お首様(ロ)
白は玄関にあった誰かの長靴(以前の代わり人が置いていったらしい)を履くと、雪が十センチほど積もっている境内に出た。
白は山の頂上を見ると
「山嵐ーっ!!」
と叫んだ。すると、山の頂上から強い風が吹き下ろしてきた。風は境内のまわりの木の枝を揺らし、残っていた葉を全てさらっていった。
「あっ!」
白がしていた(代の)マフラーも、木の葉と一緒に飛んでいった。
「徒歩で参上、山嵐〜」
しばらくしてから、そう言って天狗が境内に現れた。頭には狐のお面。
「山嵐のせいで赤いマフラー飛んでったんだけど」
白がそう言った。
「……言いたいことはそれだけ?」
山嵐は足下の雪をかき集めて丸くすると、境内の中で転がし始めた。
「違うわよ。代わり人がお首様に捕まっちゃって」
「ふーん……」
「で、あなたに何とかしてもらおうかなーって…」
「ふーん……」
「何とかしてくれたりする……?」
「ふーん……」
「……いい加減転がすの止めろ!」
「えーいいじゃん別に。話ちゃんと聞いてるんだからさ」
山嵐はそう言うと二つ目の雪玉を転がし始めた。
「聞いてなかったろ!全部生返事じゃん!」
白は怒ったのか、出来上がっている方の雪玉に近づいて、右足を高くあげた。
「この雪玉に踵落とししてもいいわけ?」
白がそう聞いた。するとものすごい速さ、すなわち電光石火で山嵐は白の背後に回り込むと、雪玉を抱えて消えてしまった。
「……速い…」
白は少し焦った。まさかこんなにも速かったとは夢にも思わなかったのだ。
こう言うときの山嵐は背後から攻撃してくる、と風の噂で聞いたことがある。
白は思い切って後ろを振り返った。
「…………っ!?」
白の目に映ったのは、雪だるまを完成させた山嵐の姿だった。
「よし、満足。じゃ、本題を聞きましょうか」
天狗はそう言った。
「つ……疲れるわ……」
白はそう言うとガクッと肩を落とした。
二人は居間にやってきた。居間では里見先生が代の首を触っていた。
「あ、やっぱりあの時見た天狗だ!」
どうして気づいたのかわからないが、里見先生が突然振り返ってそう言った。
「………誰?」
天狗は里見先生を指差してそう言った。
「指さすなんて酷いなあ。ほら、昔交通事故で弾き跳ばされた私を空中で受け止めてくれたじゃん」
「………ああ!あの向こうの交差点の事故か!やたらと軽かったから覚えてるよ」
山嵐はそう言った。どうやら覚えているらしい。
「それより代わり人の方を早く」
白がそう急かした。
山嵐は横たわっている代と、その周囲を見回している。
「……どうですか?」
代は心配そうに聞いた。
「んー……ナイスバディって訳じゃないなぁ…」
と、山嵐。
「いやいや、体型の事じゃなくて」
「お首様のことでしょ?」
「分かってるんなら遊ばないでくださいよー……」
「コイツはねー……もっしかしたらいけっかもなー…」
山嵐はそう結論づけた。
「まあ、ナイスバディじゃないんだけど、器がかなり容量あるみたいだから大丈夫でしょ」
「いつまでナイスバディにこだわってるんですか……」
代は少し不機嫌になった。
「それに比べてそこの女医さんはナイスバディですなぁ」
山嵐は里見先生を見ながらそう言った。真剣な顔で。
「よし、じゃあ思い切って代に取り込んじゃうか。山嵐、準備してくれる?」
白は立ち上がってそう言うと、本殿に向かっていった。
「はいよ」
山嵐もそれに続いた。
「何か……やばそうだから私は帰るね」
そう言うと里見先生は帰ってしまった。
居間には代一人。後、見えないがお首様もいる。そう思ったとたん、代の顔から血の気が引いた。
しばらくして、代は布団ごと本殿に連れてこられた。何が始まるのかドキドキしていると
「すぁて、始めますか」
山嵐が筆をとり、代の額に何かを書き始めた。
「丸〜書いて〜ぐ〜るぐる……」
そんな言葉を口ずさむのが聞こえた。
「ちょっ……何書いて」
しかし代は、最後まで言い切らないうちに強い睡魔に襲われ、眠ってしまった。
「眠らせた。じゃ、やるか。……ホントにいいのか?」
山嵐はそう言って白を見た。白は山嵐と目を合わせると、小さくうなずいた。
それを見た山嵐は、部屋の畳にも筆で字を書き始めた。
しばらくして、代を中心にして円形に文字が書き終わった。
「……では、始めます」
天狗はそう言うと何かをぶつぶつと唱え始めた。
すると、代を囲んでいた字が赤く光り出し、ゆっくりと移動して円を小さくしていく。
白はそれを少し不安げに見ていた。実は一昔前にも、白は同じ事をしたことがあったのだ。
その時の儀式は失敗し、代わり人の体がお首様に乗っ取られてしまった。
そう言う場合、乗っ取られた肉体は破壊しなければならないと決められている。白は規則に則ってその肉体を破壊した。
だが、今回。万が一のことがあった場合、白はそれが出来るのだろうか。
今回の代わり人、御社代は、自分を初めて受け入れてくれた代わり女なのだ。そんな特別な人間を破壊する、つまり殺すことが出来るのだろうか。
白がそう思っている間にも、儀式はどんどん進んでいった。
ここまでは順調だ。
代を囲っていた文字円は代の鳩尾に集まった。
山嵐はその上に筆で一滴、墨を垂らした。そのとたん
バチッ!
と激しい音がした。それとともに本殿の障子が全て吹き飛んだ。山嵐も少し弾かれたようだ。
「……まずいっ!」
代の鳩尾に集まっていた文字が真っ赤に光り、どんどん消えてゆく。
「どうしたの!?」
白が山嵐に駆け寄る。
「お首様が思ったより遥かに力が強い……。これはまずいことになった」
そう話しているうちに、どんどん字は消えてゆく。
「代………っ!」
白は代のことを、ただ悔しそうに見つめることしか出来なかった。
代は夢を見ていた。
真っ白な世界に、自分一人だけふわふわと浮かんでいる。
「これ……夢なのかなぁ…?」
真っ白な世界はとても気持ちがよかった。しかし、突如体中に寒気がはしり、白かった世界だんだん黒い部分が現れ始めた。
黒い世界は代の前で止まった。代は今、白い世界と黒い世界の境目にいる。
「何……これ」
代がそうつぶやくと、黒い世界の方からゆっくりと誰かが近づいてきた。
「誰だろ……」
よくよく目を凝らした。しばらくして、正体がわかった。代自身だった。
今、二人の代が向かい合って白い世界と黒い世界に浮いている。
正確に言うと、代に向かい合っているのは代の形をした『何か』なのだが。
「あたな、誰かを恨んでない?」
『代』が話しかけてきた。
「ううん。恨んでないよ」
代はそう答えた。
「ほんとに?本当は勝手に代わり人押しつけてきた人とか、逃げている両親とか、恨んでるんじゃないの?」
「そんなことないよ。確かに……最初は嫌だったけど、今は代わり人楽しいし。それに、お父さんとお母さんも色々頑張ってるんだし」
「心のどこかでは恨んでるんじゃないの?」
「恨んでないよ」
「許せないこととか、あるんじゃないの?」
「それは……」
確かに代には、許せないことが多々ある。
「ほらね。やがてそれが恨みになるのよ。………ねえ、私にあなたの体くれない?そうすれば、恨みを消すことができる」
「消すって、どうやって…」
「殺すのよ。恨んでいる人間を」
「そんな事したって、今度は別の人に自分が恨まれるだけだよ」
代は少し力を込めて言った。
「他人に恨まれようが、私には関係ない。自分の恨みを消せればそれでいいのよ」
『代』はそう答えた。
「そんな事したらいたちごっこじゃない。恨んでる人を殺したら、別の誰かから自分が恨まれるわ。そしてまた自分に恨みが戻ってくるだけだよ」
「……じゃあ…………………………だよ」
「え?」
「じゃあ私はどうしたらいいんだよ!」
『代』は代につかみかかってきた。
「うわっ!」
代は浮いているはずなのだが、つかみかかられたせいでよろめいた。
「人を恨んで、悪霊にまでなって……それなのにお前は私に何もするなって言うのか!?」
「な……何もするななんて言ってないよ」
「じゃあ何をすればいいんだよ!復讐するしかないだろ!」
『代』は代の首を絞めてきた。
苦しい。夢のはずなのに。
「何だよ!何か返してみろ!」
「…許せば……許せばいいんだよ…」
「えっ………」
『代』が首を絞める力が弱まった。
「そんな事……今更できる訳ないでしょ」
「今までに、相手を許そうと思ったことある?」
「…………………」
「ただ自分で許そうって思うんじゃなくて、相手とちゃんと話して、謝ってもらって、それで許してあげればいいんだよ」
「………………」
「ただ恨んでるだけじゃ、何にも始まらないよ」
「でも、もう会えないわよ」
『代』は代から少し遠ざかると悲しげにそう言った。
「恨んでる奴らはもうとっくの昔に成仏したわ。私にもうあいつらに会う手だては無いのよ……」
「そんなの簡単だよ。あなたも成仏すればいいのよ」
「そんな簡単な話じゃないわ。私が成仏するには、怨念をすべて浄化する必要があるわ。百年二百年じゃ消えないくらいの怨念を、ね」
「きっと大丈夫。時間はたっぷりあるんだから。そう焦らずにゆっくり頑張って」
代はそう言った。
それを聞いた『代』の顔は、少しほほえんでいた気がする。
「………ありが」
目を覚ますと、本殿の天井が目に映った。
代はゆっくりと身を起こした。首は動くようになっている。
「代…………なの?」
後ろから白の声がした。代は座っている白の方を振り向くと
「そうだけど………どしたの?」
と聞いてみた。
「いや、あの、儀式が失敗しちゃったから、もしかしたらお首様に乗っ取られてるかなーって思って」
代わりに山嵐が答えた。
「まあとにかく、無事でよかった」
「私、夢の中でもう一人の私に会ったの」
代が突然そう言った。
「そりゃ、多分お首様だな。器の形で対話してくるって事は、そこまで凶悪じゃなかったんだな」
天狗はそう言って自分でうなずいている。
「でも、何か向こうは白黒立ったんですよ。私はカラーだったんですけど」
「あ、白黒かぁ……結構強い奴かもなぁ」
「でも、話し合ったら何とか分かってくれたみたいです」
「そうかな……」
山嵐は疑わしげな表情でそう言った。
「そうかなって……何か疑問な点でもあるんですか?」
代は首を傾げた。それに対して山嵐は
「ま、何はともあれ今夜になればわかるかな」
と言うと、本殿がら出て行ってしまった。
「……今のって、どういう意味かな…?」
代は白を見た。
「いや、そのままの意味だと思うよ」
白はそう返すと
「じゃ、私はちょっと眠らせてもらうわ」
と言ったかと思うと、畳に倒れて動かなくなった。
「もうそんな時間なのかな……?」
本殿には時計がない。辺りが暗いので多分夜だろうと思ったが、一応居間の時計で確認することにした。
時計を見て代は驚いた。何と、時刻は午前三時だった。