Track.1,1 【悲報】推しの愛が重すぎる
舞台が変わり、喫茶店。
僕はコーヒーを啜りながらこれまでの顛末を振り返っていた。
僕の推し”犀川あぐり”のライブに参加して、満足して帰ろうとしたらなんとこの僕が僕の推し本人に”出待ち”されていたのだった。
彼女の要件は僕と交際したいというものだった。僕は無慈悲にもその告白を断った。
その後、驚愕した犀川さんの大声で周囲から注目を浴びそうになったため、僕は強制的にここまで連行されたのだった。
ドン、とジュース入りのグラスをテーブルに叩きつける犀川さん。
勢いよく僕を問い詰める。
「で、なんで断るのよ! 推しに告られたのよ? ドルオタとしてこれ以上ないってほどのシチュエーションじゃないの!」
「それはそう」
「だったらOKすればいいじゃない!」
「そう簡単には行かないんだ。アイドルは恋愛禁止だからね」
「そんな理由で断ったの!?」
彼女は目を丸くする。
「言っとくけどね、雛木くん。アイドルは恋愛禁止だなんて、日本人お得意の”タテマエ”なのよ。知り合いのアイドルの恋愛事情はよぉーく知ってるけど、それはもうジャパリパークでズッコンバッコン大騒ぎ――」
「わーい、たーのしー」
「過酷な現実に耳を塞がないの」
犀川さんが強引に僕の手を掴んで耳から離した。
「嫌だよ、聞きたくない。オタクはアイドルから夢をもらってるんだ。そんな内部事情なんかで夢を壊されたくなんてないよ」
「でも安心して! あたしはちゃんと生娘だから! 雛木くんのために綺麗な身体を守ってるから!」
「推しの可愛らしい声で生娘なんて生々しい単語を聞きたくはなかったけど、安心したよ。ありがとう」
「そーんな推しの清らかな身体を、あんたは首を縦に振るだけでお好きにできるのよ? もったいないとは思わない? 今からでもOKして良いのよ? あたしと付き合う?」
「それはダメ。推しが男と付き合うのは解釈違いだからね。その相手がたとえ、僕であろうと同じことさ」
「っ……はぁ、あたしの初恋の人がこんな変人堅物バカだとは思わなかったわ」
彼女は深くため息をつき、
「つまり雛木くん。あんたはこう言いたいのよね。アイドルは恋愛禁止だし、推しが男と付き合うのが嫌だからあたしとは絶対付き合いたくないって」
「そういうこと。理解してくれたなら僕はこれで……」
「ちょ、どこ行くのよ!」
「どこって、帰って君のCDでも聴こうかなと。写真集も見返さなきゃ」
「いや、目の前にいるじゃない! ここに! いるの! あんたの推し! いるから! あたしと付き合えばいつでもカラオケで歌なら披露してあげるし、身体が見たいなら見せてあげるから、ね! 写真集で見えなかっためちゃくちゃ際どいところもサービスするから! な、なんならその先だって……うへへ♡」
「極めて魅力的な提案ではあるけど、推しが男と二人きりでそういうコトをするなんて考えるだけでキツいよ……」
「あんたとイチャイチャするなら例外でしょ!?」
「僕とて例外にはならないんだ。君という宇宙一可憐な人に僕のようなキモオタが触れるだけで……汚れるだろう」
「どんだけ卑屈なの!? 告白しといてなんだけどあんたの歪んだ人格にかなりドン引きしてるわよ!?」
「僕のキモさがわかったならこの告白はなかったことに……」
「それはダメ。あたしはあんたのことが好きだから。そーゆーキモいところも好きなの。わかった?」
キッパリと犀川さんはそう言い放った。
真っ直ぐな視線。どうやら本気らしい。だけどこっちも本気だ。
推しが男と恋愛するなんて、オタクとしての僕は耐えられない。
この告白、なんとしても断ってみせる。
心を決めたところで、僕の中に一つ疑問が浮かび上がってきた。
「そもそも、最初からずっと気になってたんだけど――」
「うん、何でも聞いて? 身長体重スリーサイズ好きな食べ物嫌いな食べ物趣味なんでも答えるわよ?」
「そういう基本情報は全部知ってるよ。君のオタクだからね。いや、」
「そ、そう……。それで、何が聞きたいの?」
「さっきから僕のこと”雛木くん”って普通に名字で呼んでるけど、そもそも一介のオタクにすぎない僕のことをどうやって知ったの?」
「ああ、そのことね……」
彼女は「ふふふ」と口角を釣り上げて続けた。
「雛木ユウ、17歳の高校二年生。両親と妹との4人ぐらし。学校ではあまり目立たないけど実はトップクラスの成績を誇り、医学部志望と噂されている。周囲には隠しているけれど重度のドルオタで、推しは犀川あぐり――つまりこのあたし♡ 身長175cm体重65kg、血液型はAB型、誕生日は12月12日。幼少期は誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが一緒くたにされたことで損をしていると感じていた。好きな食べ物はラーメン、カレー、唐揚げ……ザ・男の子って感じね。ちなみに全部あたしの得意料理よ♡ 嫌いな食べ物はアスパラガス、スジがあって噛み切りにくい時が特に嫌。これにはあたしも同意。好みが合うわね、やっぱり相性ばっちりかも。もちろん身体の相性もね♡ 趣味は読書と音楽鑑賞ということにしているけれど、これは特に趣味がないか人に言えない趣味がある人が言いがちなカモフラージュで、実際はあたしの写真集や掲載された雑誌を収集したり、CDを買って聴いてるだけね。あたしのことしか考えてなくてキモすぎてすち♡ 将来の夢は――」
「え……?」
「フヒヒ……大人気アイドルが電撃結婚! お相手は医者の卵か!? 週刊誌の見出しはあたしたちのことで埋め尽くされて、あたしは快くインタビューに答えるの。子どもは最低でも5人以上は欲しいって。でもまだ子どもはいいかな。今はラブラブな二人っきりで休日に旅行なんか行っちゃったりして仲はとっても良いんですよ♡ 羨ましいでしょぉーって記者さんも困惑しちゃったり――」
「ちょ――ちょっと待った!」
次々と僕の個人情報を早口で垂れ流す犀川さん。
それどころか僕らの将来設計を勝手に妄想して垂れ流し始め、もう収集がつきそうにない。
焦った僕が制止すると、きょとんとした顔で彼女は答える。
「どうしたの? あたしの雛木くんとの妄想は108式まであるわよ?」
「いやそんな某超次元テニス漫画みたいな……。っていうかどこから手に入れたの、僕の詳細すぎる個人情報!? ちょっと詳しすぎない!?」
「……あはっ♡」
あ、ウインク。至近距離の推しのファンサは最高にかわいい。
うん。やめておこう。彼女はかわいい。それでいいじゃないか。
このあたりは深く考えると泥沼にハマりそうだ。
まさか推しが僕のストーカーだなんて――そんなワケないよね?
こうして僕は考えるのをやめた。