樹里亜の家族③
真っ白なベッドの上で沢山の管に繋がれ、呼吸をし続けるだけで意識を戻さない樹里亜を小菊はずっと見つめていた。
小学校、中学校、高校もずっと一緒で大学も一緒になる予定だった。二人でオープンキャンパスへ行ったり、どんな学科や特徴があるのかとパンフレットやネットを使って沢山調べた。
合格発表の時は小菊一家と共に見に行った。二人の受験番号を見つけた時、樹里亜の事も我が子のように喜んだ。樹里亜の父方、母方祖父母に連絡を入れるととても喜んでいた。その日は母方祖父母のお誘いで樹里亜だけではなく、小菊も夕食に誘われた。
高校卒業をしたら家を出て行けと碌でなし親父に告げられていた樹里亜とは一緒に住む予定だった。
「樹里亜……」
一カ月前、別荘近くの川に落ち、流された樹里亜は意識不明の重体で発見された。碌でなし親父は樹里亜が足を滑らせて落ちたと警察に証言した。糞兄貴二人も。実際は、樹里亜を驚かせてやろうと糞兄貴その二が川を眺めていた樹里亜の背を押してしまった為に起きた。
悪意はなかった、殺すつもりはなかったと喚くその二の醜い姿といったらない。あの時程、誰かを殺してやりたいという激情を抱いた経験は一度もない。何度も樹里亜が糞兄貴二人に虐められているのを見て来た。その度に樹里亜は反撃するが碌でなし親父は樹里亜が悪いと逆に叱り、糞共は更に調子に乗っていた。小菊が一緒の時は樹里亜を守った。糞共は、樹里亜の味方をする小菊の事も嫌っており何度か手を出された。その度に自分の両親に泣き付き、樹里亜の祖父母に飛んできてもらい大目玉を食らわせてやった。お陰で嘘泣きが得意になってしまった。
大企業の部長を務める樹里亜の父と違い、小菊の父は平凡なサラリーマンだ。家族をとても大切にしてくれている。貧乏人とよくその二に蔑まれたが即行で祖父母にチクっては叱ってもらっていた。そのせいか、最近は会っても睨まれるか舌打ちをされるだけで終わっていた。が、舌打ちはかなりムカつくのでやっぱり祖父母にチクって説教してもらい、睨まれるだけで終わっている。
「樹里亜のお祖父ちゃん、お祖母ちゃん達も私のお母さん達も樹里亜の目が覚めるのを待ってるよ。でもさ、私は樹里亜の目が覚めなくても良いって思ってるの」
目が覚めたって碌でなし親父や糞兄貴共との縁はずっと切れない。医者によると奇跡的に目が覚めても障害が残る場合があるらしく、健康な体で生活を送れないかもしれない。眠っている今、幸せな夢を見続けているならこのまま目を覚まさないでほしい。
樹里亜がいないと寂しい。他に友達がいると言えど、小菊にとっての大親友は樹里亜一人。
糞野郎共との縁が切れず、もしも体に障害が残るくらいなら、幸せな夢を見ているであろう眠りにずっと就いていた方が樹里亜も幸せではないだろうかと考えてしまう。
一度だけ、母に漏らしてしまった。不謹慎だと叱られると身構えるも、意外にも母も同意見だった。
『百合子さんも言っていたのよ。樹里ちゃんが目を覚まさないのは、幸せな夢を見ているかもだって。それなら、現実で生きるより眠っていた方が樹里亜ちゃんにとって良いのかもしれない』
百合子さんとは樹里亜の父方祖母の名前。百合子や祖父の正も礼儀正しく、しっかりとした人なのに、何故父親は碌でなしなのか。
愛する妻を殺した原因である樹里亜を嫌っているなら、どうして祖父母の養子にしなかったのか。世間体がどうのこうの言っていた気がするが樹里亜からすると糞食らえだっただろう。
カーテンを開けて眩しい光を放つ太陽を樹里亜に浴びさせる。窓を開け、外の空気を入れる。毎日樹里亜のお見舞いに来ており、何時目が覚めても良いようにと両家の祖父母や小菊一家が交代で泊まっている。最初の頃来ていた碌でなし親父や糞兄貴共は、何度も追い返されると来なくなった。いや、碌でなし親父は性懲りもなく来ようとしては撃退されている。
「樹里亜、私売店行って来るね」
喉の渇きを感じ、小腹も空いたので病室を出て売店へと向かった。
飲み物は紙パックのミルクティー、お菓子はマドレーヌと酸っぱい物も食べたいからと酢こんぶを購入。長方形の赤い箱でお馴染みだ。
代金を支払いレジ袋に詰めてもらって売店を出た。病室に戻ると小菊の瞳が大きく開かれた。
「あ……っ」
小菊で出て行くまで病室には樹里亜だけがいた。
今は——樹里亜を意識不明の重体にした元凶の糞兄貴その二である正人がいた。しかも彼女連れ。
小菊の顔を見た瞬間、すぐに顔を青褪めた正人は痛々し気に樹里亜を見ていた彼女の腕を掴んだ。
「ちょ、何なのいきなり」
「い、いいから、お見舞いもう終わったから帰ろう」
「終わったって今着いたばかりじゃない。妹さんが心配だからってデートの前にお見舞いに行くって言ったのは正人だよ?」
「……へえ、心配、ですか」
彼女の言葉により、更に顔を青褪めた正人の前に立った小菊はフンッと鼻で笑った。
「そりゃあ心配ですよね。何時樹里亜の目が覚めるから分からないから」
「い、いや、それはっ」
「この事は後でしっかりとお祖父さん、お祖母さんに報告させてもらいますね。貴方は此処に来るなって言われてる筈なのに、性懲りもなくまた来たって」
「す、すぐ出て行くから祖母ちゃん達には黙ってろよ!」
普段は沸点が低い方ではない小菊であるが相手によって変わる。特に、碌でなし親父一味になると。元凶たる糞兄貴その二の上からな言葉にカチンとなり、持っていたレジ袋を大きく振り上げ思い切りその二の頭に振り下ろした。悲鳴を上げる彼女には申し訳ないが一度キレたものはすぐに消えない。
丁度、紙パックの角が頭に当たったのか痛みで蹲るその二に冷たく吐き捨てた。
「彼女さんがいるから言えないですもんね? 本当は、樹里亜の目が覚めるのを一番望んでない、なんて」
「え? え?」
「あんたや正義さんが自分達の彼女さんに、妹とはとっっっても仲が良くて自慢だって言ってるのは知ってますよ。うちの兄貴が言ってたから。実際は家で虐めまくっていたくせによく平気で嘘を言えますよね。この糞野郎!」
「正人どういう事?」
痛みが強いせいで正人は反論叶わず、強く戸惑う彼女に小菊は頭を下げた。
「すみません、この糞野郎を連れて帰ってください。事実を知りたいなら糞野郎本人から聞いてください。ただ、一言言わせてもらうと——この糞野郎も糞野郎の兄貴も子供の時から妹を虐め倒す最低男ですよ」
「お前っ!!」
小菊の暴露に素早く顔を上げた正人だがまだ痛いのか、すぐに頭を下げた。戸惑いから疑いの目に変わった彼女が正人を連れて病室を出て行った。
此処にいたのが小菊だけで正人は助かった。祖父母や小菊の両親がいたら罵詈雑言の嵐に遭っていた。
「樹里亜」
随分と細くなった樹里亜の腕を擦り、小さな手を握り締めた。
「騒がしくしてごめん。我慢出来なかったんだ。樹里亜の糞兄貴共は、自分の彼女に妹と仲が良いって自慢しててどの口が言ってんだってずっと言いたかった」
今回を機に彼女にフラれてしまえと内心舌を出した小菊の期待は見事に当たった。
——五日後、正人は大学を退学した。更に彼女にも今まで嘘をついていたと責められフラれた。母方の祖父母に泣き付きに行くも二度と来るなと塩を撒かれ追い帰された。
読んでいただきありがとうございます。