堕天使⑦
肉体が崩壊し、理性も知性も無くなり怪物と化した元天使達が一斉に襲い掛かった。リシェルは戦いの経験は無いに等しくても高位魔族、魔法を駆使して自身の身を守るのに精一杯。アメティスタ家の当主が操っている事もあり、怪物達はビアンカを襲おうとしない。豊富な魔力を持っていても現在進行形で特訓中のジューリアは怪物を追い払う術はなく、ヴィルに手を握られ逃げ回る状況。神力の波を感じては怪物を消していくものの、神経を大いに使い、ジューリアを庇いながらの状態では予想以上にヴィルの消耗が激しい。
「こっちに来なさい!」
「あ」
襲わないというのはビアンカに対してのみ無防備になるわけで。それを逆手に取って魔法を使い、怪物達を消していたビアンカに呼ばれる。到着すれば、狙っていた怪物達の動きに動揺が見られた。ビアンカは攻撃するな、その他は殺せ、脳に仕込まれた命令を遂行したいのに二つの命令が同時に発動して動けなくなっているのだ。
「お父様はあの神族の相手で此方にまで気が回らない筈。此方に来るまで此処にいなさい」
「あ、あの、補佐官さんの娘さんは」
「何故わたくしがリシェル様を助けないとならないの?」
忘れていた訳じゃないが危機的状況に陥りようとリシェルとビアンカは、元々魔界の王子を巡って争った恋敵。魔界において敗者は勝者に絶対服従といえ、契約で縛られていない以上ビアンカが憎きリシェルを助ける理由は一つもない。次にどの言葉を言うべきかと迷っていると「私は大丈夫だから、ジューリアさん達はビアンカ様の所にいて!」と怪物達を消しながらリシェルが叫んだ。戦い慣れていない動きであろうと放たれる魔法はどれも高威力・広範囲に及ぶ高等魔法。父リゼル直伝と言うだけあって威力だけは一流だ。
「ビアンカさん、どうにかしてビアンカさんのお父さんを止められませんか」
「無理よ。お父様はわたくしが何を言っても聞いて下さらなかった。魔界で生きていた頃は、決してそんな事はなかったのに」
愛妻家で家族思い、特に亡き妹に似たビアンカは殊更大切にしていたらしく、自分の身よりも大事だと常々口にしていたくらいビアンカを愛していた当主。リゼルへの復讐心によって思念となって復活した今、憎しみが愛情を上回っているせいで愛娘の声が届かないでいる。
直にネルヴァが堕天使になったカマエルを倒す。天使達を操っている当主も消滅する。消える前にもう一度話をしてみようと言いたいジューリアであるが、諦念の強いビアンカには言えなかった。
「ヴィル。ヴィルの神力は全然戻らない?」
「最初の頃よりかはマシになってきてはいる。今波を探っているからちょっと待ってて」
「うん……」
力を封じられ、子供の姿になったヴィルでさえ戦えるのに自分は何も出来ない。
魔力しか取り柄のない無能と蔑まれても仕方ないと思えてきて落ち込んでしまう。こっそりと溜め息を吐けば「なによ」と不満げな声を出された。
「あー……こんな時、何もすることがないなんて情けないというか……」
「貴女は魔力の操作を覚え始めたばかりでしょう? そう簡単に魔法が使えると思わないで」
「はい……」
「気にしないことね。この状況は貴女のせいでも、誰のせいでも……強いて言うならベルンシュタイン卿のせいだけれど、少なくとも貴女には関係がないわ」
運が悪かったと言えばそこまで。口調や声色はきついものがあるものの、よくよく考えるとジューリアを励まそうとしている。と気付いた本人は青緑の瞳を丸くしてビアンカを見上げ、視線に気付かれるとお礼を述べた。この状況でお礼を言われるのは何故? と言いたげに見られるも、大きな爆発音が発生すると皆其方へ意識を向けた。
炎の粒子がリシェルの周囲を覆い、地面には幾つもの黒い物体が転がっている。
「強い炎魔法を使った後か」
呟きを零したヴィルの一言でリシェルの魔法によるものだと判明。多数の怪物がジューリアを狙いたくてもビアンカが側にいるせいで手が出せない中、一部はリシェルを狙っていて大半は消滅した。残るは凡そ四体。
問題があった。
残った四体は完全な堕天使に変貌し、肉体が崩壊した怪物との能力差は桁違いだ。元天使見習いと言えど油断は禁物。
「ね、ねえヴィル、すごくヤバそうななんだけど……!」
「兄者は……カマエルの相手で忙しいか」
堕天使に遅れを取らない筈だが相手は智天使の中でも特別な権限を与えられたカマエル。更に他の堕天使もいる。ネルヴァが強かろうとすぐには来られない。
「私が助けに」
「駄目だってば」
「でも」
戦う術を一番持たないジューリアが行ったとて足手纏いになるか、最悪食べられて堕天使の力を増幅させてしまうのみ。打開策はないか、と必死に考えを回転させていれば、また大きな衝撃音が発生。四体一斉に襲い掛かられたリシェルが間一髪逃れ、自身のいた場に仕掛けた雷の爆弾を起動。耳を塞ぎたくなる悲鳴と紫電の音が重なり合う。
「あっ!」
一体が雷を強引に消した。全身から煙を上げ、憤怒の形相となった四体はまたリシェルを襲う。
もう一度逃げようとしたリシェル。
しかし、足を挫き尻餅をついてしまった。
「もう駄目!! もう無理!!」
「お馬鹿!!」
これ以上は見ていられず、無我夢中で走り出したジューリアを捕まえようとしたビアンカだが服が指先に触れただけで終わってしまい。背後からビアンカやヴィルの声を聞きながらも、ジューリアはリシェルの前を庇うように立った。
「来ちゃ駄目! 早く逃げて!」
迫る四体の堕天使。今ジューリアが使える魔法と言えば、照明を出すくらい。前世で小菊の兄が愛読していた漫画の技が咄嗟に閃いた。両手に大量の魔力を急ぎ集め、眩しくなれ眩しくなれと念じた。ジューリアの願いに呼応し、集めた魔力は眩い光で周囲一帯を照らす。自分で出しておきながら目を開けるのが辛い。唸る堕天使達の声が届き、辛うじて目を開けば顔を手で覆いながら魔法を放っていた。リシェルに当たっては大変で自分に当たっても同じ。
「リシェルさん、動けますかっ?」
「が、我慢すれば多分」
足を挫いて立つこともままならないのは承知の上で問い、リシェルも状況が状況だけに弱音を吐かず自力で立ち上がった。
「ジューリアさん光を止めてっ、眩しくて私も視界が見えなくて歩けない」
「あーえっと、これどうやって止めるの!?」
一度目も二度目も他人に止められ、自分のコントロールで止めた試しがない。落ち着いて魔力の流れを感じ取り、深呼吸をして両手に集中させている魔力を止めるようにと助言を貰い、言われた通りにするが早く消さなければと考えるせいで魔力操作が上手くいかない。眩しいままでは堕天使の目を潰せても自分達も動けない。早く、早く、と慌ててばかりいるジューリアの腕が強い力で掴まれてしまう。
「捕まったー!?」
「ジューリアさん!?」
相手が誰か分からず、絶叫したジューリアに反応しリシェルも悲鳴に近い声色でジューリアの名を叫んだ。すると——
「動くな。大人しくしていろ」
聞いたことのない男性の低音がジューリアに冷静さを植え付け、慌てふためく体を一瞬で停止させてしまった。掴まれている手から相手の魔力が流れ込み、内側から強制的に魔力を操作され眩しい光が消えた。目を開けて自分の腕を掴んでいるのが誰なのか見上げたジューリアは石の如く固まった。
人外の美貌を纏い、冷たい黄金の瞳は無感情でジューリアを見下ろしており、耳に掛けている琥珀色の髪がさらりと零れた。リシェルと似た男性はジューリアの中では一人しかいない。
「パパ!」
「リシェル」
リシェルは男性をパパと呼んだ。
パパと呼ばれて男性は反応した。
つまり。
——ほ……補佐官さんだ……!
役職名と名前と魔王より強い鬼畜魔族としか知らない、ヴィル曰くジューリアが一番好きそうな顔をしている超美形。
リゼル=ベルンシュタインの登場である。
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