量子力学的壁尻の観測者
「教授、呼び出しの案件って、これですか?」
「そうとも、これがわちの開発した、物質透過装置じゃ」
聞きなれない単語に、眠気が一層強くなる。時計は夜中の2時を回っていた。
「ピンと来てないようだの、要するに、これを使うと物体を通り抜けて、向こう側に行けるのじゃ」
「通り抜け……ええっ!?」
教授は僕の反応を見透かしていたかのような、得意顔を見せた。相変わらず、子供のような顔つきだ。若くして教授職に就いた天才なのだけど、その奇人ぶりに僕は振り回される毎日だ。喋り方もおかしい。
「原理をいうとな、ほれ、量子は常に運動しておるじゃろ? この装置は、動いている量子と量子の間をくぐり抜けることで……」
また眠気が強くなった。
「こら、そんなことでわちの助手が務まるか! もうよい、世紀の大実験の準備をするぞ!」
「は、はい」
僕は言いつけ通り、電源を起動させ、本体も指定されたスイッチを入れて待機していた。
すると、黒のピッチピチなボディスーツを着た教授が、部屋に入ってきた。
「な、なんですか、その恰好は!」
「今の技術ではこれが限界なんじゃ!」
いくら変人とはいえ、女性である。そんなボディラインがくっきり浮かぶ服を着て、恥ずかしくないのか。
「よし、では始めるぞ」
教授はさらに、頭をすっぽり覆うマスクを着けた。そしてスーツの中に配線を通した後、赤いボタンを押した。稼働音と共に教授の身体が淡い光に包まれる。
「ゆくぞ……」
教授が壁に手を伸ばした。するとその手は、どんどん壁の中に入っていくではないか!
「す、すげえ!」
「驚くのはまだ早い、このまま通り抜けて廊下までいくぞ!」
教授の身体は、頭、胸、そして腰と、どんどん壁に入りこんで――
バチンッ!
あたりが真っ暗になった。
「教授、大丈夫ですかー?」
教授は爪先で床を叩いて、健在をアピールした。
「30分で工事の人が来ますから、がんばってくださーい」
装置に使われる電力が想定以上だったのだ。途中でショートし、教授は上半身が壁に埋まったままになってしまった。
スマホのライトで照らされた、教授は少し震えている。横で白い煙をあげている装置が、時々火花を散らして教授の尻を襲うせいだ。
なんだか、嗜虐心をそそられる。これが壁尻ってやつか。教授には自分の下半身がどうなっているのか、まるでわからないのだ。
僕がこれからどうするかって? それもわからない。
少なくとも、30分後に観測者がやってくるまでの間は、ね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。