どうしよう
「さて、私はもう上がるとしましょうかね。最後に一つ教えておいてあげる。私が行動を起こすのは、次にここに台風がやってきた時よ。それまでに覚悟を決めておくのね」
妖呼はそう言い残すと、代を一人残して浴場から出て行った。湯の注がれる音だけが聞こえる。
「はぁ・・・・・・・・」
妖呼の背中を見送った後、代は一つため息をつくと湯の中にゆっくり沈んでいった。長い髪が湯の中で踊っていた。
「で、どんな話してたの?」
代が脱衣所の扉を開け、廊下に出ようとした瞬間、山嵐の声がした。
「うわっ」
「・・・・・・・まあそんな驚かなくてもいいじゃん。で、何話してたの?」
「それが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
話すのをためらう代。
「みんなに聞いてもらいたいので、ちょっと白とかを私の部屋に呼んできて頂けますか?」
代は神妙な面持ちでそう言った。
「今度ばかりはちとやっかいなことになりそうです」
それから一時間ほどして、代の部屋に白、山嵐、次郎、朱祢、九六の五人が集まった。代は座布団の上に姿勢を正して座っている。
「とりあえず、一応集めてきたよ」
山嵐がそう言うと、代はゆっくりと目を開けた。
「・・・・・・・・ふう。皆さんに重要なお話があります。でも、その前に一つ、聞いておきたいことがあります。それは・・・・」
「妖呼様の事、でしょ?」
分かっていたかのように、白がそう言う。
「・・・・・・その通りでございます。そろそろ、私にもお話いただけませんかね。昔にあった事を」
代の改まった態度に、皆違和感を覚える。しばらくの沈黙の後、九六が口を開いた。
「・・・・・まあ、もうかなり昔の話なんだけどね」
「姉上!」
「白、いいよ・・・。もう話した方がいい」
九六はさらに続ける。
「昔ね、この神社は御社元ってヤツが管理してたんだ。で、その男に惚れてそのまま結ばれちゃったのが」
「妖呼さん、ですね?」
確認するように代が口を挟む。
「そう。あの二人はいい感じの夫婦だったよ。とある事件が起きるまではね。そのとある事件というのが、まあ、その、なんだ。妖呼の正体が村の奴らにバレちゃった、ってのさ。当然、妖怪なんて気味の悪いモノを神社に置いておくわけにはいかないし、ましてや村にいられても困る。そう考えた村の奴らは、全員で神社に夜討ちをかけたのさ。で、まあいろいろあって、妖呼とその子供は命からがら逃げ延びたんだが・・・」
「えっ!妖呼さんに子供いたんですか!?」
「まあ、いたよ。まだ生きてるかは分からないけどね。で、そのいろいろなんだが、まあ私も直接見た訳じゃないから実際何が起こったのかは分からない。だけどまあ結局のところ二人をかばって御社元は死んじゃったのさ。死んだというか殺されたというか、ね・・・」
「へぇ・・・・・・・そんなことがあったんですか・・・・」
何かに納得するように首を小さく、細かく縦に振る代。
「じゃ、そっちの話もしてもらおうかな」
九六はスパッと話を転換した。
「あ、はい・・・・。えと、さっき、私は死の宣告を受けてきました」
「えっ!?」
話を聞いていた五人の顔が驚きの表情に変わった。
「というのもですね、どうやら妖呼さんは魔界への扉を開けようとしているんらしいんですが、それにはまず私、つまり代わり人が邪魔らしいんですよね。だから、私を一月以内、次に台風が来た日に殺しに来る、と言ってました。それで・・・・・」
下を向いて話していた代がゆっくりと顔を上げる。その目は赤みがかり、涙が浮かんでいた。
「私、どうすれば・・・・いいでしょうか・・・・・・・・」
「・・・・・こりゃ驚いた。まさか魔界とこの世界をつなげようとしてるとは・・・・。万が一の事が起きた暁には、人間だけじゃなく人界にいる妖怪達も全滅するなぁ・・・・・」
珍しく、山嵐の表情が曇った。
「はい・・・・・・このままだと・・・・・・私は・・・・・・・・・ううっ・・・」
そこまで言うと、代はとうとう泣き出してしまった。よほど、辛いのだろう。
「分かった分かった。ね。よしよし」
白がゆっくりと近づき、代をギュッと抱きしめた。
「大丈夫だって。きっと何とかなるよ」
白はそう言って代を慰めた。
「うーん・・・・・・・・・・・」
山嵐は頭を傾けた。
「でもなんか変だな・・・・。今年は台風来ないんだけどな・・・・・」
「えっ・・・・?そんなの、分かるんですか?」
泣いていた代が山嵐の言葉に反応した。
「うん。分かるんだよねそれが。だって風神の爺さんに一昨日聞いてきたし」
「で・・・・でも、未来のことなんて分かるわけ・・・・・」
「だから、分かるんだなこれが」
山嵐はめんどくさそうな顔をしながら頭を掻いた。
「台風とかそう言うのはさ、全部その風神さまが操ってるわけよ。で、なんか去年作りすぎちゃったから、今年はいいかな?ってことで今年は無しなんだと」
「えっ・・・じゃあ、それ妖呼さんの言ってたことと矛盾しちゃいますけど・・・」
「ま、あの妖怪にはまあ良くあることさ。今でこそクールっぽく演じてるけど、昔はおっちょこちょいで明るい性格だったんだよね」
そう言うと山嵐は、さっき妖呼が残したコーヒーを気にする素振りも見せずに口元へと運んだ。
「きっと、今頃あのヒト大慌てしてるぜ」
誰も近寄らないような山奥の古びた神社から、女の声が聞こえる。
「・・・ちょっと、何とかしなさいよ」
妖呼は少々焦っていた。
「はあ・・・・・しかし、風神様に台風の予定を聞かないうちに予告に言ってしまわれたのは妖呼様ですし・・・」
五月雨は夕飯を妖呼の前に運びながらそう返す。
さすがに、今から「間違えましたー」なんて訂正しに行ったら格好がつかないし、何よりも恥ずかしい。かといってこのままもやもやさせておくのも、なんとなくだが、代に悪い気がする。
「・・・・・行ってきたらどうです?あの神社に」
「嫌よ。絶対に嫌」
子供か。
「では、文でも書かれたらよろしいかと」
「そうね。じゃあ、紙と筆を用意して頂戴。夕餉の後でいいわ」
「承知いたしました」
そう言うと、五月雨という大きな天狗は部屋から出ると、そっと、ふすまを閉めた。
六畳程度の部屋が、数本のろうそくで照らされている。そう、こんな感じだった。あの時も・・・。
妖呼は焼き魚に箸を伸ばす。どうやらあの天狗は彼女のリクエストにしっかりと答えてくれたようだ。種類は分からないが・・・興味が無いし・・・、白身の魚だ。なかなか、美味しい。
その間、五月雨は、どうして自分があの妖怪の元で、こんな召使い同然のことをしているのだろうかと、考えていた。
彼女が人間界にいる妖怪のトップだから、それに媚を売ろうとしているのか?それとも、同情してついていっているのか?
しかし、そんな疑問はすぐに頭から消え去った。そんな事はどうでもよいのだ。
自分は、あの天狗を始末できればそれでいい。遥か昔から、決着がつかないあの天狗と。そのためには、アイツと敵対関係にあるグループに属すればいい。ただそれだけだ。
戦いの原因は既に忘れていた。ほんの些細なことだったかもしれない。とにかく、五月雨は、山嵐と刃を交えたかった。他のどこでもない、戦いの中が、彼の居場所だ、昔からそうだった。そして、それはこれからも変わらないのだ。
しばらくして、ふすまの向こうから妖呼の呼ぶ声がしたのを聞きつけ、ふと我に返った。どうやら筆と紙を要求しているようだ。返事をして、事前に用意してあった物を持ち上げる。一応、墨も付けておこう。
五月雨が控えている部屋と妖呼がいつもいる部屋とは十メートルほど離れており、その廊下を行き来するたび、彼はいつも、このヒトは大きな悪事を起こすには向かないヒトだな、と思う。
彼女は子供っぽすぎるし、優しすぎるのだ。無理やりその性格を変えようとしているようだが、その本質はそう簡単に変わるものではない。大きな体の天狗は、膳に残されたキノコを見て、そう思った。
「何してるのよ。早く下げて」
妖呼様の叱りがとんだ。