執着の度合い
翌朝、いつもよりベッドの中が温かいと感じ、徐々に意識が浮上して目を開けたジューリアが最初に見たのは安眠しているヴィルの寝顔。昨夜は散歩を終えた後、それぞれの部屋に戻ったところまでの記憶はある。ベッドに入って眠った後、ヴィルが入って来たんだろう。綺麗というより可愛いが勝る寝顔を眺める。
大人のヴィルは色気がだだ漏れで面食いジューリアを大いに刺激した。幼い姿のヴィルも同じ。大人の時と違うのは、目線が同じなせいか接しやすい。大人姿が接しにくいとかでは断じてない。
ケイティが起こしに来るまでヴィルの寝顔を眺めるのも有りだ。よし、それでいこう。と決めたのも束の間、ジューリアの頭の上が沈んだ。何だと思う前に上から声が降りた。
「久しぶりに見た小さいヴィルの寝顔」
この声は……。
視線を上へ向けたら、やっぱりというか、予想通りネルヴァがいた。ジューリアの頭の上が沈んだのはネルヴァが肘を立てたせい。
「やあお嬢さん。おはよう」
「おはようございます」
「ヴィルの部屋に行ってもいなかったから、ひょっとしてと思ってこっちに来たら大当たりだったね。ヴィルが誰かの側で安眠しているなんて少し驚きだよ」
「天界で暮らしていた時は寝付きが悪かったの?」
「そうじゃない。ただ、私やイヴ以外の前では隙を見せようとしなかったから」
今まで聞いたヴィルの幼少期を聞くと身内と言えど、次兄アンドリューがヴィルにとっては敵だったせいで警戒心は解けなかったのだろう。ネルヴァやイヴは自分の味方だと信用しているから安心を見せられた。
二人でヴィルの寝顔を眺めてもヴィルは起きない。スー、スー、と静かな寝息を立てて寝ている。
「いくら子供の姿だからって一緒に寝るのは頂けないな」
「知らない間にヴィルが入っていたの」
「君をそこまで信頼しているのも吃驚。何処でヴィルに会ったの?」
最初に会ったのはフローラリア邸にある私室のテラス。夜空に浮かぶ月に向かって手を伸ばしている姿をヴィルに見られ、声を掛けられたのが始まり。以前から『異邦人』なのに家族や周囲から見放されているジューリアが気になっていたらしく、一人テラスに出たのを見て声を掛けたのだ。
「ヴィルがね、君はヴィルの顔が好きって言ってた」
「うん! 私面食いだもん。美形は好きだけどヴィルが一番好き!」
「顔が好きって言われて喜ぶのも吃驚だよ」
「ヴィルだからじゃない? だって、ヴィルに顔が好きって聞かれて即答しても嫌な顔されなかった」
曰く、ジューリアの隠そうとしない下心を気に入ったとヴィルによく言われる。言い方はアレな気もするが事実なので否定しない。普通は相手に下心があるのを隠そうとする。ジューリアはしない。
「私の知っているヴィルならそういう相手はすぐに嫌うのに」
「兄者の知っているヴィルと私が見ているヴィルは違う?」
「違っているとも言えるし、変わらないとも言える。相手によって見方が変わるのだろうね」
「私はヴィルが好き。元の姿に戻ったら、一緒に帝国を出ようって約束もしてるの」
「もしもヴィルの気が変わったら?」
「その時はお別れだね」
「え」
考える間もなく、即答えたジューリアに吃驚した声を出したネルヴァ。しぃっと口に人差し指を当てたジューリアだが、驚かれるのは無理ないかと自分に苦笑した。もしも、ヴィルの気が変わって一人で帝国を出て行くと言われたらジューリアはあっさりと承諾する。抑々、必ず連れて行く理由がヴィルにはない。大人で強い神力を持ち、土地に詳しいヴィルが一緒だと心強い。けれどヴィルが一人で行くと言うならジューリアはヴィルの意思を尊重する。
「ヴィルのお陰で魔力の流れが安定して魔法が使えるようになったし、今は期間限定だろうけどビアンカさんが魔法の練習に付き合ってくれてるから、その間にヴィルが元の姿に戻って一人で行くって言うならそこでお別れ。無理矢理付いて行くような醜態は晒さない」
「ヴィルが好きなのに?」
「そうだよ。お別れはスパッとやって後腐れなく終わりたい。未練がましく気持ちを持ったって自分が惨めになるだけもん」
「それは君の前世が関係してる?」
「かもね」
ジューリアとて可能ならずっと一緒にいたい、仲良くしたい。だが、相手が拒むならあっさりと側を離れて次へ行くだけ。
前世の糞を百個付けたい兄二人がそうだった。優しい振りをしては何度も樹里亜を騙し嘲笑った。三度目で一生信用するかと決意し、以降は徹底的に兄二人の言う言葉は嘘だと決めつけた。実際嘘じゃなかった時がなかったので正解ではあった。
「一番上の奴は、自分の彼女には私と仲良しだからって嘘まで吐いてたからね。顔を合わせる時は仲良しの振りをしろって言われた時は、どの口が言ってんだ糞野郎って思った」
「君が気にしているからヴィルは何度か君の前世を見ていたよ。私も気になって此処を来る前に見たんだ」
「何が見えたの?」
興味津々に訊ねると次兄が彼女に今までの樹里亜への虐待がバレた為、彼女にフラれた挙句学校を退学したと聞かされた。学校は大学の事だ。彼女にフラれるなんてざまあみろと笑う。その内、長男の方も彼女に今までの嘘がバレてフラれるだろう。
実際に自分の目で見て大笑いしてやりたかったと悔し気に紡ぎ、凝視するネルヴァに「性格悪くてドン引きした?」と訊いてみたら首を振られた。
「いや? 意外と人間臭いところがあるんだと」
「人間だもん」
「兄者」
意固地になって両親や兄、婚約者を決して受け入れない断固拒否の体勢を取り続けるジューリアとて人間なのだから、人間臭いところはある。意外そうに見つめてくるネルヴァにそう笑って見せると寝ていた筈のヴィルの声が。二人揃って視線をやったら、すっかりと起きているヴィルが冷たい銀瞳をネルヴァに飛ばしていた。
「何時から起きてたの?」
「割と最初の方から。兄者、ジューリアになんてこと聞いてくれるの」
「狸寝入りして盗み聞きしていたヴィルに言われたくない」
「起きるタイミングを計ってただけ。兄者、俺がジューリアを置いて行くなんて絶対にない。二度とジューリアに誤解されるような物言いはしないで」
瞳だけじゃない、声も冷え冷えとし、ネルヴァを睨む。ジューリアの視線の上にいるので顔を動かさないと今のネルヴァの表情が窺えないが「ジューリア」とヴィルに呼ばれればヴィルに向く。
「俺はジューリアを置いて行ったりしない。元の姿に戻ったら、約束通りジューリアを連れて帝国を出て行くから」
「うん。でも気が変わったら遠慮なく言ってね。私は無理矢理付いて行く真似はしない」
「絶対にしない。ジューリアは連れて行く」
「そっか!」
不安と若干の怯えた声を出すヴィルとは違い、どんなヴィルでも受け入れる気持ちがあるジューリアの声はどれも安定したまま。しかし、絶対にジューリアを連れて行くと断言された時に見せた欣喜とした表情は心の底から安心しきったもの。
「で? 兄者は朝早くから何しに来たの」
安堵からくる微笑みをジューリアに見せた後、じぃっと二人を眺めるネルヴァへ鋭利な瞳で問い掛けたヴィル。若干拗ねた面持ちで「大教会の責任者に挨拶をすると言ったろう?」と聞き覚えのある台詞で返される。確かに言っていた。
「こんな朝早くからね。一緒にいる魔族はどうするの」
「宿に置いて来た。後で紹介してあげるからって納得してもらった」
「補佐官さんの娘さんなんだよね? 人間の私が話しかけても怒らない?」
「リシェル嬢は、天使でも今時珍しいくらいの箱入り娘だから安心しなさい」
魔王の話から聞いてもかなり大切に育てられており、相手が人間だろうと礼儀正しく接するのは本人の人柄も大きい。直接言葉を交わすのが楽しみだとウキウキするジューリア。
そろそろ起きようとネルヴァに促された二人は体を起こし、ヴィルはネルヴァに抱っこをされて部屋を出た。勿論同意なしなのでネルヴァの顔を殴るが効果はなかった。
二人と入れ替わる様にケイティがやって来て驚かれ、何もないと誤魔化しておいた。
「大きい天使様は司祭様に挨拶をしに来ただけって言っていたから気にしないで」
「お嬢様がそう言うのなら……」
「さ、朝の支度をしよう」
ケイティの手を引いて鏡台の前に座り髪を梳くことから今日は始まる——。
ネルヴァに抱っこをされて部屋を出されたヴィルは、顔を殴っても薄い膜を張って防御されすぐに諦めた。ジト目でネルヴァを見つつ、通り過ぎる神官達が頭を下げるのを横目に嫌そうに零した。
「ジューリアを試したの?」
「ヴィルが気になる事を言うから」
ジューリアがヴィルを気に入った理由が好みの顔という、兄としては心配で堪らない言葉であったからだ。
「ジューリアは他の下心満載の奴等と違う」
普通は相手への下心を隠して接するものなのにジューリアに至っては丸出し且つ本人も認めている。面食い故の美形好きだがジューリアの場合は純粋に相手と仲良くなりたいという気持ちしか感じず、利用してやろう、蹴落としてやろうという卑しい気持ちが一切ない。
但し、一度でも相手を切ったら二度と関わりを持とうとしない。フローラリア家やジューリオが良い例だ。それがヴィルであっても同じなのだとさっきのネルヴァとの会話で思い知らされ、狸寝入りを止めて割って入ろうかと思案したくらいの衝撃だった。
「ヴィルが他に気になる子が出来たと言ったら、あのお嬢さんはあっさりとヴィルの側を離れるよ。言動には気を付けるんだね」
「分かってる。兄者に言われなくたって」
ジューリアが気に入った相手なら興味本位で近付くのみ。ジューリア以上に気になる人間はこの先何処に行ったって見つかりはしない。
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