八つ当たりは天使へ向く②
魔界から人間界へ降りる際、正式な申請を経ると使用可能な巨大な門から大勢の悪魔達が一気に押し寄せ、管理者達は荷物検査や下界許可証の確認をする間もなかった。魔王城で息子ノアールの誕生日プレゼントを探しに人間界で滞在中の魔王エルネストに代わり執務を熟すリゼルの耳に異常事態の報せが届いたのはすぐ。伯爵家同士の婚約を求める婚約届に判を押すと側に控えていた文官に渡し、瞬間移動で門の前まで移動したリゼルが見たのは、一気に押し寄せる帰還者の対応が間に合わずあたふたとしている管理者達の姿。目も当てられないと溜め息を吐き、先程から飛び交う怒号や悲鳴、混乱する声を静めるべく己の魔力を一瞬だけ解放した。
騒がしかった周囲は鳥の鳴き声すら聞こえぬ無音となり果てリゼルより圧倒的に弱い何名かは気絶した。大多数は突然当てられた強大な魔力によって腰を抜かし、いつの間にかいた魔王の鬼畜補佐官に戦慄した。管理者達は救世主の登場だと言わんばかりに泣いている。
腰は抜かしていないが顔が青い管理長を見つけ、こうなった経緯を訊ねた。
すると——
「合図?」
「え、ええ。突然、人間界の空に悪魔狩の合図となる閃光が広がったと帰還者達は皆口を揃えて言います」
「……」
エルネストやネルヴァから、天界が悪魔狩の再追試をするとの情報は届いている。人間界にいる悪魔達にはエルネストが連絡を飛ばしている。
再追試について知っている悪魔はいれど、知ったのは昨日。昨日の今日で合図が出されると誰が思うか。
帰還者の中に見知った顔を見つけたリゼルは近付き、腰を抜かし顔色の悪い妻を労わる魔族の男に声を掛けた。
「おい」
「あ……ベルンシュタイン卿」
「人間界で合図があったというのは本当か?」
「はい……私と妻が街のカフェで朝食を摂っている時でした。元々、魔王陛下から悪魔狩の再追試が行われるとの連絡は受けていたので気にはしていましたが……まさか報せを受けた翌日に開始されるとは思ってもみませんでした」
「だろうな」
現在天界は、人間界へ逃げだした現神に代わって神の父親が代理を務めていると聞く。ネルヴァ曰く、ネルヴァ達兄弟の中で最も神力が弱いが為に自分よりも強い神力を持つ他の兄弟や息子に強い劣等感を抱いていた。強引な進め方は、自身が神であればやりたかった事を実行しているせいだろう。
弱いくせに向上心の強い輩ほど、いざその地位に就くと暴走しがちであるがネルヴァの弟は典型的な例らしい。
小さく溜め息を吐いたリゼルは管理長の許へ戻り、腰を抜かして立てない管理者達から自身の魔力を抜くと早急に対応をしろと命じ、自身の執務室に戻った。
エルネストかネルヴァに連絡を取ろうと通信魔法を起動させるが——向こうへの接触が遮断されている。何度送っても強制的に閉ざされてしまう。念の為リシェルに送っても同じであった。
「……」
感知能力を最大限にまで上げ、原因がないか調べた。
「小賢しい」
人間界へ続く門の上空、結界の向こう側にいる中位天使数名が通信を妨害していると判明。中位でも片手があれば簡単に始末可能であり、楽しみたいなら上位三体の頂点熾天使となる。
エルネストが人間界に降りてからずっと書類仕事や部下達に指示を飛ばすだけで体を動かす機会が減っていたリゼルにしたら、運動不足を多少解消してくれそうな中位天使の存在はタイミングが良かった。地上にいる悪魔達が気付かないのを良いことに嗤っている中位天使達の背後に瞬間移動を使って回った。
「まるで黒い虫だな」
「ああ。だが、私達ものんびりとしていられない。天界への扉が閉ざされている以上、魔界に長居するのは禁物」
「人間界にいる者達が早くヨハネス様を連れ戻して下されば良いのだがな」
「暫く天界に戻れないなら、俺と遊ぶか?」
軽快に嗤い、余裕の態度を崩さない中位天使達の間に緊張が走った。さっきまで背後にいなかったリゼルがいたのだ、姿を見ただけで相手がリゼルだと判明すると彼等は戦慄した。魔王以上に強い魔族と有名なリゼルがいる。即座に槍を構えた中位天使達にリゼルの口端が釣り上がる。
「まあ……ほんの少しは楽しませるんだな」
三人いる中位天使の内、二人がリゼルの左右に回った。槍の矛先から放たれた白い光がリゼルの体を拘束。衣服に触れた部分から焼ける音が立てられ、煙が発生する。二人の神力が込められると衣服が燃える速度が急速に増し、煙も大きくなっていく。
「お前達魔族にとって、我等天使の力は猛毒と同じ。体に我等の力を注がれる感覚はどうだ」
「ああ。全く刺激のない薬草風呂と同等だな」
「その余裕は何時まで保つかなリゼル=ベルンシュタイン!」
皮膚の上は強固な結界で覆われており、中位天使程度の神力ではリゼルに傷一つ負わせられない。衣服が焦げるのは嫌だが中位天使達はリゼルに傷を負わせていない事実に一切気付かない。皮膚の燃える嫌な臭いを知らないのか、と内心呆れつつ。一人真正面に立った中位天使がどの様な攻撃を仕掛けてくるか興味があり、敢えて静観に回った。リゼルが黙ったまま、動きを見せないのを良いことに中位天使達は攻撃が効いていると勘違いを抱き、白い光に神力を注ぎリゼルの拘束を強めた。
「いつまでも澄ました顔をしやがって!」
尋常ではない痛みがリゼルの身に襲い掛かっている筈であるのに、顔色一つ変えず冷静な眼で見つめてくるのが中位天使の癪に障った。最大限にまで神力を強めようと衣服の燃える範囲が広がるだけでリゼルの様子に変化は訪れない。
左右を陣取る中位天使が先に限界を迎えた。中位と言えどリゼルにとっては下位と同等。ここが限界かと悟り、空中に膝をついた左右の中位天使が掴む光に自身の魔力を急速に、大量に注ぐ。白は瞬く間に黒へ変わり、左右にいる中位天使が光を離す前に黒は二人の体に入り込んだ。
結果、何が起きるかと言うと——
「あっ……ああっ……」
正面にいた中位天使が絶望の声を上げる。
リゼルの魔力、正確に言うと汚染させた神力を注がれた二人の中位天使の体は巨大化した。血管が浮かんだ皮膚には至る所に筋が走り、急速に増量していく筋肉に比例して体が巨大化していき、二メートルを超える巨体へと変化した。元の面影はどこかに消え失せ、黒く染まった羽と醜い怪物が誕生してしまった。
「外れか。つまらんな」
堕天使になると二つのパターンに分かれる。
一つは今のように醜く悍ましい怪物の姿に変異してしまうパターン。知性も理性もない、黒く染まった羽だけが天使だったと証明出来る唯一の証拠となり、死ぬまで暴れ続ける。
二つ目は姿を保ったまま堕天使となる。その場合、白い肌は薄い黒に染まり、髪は堕天使の象徴とも言うべき漆黒へと変化する。
後者の堕天使化が最も厄介極まりなく、前者と違って力は強大となり、残虐性と暴力性が増し凡る生物を滅ぼそうとする。そこに天使や神、人間の区別は一切ない。
この世の終わりを目に映している最後に残った中位天使へ飛び切りの笑みを見せてやった。
「どうした? 堕天使を討伐するのもお前達天使の役目だろう? お前の仕事だ。しっかりと見届けさせてもらおう」
——少しして。上空にいるのはリゼル一人。
「運動不足解消にもならんか」
戦意を喪失し、槍を握る気力さえ消された中位天使は、同僚だった二人に全身を喰われ呆気なく死んだ。命乞いを叫び、痛みと恐怖の絶叫をし、最後は泣きながら神の名を呼び助けを求めた。
残った堕天使二人はリゼルが一瞬で消滅させた。事前に二人の周囲に仕込んでいた、対象を分子レベルで崩壊させる超が三つ高等魔法を。
通信を妨害していた中位天使を消すと早速人間界にいるエルネストから連絡が入った。向こうの心配する声を一蹴し、人間界の現状を聞き出した。大慌てで戻った帰還者の証言通り、人間界の空には悪魔狩り開始の合図が広がったらしく、エルネストの方もすぐにリゼルへ通信を送ったが連絡が取れなくて予想を話され当たっていると返した。
「ネルヴァは?」
『呆れ果てている……かな。人間界に上位天使が一人いるみたいだから、僕達はこっちを警戒することにするよ。魔界には中位天使が三人くらいいたけど……』
「通信を妨害していた三人なら、さっき殺した。運動にすらならん」
『リゼルくんだもんね……』
「ネルヴァが来ているならリシェルもいるだろう。リシェルはどうしている」
『リシェルちゃんもいるよ』
悪魔狩りの合図を見ても明らかな動揺はせず、ただ、魔界にいるリゼルにエルネスト同様連絡を送っても応答がなかったのを心配していたと話された。リシェルは今人間の女の子に魔法を教えているビアンカを驚いた面持ちで見ていると聞かされ、リゼルの頭に疑問符が大量に発生した。リゼルの知るビアンカなら人間に魔法を教える等しない。どんな心境の変化があったのだと気になるも口にしなかった。
しなくてもエルネストが勝手に話す。
『魔界にはいないタイプの子だから、かな。毒気が抜かれて人間界にいる間は、魔法を教える事にした見たいなんだ』
「どうでもいい。聞いてもいない事を話すな」
『リゼルくんも気にしてるかなって』
「それより、何時魔界に戻るんだ」
再追試が始まったにせよ、いい加減戻ってリゼルが肩代わりしている執務を熟せと低い声で脅せば、向こうは困ったと言わんばかりに苦笑する。
『ノアールにプレゼントしたかったブルーダイヤモンドから祝福が奪われている以上、別の物を探さないといけないのは分かっているんだ。ただ……どれもイマイチで……』
帝国が厳重に管理する宝物庫からブルーダイヤモンドに掛けられた祝福を奪うという行為自体、相手が実力の高い魔法使いだとは予想可能。
さっさと見つけて帰って来いとリゼルが言い掛けた時、知らない女の子の声が聞こえた。
『ありがとう魔王さん』
『どういたしまして』
向こうの光景が見えないので何が起きているのか把握しづらい。黙ったまま聞いていると女の子はとある旨を話した。
『補佐官さんと話してるの?』
『そうだよ』
補佐官さん、というのは多分リゼルのこと。魔界のことまで話しているのかと呆れつつ、声に耳を傾け続ける。
『早く魔界に戻れって言われちゃってね。息子へのプレゼントを早く見つけたいけど、目当ての物の価値が無くなった以上諦めるしかなくて他の物を考えているんだ』
『思い出した事があるの。フローラリア家が持ってる宝石はどう?』
『フローラリア家の?』
『うん。去年の私の誕生日の話だけどね、私が成人するまでに魔法を使えるようになったら、フローラリア家に代々受け継がれている宝石を与えてやるって、すっごく嫌な顔で言われた。生物学上私の父親に当たる人に』
『そ、そっか。どんな宝石なの?』
フローラリア家に伝わる宝石……人間界の事情にまあまあ詳しいリゼルも聞いた事がない。
興味本位で聞いてみると女の子はこう告げた。
『“浄化の輝石”って呼ばれる宝石だよ』
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