Track.2,1 僕の推しと妹が修羅場すぎる
ここまでのあらすじ。
登校しようと玄関を出たら、家の前に僕の推し”犀川あぐり”さんが立っていた。
以上。
「なななななんで僕の家に犀川さんが!?」
「なんでって一緒に登校するためよ。言ったでしょう? あたしたちは同級生なんだから」
「理由はいいんだけど――いや、良くはないけどそれ以前に僕の住所をどうやって知ったの!?」
「……あはっ♡」
彼女は人気アイドルらしく見事なウインクをキメた。
あぁ、可愛すぎる。
推しが今日も可愛すぎるので、僕の個人情報などというささいな問題は気にしなくていいか……。
「さて、雛木くんが納得したところで一緒に登校しましょう! あたし、彼ピッピと並んで登校するの憧れてたの♡」
「か。かれピッピ……? それはアレかい? フェアリータイプのポ○モンか何かかい? 昔はノーマルタイプだったという……」
「月の石でピクシーに進化するほうじゃないわよ! 最近は彼氏のコトをそういう呼び方するの! さらに略すと”ぴ”になるわ」
「進化前になってるじゃないか」
「ピィのことでもないから」
「そもそも僕、彼氏じゃないし……」
「未来の旦那様なんだから同じようなもんでしょ? 行きましょ」
犀川さんは強引に僕に腕を絡ませてきた。
ぐいっと身体が引っ張られる。
「あ、ちょ――まだ妹が……!」
そのときだった。
「お待たせ。行きましょう、兄さん――?」
扉を開けて家から出てきたのは、僕の妹”雛木ヒナ”。
普段からクールで表情の変化に乏しい彼女が、僕と犀川さんの姿をその目で捉えた。
「……」
なぜだかヒナちゃんの表情がいつも以上に乏しい気がする。
というか、凍りついていた。
この場に沈黙がしばらく流れ、やっとヒナちゃんが口を開いたかと思うと、
「兄さん――その女、だれ?」
めったに見ないガチな威圧感とともに、冷たい声色でそう口走った。
な、なんだ? この迫力は。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、という某奇妙な冒険漫画でよく見るようなオノマトペが背景に見えるようだ……!
「な……なんかヒナちゃん、怒ってない?」
「怒ってないわよ。単に質問をしているだけ。そこにいる、兄さんにまとわりつく泥棒ねk――こほん。失礼、汚い言葉が出るところだったわ。そこにいるお世辞にも貞淑とは言えなさそうな素敵な女性は誰かしら? 紹介してもらえると助かるのだけど?」
「いや絶対怒ってんじゃん!」
なぜだかヒナちゃんがイライラしている。
理由はわからないけれど、朝っぱらから妹とケンカなんてしたくない。
とにかく説明しないと。
「こ、この人は犀川あぐりさんって言うんだ。僕の同級生だよ」
「犀川……? 兄さんの同級生は全員把握しているけれど、聞いたことがないわね」
ヒナちゃんはジロリと冷たい目線を犀川さんに向ける。
「いえ、確かその名前……思い出した。兄さんがのめり込んでいるアイドルが確かそんな名前だったハズ……」
「そ、そうそう! たまたま犀川さんの転校先が僕らと同じ高校だったらしくてね! いやー不思議な縁だねーあはは……」
まずいな。僕は必死でごまかそうとした。
そういえばヒナちゃんは以前から、僕がアイドルにのめり込んでいることを快く思っていない。
当然だろう、兄がドルオタだなんて年頃の少女からすれば恥ずべきことなのかもしれない。
ここは話を合わせてくれ、犀川さん! ヒナちゃんは意外に怒ると怖い!
僕はなんとか犀川さんにアイコンタクトを送ろうとする。だけど犀川さんは僕には目もくれず、目を丸くしてヒナちゃんを見つめていた。
そして突然、こんなことを口走ったのだった。
「きゃわ……」
「きゃわ?」
「きゃわわわわわわわわわわわわわわわわわ!!! 何、なになになになに!? なにこの子かわいい! きゃわいすぎ! 美少女すぎ! 雛木くんの妹ちゃんあまりにも美! 美という言葉を擬人化したみたいな子じゃない! アイドルになれそうってかなんでアイドルやってないのって感じ!」
突然興奮し始めた犀川さん。
な、何を言っているんだ? いや、ヒナちゃんがアイドルになれそうってのは同意するけど。それはそうとなぜこの状況で彼女は僕の妹に興奮しているんだ!?
「え……何この人……?」
あまりの事態にさっきまで怒っていたヒナちゃんまで困惑していた。
素でドン引きされているのも構わず、犀川さんはヒナちゃんのもとに駆け寄って手を握った。
「あたし犀川あぐり! アイドルやってます! お兄さんにはいろいろお世話になってて、昨日から同級生になったの! よろしくね、妹ちゃん!」
「は、はぁ……雛木ヒナです。こちらこそ兄がお世話になっています」
さっきまでの勢いが完全に削がれて、ヒナちゃんが普通に挨拶をした。
すごい、犀川さん。これが現役アイドルの営業術か……! 持ち前の明るさポジティブさで、険悪なムードを一発で吹き飛ばしてしまった!
やっぱり犀川さんはすごい。さすがは僕の推し。
僕が感心しているうちに犀川さんは話を進めてゆく。
「ヒナちゃん! かわち! 名前までかわち!」
「か、かわち……? 河内長野市の略か何かですか……?」
「かわいいってコト! ヒナちゃんって呼ぶけどいいよね?」
「ま、まあいいですけど。”雛木”だと兄さんとどっちかわかりませんから。あなたのコトはどうお呼びすれば?」
「あたしのことはねー」
困惑しながらも徐々に打ち解けてゆく二人。もう安心かな。
そう思ったところで、犀川さんは満面の笑顔でこう宣言した。
「お義姉さんって呼んで♡」
「呼ぶわけ無いでしょう、段階を飛び越えすぎです。あなたのことはミス・デリカシー皆無と呼びます」
こうしてせっかく打ち解けようとしていた二人は、というかヒナちゃんは再び険悪ムードに戻ったのだった。
ああ……。
僕の推しと妹が修羅場すぎる。