狂神の執着と憎悪①
姿を隠したまま移動するというのは非常に便利である。帝国の魔法使いと共に馬車に乗り込んだヴィルを追ったジューリアとヨハネスは城の前に着いた。
貴族の屋敷は勿論、皇族の住む城にも厳重な結界が貼られている。許可を得た者しか入れない結界に触れたヨハネスは瞼を閉じた。幾許かして目を開けると「これなら僕でもいけそう」とジューリアの手を引いて結界の内側に入った。
結界を破らないで入れば気付かれずに済む。
ジューリアは何時見ても巨大で豪華絢爛を表す城に圧倒される。一度目はジューリオとの顔合わせ、二度目は皇后主催のお茶会、三度目となる今度は完全なる不法侵入である。
「見つかったら捕まるね」
「僕がいるんだし、ヴィル叔父さんを追い掛けて来たって言えばいいよ」
「うん」
側にヨハネスがいるならジューリアは城内を知っているから連れて来られたと言い訳が立つ。
「ヴィル叔父さん何処にいるんだろ」
「神力を辿れない?」
半分の神力が戻っていようといなかろうと、置いて行かれたら毎回ヴィルの神力を辿って探しに来ていたヨハネスならすぐに見つけられる。ジューリアが何気なく聞けばヨハネスは渋い顔をしていた。
「それが……城に入った時から変な感じがする」
ジューリアには分からず眉を八の字に曲げた。
「どんな感じ?」
「なんと言うか……居心地が悪くて身体がムズムズする」
「痒い?」
「一歩手前くらい」
それは嫌だ。
ヴィルの神力を辿るのが最も手っ取り早いがヨハネスの様子を見ていると難しい。目当ての人、皇太子のいそうな場所を虱潰しに探すしかないと二人が判断した直後。
二人は後ろから誰かに首根っこを掴まれた。姿の見えない魔法を使っているのに何故、と慌てふためけば呆れと怒気の混ざった低い声が発せられた。
「ヨハネスは兎も角……お嬢さん」
「こ、この声は……」
恐る恐る振り向けば——予想通りネルヴァがいた。少々お怒りな顔を見て言い訳を考えるも、何も浮かばず必死に謝った。
現在最も一人で外を出歩いてはいけないのはジューリアなのに、危機感がなさすぎると地面に下ろされ叱られてしまう。正しいだけに反論ができない。
矛先はヨハネスにも向いた。
「あの二人がお嬢さんを狙っていると判った以上、一人ではいさせられない。お前まで一緒に来てどうする」
「ごめんなさい……」
「あ、あの、甥っ子さんのことは怒らないであげてください……。ヴィルが気になって行きたいって言ったのは私だから……」
余程のことではない限り、今のヴィルなら心配不要と思いたいのに、どうも嫌な予感がする。上手に言えないながらもジューリアはその旨をネルヴァに話す。膝を折って浮かない顔をするジューリアと目線を合わせたネルヴァ。
「まだあの二人の潜伏先を掴めてないんだ。ヴィルが心配だったとしても私に言えばこうやって様子を見に行くんだ、次からは大人しくしていなさい」
「はい……」
大きな声で怒鳴られている訳でも、汚い言葉で罵られてる訳でもない、静かに叱られていることに慣れていないジューリアは反省を促されるがまま謝った。ヨハネスも謝るとネルヴァは漸く普段の微笑を浮かべた面持ちをした。ネルヴァが立つ際にジューリアは抱っこをされた。
「補佐官さんと一緒」
「リゼ君は、君を抱きながら御父上と魔法使いにされた天使と戦っていたんだってね」
前世でいう絶叫系アトラクションに乗っていた気分を味わえた。ネルヴァに抱き付くと背中をポンポンと叩かれる。
「で、ヴィルの居場所は掴んでる?」
「ううん。城に入った時から、嫌な感じがしてヴィル叔父さんの神力を辿れてないんだ」
「嫌な感じ……」
ヨハネスの言葉を受け、ネルヴァは無言で瞼を閉じた。幾許かすると怪顛に目を開けた。
「え、ど、どうしました」
「……ヴィルのことは後回しだ。今のヴィルなら、大抵のことなら一人でどうにかやれる。ヨハネス、私に付いてきなさい」
「う、うん」
ヴィルが心配でやって来たジューリアとヨハネスの意思を後回しにする程のものをネルヴァは感じ取ったのだろう。姿を隠す魔法はヨハネスからネルヴァに変わり、多少の声を出しても気付かれない強化版となった。
姿が見えないのを良いことに堂々と正面から入り、気配を察したネルヴァの後ろをヨハネスが黙って付いて歩く。
「ネルヴァ伯父さん……何があるの?」
「お前の言った不快な感覚に覚えがある」
「祖父ちゃんと祖母ちゃんが関係しているの?」
「ああ」
抱っこをされているジューリアは横から見る玉顔も至高で目に焼き付けるように凝視しつつ、一つ抱いた疑問を口にした。
「ってことは、協力者の魔法使いもいそうですか?」
「そこまではなんとも。……着いた」
立ち止まったのはどんな場所かとジューリアが後ろへ向けば、見張りの騎士が二人立っている二つ開きの扉の前。歩行を再開したネルヴァが扉を通り抜ければヨハネスも続いた。室内には大きな円卓を中央に置いて皇族の紋章が掲げられた壁の前に皇帝ガイウスが座り、他の席にはちょっと前に別れたシメオンや、腰まである長い新緑色の髪に橙色の瞳を持つ胸の大きな美女、喜色満面な青い髪の若い男、お酒でも飲んだのかと聞きたくなる赭面の老女、浮かない面持ちをしているブロンドの女性、合計六人が円卓を囲んで座っていた。
「この人達が皇帝直属の魔法使いなんだ……」
当然の話シメオン以外全て初めて見る人ばかり。その中でネルヴァが特に視線をやるのが青い髪の男。室内の雰囲気と男の表情が一致しないが誰も突っ込まないのは、これが通常運転なのだろう。
「シメオンやテミスを襲った魔族とジューリア嬢の捜索、フローラリア家で保管されていた“浄化の輝石”と城で保管されていたブルーダイヤモンドから祝福を奪った犯人の捜索。一度にこれだけの事件が起きるとは……帝国の長い歴史上極めて稀だ。皆、気を引き締めて任務にあたってくれ」
「陛下、一つよろしいですか」
「何だブランシュ」
ブランシュと呼ばれた青髪の若い男は起立した。
「髪の毛青いのにブランシュなんだ」
「私も思った」
「二人とも静かに」
髪の毛に対して名前が白と突っ込みを入れるヨハネスとジューリアを黙らせたネルヴァは再び視線を前へやった。
「ジューリア様を攫った魔族は、シメオン様の報告通り高位魔族だとすると対抗する術が非常に限られます。陛下もご存知のように、魔族……それも高位になれば人間では歯が立たなくなります。現在、大教会に滞在している天使様に協力を仰げないでしょうか」
「ふむ……」
中位級の魔族でも人間ではギリギリ勝てるかどうかの世界。シメオンやテミスを襲った高位魔族の見目を具体的に話してほしいとブランシュに求められ、起立したシメオンは魔族の見目について切り出した直後、扉が控え目に叩かれた。入室の許可を与えたガイウスがやって来た騎士の「天使様がジューリア=フローラリア様の件について陛下にお話があると此方に」と報告され、すぐに入ってもらうよう告げた。
「皇太子殿下のところじゃないんだ」
魔法使いの集団に囲まれていたヴィルを思い出す。先ずは皇帝と話をし、その後皇太子に接触する算段に変えたようで、連れて来られたヴィルはブランシュを除いた面子が一斉に立ち上がろうとしたのを「いい」と制し、シメオンの二つ隣に座った。
「フローラリア公爵。ジューリアが魔族に攫われたと聞いた。彼女を一人にして済まなかった」
「そんな、天使様のせいでは」
「ジューリアの侍女もジューリアの頼みで元侍女の動向を探っていたんだ。俺も外に出ていたこともあって、魔族は一人になったジューリアを攫うのは今だと思ったんだろう」
「天使様、どうか、ジューリアを助けてください! 私達人間では高位魔族と戦う術がなく……」
本当なら己の力でジューリアを取り戻したいと願うシメオンであるが相手が高位魔族となると話が大きく変わる。
「一つ聞くけど、人間で高位魔族と対等に戦える魔法使いっているの?」
「帝国と親交のある王国に、大陸最高峰と言われる大魔法使いがいます。その者なら高位魔族であろうと戦えるかと」
「へえ。一つ言っておいてあげよう、神力が戻ったお陰で元の姿に戻れたと言えど、戻った力は半分。俺や俺より弱い甥っ子じゃ、ジューリアを攫った魔族には勝てない」
「天使様でも……」
「ジューリアを攫った魔族の特徴を教えて」
「はい。あの魔族は……」
戦っている最中、認識を変える魔法をかけたとリゼルが言っていた通りにシメオンは魔族の特徴を挙げていった。長い黒髪、血のように濡れた赤い瞳、一目見ただけで震え上がる娟麗の男と最後以外特徴が合っていなかった。リゼルを知っているヴィルはそれに触れず、小さく息を吐いた。
「ジューリアを攫った魔族は魔王級の魔力を持つ。天界側が出張るなら、熾天使か神の一族でしか相手にならないね」
「ま、魔王……!?」
高位魔族どころか、魔王と同等の力を魔族と知り、悲鳴に近い声を上げたシメオン。他の者達の反応も近く、特にジューリアの婚約者ジューリオの父たるガイウスは少し青褪めた相貌をしている。
「ジューリア嬢の魔力は魔王並の魔族にも魅力的だということですか……?」
「ジューリアは特殊な体質の持ち主で人間にとっては無能でも、他種族から見ると魅力的な存在なんだ。魔法が使えないのも体質のせいさ」
「え」と驚いたのはシメオン。帝国中の名医や魔法使いに診てもらってもジューリアが魔法を使えるようにならなかった理由を天使様が把握していると知り、驚愕すると共に理由を教えてほしいと迫る。シメオンを一瞥しただけで今は関係ないと一蹴したヴィルは席を立つ。
「魔族とジューリアの捜索は俺も手伝う。皇帝陛下、以前俺や兄者が伝えた件、どうなってる?」
「現在天使様にお渡しする報告書を作成中です。もう間もなく完成します。完成次第、大教会へ速やかにお届けします」
「ああ、ありがとう」
背を向けて扉へ向かうヴィルを「待ってください!」と止めたのはシメオン。
振り向いたヴィルは、何を聞きたいか分かっており冷たい銀瞳でシメオンを視界に入れた。
「ジューリアが魔法を使えない原因を教えて頂けませんかっ、それを知ればあの子は魔法が使えるようになります」
「ジューリアを助け出してからね」
淡々と対応をし、縋るシメオンの声を丸っとスルーしたヴィルは会議室を出て行った。その場に立ち尽くすシメオンに近付いたブランシュは肩に手を置き「シメオン様、一旦落ち着いて。席に戻ってください」と労わる。
「ヴィル叔父さん、僕達のこと気付いてなかったのかな」
「気付いてた。気付いていたから、お嬢さんの御父上が不用意な発言をしないよう手短に終わらせたんだ」
やっぱり気付かれていた。ヴィルを追うか、追わないかの話になった瞬間。
「わっ」
身体を後ろから伸びた手に抱かれ、前へ向けられると先程出て行ったヴィルがいて。ネルヴァにされていたように抱っこをされると少々お怒りの相貌と向かい合い、気まずいながらも目は逸らさなかった。
「何してるのジューリア」
「うっ……ごめんなさい。ちょっと気になって」
「全く……。ヨハネスと兄者もなんでいるの」
ヨハネスはこっそりと部屋を出たジューリアを追い掛けて一緒に来てしまい、ネルヴァはいつの間にかいなくなった二人を連れ戻しに来たのだと話されたヴィルは更に溜め息を吐いた。
「ヴィル」と呼んだネルヴァは場の主導権を握り、今後の対策を説明するブランシュへ胡乱げな眼をやる。
「青髪の彼、妙な気配を感じない?」
「ああ、俺も思った。どう言えば分からないけど……体に虫が歩いている不快な気配がする」
読んでいただきありがとうございます。