Track.2,0 夢オチは法律で禁止されたって知らないのかよ
「はじめまして、犀川あぐりです! アイドルやってます。みんなー、よろしくねー!!」
突如学校に、しかも僕のクラスに現れた推し、犀川あぐり。
優美な仕草でぺこりと頭を下げた。
「知っての通り犀川は芸能活動をしているが、今日からは我々のクラスの仲間になるわけで、特別視せず普通に仲良くするように」
担任の先生が淡々とそう告げる。
そしてこう続けた。
「さて、犀川の席だが――」
先生は僕の席をチラリと見て、
「雛木の隣が空いているな。そこでいいか、犀川?」
「もちろんです♡」
犀川さんは意気揚々と教室の一番うしろ、窓際の僕の席の隣に座った。
ここは孤立気味で居心地がいい場所だったんだけど……。
隣に今、”推し”がいる。
異常すぎる状況にドクドクと心臓が高鳴り始めた。
そんな僕に犀川さんが声をかけてくる。
「これからよろしくね――雛木くん♡」
ああ、かわいい。今日も僕の推しがかわいすぎる。
推し成分を摂取して健康になりそうだ……。
そこまで考えて、僕に疑念が芽生えた。
推しのアイドルが同じ学校に転校してきて同じクラスになって、しかも隣の席に着席する。
さすがに出来すぎてやしないか?
もしかしてこれは夢じゃないのか? 都合のいい夢。
そうだ、僕は妄想と現実の区別がつかなくなったに違いない。
悩みはじめてうんうん唸っていると、僕の頬にぴとりと冷たい感触が触れた。
「え……?」
見ると、隣の席に座った犀川さんが僕の頬に指を当てて微笑んでいた。
ち、近い……!
白くてシワもシミもない滑らかな肌に、長いまつげ、輝く瞳。
宇宙一の美少女が僕だけに微笑んで、指でツンツンとつついてくるのだ。
そして彼女は艶やかな唇を開いてこう言った。
「夢じゃないよ。これは現実」
「ぁ――っ」
プツン。
きっと、尊さの臨界点を突破してしまったんだ。
僕の中の何かが切れて……そのまま意識が途切れた。
☆ ☆ ☆
「っ――はっ!? ドリームか!?」
目が覚める。
知ってる天井だった。僕の部屋。僕の家だ。
はぁはぁと息を荒げながら身体を起こす。
「夢、そうか……全部夢だったんだ。夢オチだ。夢オチは法律で禁止されたって知らないのかよ……」
そうやってひとりごちて、立ち上がる。
いつも通りの朝だった。学校に行かないと。
部屋を出て二階から一階に降りる。
リビングに入ると、すでに制服に着替えた妹――ヒナちゃんが待っていた。
「あら、兄さんおはよう。どうしたのかしら、今日はずいぶん早いけれど? 私が起こしに行く前に起きるなんて珍しいじゃない」
「おはようヒナちゃん。今朝はヒナちゃんのかわいい顔が一刻も早く見たくてね、慣れない早起きをしちゃったよ」
「ふふ、言うようになったじゃない」
クスクスと笑う妹。
「けれど、そういうことは他の女の子に言わないほうがいいわよ。気持ち悪がられる可能性が高いわ」
「手厳しいな。まだまだ修行が足りなかったね。ちなみにさっきのはヒナちゃんポイント何点くらい?」
「20点」
「く、悔しい……!」
「即答しておいてなんだけれども、ヒナちゃんポイントって何? 当然のように持ち出される謎の評価基準に思わず圧倒されてしまったわ。さすが私の兄さん、意味不明すぎて逆に深いわね。尊敬の念を抱かざるをえないわ」
僕の妹、雛木ヒナ。僕より一つ年下の高校一年生。
黒髪ロングのクールな美少女。そう、美少女だ。
この子が僕の妹だって言ったら100%嘘つき呼ばわりされるくらい似ていない。
でも兄妹仲はそんなに悪くないんだ。
ちょっとギクシャクしてた時期はあったけれど、ここ一年くらいは特に打ち解けている気がする。
高校だって最近は一緒に登校しているしね。
そういうワケで顔を洗ったり朝食をとったり歯を磨いたり制服に着替えたりして、登校準備完了。
今日は僕が早起きしたこともあって(ヒナちゃんはいつも早起きだけど)余裕をもって家を出ることになった。
「先に玄関前で待ってるからね」
「すぐ行くわ、兄さん。待っていて」
前髪がどうにも定まらないらしく、鏡の前で悪戦苦闘しているヒナちゃんを急かしながら僕は先に家を出た。
そんなにこだわらなくてもヒナちゃんはそこらのアイドルよりも可愛いのに、やっぱり女の子なんだなぁなんて感心しながら。
これが僕の日常だ。
それなりに裕福で、あたたかい家庭で目が覚める。
それなりに仲が良くて、しかもアイドル並みに可愛い妹と同じ学校に行く。
じゅうぶんに恵まれた日常じゃないか。
そう――あの夢はやりすぎだ。
今朝の夢、アイドル並みに可愛い妹どころか、本物のアイドルが同じ高校に現れた夢。
推しと同じ高校に通うなんて――そんなことが現実にあるハズが。
「おはよう雛木くん、一緒に高校行きましょう♡」
「やあ犀川さん、おはよう。今日も宇宙一可愛いね。朝から推しと出会えた僕は宇宙一幸運なオタクかもしれないよ」
……?
うん?
あまりにも当然のように家の前に立って挨拶してくるから思わず普通に返事してしまったけど。
「さ、ささささささ犀川さん!? どうしてここに!?」
「どうしてって――」
彼女はさも当然であるかのようにこう返答した。
「あたしが雛木くんの同級生だからに決まってるじゃない!」
僕はやっと理解したのだった。
僕の推し――犀川あぐりが、僕の同級生になったのだと。
全部夢じゃなくて、まぎれもなく現実だったのだと。
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