない存在がとても温かいと知って幸せだった。
幸せだった。……七歳までは。
「それか、長女が欲しいなら私とは違って家族の愛を欲する同い年の女の子を外から見つけてください。きっと、貴方達が望む長女を演じてくれますよ」
「我が家の長女はお前だけだジューリアっ」
「お前は私の娘じゃない、って言ったのは誰でしたっけ? 忘れたなら、何百回でも言って差し上げますよ?」
「……」
事実を突きつけ、都合が悪くなると黙り込み俯く。同情した従者がシメオンを慰めながら、決して受け入れないジューリアに非難の目を向けた。
「旦那様がここまでしているのにどうしてお嬢様は……!」
「私をこんな風にしたのは誰でもない。そこにいるフローラリア公爵様やその奥方よ」
「旦那様や奥様はお嬢様の親なのですよ!?」
「知ってる。でも、私の親であったのは七歳の魔力判定まで。以降は、公爵家の無能と無能を嫌う公爵夫妻」
ジューリアはどれも嘘を言っていない。
全てが事実。全てがジューリアが今までシメオンやマリアージュから受けて来た仕打ちを物語っていた。
きっと誕生日を切っ掛けにやり直す口実が欲しかったのだろうがそうはいかない。はっきりと言ったのだからいい加減帰ってほしい。可能なら二度と顔を見せないでほしい。
徐に顔を上げたシメオンの薄紫の瞳からは透明な雫がいくつも零れ落ち、瞬きをすれば新しい雫が流れた。
「すまない……すまなかった、お前にそこまで言わせてしまう自分が情けない……」
「旦那様……」
すまない、すまない、と繰り返し謝るシメオンに寄り添い、痛々しい心情を理解する従者の図はジューリアに何も響かせなかった。周りの目から見れば、親に涙まで流させたなら謝罪を受け入れるべきと捉える。渦中にいるジューリアからすれば「それがどうしたって言うのよ」と声を大にして言い放ってやりたい。
ジューリアだって何度も泣いた。泣きながらシメオンやマリアージュに助けを求めた。
求めても無駄に終わった。
「……お涙頂戴なら私より効果のある人に見せては如何です?」
「お嬢様! いい加減になさってはどうですか!?」
「さっきから思ってたけど、たかが従者が公爵家の当主と子の問題に口を挟まないで」
「っ!」
正しく、痛い部分を指摘された従者は非常に悔し気に何かを言いたげに黙った。唇を噛み締めている辺り、今にも飛び出す言葉を抑え込んでいる。
目元を袖で拭ったシメオンに掠れた声で誕生日プレゼントだけでも贈らせてほしいと請われるも、要らないと首を振り掛けた。ふと、ちょっと前にヴィル達の前で話した“浄化の輝石”の存在を思い出した。誕生日プレゼントは不要な代わりに天使様の要望に応えてもらおう。
「欲しい物がないのでプレゼントは不要です。ただ、天使様の希望を叶えてほしいです」
「な、なんだ?」
「昔、公爵様が私が成人したらくれると言っていた“浄化の輝石”を天使様に見せたいんです。それで良いですか?」
「分かった。他にはないか?」
「ありません」
「……そうか」
口実を探す必要もなくて安堵しつつ、明るくなったと思ったらまた落ち込んだシメオンに深い息を吐いた。
「もういいですか? 公爵様だってお忙しいでしょう? 早く戻られては」
「……ああ。時間を取らせて悪かったな。“浄化の輝石”は明日にでも見せられるよう準備をしておく。後程、使いの者を大教会に送る」
「分かりました。お願いします」
重い足取りで暗い表情をしたシメオンは喚く従者を連れて応接室を出て行った。様子を見守っていたセネカに「大きな溜め息ですね」と指摘されるまで溜め息を吐いていたとジューリアは気付けなかった。
「しつこいにも程がありますから」
「お嬢様は自分という個をしっかりと持った方ですね。ああまで親に謝られて許さない方も滅多にいませんよ」
「私が意固地なだけです」
「でも、それだけの扱いをされてきた、という事なのでしょう? だから、公爵様もお嬢様の意思を漸く汲み取ったかと」
「それなら本当に良いんですけど……」
今日は大人しく帰っても時間が経てばまた同じ事の繰り返しになる気がする。今までがそうだから。
気を抜くのはまだまだ早いと自分を鼓舞するジューリアだった。
——隣の部屋でこっそりと話を聞いていたネルヴァとヴィルは、シメオンが出て行くと互いに顔を見合わせた。
「あのお嬢さんの頑なな態度はやはり前世が大いに影響していそうだね」
「兄者は許してやれって?」
「いや? それはお嬢さんの判断に任せる。私個人で言うと私もお嬢さん派かな。フローラリア家は謝ってお嬢さんに受け入れてもらえば気持ちが軽くなるけど、お嬢さんの方は受けた仕打ちを二度と忘れない。ふとした時に思い出して苦しむのは傷付けられた側さ」
「ジューリアも言ってたね」
抱っこをされたまま盗み聞きしたのは嫌だが、降ろす気がなく、顔を殴ってもヴィルを抱っこしていたいネルヴァにヴィルの方が諦めた。
一緒に付いて来て盗み聞きしていたリシェルがずっと無言なのを気にしてネルヴァが声を掛けると複雑な面持ちをしていた。
「君とリゼ君じゃ、あんな風にはならないもんね」
「うん……パパは私が嫌がることは絶対しない。あの子がああなのは、ずっと一人で……手を差し伸べてくれる人がいなかったからだよね」
「まあ、そうなるのかな」
「ね? ヴィル」と同意を求められたヴィルは「そうかもね」と何も聞こえなくなった隣の部屋にいるジューリアを心配したのだった。




