Chapter:01 ナツいアツがやってきた
と言うわけで、もっさんことこすもすさんどをお待ちしていたユーザーの皆さん、大変お待たせしました。
『恋愛初心者の付き合いかた』の、夏の続短編になります。
まずはChapter:01からどうぞ。
桜の花びらが舞い落ち、新緑が芽吹き、渇きに備えた梅雨も終え、季節は廻り変わる。
夏。
一年の中で最も熱く、そして暑い季節がやって来た。
八月。
学生達は一学期を終えて、夏期休暇――夏休みを迎える。
それは、彼らも例外ではなかった。
レールの上をなぞるように、特急列車が軽快に駆け抜けて行く。
車内の座席のシートに腰を落ち着けて、彼――『九重蓮』は頬杖を突きながら、ぼんやりと窓から見える景色を眺めていた。
「(そろそろ着く頃だな……)」
視界一面に広がるは、広大な蒼海と眩いばかりの白浜。
今は車内の冷房が効いているおかげで涼しいが、一歩でも外に出れば蒸し焼きにされるような暑さが襲い掛かってくるだろう。
そんな誇張表現が脳裏に浮かぶほどに、夏空を見下ろす陽射しは遠慮なく降り注いでいる。
「お待たせ、蓮くん」
ふと、窓の外を眺めていた彼を呼ぶ声と共に、隣席に一人の少女――『朝霧美姫』が座った。
二人は紆余曲折の末に付き合うことになり、さらに紆余曲折を経て、恋人同士として結ばれた。
その美姫の首元には、蓮が彼女の誕生プレゼントとして贈った、手作りのネックレスが提げられている。
「ん?あぁ、おかえり美姫」
お手洗いから戻って来た美姫を見て、蓮は姿勢を変えて窓から美姫の方へ向き直る。
「そろそろ着きそう?」
「多分そうだな。駅から少し歩くみたいだし、絶対暑いだろうなぁ」
「うんうん。電車の中が涼しいから、降りたくなくなっちゃうよね」
他愛無い会話を交わす二人。
蓮も美姫も、お互いのパートナーといつまでもこうしていられる自信があるし、むしろいつまでもこうしていたいと思っているくらいだ。
二人だけならそれでも良いかもしれないが、残念ながら今回はそうはいかない。
何故なら、この場にいるのは二人ではなく、"六人"なのだから。
「……あーあー、電車の中は冷房が効いていて涼しいはずなんだけど、あの空間だけ外にいるより暑いのは何でだ?」
蓮と美姫を見やりながら、わざとらしく声を出すのは『芝山駿河』。
「ホントのお付き合いを始めてからもう二ヶ月は経ったのに、未だにデキたてホヤホヤだもんねぇ……」
その駿河の疑問(?)に応じるのは『松前静香』。
「クラスの男子達が窓から放り出したくなる気持ちがよく分かるよ。このままだと車内の冷房が故障しかねない」
呆れたように溜息をついてみせるのは『有明鞍馬』。
「少しは見せつけられる側のことも考えてほしいわ……」
頭が痛いとでも言いたげに片手で顔を覆うのは『早咲雛菊』。
蓮、美姫、駿河、静香、鞍馬、雛菊の六人は、夏休み前から立てていた予定として、この六人で小さな旅行を計画していた。
どこで何をする、と言うことから始まり、予め考えていたらしい駿河が、『自分の叔父に当たる人物が経営している旅館を宿泊先とする。近場にビーチがあり、少し離れた場所にある神社で夏祭りも開かれる』と言う意見を挙げた。
お泊り、海遊び、夏祭り。
学生の夏休みらしいイベントに、反対する者はいなかった。
ちなみに駿河の懸念として、鞍馬の彼女との予定は被らないかと不安に思っていたが、鞍馬曰く「彼女はその辺りへの理解はあるし、向こうは向こうで同中の友達と旅行に行く予定もあるからお互い様」とのこと。
それはともかくとして、全員の予定と擦り合わせつつ、今回の小さな旅行は計画され、今日に決行されたのだ。
幸いにも、新幹線や飛行機を利用するほどの距離ではないため、いくつかの乗り換えを経て、そろそろ最寄り駅に到着する頃合い。
電車がホームに停車し、開かれたドアを潜れば、
――強烈な陽射しと熱気が諸手を上げて歓迎してくれた。
そこかしこで蝉が自己主張をがなり立て、駅のアナウンスと共に反響して耳の中を殴りつけてくる。
「ぐあぁ、あっつぅ……予想はしてたけど予想以上だわぁ……」
車内の冷房にすっかり身体が慣れてしまっていたようで、その場にいるだけで噴水のごとく汗が湧き出るような熱気に、静香は思わず呻く。
「さてと、ここからざっと十五分歩くぞー」
この周辺の地理に詳しく、なおかつ気候にも慣れているだろう駿河が先頭になって、残る五人もその後に続く。
「もう夏本番だしなぁ。美姫は大丈夫か?」
熱中症で倒れたりしないだろうか、と蓮は美姫の顔を見やる。
「私は大丈夫だけど……って言うか蓮くん、最近なんだか私に対して過保護になってないかな?」
美姫の言う最近――と言っても、正確には彼女が蓮と本当のお付き合いをするようになってからだ。
何かあるごとに美姫の身を案じるのだ。
美姫本人としては、自分のことを第一に考えてくれていることを嬉しく思うと同時に、過保護ではないかとも思ってしまうわけだが。
「過保護かどうかは知らないけど、彼氏が恋人の心配をしないわけないだろ?」
それに対する返しも、実に蓮らしく実直で――故に美姫を赤面させる。
「も、もうっ、なんで蓮くんはそうやって……っ」
真っ赤になってもじもじと身を悶えさせる美姫と、そんな彼女を見て困ったように頬をかく蓮。
そんな二人から少しだけ距離を置いて、静香と雛菊はその様子を見ながら小声で話し合う。
「もー、九重くんみたいな彼氏がいる美姫が羨ましいなぁ」
未だに初々しさを拭えない二人を見てニヤニヤする静香。
「……まぁ、あぁ言うのを、理想のカップルって言うのかしらね」
雛菊は一瞬「あの二人をくっつけた本人が何を今更」と言いかけたが、それを口にすると静香の『美姫に対する罪悪感』を思い出させてしまうだろうと思い、寸前で飲み込んだ。
色恋沙汰には二人とも奥手で、傷付けてしまわないように、それでいてお互いを求め合い、大切に想い合っている。
余程理不尽なことでも無ければ、蓮と美姫を引き裂くことは不可能だろう。
「ん?ヒナには芝山くんがいるじゃない」
「……静香。あんまりしつこく言うなら、私にも考えがあるのだけど?」
何故にそうやって自分と駿河をくっつけようとするのかと、雛菊は静香を睨む。
雛菊は学園祭の最中で、偶然とはいえ駿河と二人きりになっていたことを静香に知られてしまい、それ以来何かにつけて駿河と付き合うようなことを催促されるのだ。
とは言え、雛菊自身は駿河と付き合うつもりはなく、彼女ら二人は知らないが、駿河も雛菊に対する感情の変化はあったものの、それ以上には至っていないのが現状だ。
「やだー、怖い怖い……」
怖いと言いつつも静香は楽しそうであるが、すぐに「でもさ」と間髪入れずに続けつつ、先頭を歩く駿河の背中に目をやる。
「実際、贔屓目抜きにしても、ヒナと芝山くんはお似合いだと思うけど」
「どの辺りがって訊いていいかしら?」
ふざけた意見なら即座に切り捨ててやろうと心を構える雛菊だが、静香にしては珍しく少し遠回りな言葉だった。
「んー、言葉選ばなくて良いんなら……ヒナって、現実主義者って言うか、変化を嫌うタイプって感じ?」
「別に変わることそのものは嫌いなわけじゃないわ。……でも、あまりにも性急な変化は私に限らず反感を生むものよ」
それがどうしたの、と続けるよう促す雛菊。
「芝山くんはさ、調子のいいことばっかり言ってるように見えるけど、意外と大事なところはちゃんと見てるし……なんて言うのかな、『お互い正反対を向いているのに見ているものは同じ』って感じ?」
「……よく分からないわ」
静香が何を言わんとしているのか、雛菊には推し量れなかった。
二人してそのような話をしていれば、当然他にも聞いている者はいる。
「なんだ?蓮だけに飽き足らず、今度は駿河をどうしようって言うんだ?」
静香と雛菊の間に立つように、鞍馬が話に混じって来た。
「ッ……ひ、人聞き悪いわね有明くん?」
ビクリと肩を震わせて、慌てて振り返る静香。
その静香の挙動不審を見て、雛菊は先程とは別の意味で訝しがる。
「前から思っていたけど……静香と有明くんって、仲悪い?」
「いや、仲が悪いって言うか、なんて言うか……」
まさか「弱みを握られたも同然で脅かされてます」とは言えず、目を泳がせながら口ごもる静香。
そんな態度を見せれば、雛菊の疑念の目はますます深まるが、鞍馬は自然体を見せながら静香に助け船を出した。
「……あぁ、実は前に松前さんがね、ガラの悪い男にナンパされてるのを見て、僕が咄嗟に彼氏のフリをしてその場を凌いだんだよ。……その時に、うっかり僕の彼女にそれを見られて、説明が大変だったって話さ」
当然これは嘘で、鞍馬がでっちあげた作り話である。
「あー……うん、そ、そうなの。有明くんと彼女さんにすっごい申し訳ないことしちゃってさぁ……」
困惑とも苦笑とも取れる、微妙な表情を浮かべる静香。
「そうなの?変な人に絡まれた静香も災難だけど、それで助けたら彼女さんに誤解されるなんて、有明くんも大変だったのね」
すると、鞍馬の援護が功を奏したか、雛菊が納得したように頷いた。
「まぁそれは置いといてだ。蓮と朝霧さんをくっつけたように、駿河をどうするって話だったかな?」
ボロが出ない内に話題を遠ざけつつ、話の腰を元に戻す鞍馬だが、
「あー、あー、この話やめよっか、うん!」
静香が大仰に頷いて、無理矢理に話を終わらせた。
駿河が「何の話してんだ?」と振り返るが、三人とも黙秘を貫いた。
それからもうしばらく歩いたところで、旅館らしき建物が見えてきた。
「ほい、とうちゃーく!んじゃ、早速チェックインするぞー」
旅館のオーナーと駿河がいくつか言葉を交わし、チェックインはすんなりと通る。
それぞれ、男子三人と女子三人とで部屋を分けられ、一旦荷物を下ろす。
ちなみに駿河は最初、三部屋借りるつもりだったらしく、二人三組……つまり、蓮と美姫、駿河と鞍馬、静香と雛菊と言う部屋割りを考えていたそうだが、さすがにそれはオーナーから止められた。
……そうなれば蓮と美姫は、"眠れない夜"を過ごすことになるだろう。
それはともかく、この後はビーチで海遊びを予定している。
部屋に大荷物を置き、最低限の荷物と水着を用意して外へ。
旅館とビーチとの距離が近いため、徒歩五分ですぐに到着する。
男女別にロッカー室で着換え、先に着替え終えた男子三人はロッカー室の前で待っている。
「(水着……美姫の水着か……)」
蓮は何食わぬ顔をしつつ待っているが、その内心は水着姿の美姫のことで支配されている。
そんな邪かつ健全(?)な思考をする蓮を尻目に、鞍馬は駿河に小声で話し掛ける。
「……駿河」
「ん、どした?」
蓮が聞いていないことを確認してから、鞍馬は話を進める。
「前に似たようなことを訊いたけど……ぶっちゃけ、早咲さんのこと、どう思ってる?」
「どうって……普通に、友達としか言えねぇけど」
駿河自身も分かってはいるのだ。
少なくとも、自分の中で雛菊の存在が友達以上のそれであることを。
だからといって、それが恋愛感情にまで想い募っているのかと訊かれると、答えは「分からない」のだ。
「気になるか気にならないかなら、気にはなってるんだろ?」
「そりゃ、まぁ、な」
「だったら、いいじゃないか」
ロッカー室の女性側の出入り口に目を向けつつ、鞍馬は続ける。
「早咲さんだって、お前のことは悪く思ってないんだ。お近付きになるになるチャンスだろ」
「お近付きになる、ねぇ……」
そんなこと企んでたら怒られそうだ、と呟きながらも、駿河は「やるだけやってみるか」と軽い気持ちで決意する。
もう少しだけ待っていると、女性用ロッカー室の出入り口から、「お待たせー」と静香の声が聞こえてくる。
そして現れる、水着姿の女子三人。
「ど、どうかな、蓮くん……」
まず最初に、美姫がやや躊躇いがちに蓮の前に立つ。
白を基調とした彼女らしい清楚なデザインの水着である……の、だが。
同年代の女子高生の中でも群を抜く豊かな身体付きを持つ美姫だ、その彼女に肌を晒す面積が増え、身体のラインが顕著になる水着など着せてみようものならば。
「ッッッ……」
蓮としてはもう危険が危ない。
しかし、どうかと訊かれた以上は何も答えないわけにもいかない。
「に、似合ってる、って言うか、似合い過ぎて困る……」
似合っていると言うのも、似合い過ぎて困ると言うのも、紛れもない本音なのだが……
「(覚悟はしていた、していたけど……)」
"困る"と言うのは別の意味も含まれていたりする。
目の保養になり過ぎて、逆に毒になるくらいに。
「……あ、ありがと」
彼氏が照れ臭そうにそう言ってくれるのなら、美姫も恥ずかしそうに頷く。
人が出入りする近くで、蓮と美姫は二人して固まっている。
「あそこで固まってるバカップルさんはほっといて、あたし達はあたし達だけで楽しもっか。ね、ヒナ」
「そうね……」
静香は暖色系に多数のフリルで着飾った可愛らしいデザイン、雛菊は『黒は女を美しく魅せる』と言う言葉を体現したかのようなシンプルなデザイン。
「……鞍馬」
「どうした駿河、発作でも起きたか?」
プルプルと見を震わせている駿河に、鞍馬は微妙に冷ややかな視線で受け答える。
「このプチ旅行を企画して、ほんっとーに良かったと思う!我が人生に一片の悔い……くらいはあるけど、みんな誘って良かったァッ!!」
「はいはい誘ってくれてありがとうな」
歓喜に打ち震える駿河は、要約すると「彼女らの水着姿が見れて眼福」と言いたいらしい。
口にしてもいない本音がダダ漏れで、鞍馬は呆れるしかない。
下手をしなくてもいつまでもそこで固まっているだろう蓮と美姫も呼び戻して、六人は真夏のビーチへと駆り出す。
……のだが、美姫は波打ち際を前にして足を止めた。
「美姫?どうしたんだ?」
海水に浸かろうとしていた蓮は、美姫の足が止まったことに気付いて振り向く。
「あ、あのね、蓮くん……笑わないでね……?」
振り向いた蓮に、美姫は不安げな表情を浮かべる。
「わ、私ね、上手く泳げないから……出来るだけ、浅瀬にいてほしいの。思いっきり泳げなくて、蓮くんはつまんないかもしれないけど……」
あまり深いところにまで足を伸ばすのは怖い、と美姫は言う。
「うん、分かった」
「そ、即答?や、私の心配してくれるのは嬉しいけど……うぅん、ありがとう」
蓮の反応に、美姫は素直に甘えることにした。
「じゃぁ、はい」
すると、蓮は美姫に手を差し出す。
「え?……あ、手を繋ぐの?」
それを見て美姫は、手を繋ぐのだと理解する。
「繋いでいれば美姫も溺れないし、俺が気を付けていれば深いところにまで踏み込むこともないし、……あと、俺が美姫と手を繋ぎたかった」
「れ、蓮くん……もうっ」
正直に答える蓮に、美姫は暑さとは違う意味で顔を熱くさせながらも、彼の指と自分の指とを絡ませ、一歩ずつゆっくりと海水へと身を浸けていく。
「ん、外が暑いから気持ちいいくらいだね」
立った状態で腰が浸かるほどの深さまで来る。
「もう少し深いところまで行くか?」
「うん。蓮くんが一緒だから大丈夫」
蓮のリードに身を委ねる美姫。
そんな様子を見ている静香はと言うと。
「はいヒナ先生。あの二人、そろそろ見ていられなくなってきたので、海に沈めていいですか?」
「……せめて沈めるなら、九重くんだけにしておきなさい」
ウォーターガンの水汲みを終えた静香は、その銃口を蓮と美姫に向けつつ、ビーチボールをポンポンと遊ばせる。
かく言う雛菊も、二人だけの世界に文字通り入り浸っている蓮と美姫に物申したいものがあるようで、"海に沈める"こと自体は否定しない模様。
「よーし!九重くんを海の藻屑にしてやるー!」
ヒャッハー、とウォーターガンとビーチボールを手に蓮を沈めに行く静香。
雛菊はそんな様子を見送りつつも、静香がやり過ぎるようならすぐに止めに入れるようには気を配る。
一方、ビニールシートを敷き、パラソルを立てていた駿河と鞍馬。
鞍馬は、静香が蓮と美姫を襲撃しに行くのを流し見つつ、駿河を呼ぶ。
「駿河、あとは僕がやっておくから、遊びに行っていいぞ」
「へ?そりゃ助かるけどよ、いいのか?」
もうちょいで終わるけど、と訊ね返す駿河。
すると、鞍馬は海の方を指した。
彼が指した先は、雛菊が一人で佇んでいる様子。静香は蓮と美姫にちょっかいを出しに行っているようだ。
「チャンス、だろ」
「お、おぉ?チャンス、チャンスか……」
少しだけ考えるような素振りを見せて、駿河は荷物をパラソルの下に置いた。
「悪ぃ、あと頼むわ」
「頼まれた」
一言断ってから、駿河は雛菊の元へ向かった。
「さて、僕は荷物番でもするか……」
荷物を一箇所に固めて置き、パラソルの影の中で座り込む鞍馬。
お互いに手を繋ぎあいながら海の散歩をする蓮と美姫に、静香が介入してきた。
「九重くん、覚悟ーっ!」
「え、何……」
どうしたのかと振り向く蓮。
振り向いた先には飛んで来たビーチボール。
蓮の中で「ビーチボールが飛んできている」と認識した、その直後、顔面にビーチボールが直撃した。
「おわっ!?」
鼻っ面にビーチボールがぶつかり、痛くはないのだが思わず仰け反り、そのまま海水の中で尻もちをついてしまう蓮。
「れ、蓮くんっ、大丈夫!?」
慌てて美姫は蓮に寄り添って起き上がらせようとする。
「んでもって、美姫はこっちをくらえー!」
続いて静香はウォーターガンの銃口を美姫に向け、容赦なく銃爪を引いた。
「うぇっぷっ!?ちょ、静香ちゃ……っ」
顔周りに海水を掛けられて、美姫は反射的に腕で顔を被う。
「ハッハーッ、公衆の面前で堂々とイチャつくから、このような目に遭うのだー!」
悪役になりきりながらウォーターガンを連射する静香に、あわあわと無抵抗に撃たれるだけの美姫。
「リア充は皆、このビーチの藻屑にし……んびぇっ!?」
不意に、静香の鼻……それもちょうど鼻孔を狙った水鉄砲だ。
「鼻炎には塩水を鼻で啜って口から吐き出すのが効果的らしいぞ、松前さん」
見れば、蓮が両手で水鉄砲を作っているではないか。
しかもさっきの仕返しのつもりか、鼻を狙った射撃だ。
「ごぼっ、げぼっ、げほっ、ぺっ、ぺっ……な、なかなかやるじゃない、九重く、けほっけほっ、は、鼻がっ、鼻がしょっぱっ!」
思い切り鼻から海水を吸い込んでしまった静香は、激しく咳き込みながら鼻を押さえる。
「目には目を、鼻には鼻を、だ」
なおも水鉄砲で静香に追い撃ちを掛ける蓮。
狙いはやはり静香の鼻だ。
「や、やばいっ、美姫が絡んだ九重くん強いっ!?うわわっ……」
蓮の放つ水鉄砲を必死に躱しながら、静香はウォーターガンのキャップを開き、それを海水の中に沈めて水汲みする。
対する蓮も一度水鉄砲の手を開き、海水の中に浸けて水汲み
そんな一瞬の沈黙の中、美姫は先程に蓮がぶつけられたビーチボールを拾う。
「よ、よし、私も……」
静香撃退に自らも参戦しようとする美姫は、ビーチボールを手にじりじりと静香との距離を詰めていく。
しかし、既に水汲みを終えた静香は蓮からの射撃を凌ぎながらも美姫へウォーターガンを撃つ。
「ひゃっ、や、やっぱり無理っ」
慌てて背を向けて逃げようとする美姫。
すると、静香のウォーターガンが放った海水が、美姫の水着の結び目に掛かり、
「えっ」
――解けてしまった。
「きっ、キャァァァァァッ!?」
美姫は慌てて両手で身体の前を隠しながら海水の中へ隠れる。
「美姫っ!?どうし……」
急に聞こえた彼女の悲鳴に、蓮は反射的に振り向くが、
「あっ、ヤバッ……九重くん回れ右!」
美姫に何が起きたのかを察し取った静香は、ウォーターガンを捨てて美姫の元へ駆け寄る。
「えっ、回れ右って……」
「いーからあっち向いててッ!!」
静香の凄まじい剣幕に、蓮は肩を竦ませながら言われた通りに美姫の反対方向へ身体の向きを変える。
「ほら美姫っ、今なら誰も見てないから……」
「は、早く直して……っ」
今、蓮の背後ではとっても"マズいこと"が起きているようだ。
その様子見たさに振り向きたいと言う欲求を、蓮はこれまでの美姫との恋人同士のやり取りによって鍛えられた(?)理性で押さえ付ける。
「……はい、もう大丈夫よ」
「うぅ〜っ、静香ちゃん酷いよ……」
「悪かったって……九重くーん、もうこっち向いていいよー」
静香にそう声を掛けられて、向き直る蓮。
「だ、大丈夫か?」
見れば、美姫はビーチボールを胸に抱えて涙目になっている。
「大丈夫だったけど大丈夫じゃないよ……」
恨めしげに静香から距離を取り、蓮の後ろに隠れる美姫。
「だから、ごめんってば美姫」
苦笑しながら謝る静香だが、"恥ずかしい"目に遭わされた側である美姫からすれば、そう簡単に許せるはずもない。
「あ、それとも……九重くんに直してもらいたかった?」
「さ、さすがに蓮くんにそんなこと頼めないよっ!?」
解けた結び目を蓮に直してほしかったのかと勘違いする静香に、美姫は完全に蓮の背中に身を隠す。
――その際に、美姫の柔らかな部位が蓮の身体に押し付けられるわけで。
「(ッ……や、柔ら、か……)」
いつものような衣服越しではなく、生身の肌同士の接触だ、さすがの蓮も今回ばかりは理性が瓦解しそうになったが、不屈の精神で今度も抑えきってみせた。
遊び始めて一時間半ほど過ぎた頃。
そろそろお昼時で、空腹が自己主張を始める頃だ。
雛菊は、近くに立っている柱時計で時刻を確認する。
「12時過ぎか……芝山くん、そろそろお昼にする?」
「おぉ、もうそれくらいの時間か」
んじゃ一旦上がるか、と駿河は海から上がり、雛菊もその一歩後に続き、鞍馬が陣取ってくれていたパラソルへ向かう。
今は交代で蓮が荷物番をしてくれており、美姫は静香と遊んでいるとのこと。
「おぃーっす蓮、荷物番ご苦労さん!」
ぼんやりと美姫と静香の様子を眺めている蓮に、駿河は声を掛ける。
「……ん、あぁ、駿河と早咲さん。おかえり」
彼の声に気付いて、蓮は二人の方へ顔を向ける。
「そうか、そろそろお昼時だったな」
荷物の中からスマートフォンを取り出し、時刻を確認する蓮。
「一度全員集まってからにしましょう。九重くんは、美姫と静香を呼んできてもらえる?」
荷物の心配をしなくてもいいように各人が自分の荷物を自分で持つべき、と雛菊は意見を挙げ、蓮はすぐに「分かった」と美姫と静香を迎えに行く。
「鞍馬はどこ行ったんだ?さっきは「適当に泳いでくる」とは言ってたが……」
駿河は辺りを見回す。
最初に荷物番をしていた鞍馬は、蓮と交代したあとは一人でふらっとどこかへ向かった。
「一人でいるのよね?九重くんや美姫と遊べばいいのに……静香に余計な気を遣わせないつもりかしら」
雛菊は、鞍馬がわざわざ一人でいることを「静香のことを考慮している」からだと読み取る。
「余計な気を遣わせない?……あぁ、あの二人、仲が悪いわけじゃねぇんだけど、なんか微妙に距離があるよな」
彼女の言葉を聞いて、駿河は少し以前から思っていた疑問を思い出した。
ゴールデンウィークを境に、鞍馬と静香との間に何かがあったのだと。
その時鞍馬は「松前さんに釘を刺しただけ」とは言っていたが、それにしては静香の態度が不自然なのだ。
同じ男子が相手でも、蓮や駿河には遠慮が無いのに、鞍馬の前だけは借りてきた猫のように大人しくなる。
「まさか静香って……いえ、有明くんには彼女さんがいるし、静香もそれを知ってるし、それは無いか」
雛菊は一瞬「静香は鞍馬に恋愛感情を抱いているのではないか」と思いかけたが、いくらなんでも恋人がいると知っている男子にそんな感情は抱かないだろうと思い直す。
しかし駿河は、雛菊の考えが強ち間違いでもないと捉えた。
「いや、分からねぇぞ?世の中には、"略奪愛"なんて言葉があるくらいだからな。松前さんが本気出したら、鞍馬くらいあっという間に……ぼごぉっ!?」
突如、駿河の後頭部に固い何かが直撃した。
「誰があっという間にどうなるんだ?」
前のめりに倒れる駿河の足元に、未開封の缶ジュースが転がる。
「腸が煮えくり返るほど楽しそうな会話が聞こえたんだけど、僕の空耳か気のせいか?ん?」
いつの間に戻ってきたらしい、鞍馬の声が背後から届く。どうやら、缶ジュースを駿河の後頭部目掛けて投げ付けたらしい。
「ってて……おい鞍馬ァ!いきなり水分たっぷりのアルミ缶をぶつけるこたぁねぇだろが!?」
「スチール缶の方が良かったか?」
「そう言う問題じゃねぇわっ!」
缶ジュースを拾いつつ後頭部を擦りながら、駿河は涙目で逆ギレするが、対する鞍馬はそれを無視してビニールシートの上にいくつかの中身の入ったビニール袋を置いた。
「いい匂いがするけど……有明くん、これって?」
「そろそろ昼食の時間だし、とりあえずいくらか食べ物を買ってきたんだよ」
「って無視かい!?」
鞍馬はビニール袋のテープを破くと、海の家で買ってきたのだろう焼きそばやおにぎり、炒飯、たこ焼き、テイクアウト容器に入れられたラーメンなどが入ったパックに、人数分のお手拭きと割り箸、さらにバリエーション豊富に飲み物も用意してくれている。怒鳴る駿河はもちろん無視しながら。
「こんなにわざわざ……でも、お金かかったでしょう?」
「そりゃ無料ではないけど。……あ、食べないなら代金は払わなくていいよ?」
押し付けるわけじゃないし、と鞍馬は言う。
「どれどれ……お、ラーメンあるじゃねぇか、俺ラーメンで!」
鞍馬に無視されたことを怒るよりも、食欲の方が上回ったらしく、駿河はビニール袋の中を探り、早速ラーメンを希望する。
蓮が美姫と静香を連れて戻ってきてから、昼食へ。
と言うわけで、Chapter:01でした。
ひとまずは本編の振り返りから始め、夏と言えば海!海のと言えば水着!水着と言えばびしょーじょ(天の理を知る茗荷感)!
次のChapter:02は、時間を夜の夏祭りへと移していきます。