人形と鳥居(ハ)
代は夢を見た。またあの、モノクロ世界の夢だ。
「ちょっと、この間なんか言い終えないうちに消えたでしょ」
そんな声がする。振り返ると、そこには『代』の姿があった。
「……………………?」
首を傾げる代。覚えていないようだ。
「ほら、あの」
「あっ!思い出した。あれか」
ポンと手をたたいて『代』を見る。
「あなたの名前を考えたんだよ」
『代』を指差す代。
「名前……?」
「二号、なんてど」
「拒否」
「ひどいなぁ……。せっかく考えたのに」
「私に二号なんて名前を贈る方が酷いわよ」
「じゃあ、そうだなぁ……。マリアかなんかでいいんじゃない?」
「マリア……?」
そう言うと『代』はくるっと代に背を向けた。
「マリア……マリアねぇ……」
「えっ?もしかして気に入ったりしてる?」
代は素早く察する。こう言うときだけやたらと勘がいいのが彼女だ。
「なっ……べっ…別にそんなんじゃないわよ。まあ、仮の名前としてなら、そう呼ばせてあげてもいいわ」
サッと振り向く『代』の顔が少し赤く見える。この瞬間から『代』はマリアになった。どう見ても和服日本少女だけど。
「あら、そう言えばさっきまではそうじゃなかったけど、今なんかカラーになってきてない?」
キョロキョロしながら、代がそう言う。
「そう?私は何にも分からないけど」
『代』は……あ、いや、マリアはさらっとそう答えた。言葉にしてはいないが、やはり態度で分かるものだ。彼女は新しい名前を大層気に入っている。間違いない。
「いやいや、ぜっ」
「もう十時なんですけれどー」
代が目を覚ますと、顔の真ん前には白の顔があった。
「えっ?」
代は慌てて枕許の目覚まし時計を見た。四時半で止まっていた。
「えーっ……それはないよ……」
「無いのは代の寝坊でしょ!ほら!早く着替えないと大宮さん来ちゃうよ!」
そう言えば今日は定期見回りの日だった。すっかり忘れてた。
「あー………どうしようか?」
布団にぺたんと座りながら白を見上げる。
「んー………取りあえず風呂にでも入ってきなさい!」
白が代を蹴飛ばした。
「うわぉっ!」
ぼてっと倒れる代。普通なら倒れる先は畳の上だが、何故か脱衣所の床に倒れていた。
「………あり?」
めんどくさそうに立ち上がる代。
「まあ、いっか」
深いことは考えない。これが代のいいところだ。
ちょうどその頃、神社の前に車が一台とまった。運転席のドアが開き、中からスーツ姿の男が現れた。
「あー……疲れた。非常に疲れた」
男はダルそうな雰囲気を漂わせながら神社へ続く階段を上っていく。
「あー……暑い。なんでこんなに暑いんだ」
辺りでは蝉の声が夏を引き止めていた。
「あっ!大宮さん!」
男はすっと顔を階段の一番上に向けた。
「やあ、山神。元気だった?」
大宮がそう言うと白が階段をスタタタッと駆け下りてきた。
「あっ!大宮さんメガネじゃない!何かあったの?」
「ん?今修理に出しててね。当分はコンタクトレンズかな。ところで、鳥居はどこに行ったのかな?」
大宮は不思議そうに辺りを見回した。いつもなら階段の一番上か一番下に大きな石造りの鳥居があるはず(この時点でおかしいが)なのだが、今日はない。
「ああ……あの鳥居勝手に動き回るから面倒なんだよね」
と白。
「あっ、動くんだアイツ」
長い間この神社を見てきたつもりだったが、まさかあの鳥居が動くとは知らなかった。大宮は新たに学んだ。
その頃。
代は風呂場の戸を開けた。どうやら先客がいるらしい。
「あら、こんな朝から珍しいですね」
湯煙でよく分からないが、湯船から女の声がした。
「ええ……まあ……。ところで、どちら様でしょうか……」
代は不審そうな顔をした。
「どちら様って、ひどいですねぇ。ほとんど毎日会ってるじゃないですか」
「えっ?」
「……まあ、いつか分かりますよ。フフフッ」
広い風呂場に笑い声がこだまする。
早く先客の正体を知りたい代は、体をさーっと流すと湯船に飛び込んだ。ザバッと水しぶきが散る。
「うわっ!」
先客が小さく叫んだ。
「んー……確かに何か知ってるような気もしなくはないんだけどなぁ……」
まじまじと顔を見つめる代。彼女には失礼と言う言葉を教えた方がよいのではないか。
「わっ……近いなぁ……。じゃ、ヒントあげましょうか?」
「ヒント?」
「私はね、代さんが階段から落ちたのも見てますし、境内で倒れたのも知ってるんですよ。あ、もちろん、半年前、代さんがここに来たのも」
監視カメラみたいだなぁ、代はそう思った。
「うーん………何だろ?私をよく見てるってことは境内の辺りにいるってことでしょ?…………もしかして賽銭箱ちゃん?」
代のどやっと言うような顔。
「いいえ」
ニコッと返された。
「えーっ!絶対賽銭箱だと思ったのに!………じゃあ何だろ?鳥居とか?」
「あ、正解です」
鳥居は驚いたような表情で代を見た。
「やっぱり代わり人さんは勘がいいんですね」
「あ、当たったんだ。……まさか鳥居ちゃんだとは思わなんだな」
「えっ?」
「………まさか鳥居ちゃんだとは思わなかった」
代はさらにまじまじと鳥居の顔を見つめる。
「名前は何て言うの?」
「名前ですか?そんな物はないです。私には必要ありませんから」
鳥居はそう言うと縁に寄りかかって格子戸から見える空に目をやった。
「今まで長い間、特に誰ともお話しなかったんですよ。だから、名前は無いんです」
そう話す鳥居の目は少し、悲しそうに見えた。
「お話したくても私の声が聞こえる人は少ないんです。私は妖怪でも幽霊でも、憑喪神でもありませんから」
「………じゃあ、鳥居ちゃんは一体何なの?」
「わかりません。わかることと言ったら、私はただの鳥居だと言うことだけですかね」
外から木々のざわめく音が聞こえる。
「フフッ。おかしい」
代はくすくすと笑い始めた。
「だって、ただの鳥居が人間の姿になって動き回れるわけないよ」
するて怪訝そうな顔をする鳥居。
「それは………」
「まあまあいいじゃないですか。昔は昔今は今。少なくとも、今は私と話ができるでしょ?それじゃだめ?」
なぜこの代わり人はこんなに馬……楽天的なのだろうか。鳥居は不思議になった。
「……代さんは元気ですね。ちょっとうらやましいです」
鳥居は代に顔を向けた。
「まあ、私は人間だからこう思うんだけど、やっぱり人生愉しく過ごさないと。できるだけね。じゃ、私はお先に」
代はそう言うやいなや、湯船から飛び出すと脱衣所に向かった。やはり人間には少し熱すぎたようだ。
「………変な人」
鳥居は、少しだけ心が温まった気がした。元は石なのに、何故か、そう感じた。
「それでいて………面白い人ですね。あなたに似ている気がします。そう思いませんか?ハジメさん」
鳥居は、また格子戸から見える青空にそうつぶやいた。