予告
妖呼は湯に浸かっている。
この感じはいつ以来だろうか。この神社を離れてからまともに風呂に入ったことは無かったような気がする。妖呼はちょっとした喜びと、ほんのりとした懐かしさを感じていた。夏という暑い季節だが、湯の温度は妖呼にとって心地よく感じられた。
代はまだ来ない。が、脱衣所のほうでなにやら物音がしているので多分じきに入ってくるのだろう。
浴場には湯の落ちる音と、雨が神社を囲むように茂っている木々の葉に当たる音が響いていた。
雨の音に聞き入っていたせいか、代が浴場に入ってきたのに気づかなかった。妖呼は代が湯船の外で体を流している音でやっと代が入ってきていたことに気づいた。
「ねえ、ここのお風呂は前と変わらなくて、いいわね」
妖呼は天井を見ながらそう言う。さすがにここの天井までは山嵐と言えど来たりはしない。
「え・・・あ・・・・・・・・・・そうなんですか・・・?」
代はそう返すと、ゆっくりと湯船に入ってきた。妖呼とは距離を保っている。
「あなた、本当に御社代なの?」
妖呼は思っていたことを率直に聞いてみた。噂に聞いていた人物像と、なんとなく違う気がしたのだ。
「え・・・?ああ、まあ・・・・・・・そうです」
代はまたさっきと同じように答えた。やはり、妖呼と目をあわせようとしない。
「・・・・・話によれば、どんな相手でも差別なく接する面白い人間だって聞いてたけど・・・・。全然違うのね」
そう言う妖呼。代に揺さぶりをかけて本心を知ろうとしているようだ。
「違・・・・・・・・いますか・・・・・」
代はそうつぶやくと、深く、ため息をついた。
「私、怖いんです」
水面を見つめながらそう言う代。
「今まで見てきた妖怪さんたちはみんな優しい感じの方々でした。だから、妖怪って皆こんな感じなのかなって思ってたんです。でも、この間、ハジメさんって方を訪ねて、鬼がやってきました。なんだか、今までに見てきたのと違うと言うか・・・・・何と言うか・・・・・。怖いって、初めて思ったんです」
代の話を、妖呼は黙って聞いている。
「それで・・・・・・。人間と妖怪の力の差は大きいです。仲良くしてもらってる山嵐さんだって、次郎だって、やろうと思えば私なんか一捻りじゃないですか」
「一捻り、って、そう簡単に妖怪に人が殺せると思う?」
意外にも妖呼が口を開いた。
「人間も妖怪も、種は違えど感じ方は皆同じよ。喜び、悲しみ、怒り、憎悪・・・・・。人間同士で戦っても、相手や自分の体が四散するようなことはまず無いわ。でも、妖怪は違う。戦えば必ずと言っていいほど、負けた方はそのままの形ではすまない。不必要な力を持っているからこそ、そういうものを持っていない人間に憧れるのよ。まあ、私は別だけど」
一言多い妖呼。
「それに、やろうと思えば私ならあなたをこの場で殺してしまうことも出来る。あなたもそれは承知の上だったでしょう?でも、ここにきた。普通だったら、見知らぬ妖怪と一緒に風呂なんて入らないものよ」
「それは・・・・」
「したかったんでしょう?今の話」
それを聞いた代の目が、一瞬はっと大きく開いた。
「何で・・・・」
「なんとなく、かしらね。『噂』によると、あなたは優しい人間らしいじゃない。優しいということは常に周りに対して気を配っているでしょう?それに、性格的に誰かに心配をかけたくないから自分の困っていることとかも相談しにくい。・・・・とまあ、こんなところかしら?」
「その・・・・・・通りです」
代は、今度はうっすらと笑いながら水面を見つめた。
「でも、どうしてそこまで分かったんです?私は何も言ってなかったのに・・・・」
「噂、よ。うわさ。それに・・・・・・・・あなたによく似た人間を、私も知ってるから」
妖呼がそういった時、大きな雷鳴が浴場に響きわたった。
「わっ!」
雷鳴に驚く代。妖呼はそれを見て笑っていた。
「そろそろ来る頃だと思ってたわ」
「分かってたんなら教えてくださいよ・・・・」
代はちょっと恥ずかしそうに笑った。多分、さっきまでの彼女の笑顔ではなく、この笑顔・・・・とまでは行かないが・・・・が彼女の本性なのだろう。妖呼は、すこし満足した気分だった。
「ところで、そのお話って何なんです?」
さっきとはまったく違う雰囲気で代がそう話しかけてきた。
「ああ・・・・・話ね。この空気だと話しづらいんだけど」
「どうぞなんなりと。私はかまいませんよ」
「分かったわ。じゃあ話すけど。私はあなたを殺さなくちゃならない」
一瞬、場の空気が凍った。
「と、言いますと・・・・・・?」
戸惑う代。
「それか、あなたは私を殺さなくちゃならない」
「・・・・・・・・・・・・」
妖呼は語りだした。
「私は人間が憎いわ。まあ、全員って訳じゃないけれど。それでも、人間が憎い。あんな奴らがいた人間界が憎い」
「それで、人間である私を殺したい、と・・・・?」
「そんなんじゃないわ。私の目的は魔界への扉を開くこと。あの扉さえ開くことが出来ればこの世界は一瞬にして妖魔が溢れかえり、人間どもはみな死ぬわ。でもその扉を開くには、扉の鍵ともいえる『代わり人』を殺さなくちゃいけない。ま、あなたがこの地から去ってくれるって言うんなら、私はあなたを直接殺さなくて済むのだけれどね」
「私は・・・・・・どこへも行きません。行くところないし」
「でしょうね。となるとあなたに選択肢は二つ。おとなしく私に殺されるか、逆に私を殺して計画を阻止するか」
「妖呼さんを説得して・・・・・・ってのは?」
「無駄よ。私は行動を起こす。絶対にね。まあ、絶対なんて言葉、あんまり使いたくないのだけれど」
「じゃあ、どうしましょうかね・・・・。困りました」
「ちなみに言っておくけれど、あなたがもし私を殺せたとしても、どのみちあなたは死ぬ定めにあるわ。私はこれでも人界の妖怪達を束ねる頭。私を殺せば、あなたは死罪を免れない。・・・・まあ、人界ではただの行方不明扱いになるでしょうけれど」
妖呼はそう話すと、不気味な笑みを浮かべた。
「・・・・・・・つまり、どうやっても私は助からない、と」
代はそう確認した。
「ええ。そうよ。これはあなたの運命。逆らうことは出来ないわ。たとえどんな手を使おうとも、あなたはあと一月生きられない」
「一月!?ってことは、妖呼さんはもう・・・・・」
「ええ。計画の準備は既に整っているわ。後は、あなたに予告しておくだけだったのよ。さすがに、何も知らされずに殺されると言うのは嫌でしょうし」
だからと言って死の宣告をわざわざしに来るのもどうかと思うが。
「・・・・まあ、そう言われたらそうですけど・・・。でも、どうしてですか?人間が憎いって」
「・・・・あの人間は、人間どもは、私の最愛の人を殺したわ。村ぐるみであの人を殺したのよ。・・・・・・まあ、もう昔の話だけれど」
「でも、どうして今更?やろうと思えばいつでもその扉を開ける事だって出来たでしょう?」
「魔界への扉を・・・・・正確には門なのだけれど、それを開けるには並大抵の力では不可能。それを私一人であけることなんて・・・・・。だから、各地を回って強力な妖怪たちを手下として増やしていっていたのよ。それに少し時間がかかった。・・・・・・・・・それと、御社代。私はあなたに興味があるわ」
「興味・・・・・?」
眉間に少し皺を寄せる代。
「ええ。前の代わり人はよく分からない爺さんだったわ。そんな爺さんを私がわざわざ殺しに行くなんて、つまらないでしょう?でも、あなたは若いし、何か・・・よく分からないけれど何か、力がある。それで、少し面白そうだなと思ったの」
「・・・・・・・・・・」
「自覚はしてないけれど、もしかしたら心のどこかで『あなたなら私を止められるかもしれない』って、思っていたのかもね。・・・・・まあ、それはほとんど無いだろうけれど」
妖呼はそう言うと代の目を見た。深い黒色をした、それでいて綺麗に澄んだ瞳だった。