魔族、神族で駄目なら人間に
ヴィルの膝に座らされたジューリアは、改めて話を整理しようと呼び掛けたネルヴァの声に耳を傾けた。
「まず、リゼ君とお嬢さんがフローラリア家に行った後、ヨハネスの母ユリアと話をした。天界で認識阻害の魔法を使って、天使の子供の行方不明を消していたのはユリアだった」
「……」
俯くヨハネスの横顔は暗い。ジューリアは気にしつつも続きを聞いた。
「二代前の神がお嬢さんが生まれた瞬間に目を付けたという認識は合っていた」
帝国民は子が誕生すると必ず大教会で洗礼を受ける。その洗礼を天界から眺めていた二代前の神は『異邦人』特有の純粋な魂を持つジューリアに目を付けた。
「天使の子供が行方不明になり始めた時期はこの頃からだった。十年の間で消えた子供は全部で十五人。皆、産まれながら強い神力を持った天使の卵達だった」
子供を誘き寄せるのは至って簡単。天使の子供は同じ階位の子供同士と交流を持ち、定期的に集まっては皆遊ぶ。そこへ二代前の神が目を付けた子供をユリアが声を掛け、話をしたいと言えば、神族を絶対と子供の時点で刷り込まれる彼等は皆ユリアに付いて行ってしまった。
「で、選ばれた子供はその後どうなったんだ」とリゼル。
「両親と会わされ、洗脳魔法を掛けられ従順な人形の完成さ。十年の間で十五人という人数は少ないが、多過ぎれば認識阻害の魔法に影響が出ると危惧してのこと。神力が強い子を慎重に選んでいたんだろうね」
ドン引きしてしまうとはこのこと。
「私が神の座に就いていた頃、二人は城の離れに押し込めていた。ヨハネスが生まれて大人しくなったと言えど、根っ子の部分は絶対に反省してないと見ていたからね」
しかしこれがまずかったとネルヴァは言う。
離れは世話係と見張り以外誰もいない。ネルヴァやヴィル、末っ子弟のイヴは勿論、アンドリューでさえ、ネルヴァに瀕死の重傷を負わされ神力の大部分を奪われた両親を気に掛けなかった。存在を思い出した時に世話係に様子を聞いていた程度。
最も厄介なネルヴァ達が自分達を気にしていないのを好機と捉え、ユリアに命じ子供を集めさせた。
「ユリアが二人に従っていた理由も聞いた。はあ」
「なんだったんですか?」
「ヨハネスだ」
「え」
ユリアは命令に忠実でいれば、次代の神となる教育に漬けられ毎日何度も泣くヨハネスを次代の神の座から外してやると言われた。力を取り戻した暁にもう一度神の座に就こうとしているのがネルヴァ達兄弟の両親だ。
「二人が力を取り戻せばヨハネスは次代の神の座から降ろされ、自由の身になれる。そう思ったんだって」
アンドリューに従い夫婦共に厳しく接していたと言えど、ヨハネスを自由にしてやりたかった気持ちが強くユリアは従っていた。
「甥っ子さんのお母さんは甥っ子さんのお父さんより神力が強くても、ヴィル達に比べれば弱かったんですよね? どうやって天界全体に認識阻害の魔法を掛けていたんですか?」
「攫った子供の神力を使ったのさ」
攫われた子供は皆洗脳され、思うがままに操られていた。神力を奪われ殺された子供もいれば、奪わず操る為に生かされている子供いる。
「認識阻害の魔法を重点的に使ったのは上層部や子供の身内のみ。彼等を使えば周囲の認識もある程度操れる。そうやって行方不明の件を揉み消していったんだ」
この件についてアンドリューはユリアが関わっていると知らず、未だ報せていない。天界の扉が開かれ、誰もヨハネスを連れ戻しに来ないのはアンドリューが止めている為。神の代理に就いて自身が神になったらやりたいことをしている最中なのだ、今更ヨハネスに戻られても困る。一応、人間界にいる天使を帰還させるべくネルヴァが連絡を取り合っている主天使とミカエルが現在人間界に来ており、もうじき此処へやって来る。
魔族のリゼル、リシェル、ビアンカがいることについては既に話しており、大層呆れてはいたが他の天使と違ってネルヴァの性格を熟知している主天使は小言を言わなかった。
「今現在、攫った子供達の安否についてはユリアも分からないと言っていた。十五人の内、一人は帝国の魔法使いにさせられていた」
帝国魔法士団の魔法士長がその一人とネルヴァが話すとリゼルが異空間に閉じ込めたテミスを出現させた。顔に大火傷を負い、身体の方も重傷を負っているものの、死んではいない。
「容赦ないねえリゼ君」
「お前達の所に行った魔法士長とやらはどうした」
「捕獲してない。こっちも情報が欲しいからね」
敢えて捕獲したなかったのは魔法士長ネメシスを介して情報収集をする為。ネメシスの瞳に術を仕掛け置いて来たのだとか。
「魔法士長が見たもの、聞いたものがヴィルの兄者に流れるってことですか?」
「そうだよ。そろそろ動き始めるだろうね」
ネルヴァ達に接触した記憶もその時に消し、ジューリアを探しに街へ出たと書き換え済み。
「帝国内部の情報も欲しいね」とヴィルを見上げて言うジューリア。ヴィルも「同感」と頷く。
「ジューリアの父親を引っ張って情報を引き出す? 魔王の補佐官に重傷を負わされた今なら、簡単に引き出せそうだけど」
「帝国魔法士団を応援に呼んでたし、増援もするって言ってた気がするし……止めた方がいいかも」
「他に詳しく知っていそうな人を知らない?」
魔力しか取り柄のない無能だからとグラースやメイリンと違ってお茶会に参加させてもらえなかったジューリアは他家との交流が極端に少ない。親類だと年に一度の誕生日パーティーで会っていたがフランシスを除く皆がジューリアを無能認定していたせいでまともに会話をしたことがなく、親しい人は勿論いない。
「ジューリオ殿下って一瞬思い掛けたけど……私と同い年なら、あまり政治には関わってないよね」
「ジューリアの婚約者の皇子様はそうでも、皇太子なら話は別になる。次期皇帝としての期待も高いみたいだし、皇帝よりガードは低そうに見える。情報を狙うなら、先ずは皇太子を当たってみよう」
情報を得る相手は決定。ジューリアはヴィルの膝を降りた。
「ジューリアは兄者達といてね」
「うん」
部屋を出て行ったヴィルに「行ってらっしゃい」と声を掛け、ジューリアはふとリゼルに訊ねた。
「公爵様達は補佐官さんの姿をバッチリ見ちゃってますから、これから外に出て動くのは難しいですよね」
「言っただろ。上位魔族にとって人間は無力だとな。あの場にいた連中の認識を弄る程度造作もない」
「え。じゃあ、補佐官を見掛けても魔族って覚えてない?」
「ああ。思い出そうとしても別人の顔が浮かぶようにした」
何時の間に暗示を掛けたのか驚きながらも、魔王以上に強い鬼畜補佐官の名前は伊達ではないと改めて知った。
不意にネルヴァが「人間……人間ね……」と呟く。
「どうしたの? ネロさん」
「うん? いや、人間を相手にするなら人間をぶつけた方が安全かなと。神族の私やヴィル、ヨハネスは罪のない人間を殺せない。リゼ君は魔族だけど、魔界の規則に従うと無暗に人間は殺せない」
魔法士団に後何人の天使の子供が紛れいてるか不明な今、死なないように手加減をして戦わないとならず、ネルヴァやリゼルが強かろうと何時か遅れを取る場合がある。
悩むネルヴァを置き、ジューリアは部屋を出て行ったヴィルが気になった。
呑気に見送ったものの、妙な胸騒ぎがある。神力が戻ったと言えど半分。本来のヴィルの力を知らない為、その半分かどの程度かさえ分からない。考え悩むネルヴァに皆の視線が集中しているのを良い事にこっそりと部屋を出た。今から追い掛ければまだ間に合うと信じて行こうとしたら「ちょっと待って!」とヨハネスに呼び止められた。
「え!? 甥っ子さん気付いてたんですか?」
「今気付いた。ヴィル叔父さんを追い掛けるならぼくも行く」
「此処にいた方が安全なんですよ?」
「ぼくより君だろ。祖父ちゃんや祖母ちゃんが狙ってるのは君なんだから。ほら、ネルヴァ伯父さん達が気付く前に早く行くよ」
「わわっ」
早く早くとヨハネスに背を押され、転びそうになりつつもヴィルを追い掛けるべく細心の注意を払って大教会の裏口から外へ出た。
「姿を消す魔法ならぼくにもできる」
「はい」と言われて差し出された手を迷いなく取り、正面入り口に回った。
——足下に集まった小動物達を踏まないよう細心の注意を払い、両手に沢山のリンゴを入れたバケットを抱えて歩くのは、純銀の髪をふわふわと靡かせた美しい男性。長い銀色の睫毛に覆われた瞳が目の前に落ちてきた光の欠片を映した。
「……へえ……あの二人がねえ……」
銀色の瞳を細めた男性は一旦立ち止まり、バケットを地面に置いた。
「人間の信仰心を糧とする神族が人間を喰らって力を得ようとするなんて。どっかの大天使と同じ、いや、神の座にいたならより重い罰を下さないと」
他者が見れば惚れ惚れする美しき笑みは、親しい者が見れば苛立っている時に見せる笑みだと見抜ける。
リンゴの上に飛び乗ったウサギを抱き抱えた男性はくるりと後ろを振り向いた。何時からいたのか、毛先にかけて青が濃い青銀の長髪の男性がいた。気だるげな色香を纏った男性は、手にチーズとハムとレタスを挟んだクロワッサンサンドを持っていた。
「連絡か?」
「うん。ねえ、偶には私の頼みを聞いてよ。三人で旅行しない?」
「急だな……何か起きたのか?」
「ああ。人間の信仰心を根本的に失ってしまうかもしれないくらいの大事さ。ね? 付き合って」
「はあ」
男性は大きな溜め息を吐きつつもクロワッサンサンドを完食。「伝えてくる」と一言言い残して姿を消した。
腕に抱いているウサギを地面に下ろした男性はふわふわな頭を撫でてやった。
「リンゴは後であげるね」
再びバケットを持ち上げ、森の奥にある家へ向かったのだった。
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