やっぱり神族は物騒
魔界でリゼルが通信を妨害している中位天使三名を消滅させた直後の人間界では、時間を持て余しているジューリアは昨日と同じく魔法の練習をビアンカに付き合ってもらっていた。
ヴィルの時もそうだが毎日ハンカチを一定時間浮かせ続けるだけの地味な作業。そろそろ次の段階へ行ってもいいのではないかと期待を込めてビアンカに提案したら。
「お馬鹿さんね。ずっと魔法を使うどころか、魔力操作すら無理だった貴女が一月も経っていないのに魔法なんて教えられる筈ないでしょう」
「ごもっともです……」
「まずは、ひたすら魔力操作の練習をしなさい。強い魔力を持とうが魔法の才能があろうが基礎を怠ると意味がないわよ」
「は、はい……」
反論の余地がない、正論過ぎる言葉の数々に見事撃沈。落ち込んだのは数秒。気持ちを切り替えたジューリアは再びハンカチを一定の魔力で浮遊し始めた。同じ量、同じ濃度、高さも同じ、これを一時間するだけでもかなりの集中力と根気がいる。周りがうるさかろうが何だろうが気を逸らすとハンカチは不安定に揺れ、一度流れを魔力を乱すと元に戻すのに時間が掛かる。
周りを気にせず、ひたすら魔力の流れを一定に保ち続ける。ビアンカの言う通り、どんな事柄においても基礎は重要だ。基礎が出来ていなくて魔法を使える者もいるにはいるがそれは極恵まれた才能を持つ者だけ。ジューリアは魔力量には非常に恵まれているが魔法の才に関しては未だ不明。
魔法を使いたい気持ちは強い。なら、まずは基礎をしっかりと身に着けるのが自分の目標だと頭に刻んだ。
微動だにせずハンカチを浮かせ続けて四十分は経過した辺りで強風が吹いた。身の回りに結界を貼っていたらハンカチは飛ばされずに済んだのに。
額に浮かんだ汗が強い風に晒されひんやりと冷たくなった。気持ちが良いと感じてから寒気を覚えたのはすぐ。
袖で汗を拭い、飛んで行ったハンカチを取りに行くと丁度魔王が座るテーブルに落ちた。誰かと話していたであろう魔王にハンカチを拾ってもらうとお礼を述べた。
「ありがとう魔王さん」
「どういたしまして」
「補佐官さんと話してるの?」
「ああ。早く帰って来いって言われてね……」
息子への誕生日プレゼントで渡したかった神の祝福が掛けられたブルーダイヤモンドは、祝福が抜かれていたせいで候補から外れてしまい、他を探している最中だが魔王のお眼鏡に叶う代物は中々見つけられない。
「あ」
「どうしたの」
良い物があるとジューリアは“浄化の輝石”はどうかと提案した。
「“浄化の輝石”?」
「生物学上私の父親が成人式を迎えたら、私に与えるってものすごーーーく嫌そうな顔で言われた」
大天使以上の天使が癒しの能力を持つフローラリア家に託した宝石。特に強い癒しの能力と魔力を持つ者に代々受け継がれるフローラリア家の家宝。首飾りとして加工されており、身に着けた者をあらゆる魔から遠ざける浄化の力が発揮され、更に魔力を増幅させると言われている。
「どうかな?」
「魔から遠ざける、か……魔界にいる限り身に着けるのは難しいかな」
「あ」
そうだ。魔王の息子は人間と言えど、住んでいるのは悪魔の世界魔界。息子に影響がなくとも周囲に影響がない訳じゃない。
「でも、実物を見て見たい気もある。持ち出すのは……難しいかな」
「ヴィルにお願いしてもらったらいけるかも」
皇族が保管するブルーダイヤモンドもヴィルやヨハネスが見たいという理由で宝物庫に案内された。
フローラリアも同じ手を使えば問題なく見られる筈。
もう一つ、ヴィルにお願いした事があるとジューリアはハンカチを持ったまま、離れた席で話を聞いていたヴィルの許へ行った。
「ヴィル」
「フローラリア家にそんな宝石あったんだ」
「私も忘れてた。ねえ、ヴィル。十日後私に一日付き合ってほしいの」
「いいよ。何処に行くの?」
「考えとく。十日後は私の誕生日なんだ。今年はヴィルがいてくれるから久しぶりにまともな一日を送れそう」
無能の烙印を押された七歳以降の誕生日はジューリアにとって地獄に等しかった。前世では小菊一家や両家の祖父母がお祝いをしようと毎年父方祖父母の家で誕生日会を開催した。家が広く、大人数が集まってもスペースが余るからという理由で。
自身の誕生日を思い出したついでに大教会に戻ったら、ケイティに手紙を用意してもらいフローラリア家に今年の誕生日会の開催は要らないと送ろう。
毎年ジューリアに嫌味を言う為だけに開かれる誕生日会は嫌で嫌で仕方なかった。メイリンやグラースと差別はいけないからとジューリアの時も親族を呼ばれ、フローラリア家の長女のくせに魔法も癒しの能力も使えない無能とここぞとばかり嫌味を言われ続けた。
「ヴィルがいてくれて良かった。今までだったら私が嫌がっても無理矢理参加させられたから」
「……誕生日だったの? ジューリア」
「へ? うん。あ、そういえば言ってなかったね。私もさっき思い出したんだけど」
「人間は誕生日をとても楽しみにするって聞くけどジューリアはそうでもない?」
「全然」
七歳以降の誕生日会の状況を話すと溜め息を吐かれた。
「フローラリア夫妻は、ジューリアに好かれたいのか嫌われたいのか分からないな」
「メイリンと上の人との差別は良くないからだって」
実際に言われた時は噴き出しそうになった。ジューリアだけ、四人の部屋よりもずっと遠くにしたくせに。食事の場でもジューリアには小言か説教か、偶に怒声しか浴びせなかったのに。変なところで平等を掲げるあの二人には呆れるしかない。
「ねえヴィル、いい?」
「いいよ。何処に行きたいか決めておいて」
「ありがとう。大教会に戻ったらケイティに手紙を用意してもらってフローラリア家に今年の誕生日会は断固お断りって書かなきゃ」
「そうするといいよ。それくらいで諦めるかは知らないけど」
「不吉なこと言わないで……!」
が、実際のところヴィルの言葉は正しい。どんな切っ掛けでも良いからジューリアとやり直したいフローラリア家からすれば誕生日会はまたとない機会。逃したくはないだろう。
「僕は誕生日好きだけどな〜」とはヨハネスの台詞。通常、グラスで提供されるアイスミルクティーをジョッキサイズで飲んでいた。
ヴィル曰く、すぐに飲み干してお代わりするくらいなら、最初から大きな器に別料金を払って出してもらえと言ったらこうなったとか。
アイスミルクティーが注がれたジョッキの側には生クリームがトッピングされたパンケーキが五枚積み上げられていた。
「誕生日の時だけは好きな物食べていいって母さんが父さんを説得してくれたから、いつも食べてる冷たくて美味しくないご飯を食べずに済むからすごく好きだな」
つくづくヨハネスの置かれていた環境はヴィルが言うような甘やかされたものとは程遠く感じる。人間の感覚がおかしく、神族や天使の感覚が正しいなら種族の違いで済む。
が。
「人間界に来て初めてご飯が美味しいって感じた」
「天界っていうのは、私が想像していたよりも貧相な場所なのかしら? 神になる神族にそんな食事を提供するだなんて」とはビアンカ。
「知らないよ。ネルヴァ伯父さんもしていたって父さんが言うから……」不安げにネルヴァを見やったヨハネスの視線の先には、片手で顔を覆っているネルヴァがいる。全員の視線がネルヴァに向く。
顔を上げたネルヴァは首を振った。
「いいや? 一切していない。偏食気味だったイヴでさえ、ヨハネスのような食事はしていない」
「いつも一人で食事を摂ってたっていうのは……?」
「ヴィルかイヴを捕まえるから、基本一人で食事はしていなかった」
「……はあ……父さんが言ってたネルヴァ伯父さんと同じことって全部嘘だったのか……人間界に来てから、ぼんやりとは気付いていたけど……」
寂しげに、悲し気に瞼を伏せたヨハネス。本来であればまだヴィルと同じ子供姿であったろうヨハネスは、体だけ大きくさせられ中身は子供のまま。落ち込んでテーブルに突っ伏すもパンケーキの載った皿とアイスミルクティーが入ったジョッキだけは死守しようとそれぞれ手に触れていた。
違う意味で呆れながらも「ヴィル」とジューリアは声を発した。
「どうにかして甥っ子さんのお父さんを神にする方法はないの? ヴィル達が思っているような環境には絶対いなかったと思うよ、甥っ子さん」
「ヨハネスについてはともかく、眼鏡は駄目。神族は後天的に神力を上げる方法がない。生まれつきの力で決まる。眼鏡を正式に神にしたって、今よりももっと暴走する姿しか浮かばない」
「同感」とはネルヴァ。現在でさえヨハネスの代理として天界で采配を振るうアンドリューであるが、どれも暴走状態を起こしている。悪魔狩の再追試が最も良い例だ。
「アンドリューが諦めるか、止めないかしないと最悪の想定も入れないと」
「最悪の想定?」
「殺すってこと」
「物騒!」
魔族よりも神族の方が物騒の度合いが強いと感じるのはこれで何度目になるだろうか。アンドリューの息子であるヨハネスがいる前で言うべきじゃないとジューリアが非難の声を上げるものの、当の本人は大して気にしていない。
「怒らないの?」
「どうしようもなくなったらそうなるしかないんじゃない? 位の高い天使だって堕天使の傾向が見られたら即座に処分されるんだ。神族だって同じだよ」
「……」
普段は子供っぽいのに妙なところで大人顔負けの冷めた台詞を簡単に紡ぐ。表情も声色と同じで酷く冷めている。
「……貴方達神族って」とビアンカは、若干引いている紫の瞳でヨハネス、ヴィル、ネルヴァの順に見回すと「魔族より情が薄いのではなくて?」と投げかけた。
「魔族だって似たようなものだろう? 君が恵まれているだけで」
「ふん! 少なくとも、身内を差別したりするような者はいなかったわ。貴方達と違って」
「まあ、父さんは多分僕が嫌いだったろうし、二人目をって父さんが望んだのに母さんが嫌がったから子供は僕だけになったから余計嫌いだったんだろうなあ」
自分よりも強い神力を持った子の誕生は喜ばしいのに、兄弟達に持ち続けた劣等感は大いに刺激された。二人目を望んだのも自分よりも強い神力を持って生まれたヨハネスを遠ざけたかったからだろう。
もしも目論見通り弱い神力を持った二人目が誕生していたらヨハネスの置かれる環境は今以上に悪くなっていた。
「でも、ちょっとは遊んでもらったりとかしていたんじゃ」
「あるけどすぐに家庭教師のところに放り込まれて勉強しろって言って終わり」
「甥っ子さんは眼鏡さんが嫌い?」
「嫌いじゃない。嫌いだったら我慢して言う事なんて聞かないよ」
それもそうか。
薄々勘付いていても父親を好きでいられるヨハネスが羨ましい。
ジューリアでは絶対に無理だから。
「お嬢様ー!」
「あ」
空気が段々と重くなってきた。話を聞いているだけで間に入ろうか入らないか悩んでいるリシェルや偶に空を見上げては誰かと話している魔王。
別の話題はないかと探し始めた直後、遠くからケイティの声が届いた。
駆け付けたケイティにどうしたの? と訊ねると今大教会に父シメオンが来ていると告げられた。
「十日後にお嬢様は十一歳の誕生日を迎えられるでしょう? お誕生日会を開く為にも、お嬢様を説得しに来たのかと」
「丁度良かった。私もお誕生日会のことで手紙を送るつもりだったの。開かなくて結構だって!」
「こればかりは、旦那様も納得しないのでは」
「しようがしなかろうがこっちには関係ない。絶対お断り!」
行こう、とケイティの手を掴んで大教会へ歩き出したジューリアをテーブルに頬杖をついて見つめるヴィル。一寸してからヴィルは椅子から降りた。
「気になるから俺も行って来る」
「私も気になるなあ。ヴィル、お兄ちゃんと行こう」
「兄者は此処にいれば?」
等と言いながらもネルヴァはヴィルを抱っこし、リシェルに振り向いた。
「リシェル嬢は此処にいて。すぐに戻るから」
「あの……私も付いて行って良いですか?」
「来ても面白くないと思うけれど」
ネルヴァが行きたいのは単純にジューリアとフローラリア公爵がどの様な話をするのかが気になるだけ。
「折角、人間界に来たなら色んな人と交流を持ってみたいんです」
「そう? じゃあ、行こう……いた!?」
抱っこをしているヴィルに顔を殴られ思わず上げた声。顔を殴ったと思われる右手を掴むといい加減降ろせとヴィルに凄まれるものの、見た目が子供なせいでネルヴァにとっては可愛いだけ。
——大教会に到着したジューリアは、正面近くに停車してあるフローラリアの馬車を見てげんなりしつつも、シメオン以外いませんようにと願うのだった。
「さあ、行くわよケイティ!」
「気合が入り過ぎでは?」
「私にとっては勝負だからね!」
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