7.
「中村さん、何か食べたいものある?」
「あー、今週ちょっとキツかったから、胃腸に優しい食べ物がいいかな」
「じゃあ・・・おでん食べる?」
「食べる! おでん好きなんだよね〜」
ふと、坂本さんが立ち止まった。
「ほんと、何なんだろうね」
「え?」
「言葉で説明するのが難しい」
「何を?」
「自分の気持ちっていうか・・・」
その時、ビュウっと少し強めの風が吹いた。
病院から駅へ向かう道は、周りに建物があまり無いこともあって、思いのほか寒く感じた。
「寒い・・・」
もっと厚手の上着にすればよかった。
「あのさ」
「ん?」
「一応聞くけど、中村さん、結婚してる? それか、彼氏いる?」
どうしてそんなこと聞くの?と言いかけて、それはもうムダなことだと思った。
お互い分かっていて、ただ確認したいだけなのだ。
「残念ながら、どっちもご縁が無くて。仕事し過ぎ・・・」
言い終わる前に、
『じゃあいいよね』と私を抱きしめた。
私も。
この気持ちを、どう説明したらいいのか分からなかった。
「あったかい・・・」
坂本さんの背中に、手を回した。
「中村さん、下の名前、何?」
耳の後ろで声がした。
「紗絵。坂本さんは?」
顔を上げると、目の前に坂本さんの顔があるのは分かっていたから、顔を上げずに言った。
いま顔を上げたら、何が起こるのか、容易に想像がつく。
何が起こるのか・・・起こるより先に、自分がそうしてしまいたい気持ちを、どこかで抑えていたから。
「俺は、蓮斗。・・・紗絵」
ふいに呼ばれて、思わず顔を上げてしまった。
近い・・・。
「紗絵、ちょっと離していい? 俺もう耐えられないんだけど」
私を自分から少し離して、蓮斗は笑った。
それを見て、わざとらしく聞いてみた。
「耐えられないって、何が?」
「何って・・・」
「私も、耐えられないかも」
離れた蓮斗に近づき、背伸びして首に手を回した。
「逃げられないよ、蓮斗」
「・・・逃げないよ」
やわらかく笑う蓮斗の唇に、私は、自分の唇を重ねた。
「ヤバイな、幸せって急に降ってくることがあるのかな・・・」
「え?」
「明日の朝起きたら、全部夢だったりして」
蓮斗は寂しそうに笑った。
「夢なのかな。だとしたら、ものすごいロスに陥りそう」
「ほんとに? 紗絵もそう思う?」
「うん・・・」
その時、私の上着のポケットが震えた。
蓮斗に抱きついたままだったから、蓮斗も気付いたらしい。
「紗絵、電話じゃない?」
「・・・うん」
「出なくていいの?」
「うん・・・どうしようかな」
「ほら、出なよ」
蓮斗は私の手を、自分の首から離して言った。
震えるスマホをポケットから出すと、見慣れた、でも掛かってきてほしくない番号からだった。
「はい、中村です。はい、はい。もうユーザーには連絡済みですか? はい、分かりました。30分くらいで」
会社から、それもシステムトラブルの連絡だった。
「紗絵、仕事?」
「・・・会社に戻らないと」
「送っていくよ」
「え?」
「ほんとは、朝まで一緒にいたかったけどね」
「蓮斗・・・」
「続きはまた今度」
蓮斗は、私の手を握って歩き出した。
私も、もっと長い時間、蓮斗と一緒にいたかった。