狂神の執着と憎悪④
天界と人間界を繋げる扉が自由になった今、続々と帰還する天使達の浄化作業を行うべく、てんやわんやとなっている。天使不足が災いし、熾天使も浄化作業に駆り出される始末。忙しなく周囲に指示を飛ばすアンドリューの姿を目に焼き付けていたユリアは静かにその場を離れ、人気のない回廊を無言で歩いた。長く歩いた先には真っ白な扉があり、容易に開くと奥は更なる道に続いていた。
「ユリア様」
「!」
誰もいないと油断していたユリアは背後から声を掛けられるとは微塵も抱いていなかった。大きく肩が跳ねると声を掛けた相手は「申し訳ありません。驚かせるつもりはなかったのですが」と謝罪。ユリアが振り向くとそこには——主天使キドザエルがいた。
「どうしてここに……」
ユリアが来たのは神族だけが立ち入ることを許された領域。上位天使のみ神族の許可を得て入れる。キドザエルは主天使。中位天使の頂点だろうと彼には許可が下りない。
「どのような罰も受ける所存です。しかし、今は一刻を争います。ユリア様、どうか二代前の神ヘルト様とセレナ様が何をしたのか、改めてご説明願えませんでしょうか」
「……」
真実を知りたいと訴えるキドザエルに対し、胸の前で両手を握り黙るユリア。沈黙はキドザエルが許さなかった。
「貴女がヘルト様に差し出した天使の子供の中に、私の姪がいました。生まれつき神力が強く、力が安定するまで屋敷に籠って生活を送る筈でした。心臓発作で亡くなったと知った時は、これがこの子の運命だと受け入れました。だが、そうじゃなかった。姪は……アスカは生きていました」
亡くなったと思い込まされたのはアスカが五歳の時。三年前となる。生きていたら八歳になっていたアスカは、洗脳魔法によって記憶や人格を歪められ、成長促進の薬によって成人の姿となってしまった。
魔王の補佐官リゼルによって重傷を負わされ、人間界に残ったミカエルが死なないよう治療をしている最中だと話すとユリアの顔が強張った。
「人間界にミカエルが……?」
「私も先程まで人間界にいました。ヨハネス様を説得する為に。ミカエルは私の補助として」
「キドザエルは私に『異邦人』の少女を狙う手掛かりを探してほしいと頼みましたよね? なのに、何故態々天界へ戻り、こうして頼むのです」
「本当は知っているのではないかと思い至ったのです」
核心を突いたキドザエルの言葉にまた黙ってしまう。胸の前で強く手を握り、口を開くのを躊躇させる。
「ユリア様。このままでは『異邦人』の少女がヘルト様やセレナ様によって殺されてしまいます。我等天使や人間を導く神が罪もない人間の少女を殺せば、敵対する悪魔と同じになってしまいます」
その悪魔を統べる魔王や補佐官を友人に持つ者が神族に一人いるとは敢えて触れなかった。
「キドザエルの言う通りです……。ヘルト様やセレナ様が『異邦人』を狙う本当の理由を知っています……。お二人の目的は、嘗て自分達の力を奪ったネルヴァ様への復讐です」
「やはり……」
薄々、というより、人間界の宿でリゼルと話していた通りの目的に深い溜め息を吐いた。
『二代前の神は、確かネルヴァに力の大半を奪われていたな。あの娘を狙うのはネルヴァへの復讐の為じゃないのか?』
『確証がないので何とも言えません。が……恐らくそうでしょう』
城の離れに押し込められた二人は表向き大人しくしていた。実際は、復讐の機会を虎視眈々狙っていたとすれば、気付けなかった天界側の責任となる。ネルヴァやヴィル達も放置一択にしていたのも問題だ。力の大半を奪われた二人が大それたことをしでかすとは頭の片隅にも考えていなかった。
「行方不明となった見習いや子供達全員の現在を改めてご説明願います」
「……」
ユリアはまた黙る。
キドザエルはユリアが話してくれるまで待つ事にした。
ユリアが胸の前で握る手の力を強め、瞳を固く閉じた。何かを堪えるような苦し気な表情を浮かべて。重い沈黙に包まれる事幾許か。ユリアは徐に口を開いたのだが——二人を訝し気に呼ぶ男性の声によって再び口は閉ざされた。
「何をしているのですか、二人とも」
「アンドリュー様……」
間が悪いとはこの事。現場で指揮を執っていた筈のアンドリューが何故此処に? と二人共に顔に出ていたらしく、アンドリューはユリアを探していたと話す。
「私を……?」
「ええ。ヨハネスが戻り次第、ヨハネスの教育内容を大幅に変更します。その手伝いを貴女にしてもらいます」
「大幅にって……アンドリュー様、どうかヨハネスに少しでも良いから自由を与えてください。あの子が天界を抜け出したのだって、元はと言えば無理な教育内容を無理矢理やらせていたからです! ヨハネスもきっと反省しています。だから、あの子が天界に戻ってきてからの予定を」
「ヨハネスが人間界に脱走したせいでどれだけ予定が遅れたと思っているのですか。遅れを取り戻すには一夜漬け等生ぬるい。ヨハネスは神の座に就く神族。天界の頂点に立ち、天使や人間に尊ばれる絶対の存在に怠慢等許される筈がない」
「っ」
「私がずっと代理をしても良いと言いたいところですが永遠には出来ません。神たる自覚があの子には足りなさすぎる」
我が子に自由を与えてやりたい母と自身の理想を我が子に押し付ける父。夫に従いながらもユリアが常に気に掛けていたのは我が子の幸せのみ。自身の力が及ばないと解っていてもアンドリューに意見を申し立てていたのはその為。
「アンドリュー様、どうかユリア様のお言葉に少しでも良い、耳を傾けてはもらえませんか」
「黙りなさいキドザエル。第一、何故お前が此処に? 此処は神族と許可を与えられた上位天使しか入れない。お前が主天使であろうと入る資格はありません。ヨハネスはまだ戻っていませんね? ヨハネスが帰還次第、無許可で立ち入ったお前には罰を受けてもらいます」
「どんな罰でも受ける覚悟は出来ています。ですが今は、どうかユリア様の——」
「……もう、いい……」
頑としてキドザエルの訴えを聞く気のないアンドリューは冷徹な銀瞳を消さず、早くヨハネスを帰還させろと命じた。神族に逆らえないキドザエルは内心ではどう思おうと重々しく命令を受け入れようと頭を下げた。
静かな場に発せられた女性の低い声が気のせいか大きく響いた。二人の瞳がユリアに向いた直後。
「なっ……」
アンドリューの胸に飛び込んだユリアは驚愕し、瞠目する銀瞳を見上げた。
「アンドリュー様……私が大事なのはヨハネスです。あの子を守る為なら、私は何だってします」
後ろへ倒れたアンドリューに咄嗟に駆け寄ろうとしたキドザエルを振り向いたユリアが牽制する。
「もう後には戻れない……ヘルト様やセレナ様に命じられ、天使見習いや子供を二人に差し出した時から……私の手は汚れました」
「ユリア様……何故アンドリュー様を」
ユリアの後ろに仰向けで倒れるアンドリューの胸元は大きな血が広がり、倒れている下からも大量の血が広がっていく。
「ヨハネスはアンドリュー様の理想を押し付ける道具でも、ネルヴァ様やヴィル様の代わりでもないっ。本当なら、まだまだ子供でいられたあの子を無理矢理大人にさせたアンドリュー様をずっと憎んでいました」
「……」
「そして……アンドリュー様に逆らえなかった私自身の事も憎みました。でも……もう終わりです。キドザエル、貴方は私を傷付けられない。私と来てもらいます」
弱気でアンドリューの後ろに控えるだけだったユリアの姿は何処にもない。
キドザエルの目の前にいるのは、子を守る為に手を血で染めた母の姿。
天使は神族を傷付けられない。血塗れのアンドリューが心配であるも、致命傷は避けたと言ったユリアを信じ、キドザエルは後を追った。
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