手と手と勉強
「睦希様、どうぞ!」
「くるしゅうないわ」
「お暑いでしょう、あおぎます」
「拝めなさい」
「はッ!」
俺はリビングで睦希を団扇であおいでいた……いや仰いで……
「これは……なにやってるのショーマ?」
そんな光景に出くわしたソフィアが声をかけてくる。
時刻は午後8時
カラオケをした日の翌日、学校から帰った俺達は、皆でご飯を食べ(今日は葉月と会長の手料理)お風呂に入り(1人で)リビングでお風呂からあがった睦希を、俺がおもてなししていた。
「今から睦希大明神に勉強のコツを教えて貰うんだ」
「その為の、ゴマすりってわけね……」
「失敬なッ!ご奉仕だ」
「……それも違う気がするわ」
そんな会話を他所に、続々と風呂上がりの女性陣がリビングにやってきた。
(最近は皆で入る事が多くなったよな……)
「あらあらしょうくん勉強? でも、テストは終わったわよねぇ?」
「そうなんですよ〜でも、今後も睦希に頼るばっかりじゃ……」
「ふむ! いい心がけだ翔馬よ! ローマは一日にして成らず」
「会長がまともな事言ってる……」
「私も……たまにはまともな事を言うぞ」
「あっ……しょげた」
「あらあら、さつきちゃん元気だして?」
リビングに皆が集まり和やかなムードが立ち込める。
「そういえば、しょうくんって成績はどうなの?」
「いやぁ……その」
弥生さんからの鋭い質問に俺は口を閉じたくなった。バイトではできる男を演じたかったので、あまり成績の事は話さなかったのだ。
「最悪ね」
「ですッ! 私より頭悪いですッ」
「私がいないと、やばいのよね……」
「ふむ! 次期生徒会長なのに嘆かわしい」
「「「「初耳なんですけど?」」」」
会長の冗談はたまに笑えない時がある。
「へぇ、しょうくん勉強できないんだぁ〜ちょっと可愛い」
「……弥生さん、男に可愛いは禁句ですよ?」
「えっ? そうなの?」
「えぇ、結構ショックを受けるんです」
「あらあら、でも睦希ちゃんお風呂の中で、翔馬のアレは結構可愛いって言ってなかった?」
弥生さんの発言に俺はぐるりんっと首を睦希に向ける。
「や、弥生さんその話は秘密だって……」
「睦希……お前……変態だな」
「な、変態じゃないし! 勘違いしないでよね! 私はただ……」
「ただ?」
「しょ、翔馬の手が可愛いって言っただけで……」
「手?」
「手……」
ソフィアや葉月達はヤレヤレといった具合でその場を去って寝室へと帰っていく。残された俺と睦希は……
「手、好きなのか?」
「う、うん……」
微妙な空気で隣に座るしかなかった。
チクタク……チクタク……時計の音だけがその場を支配している。
(気まずい……)
俺は睦希にテストの度に迷惑をかけられないと思い、頭を捻らせていた。
「ねぇ……翔馬」
「なんだぁもう少し時間をくれ、そうすればこの答えが導き出せるはず」
「……手」
「ん?」
「手……握っていい」
睦希は俺にそんな事をお願いする。まだ本調子じゃない右手は絶賛ノートと格闘中。空いているのは左手だけだ。そしてその隣には睦希の柔らかい体がぴとりと寄り添う。
「どうしたいきなり?」
「昔さ……」
「……うん」
「よく2人で遊んでた時、両親に怒られた私の手を優しく握ってくれた事あったよね?」
「……あったかなぁ、そんな事……」
「あったよ! 私は忘れてない」
「その記憶力を分けてくれ」
「ふふ……手を握ったら譲ってあ・げ・る」
睦希は俺の左手を優しく握ると、恋人繋ぎをしてきた。その行為に俺は一瞬ドキドキしてしまったのだが、ソフィ達より奥手な分、不意に来られると困る。
俺の反応がおかしかったのか、睦希は楽しそうに笑っている。
「翔馬の手、暖かい……」
「睦希が冷え性なんだろ」
「そうかもね……ねぇ翔馬」
「なんだぁ? いっとくが右手は貸さねぇぞ」
「ううん、右手はいらない」
どこか酔っているような雰囲気さえある睦希。いつもの暴力の化身みたい苛烈さは微塵もない。それどころか不覚にも同い年なのに大人びて見えてしまう。
「じゃあ、俺は何をすればいい」
俺の右手はもうペンを持っていない。睦希を正面に見据え、話の続きを促す。そんな睦希の要求はというと、
「私と寝てくれない?」
「…………はい?」
「私と寝てくれない?」
もう一度聞いても返ってくる答えは一緒だった。最近のソフィアといい睦希といい、一体どうしたと言うのだろう?
「言っとくけど俺は何もしないぞ。だから無理だ」
俺は睦希の誘いを断った。以前ソフィアにも言った事だが、俺からは手を出さない。これは絶対条件なのだ。
「……何の話?」
「えっ? 何って……」
「あはははは! 違う違う! そっちの寝るじゃなく、添い寝のほうね」
めっちゃ笑われた……睦希にめっちゃ笑われた……俺の早とちりだった。
「はぁ……紛らわしいんだよお前は……」
「いやぁ、まさか翔馬が勘違いするとはね」
「今までの言動を考えると妥当なんだが?」
「まぁ、それは時期が来たらと言う事で!」
「来ない事を祈るよ……」
「それに……」
「それに?」
俺は睦希が何かを隠してると思い、背もたれのソファに押し倒した。
「答えろ睦希……」
「いやぁ……その」
「その?」
「ソフィアと一緒に寝ている翔馬にイタズラしちゃったから、今更かなーと」
「…………ぇ」
俺はその言葉に絶句するしかなかった……
「ま、まさか!」
「だ、大丈夫、大丈夫! ヤッてはないから」
「怪しいぞ……マジで頼むよ〜」
「うん、入ってはないから!」
その入っては聞いちゃいけない気がする。しかも『は』って事はそれ以外はやっているという証拠だ。
「わかった……もう何も言わなくていい……俺の心臓が持たない」
「じゃあ……お詫びに寝てあげる」
「それお詫びとチガウ……もうオヘヤカエル」
「やった〜! 今夜は寝かせないぜッ!」
こうしてロクに勉強も出来ず、睦希に良いように遊ばれて、俺の気分は……水のように薄い曜日と共に幕を閉じるのだった。
肉食女子……怖い。