白は黒へ⑥
「ヴィルはどうしたの?」
「ヴィルとは途中で別れて……今は私と甥っ子さんだけです」
地上へ戻ったのはいいものの、外には洗脳された人間達が多数待っていた。人間を殺すことも傷付けることも許されず、仮令神力を半分取り戻したヴィルでも無傷で多数を相手にしながらジューリアとヨハネスを守るのは無理だった。ヴィルに気を取られている間にヨハネスに抱えられ温室へ逃げ込み、その先でユリアとキドザエルが来た。最初は助けが来たと安心したのも束の間、今後ヨハネスが自由になる為にはヘルトにジューリアを捧げる気でいると発覚し、更にアンドリューの死を告げられヨハネスがユリアを拒絶した。
「甥っ子さんと逃げて来たのは良いけど城内を把握してなくて……」
「なるほど……」
呆れてはいるがヨハネスの危機察知能力だけは随一で信じて正解だとネルヴァに頭を撫でられたジューリア。未だネルヴァの腹に顔を埋めて泣いているヨハネスの頭も撫でている。
「ユリアが暴走するのも時間の問題、か」
「甥っ子さんのお母さんがこのまま暴走し続けて疲れたところをヴィルの兄者が気絶させるっていう手は?」
「それ以前の問題が起きる」
「問題?」
「ああ」
心当たりがなく、何かと問えば堕天の二文字を紡がれた。
ハッとなったヨハネスは漸く顔を上げた。
「そ、そんなっ、母さんはずっと天界にいたのにっ」
「堕天化は何も体内に溜まった汚れや魔族の魔力だけが影響するわけじゃない。感情を制御できず、負の感情が爆発的に増えれば——一気に堕天化が進む」
絶望とした面持ちで呆然とネルヴァを見上げるヨハネスの痛々しい姿を目にしても、力になれない自分が嫌になる。自分がユリアの許に行ってヘルトに喰われてしまっても彼等が助かる道は——ない。口では助けると言いながら、ネルヴァやヴィルの神力を奪う気満々なヘルトは信じられない。
「も、もしも、甥っ子さんのお母さんが堕天したら、どう……なりますか?」
「天使と同じで堕天した神族も元に戻す方法はない」
カマエルと同じで殺すしかない。
「次に、怪物となるか完全な堕天化どちらになるかと聞かれると……正直私も分からない。何せ、神族の堕天化は長い天界の歴史で一度もないからね」
ふと、地下で見たセレナはカウントしないのかと気になった。ブランシュによって進行を抑えられているとはいえ、怪物の堕天となって理性もなく、姿さえ辛うじて解る程度なのだ。
ジューリアの心の声を読んだネルヴァは首を振った。
「セレナは数には入れない。怪物にも堕天化にも、完全にはなっていないからね」
「そ、そうですか」
「本格的にユリアを止めに行こう」
腹に抱き付くヨハネスを引き剥がそうとするネルヴァだが、思いの外拘束力が強く外せない。離れるよう名を呼んでもヨハネスは頑なに離れようとしない。ネルヴァの腹に顔を埋めたまま泣いている。
「伯父さん……っ、ぼ、ぼく、どうしたらいいのっ」
「……少なくともお前にユリアをどうにかする力がないのは知ってる。まずは離れなさい。何時までもこうしていてはユリアを止められない」
「もし母さんが堕天したら!?」
「その時は殺す」
「っ」
あっさりと下したネルヴァの決断力に驚きながら、それが余計な被害を出さない為の最適解だと誰も言わずとも解っている。
解っていても心は追い付かない。
特にヨハネスは。大好きな母がもしも堕天すれば、両親を一度に失う羽目になる。
拘束力が緩んだのをいいことにヨハネスの腕を離したネルヴァは立ち上がった。
「本当に母さんを殺すの……? 母さんは……ぼくの為にこんなことをしただけなのにっ」
「……なら、尚更早く向かうんだ。ユリアが堕天さえしなければ殺さずに済む」
「……」
あくまで殺すという選択肢は堕天化してしまった場合に限る。現状、神力を暴走させているだけなら間に合うと諭されたヨハネスは袖で力強く涙を拭い、赤くなった目元でネルヴァを見上げた。
「ぼ、ぼくも行く。母さんに天界に戻ってもらうようぼくが頼む……」
「分かった。すぐに行こう」
「うん……」
果たして今のユリアが素直にヨハネスの言葉を聞き入れるかどうか。怪しいとネルヴァもリゼルもきっと感じている。ジューリアも然り。何ならヨハネスだってそうであろう。
棚に凭れていたリゼルが姿勢を正す。
「話は終わったか?」
「お待たせリゼ君。ユリアのいる温室へ向かう。リゼ君はリシェル嬢達のところに戻る?」
「大天使にリシェルを託している。アメティスタの娘もこの状況でリシェルに危害を加えることはしないだろう」
「ミカエル君は融通が利くから安心していいね」
視線を感じたジューリアが上を向くとリゼルに見られていて、視線でこっちに来いと言われている気がしてならない。直感でリゼルに近付いたら首根っこを掴まれ上へ抛られた。空中で舞うジューリアをリゼルは抱き留めた。
「リゼ君ちゃんと女の子扱いしなきゃ」
ネルヴァの小言を聞き流したリゼル。ジューリアの方は構わないと間に入る。
超絶美形のリゼルの美顔を間近でまた見られるのだ。更に子供のジューリアでは足が遅く体力がない。誰かに抱えてもらえないとすぐに置いて行かれる。扱いはアレだがジューリアにとっても都合が良い。
リゼルの顔を凝視しているジューリアは呆れた眼を寄越すネルヴァと目が合った。
「ヴィルが一番じゃなかったの」
「勿論ヴィルが一番。でもね、補佐官さんは私が好きそうな顔をしてるってヴィルが教えてくれたの」
「そうなんだ……」
一応魔界の事情を把握しているヴィルが言うのなら間違いないと信じるジューリアもジューリアだが、一番好きと言われて嬉しいくせにジューリアの好きな顔の相手を教えるヴィルもヴィルだ。
「無駄なお喋りは止めだ。……段々外が騒がしくなってきた」
呆れと鋭さが混ざった声のリゼルによって気持ちを切り替え、気配を辿ったネルヴァは「確かに……」と頷く。ヨハネスの状態を確認後、三人は備品室を走り去った。
姿が見えない結界を張って走る三人はパニック状態に陥っている城内の人々を横目にユリアの神力がまた増したのを感じた。人間のジューリアだけ神力を感じられない。
「ブランシュに成り代わっている二代前の神は、甥っ子さんのお母さんのこと気付いている筈ですよね! どうして何もしないのかな」
「敢えて放置しているか、若しくはヘルトにとって、ユリアの神力が暴走しようと関係ないといったところかな」
神力を奪ったネルヴァへの復讐を果たす為に、泣いているヨハネスを助けたいユリアの気持ちを利用し、将来有望な天使の子供達を洗脳した挙句喰らい続けたヘルトにとってユリアは使い捨ての駒。使えなくなったと判断すれば即切り捨てるのみ。複雑極まる相貌のヨハネスとは反対に、ネルヴァの方は淡々としている。
「あ」と声を出したジューリアの視線の先に、少し前大怪我を負った父シメオンが映った。大量の血液が広がる場所をジッと見つめるシメオンは深く項垂れており、死んだ誰かへの追悼をしているような気がした。
「バレますか?」
「バレない」
「誰が死んだの……」
「お前達が城へ行っている間、こっちにも皇帝直属の魔法使いが来た。死んだのはそいつらだ」
あっさりと言ってのけたリゼルの台詞に驚きはしつつ、やはり宿にも魔法使いは来ていたのだと納得し、殺したのはリゼルだとも悟った。姿が見えない結界を張ったまま過ぎ去ったのも束の間。「待て!!」と怒号を放ったシメオンは、見えていない筈のジューリア達を憎しみに満ちた眼で捉えた。
「魔族だろう!? そこにいるのは分かっている! 姿を見せろ!」
シメオンの瞳には魔力を感知する術式が刻まれていた。フローラリア家で見たのと同じだ。
「殺していいか?」
「えー……」
リゼルに問われたジューリアは悩んだ。家族だと、父親だと思っていないが七歳まで育ててもらった恩はある。何より、家族を、父親の愛情を知らなかったジューリアにそれらを教えてくれたのはシメオンやマリアージュだ。
シメオンが死ねばマリアージュが悲しむ。
「できればなしの方向で。育ててもらった恩はあります」
「面倒な……」
「そ、そう言わずに」
上位魔族にとって優れた魔法使いだろうと所詮は人間、殺さないよう手加減をして相手取る方が面倒なのはジューリアにも何となくだが解る。解るが殺されては困る。
「人間に危害を加えられるのは魔族の特権だものねえ」
「うるさいぞネルヴァ」
「とはいえ、ゆっくりしていられない。壁に埋める程度にすれば、フローラリア公爵も暫くは動けなくなる」
「はあ」
助言を与えられようと実行するのはリゼル。面倒くさそうに溜め息を吐くと痺れを切らしたシメオンがリゼルに向かって駆け出した。驚くジューリアを抱く腕を強め、難なくシメオンの攻撃を躱す。真横に立ったリゼルは片手でシメオンの顔を鷲掴んで壁に激突させた。
瓦礫の中に埋もれたシメオンは呻き声を発し、死んではいないと判断したリゼルが踵を返した。ら。
「ま……待て……」
辛うじて生きている声が呼び止めた。
「お前は、ジューリアを攫った上位魔族だなっ? ジューリアは、ジューリアとテミスは何処にいる!?」
一度相見えた相手は姿が見えずとも認識するらしく、激怒の情を持ってシメオンはジューリアやテミスを返せと喚いた。
どうする? と視線を問われたジューリアは放置一択を選択した。シメオンの傷は見るからに重傷で癒しの能力級の治癒魔法ではない限り動けないまま。
「このまま温室に行きましょう!」
「お前の父親がそれで死んだらどうする?」
「死にませんよ。きっと」
確固たる証拠はないが自信だけはある。
無言で頷いたリゼルは喚くシメオンに振り向かず走り出し、後をネルヴァやヨハネスも追った。
「待て! 待て……っ!! ジューリアを……私の娘を……返せー!!」
大怪我を負ったシメオンの悲痛な叫び声はジューリアの心には響かない。ブランシュの身体を乗っ取ったヘルトの術に嵌まったにしろ、本心で魔力しか取り柄のない無能と蔑んだのは事実なのだから。
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