セレーネどころではなかった
「セレーネ!」
「うるさいっ!」
よく旅人が使用するローブを身に纏ったケイティの手を振り払ったセレーネは憎々し気に彼女を睨み付けた。
「良い子ちゃん振りやがって! あんただってあの無能を見下してるくせに!」
「私を貴女と一緒にしないでください。お嬢様には、誠心誠意お仕えしています」
「旦那様や奥様、周りに見捨てられた無能に仕えて得なんてあるもんか! あんなの、ストレス発散の道具にしかならないわ!」
「セレーネ! 私達使用人は、どんなお方であろうと誠心誠意仕えるのが仕事です。それを」
「メイリンお嬢様かグラース様にお仕えしたかったのに、ジューリアお嬢様の侍女に選ばれた私の屈辱があんたに分かるもんか!」
「私の侍女ってそんなに嫌だったんだ」
知っていたけど。
ヴィルの張った結界のお陰で多少の声なら二人に届かず、感想を述べられる。凄まじい剣幕のセレーネに負けずケイティも己の主張をし続ける。
「セレーネがジューリアお嬢様の侍女に選ばれたのは、セレーネの真面目な仕事振りが評価されてのこと。旦那様や奥様は、確かにジューリアお嬢様への当たりは強かった。メイリンお嬢様やグラース様と差別をするようなことはしていませんでした」
してた。と言ってもケイティには届かない。ケイティが言うのは衣食住の面についてだろう。部屋はフローラリアの者が住む場所より遠くにされたものの、部屋の広さや家具は名家とあって流石と言って良い。一応欲しい物があれば随時追加はされていた。ジューリア自身物欲が薄く、滅多に言わなかっただけで。
食事をする時もジューリアに小言を言う為だったのか知らないが毎回呼ばれた。セレーネやミリアムの嘘の報告はあった時は罰として部屋で摂る様になっていたものの。
「大体何で今更旦那様も奥様もジューリアお嬢様を大切にするのよ! 今まで散々、私やミリアム様の言葉を鵜呑みにしていたのに!」
ヴィルのお陰だ。
「嘘というものは、いずれバレます。セレーネもミリアム様も己の職務を全うしていれば、悲惨な目に遭わずに済んだのですよ」
「私は旦那様や奥様の気持ちを汲んでお嬢様にお仕えしていただけよ!」
「あのお二方がジューリアお嬢様を虐げるように貴女に命令したと?」
眉間に皺を寄せ、鋭く瞳を細めたケイティの追及にセレーネは圧倒されつつも二人の意思を受け取っただけだと主張した。
「言われなくたって、将来グラース様やメイリンお嬢様の邪魔にしかならないあの無能を旦那様や奥様が邪魔だと思っていたことは知っているの。だったら、調子に乗らないよう私が制御していただけのこと。それの何が悪いの!」
仮にシメオンやマリアージュが率先してジューリアを虐げようと人として間違っていると思えないのか。目を血走らせ、声量を抑えられないセレーネは突然襤褸を脱ぎ去った。襤褸の下は何も身に纏っておらず、露わになった素肌を見たケイティは絶句した。結界に隠れて見ているジューリアも然り。ヴィルに至っては少々顔を歪めた程度。
「セレーネ……それは……」
セレーネの裸体には幾つもの痣があり、手首や足首、太腿には縄で縛られた痕がくっきりとあった。
「フローラリア家を解雇され、実家にも勘当された私は、持っていた宝石なんかを売って最初は街の食堂で働いてた。でもフローラリア家で貰っていたようなお給金を出してくれる店は何処にもなかった」
ケイティが語っていた浪費癖は治らず、我慢をしても限界を迎えた。宝石や服を買い漁っていれば街の食堂で貰った給金は一瞬で底を尽き、金に困っているところを性質の悪い商人の上手い話に乗せられ全財産を失った。貧民街へ逃げ込んでも此処は表世界では生きていけないならず者の住処。複数の男に襲われた挙句、侍女であったら絶対にされなかった目に遭った。臭い襤褸を纏うのは男達に所持していた衣服を破り捨てられたせい。
「この襤褸を纏っていたって貧民街の女に飢えた野郎共に襲われた。あんたに、複数の男にまわされた挙句人間扱いされなかった私の気持ちが分かる!?」
「……」
「全部あの無能のせいよ! あいつのせいで私はこんな目に遭ってるんだ!」
フローラリア家を追い出され、それなりの日数が経っていると言えど、予想以上に悲惨な生活をしているセレーネに同情はするも助けてはやらないジューリア。魔族に身体を乗っ取られ、重罪を犯したミリアムとはまた違う意味で悲惨だ。
「……それで、セレーネがジューリアお嬢様に会いたいのは、再びフローラリア家で働きたいからですよね?」
「そうよっ、どうせあんただってあいつの侍女を嫌々やってんでしょう? だったら私が代わってあげる。ジューリアお嬢様の事は私がよく知ってる。口では強がっても、旦那様や奥様の愛情を欲しがっていた。私を許せば、お嬢様の心の広さに感動した旦那様や奥様はお嬢様のことを見直す筈。私は侍女に戻れて、お嬢様は再びフローラリア家の娘になれる!」
「お嬢様は望んでいません」
そうだそうだ、と言いたげにジューリアはケイティの言葉に何度も頷いた。
「お嬢様は、自ら望んで大教会で生活を送っています。セレーネのことは確かに気にしておられました。ですがその程度です。貴女が貧民街で生活をしていると私が言った時、お嬢様は悲しんでおられませんでした。当然です、貴女もミリアム様も自業自得の結果。お嬢様を恨むのは筋違いです」
ケイティは懐に手を伸ばし、一枚の封筒を差し出した。
「此処に平民が貰う平均的な二か月分のお金があります。安い部屋ならこのお金で十分借りられます」
「ケイティ? なんでセレーネにお金を……」
「大体の予想はつく」
「ヴィル?」
「元侍女に手切れ金を渡して、金輪際ジューリアに近付けさせないようにするのが現侍女の魂胆さ」
「ケイティ……」
「若しくは、帝都を離れ隣町に行くのも一つの手です。隣町なら、帝都より家賃や物価が安いと聞きます」
「何よ、お金なんて渡して」
「このお金を渡す条件として、今後二度と大教会に姿を現さないと約束してください」
ヴィルの言った通り、ケイティの狙いは手切れ金を渡してセレーネにジューリアと関わりを持たせないようにする為だった。
「私がジューリアお嬢様の前に姿を現すと拙いみたいね」
「お嬢様は現在貴女がどうなっているか知っています。貴女を見たとしても可哀想とは思っても助けようとはしません。セレーネ、貴女だってお金は欲しいでしょう? 私に約束をしてくれれば、このお金はあげます」
「……」
「足りないなら、もう一月分追加します。それなら、病院へ行って怪我を治すこともできます」
ケイティのお金が勿体ないと今すぐ止めに行きたい気持ちがあり、自分が行けばケイティの交渉が無駄になる。ヴィルの手を握って自分を止めるジューリアはセレーネの回答を待った。
徐に手を伸ばしたセレーネはケイティから封筒をふんだくった。
「一月分追加しなさい。それで帝都を出て行ってやるわ」
「分かりました。追加分は明日此処に持って来たら良いですか?」
「そうよ」
再度了承の旨を伝えたケイティはフードを深く被り此処を出て行った。
以前家族に仕送りをしているとケイティは言っていた。平民が貰う平均の月給三か月をセレーネに渡してしまえば、ケイティの生活が苦しくなってしまう。だが、止めてしまえば此処にいたことがバレてしまう。ケイティとしては、きっとジューリアに知られたくない。
「ふふ……」
不意に笑い出したセレーネに吃驚すれば。
「帝都は出て行ってやるわ。その前に、搾り取れる分だけ搾り取ってやる」
全然懲りていないと知り落胆する。
ヴィルに抱っこをされ、外へ出ると下ろされた。
「はあ……三か月のお金を渡したってセレーネは帝都を出て行かないね」
「それもあるけど……ジューリアの侍女が渡したお金はすぐに無駄になりそうだ」
「無駄遣いする気満々だもんね」
「そうじゃない。あれ」
ヴィルが見ている方をジューリアも見れば、複数の男達がセレーネの家を見てニヤニヤと嗤っている。
「うわ……」
「多分、元侍女は常に見張られているんじゃないかな」
「どうしよう、ケイティが渡したお金が無駄になる」
セレーネに関しては自業自得感があるものの、ケイティがジューリアの為に用意したお金が無駄になるのは避けたい。
「はい」
「え」
ヴィルに渡されたのはケイティがセレーネに渡した封筒。
「魔法ですり替えた。君の侍女からすれば、俺達に見られたのは嫌だろうけど、事情を説明したって良いと思うよ」
「ヴィル……ありがとう」
セレーネの所には偽物がある。この後、男達はセレーネの家に強襲をしかけ、封筒も奪い取る算段でいる。ヴィルの転移魔法で中央通りに戻り、リストランテに行けばネルヴァ達はまだいた。
二人に気付いたネルヴァが「お帰り」と振り向いた。
「何処に行っていたの」
「私の元侍女の所です。そっちは何か収穫はありました?」
「ああ。かなり最悪なのがね」
「え」
深い溜め息を吐いたネルヴァの側には、深く落ち込んでいるヨハネスがいて、ヨハネスの母ユリアが何を話したのかを聞いてみれば。
「あのどうしようもない二人の居場所が分かった」
「何処?」
「皇帝直属の魔法使いの中に紛れ込んでいるそうだよ」
皇帝直属と言えば、帝国屈指のエリートのみで構成された魔法使いの集団。その中に二代前の神が紛れているとユリアは話した。更に、集団のトップが二人の協力者だとも。
「すぐにどんな魔法使いか調べるにしろ、私やヴィルが帝国にいるのは完全に知られている」
再度溜め息を吐いたネルヴァの銀瞳はリゼルに移った。
「悪魔にとってもうんざりな事になるだろうね」
「ああ。帝国……それも帝都にいる悪魔にはな」
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