夏休み編 1学期終業式
イザナミが現世に降り立ってから当初予定していた1週間以上が経過した。
彼女が話していた通り、イザナミの力によって消失市を起点に世界へ広まっていたゲダツの目撃や話題に関してはそんな事実は初めから無かった事に無事修正された。
加江須の学園も事実をイザナミが上手く修正しておいたため、休校となっていた新在間学園も今はもう普通に教師も生徒も登校している。
加江須の所属している1組ではいつもとどこも変わらぬ朝の騒がしい教室風景が描かれており、事情を知っている加江須はその光景を机で頬杖を付きながら眺めていた。
「(イザナミの言っていた通りもう誰も体育祭での化け物騒動を忘れているんだな。まあ、じゃなきゃそもそも今も休校になっているだろうしな)」
あの体育祭での戦いから本当に色々な事があった。自分の幼馴染に正体を知られてしまい、かと思えば一度に4人の恋人が出来た。体育祭前ではまさかこんな未来が訪れるなど微塵も想像もしていなかったものだ。
ちなみにイザナミは未だに加江須の家で過ごしている。目的は無事に果たしたのだが、まだ情報修正後の世界の様子をしばし見守ると言う名目であと数日の間は現世に留まるようだ。
「……元の日常に戻ったんだよな」
窓の外を眺めながら加江須はそう口にする。
イザナミの尽力で世界に広まりつつあった騒動は確かに納まった。しかし加江須は口では元に戻ったなどと言っていても、胸の奥底ではまだどこかしっくりしていない部分があった。
――あの武桐とやらが警告して来た戦闘狂いの転生者は果たしてこの消失市に居るのか否か?
――体育祭の時にグラウンドに居た人々が揃って眠りに陥ったのは何故?
このようにまだ不完全燃焼と言うか、消化不良と言うか胸の奥底にまだイガイガとした未解決の事に対するつっかえが取れ切れていない状態だ。
「(とはいえ今は俺にどうしようもできないよな…)」
出来る事ならばこれ以上の面倒ごとは御免だと思う加江須。
転生戦士として蘇っている以上はゲダツとの戦いはこれから先もあるのだろうが、必要以上のトラブルだけは勘弁願いたい加江須であった。
◆◆◆
元の日常を取り戻す事が無事に成功した消失市。
イザナミのお陰で新在間学園の化け物騒動も収まりもう季節は7月に突入していた。
加江須の自室では加江須とイザナミの二人が向かい合って座っており、ゲダツに関する事実修正をしてからしばしの経過を観察していたイザナミが加江須に今の世の状況を話していた。
「情報を修正してから今日まで様子を見守りましたが…もう大丈夫でしょう」
「それは…イザナミの力で俺の学園で起きた事実は完全に無かった事にされたって事か?」
加江須が確認を取るとイザナミは珍しく自信満々に頷いた。
「私が世界の情報を修正してからしばし様子を見ましたが…加江須さんの学園の体育祭で起きたゲダツ騒動はもう世界から無かった事になっており、あらゆる情報網にも新在間学園で化け物を見たと言う事実は改ざんが無事に成功していました」
……一体どういう方法で世界に散らばっている事実を修正したのかは気になるが、目の前で座って居るのは女神様だ。人間の自分には凡そ想像もつかない力を保持しているのだろう。
それに彼女が無事に仕事を終えたという事はこの家からも引き上げるという事だ。加江須にとってもそれはありがたかった。別にイザナミを毛嫌いしているわけではないが、今の自分には4人の愛しい恋人たちが居るのだ。あまり他の異性と同じ屋根の下での共同生活は早く打ち切りたかったのだ。
そして加江須の予想通りにイザナミは無事に仕事も終わったとの事で加江須にこの家から立ち去る旨を伝える。
「今日まで本当にありがとうございました。一銭も持っていないこんな私を泊めてくれて心から感謝しています」
イザナミは正座をしながら深々と頭を下げて礼を述べる。
仮にも女神の1人である彼女に頭を下げられるのは如何なものかと思い慌てて頭を上げるように言う加江須。
「おいおいやめろって。お前のお陰で無事に今回の騒動が納められたんだ。礼を言うのはこっちの方だよ」
「いえ、それが私の仕事でしたから。それに加江須さんのお母様とお父様にもとても感謝しています。無一文の私にあんな美味しい食事を御馳走してくれて…」
「まあ居候って設定だからな…」
イザナミの催眠で父と母は彼女を遠縁の親戚として扱っており、彼女が滞在中は母も父も客観的に見てもとても親切に接していたと思う。
そんな両親の優しさを思い返したイザナミは瞳を思わず潤ませ始める。
「ぐすっ…加江須さん。お母様とお父様にはよろしく言っておいてください」
「あ、ああ…ほらティッシュ」
「あ、ありがとうございます。ずびーっ!!」
目元をゴシゴシとこすりながら鼻声で代わりにお礼を言っておいて欲しいと頼むイザナミ。その姿は先程までの自信を持っていた彼女からかけ離れ、今はもういつも通りの弱気な女神に戻っていた。
加江須の差し出したティッシュで鼻をかんでいる姿はとても神様には見えない。
「(たくっ…何も泣く事はないだろうに…)」
確かにイザナミもこの家に滞在している最中は両親、特に母とは楽しそうに話をしていたがまさか別れの際に涙を流すとは思いもしなかった。前々から思っていたが今の姿を見ると改めて目の前の女神が人間臭く思えた。
「それで何時発つんだ? 今日の夜にでも帰るのか?」
「いえ、仕事が終わり次第すぐに帰るように上に言われていますので…それでは…」
イザナミがそう言った次の瞬間、彼女の身体が徐々に薄くなり始める。
彼女の身体はドンドンと薄くなっていき、向こう側の部屋の壁が透けて見える。そうして消えつつあるイザナミであるが、最後に加江須に伝えるべきことだけは伝えて置く。
「加江須さんのご両親の記憶も既に改ざん済みです。私がこの家で生活していた記憶は綺麗に消して起きましたので余計な混乱は起きない筈です…ぐすっ…」
「だから泣くなって…」
「加江須さぁん! ご両親、特にお母様にはよろしく言っておいてください。あの人は本当に優しくて……てっああっ、私との記憶は消したんだった!!」
「(こういう間抜けな部分も神様に見えない要因なんだよなぁ…)」
自分で俺の両親の記憶を改ざんしておいた癖にイザナミからの礼なんて母さんに伝言しても仕方が無い。もう父も母もイザナミを憶えていないのだから。
「と、とにかく今日までありがとうございました!! それから――」
最後までセリフを言い切る前にイザナミの姿は完全に消え、彼女が先程まで座って居た虚空を眺めながら加江須はとりあえず改めて礼を述べておく。
「まあ…ありがとな。しかし最後の最後まで締まらない女神様だったな……」
◆◆◆
イザナミが帰還してからさらに時間は経ち、その間も取り立てて変わった出来事は何もなかった。しいて言うのであれば仁乃や氷蓮と共にこの町に現れたゲダツと一度戦った程度だ。もちろん実力は大したことも無かったので誰も大きな怪我もなかった。
そうして日にちは過ぎて行き、ついに日付は7月の19――つまり夏休み前日まで何事もなく経過した。
この日は夏休み前の最後の学校登校日と言う事もあって午後の授業は無し。午前中は終業式が行われ、校長からの夏休み前のありきたりな注意事項などそんな話を体育館で聞かされた。それも無事に終わり今は教室で待機している。この後の担任からの話が終わればこのまま午前中に下校し夏休みに突入する。
自分の机に突っ伏しながら加江須は担任が来るのをだらけて待っていると、クラス内ではもうこの後の夏の予定について話し合いがなされていた。
「ねえこの夏はどこに行く?」
「やっぱり海でしょ海! 私もう新しい水着買ったもんねー」
「今年こそ、この夏には彼女を!!」
まもなく始まる長期休みに対して意気揚々とするクラスメイト達。前日までは暑さで愚痴ばかり言っていた彼等も休みに入れば暑さに対する愚痴もなくなり休みをどう過ごすかで盛り上がる。かくいう加江須も声には出していないが内心ではこの夏の長期休みを心待ちにしていた。
「(学校もない夏休み。俺もこの夏はみんなと楽しく過ごして思い出を沢山と…)」
加江須が言っているみんなとはもちろん彼の恋人たちの事である。
「(そう言えば皆でプールに行く約束もしていたな…水着かぁ…)」
自分の恋人の水着姿をおもむろに想像して少し顔が赤く染まる加江須。そんな彼のすぐ傍の席に居た男子の1人が突っかかって来た。
「よおよお久利、お前なにだらしない顔してんだよ?」
「うええ、そ、そんな顔していたか?」
慌て気味に自分の顔に手をやって焦りを見せる加江須。
話しかけて来たクラスメイトの男子はそんな様子の加江須を見てどこか不貞腐れている様な表情に切り替わった。
「いいよなお前は。最近は愛野さんを始め複数の女子と仲良くしているみたいだしなぁ…この夏は俺と違って彼女の1人ぐらいは簡単に出来るかもな」
「変な勘繰り入れるなよ…。べ、別に普通に仲良くしているだけだよ」
「普通ねぇ~…そうは思えねぇけどな…」
加江須が黄美たちと交際をしている事はまだ学園では知られてはいないが、交際が始まってからは彼らが昼休みや下校時などに一緒に居る事が今まで以上に顕著になっており、複数の女子と仲良くしている加江須の事を怪しく思う生徒も大勢いる。今話しかけてきている男子もその1人だ。
「昼休みに仲良く女の子たちと弁当を一緒になって食っているのも知っているんだぞ。まさかお前…複数の女の子と付き合っているんじゃないだろうな?」
「ば、バカ言うな!! そんな訳が無いだろう!!」
事実を言われて少し声が上ずる加江須の反応にクラスメイトが訝しむ。
最近では嫉妬だけでなくこのように勘繰る男子も何人か現れ近々バレるのではないかと思う加江須。
一般的な1対1の交際なら知られても問題ないのだが、自分1人に対して恋人の数は4人。世間一般では4股とも言える状況だ。
「(世間から見りゃ俺は最低男なのかもな。でも……)」
しかし自分たちの関係が周囲に知られようが、周りがどう思おうが加江須には彼女達を生涯守り続ける覚悟がある。もしもバレたらその時はその時だと腹はくくっている。
「(この夏は4人と最高の思い出を!!)」
そんな事を考えていると教室の扉が開き担任の教師がやって来た。
そこからは担任から長期休みで体調を崩したりしない様になど、ありきたりな必要最低限の話をされてそのまま解散となった。
学校が終わるとクラスメイト達は意気揚々と教室を出て行き加江須もそれに続く。
玄関を出ると加江須の事を待ってくれていた黄美、仁乃、愛理の3人が校門の前で並んで立っていた。
こうして久利加江須の恋人と共に過ごす熱く、そして甘い夏休みが始まるのであった。




