執事と一緒①
「ヴィー、何か手伝うことはある?」
「サスリカお嬢様」
庭の掃除をしていたヴィーを見つけてぼくは駆け寄る。ヴィーはいつも通りなんの表情も見せずに応えた。
しばらく生活するうち、今の状況がだんだん分かって来た。
ぼくは今「サスリカ」という名前の、5歳の貴族の女の子であること。
ヴィーはぼくのお父さんに使える執事で、ぼくの世話もしてくれていること。
この広い屋敷にはぼくとヴィーとお父様しか住んでいないこと、などなど。
お父様は出かけているか部屋にこもっているかで、もう一週間ほど過ごしているのに一度も会っていない。
必然的に、ぼくにはヴィーしか話す相手がいないのだった。
「お嬢様は高貴なお方なのですから、使用人の手伝いなど……」
「だって暇なんだもの。部屋にいたって本くらいしかないし」
人間は適応するもので、一週間も5歳児として過ごすと、だんだん自分は5歳児なんだという気分になってくる。
読書なんて退屈でやっていられない。遊びたいのだ。
「ぼく、ヴィーと一緒に庭掃除がしたい。だめ?」
「……かしこまりました。ではまずお着替えをいたしましょう」
「着替え?」
「そのままではドレスが汚れてしまいますから」
ヴィーに手伝ってもらって簡素なワンピースに着替え、ブーツと作業手袋をつける。
「お嬢様は箒でごみを掃いてください」
「任せて!」
ぼくは一生懸命庭を掃いた。
「お嬢様はこの頃変です」
「変?」
「以前はお部屋に篭りきりで、私の手伝いだなんて言い出しもしませんでしたのに」
「えっ……あはは……」
まさか前世の記憶を思い出しましたなんて言えない。笑って誤魔化すしかない。
「この間悪夢にうなされてから、お嬢様は変です。何かあったのですか?」
「なんにもないよ。ちょっと怖い夢を見て、それで心境の変化っていうか……」
「それだけなら良いのですが」
「うんうん、なにもな……は、は」
「お嬢様?」
「……はくしゅっ」
冷たい風にくしゃみが出てしまう。
まだ過ごして一週間だけど、この世界はやけに寒い。青い草が生えてるからまだ冬では無いと思うんだけどな。
いやでも、花が全然咲いてないな。秋くらいなのかな?
「お嬢様、こちらを」
「むっ?」
ヴィーがマフラーを用意してくれた。
「お身体を冷やしてはいけませんよ。きちんと防寒してください」
「えへへ……あ!」
マフラーを巻いてくれるヴィーの手に触れる。ヴィーの手は氷のように冷たかった。
「ヴィーの方が冷えてるじゃないか! 大変だ、一度屋敷に入ろう」
「いえ、私は……」
「こんなに冷たくして、かわいそうに」
ヴィーの手をぼくの手で包み込む。ヴィーの手は大きくてぼくの手の中には収まりきらない。
この子供体温で少しでもあたたまってくれたら良いんだけど。
「お嬢様……」
「うん?」
ヴィーがぼくを見下ろして押し黙る。
今や5歳の女の子であるぼくからすると、長身のヴィーはまるで立ちはだかる壁のようだ。
「どうしたの、ヴィー?」
ヴィーはいつもの無表情ながら、どこか違うようにも見えた。
「お嬢様の手が冷えてしまいますから」
ヴィーはそう言ってやんわりとぼくの手を外した。
「庭も綺麗になりましたし、ここらで休憩にしましょうか」
「休憩?」
「あたたかいミルクを入れましょう」
「やった! はちみつも入れて!」
「かしこまりました」
*
大広間に戻り、ヴィーが入れてくれたはちみつ入りのミルクを飲む。
「ヴィーもここに座って飲むといいよ」
「いえ、私は」
「いいじゃない、ここにはぼくしかいないんだから」
ぼくが押し切ると、ヴィーは渋々と言った様子でぼくの隣に腰を下ろし、一緒にミルクを飲んでくれた。
「ヴィーは触られるのが嫌い?」
「はい?」
「さっき、ぼくに手を触られたのが嫌だったみたいだから。嫌なら、もう触らないように気をつけるよ、ぼく」
ヴィーは驚いたように、ぱちぱちと2回瞬きをした。
「いえ……お嬢様に触れられるのが嫌だなんて、そんなことはけして。ただ、私は生まれつき体温が低いので。お嬢様の手が冷えてしまうと思っただけです」
「生まれつき? じゃあもしかして、いつもあのくらい手が冷たいの!?」
「えぇ、いつもこのくらいです」
ヴィーが所在なさげに、自分の手をテーブルの上に出して閉じたり開いたりする。
さっき触れた手は本当に氷のようだった。いつもあのくらいだなんて、驚きだ。
「ぼくは気にしないから、もっと触っていいのに」
「それは」
「なんでだめなの? ねぇねぇ」
「……私の話はもうやめましょう」
「どうして?」
「どうしてもです」
ヴィーはふいっとそっぽを向いてしまった。
「うーん、じゃあお父様の話をしよう」
「旦那様のお話ですか?」
「ねぇ、いつになったらお父様に会えるかな」
「旦那様はお忙しくていらっしゃいます」
「ちらっと会って挨拶するくらいでいいの。この一週間、まだ一度も顔を見てないんだよ? せっかく家族で同じ屋敷に住んでるのに……」
「……旦那様は非常にお忙しいので、難しいかと思われます」
「…………」
なにかと親切にしてくれるヴィーも、お父様の話になるとこの一点張りだ。
「……お父様はぼくに会いたくないのかな」
ぼくがそう言うと、ヴィーは困ったように目を泳がせた。
「……そろそろ休憩は終わりにしましょう。お嬢様はお部屋であたたかくしてお過ごしください」
「えー、まだヴィーを手伝いたい」
「これ以上体を冷やしては風邪をひいてしまいますよ。暖炉に当たって、本でも読んでいてください」
「……はーい」
これは譲ってくれなさそうだ。ぼくは渋々諦めた。
部屋に戻り、ベットにダイブする。
「今日は楽しかったな。ヴィーとたくさんお喋りして……」
今日一緒に過ごしたヴィーのことを思い出す。
ぼくが手伝いたいと言ったら、快く了承してくれたヴィー。
ぼくを着替えさせ、靴と手袋と箒を用意して、ぼくに掃除をさせてくれたヴィー。
ぼくが寒がったらマフラーを用意して、はちみつ入りのミルクを入れてくれたヴィー。
「……ぼく、邪魔しかしてない……」
いや、本当に手伝おうと思ったんだよ?
世話してもらって、自分だけ贅沢暮らしなんて性に合わないし。少しでも仕事を減らせたらって……。
「はあぁ〜〜……何やってるんだぼく……今は5歳児とはいえ、社会人としての記憶を持ってるはずなのに! 馬鹿じゃないの!」
ぼくはベッドに突っ伏して足をばたばたさせた。これは自己嫌悪に陥る時の前世からの癖だ。
「ヴィーは大人だなぁ」
子供が自分の仕事を邪魔しても、嫌な顔一つせずに構ってくれる。なんて優しいんだろう。
「明日はちゃんとヴィーに感謝を伝えよう……」
そんなことを考えながら、ぼくは夕飯までベッドでうとうとした。