Track.2,4 あたしがアイドルだから!
犀川さんはカバンから一枚の紙切れを取り出した。
「そ、それは……! 週末のミニライブのチケット! 倍率が高すぎてCD積みまくらなきゃ取れなかったヤツ……!」
「ふふふ、そうよ。でも雛木くんは一枚確保しているようね、流石だわ」
「犀川さんのトップ・オタクを名乗らせてもらっているからね。当然さ」
「ここにチケットがもう一枚あるわ。ヒナちゃんの分よ。きっと今のヒナちゃんには、あたしのライブを見れば伝わるものがあると思うの」
「それは……確かにそうかもしれない。でももらっていいのかい?」
「もちろんタダじゃないわ♡」
彼女は満面の笑みを浮かべてチケットをふりふりと扇いだ。
「あたしの彼ピになって♡」
「それは無理」
「言うと思った!」
「そ、それ以外なら……僕にできることなら」
「そうね……ヒナちゃんに協力したいのはあたしが言い出したことだし。仕方ないか」
そう言って頬をかく。
「だったら雛木くん。このチケットをあげる条件に……今度あたしと――」
☆ ☆ ☆
「デートして……か」
約束しちゃったな、デートの約束。
僕は数日前の犀川さんとのやりとりを思い出していた。
彼女は持ち出してきた条件は、「雛木くんとデートする」というモノだった。僕はそれを了承して、ヒナちゃんの分のチケットを貰うこととなった。
おまけに僕の持っていたチケットをヒナちゃんとの連番に交換してもらうなんて、まっとうなファンなら激怒しそうなことまでしてもらったんだ。
恩返しとして、ちゃんとデートに応じるのは筋だろう。
奇しくも先にヒナちゃんとデートすることになっちゃったんだけど。
「兄さん、何か言った?」
「ううん、なんでも」
ヒナちゃんのことも気になるけど、とにかく今は犀川さんのライブだ。
彼女は僕の推し。
このライブを僕自身も心待ちにしていたし、楽しまないと!
「わ、わたしこういうライブは初めてなのだけれど……どうすればいいのかしら」
「簡単さ、まずはサイリウムを持ちます」
僕はヒナちゃんに犀川さんのパーソナルカラーである赤のサイリウムを渡した。
「で、あとは歌にあわせて振れば良いのさ。ね、簡単でしょ?」
「簡単でしょって、そんな『ボブの絵画教室』みたいな……」
困惑するヒナちゃんを待たず、ライブは開演となった。
前奏とともにステージにスモークが焚かれ、堂々とした登場だった。
アイドル、犀川あぐり。
赤みがかった長い茶髪をなびかせ、マイクを握り中心に立つ。
オープニングはMCからではなく、いつも通り歌からだ。
「犀川さんの十八番『全世界的迷子』だ!」
『全世界的迷子』、犀川さん自身が作詞した一風変わったロックナンバー。
独特な感性から放たれる奇想天外かつ文学的な歌詞が身体にしみるぜ。
最初は困惑しながら聴いていたヒナちゃんも、徐々に目を丸くし始める。
「すごい……上手……」
「でしょ、これが僕の推しさ! ヒナちゃんにも知ってほしかったんだ!」
MCを挟んで二曲目、三曲目をライブが進む。
徐々にヒナちゃんの身体が動き始める。
最後にはサイリウムを振り上げ、ぴょんぴょんと飛び跳ねて楽しんでいたのだった。
☆ ☆ ☆
ライブが終わった。
その瞬間、僕のメールアドレスにメールが届いた。
『楽屋に来て。ヒナちゃんも一緒ね!』
犀川さんだ。間違いない。
メールアドレスを交換した覚えはないんだけど、どうして知っているんだろう……?
いや、深く考えるのはやめておこう。
犀川さんの情報収集能力に関しては、そういうモノだと思って受け入れるしかない。
僕はヒナちゃんを連れて楽屋を訪れた。
犀川さんが人払いをしてくれていたのか、僕らを止めるスタッフはいなかった。
「失礼しまーす」
ガチャリを扉を開けると、中にはステージ衣装のままの推しがいた。
うぉ、この衣装の彼女をここまで近くで見るのは初めてだ……!
ホントにアイドルだ! なんて圧倒されてしまう。
「雛木くん、それにヒナちゃん! 来てくれたのね~! ちゃんとステージの上からも見えてたよ~♡」
犀川さんが小走りで駆け寄ってきて、ヒナちゃんに抱きついた。
「ちょ、抱きつかないでください! 汗でベタべタじゃないですか!」
「え゛!? あたし臭い!?」
「いえ、臭くはないですけど……女性ならもっと恥じらいというモノを持ってください」
「えへへ、面目ねェ」
苦笑いしながらヒナちゃんから離れた犀川さん。
彼女は優しい視線をヒナちゃんに向けてこう言った。
「ライブ、どうだった?」
「……」
ヒナちゃんはうつむいて、歯切れが悪そうに答えた。
「……スゴかったです。アイドルの音楽をバカにした私の発言は間違いでした」
「いやーそこを訂正して欲しかったんじゃないんだけどなー。でも素直に謝れて偉いよ♡」
「お姉さんぶらないでください」
「ごめんって」
「……犀川さん、とっても上手でした。でも、上手なだけじゃなくて……あれだけの曲数と運動量。仕方ないことですけど、何度もミスしてましたよね」
「うん、恥ずかしながらね。どれだけ練習してもミスってなくならないの」
「それでも……ミスしたとしても、犀川さんは笑ってました。観客を不安がらせないように、いつだって胸を張って、堂々としてて……私とは違います」
そして、ヒナちゃんはついに本音を言ったんだ。
「私、失敗するのが怖いんです。他人の期待を裏切るのが怖いんです。だから不安で、ずっと練習ばかりして……」
「だよね、失敗するのってホントに怖い。あたしもそう」
「だったら犀川さんはどうしてそんなに前向きに最後までやり通せたんですか? やっぱり、根本的なメンタルの差が……?」
「ううん、同じだよ。あたしは歌が好き。踊るのが好き。アイドルやるのが大好き。ヒナちゃんもそうでしょ?」
「っ……!」
そうか。単純なことだったんだ。
これを伝えたかったんだ、犀川さんは。
彼女がどれだけ歌が好きで、踊るのが好きで、アイドルが好きなのか。
その気持があれば、失敗を恐れなくても前に進めるんだって。
犀川さんは明るくて優しい声色で続けた。
「それだけ練習できるのは、ヒナちゃんがピアノ大好きだからだよ。だから怖い顔して、何かを恐れるみたいに弾かなくたって大丈夫。好きだって気持ちに正直になればいいんだよ」
「……どうして、会ったばかりの私をここまで気にかけてくれるんですか? 兄さんの妹だからですか? あなたにとって兄さんは特別な人だからですか?」
「うーん、それもあるんだけどなぁ……でも一番は――あたしがアイドルだから!」
「アイ、ドル……?」
「そう、アイドルって夢を応援する仕事でしょ! あたしはヒナちゃんの夢を応援したかった! それだけ!」
ニッコリと素敵に笑う犀川さん。
そんな眩しい姿を目の当たりにしたヒナちゃんは何を思ったのだろう。
少しだけうつむいて、また、顔を上げて。
笑顔の花が咲いたんだ。
「ありがとうございます、犀川さん! 私、何かつかめた気がします!」
「マジ!? あたしのアドバイス、役に立った!?」
「ええ、きっと」
「やったー! だったらあたしのことお義姉ちゃんって呼んでくれるわよね!?」
「それは無理です」
「えー!!」