恋人たちのそれぞれの反応
一通りの会話を済ませた加江須たちは余羽のマンションを出てそれぞれの帰路へとついていた。余羽のマンションで居候している氷蓮と別れる際、彼女と別れのハグのつもりで一度軽く抱きしめ合った加江須と氷蓮。その光景を見ていた余羽はげんなりとした表情を浮かべていた。
マンションを出たその後はそれぞれの自宅に加江須が彼女達を送り届ける。
そして一番最後となった黄美も無事に家の前まで送り届けた加江須。
「わざわざありがとうカエちゃん。家まで送ってくれて」
「礼なんていいよ。自分の恋人を送り届けるのは当たり前の事だろ」
加江須がそう言うと黄美は足を止めて周囲に人が居ないことを確認すると加江須に抱き着いた。
「よ、黄美どうした?」
「ううん、ただ少し嬉しすぎたから…」
そう言う黄美の表情には幸福と安堵、その二つの感情が曝け出されていた。
長年想い続けていた幼馴染と交際している幸せ、そして過去にずっと彼に対して辛い当たり方を続けていた事を許してもらえた安心。しかし正直に言うのであればその二つの感情以外、自分の過去の振る舞いに対する罪悪感も少し胸を締め付けている。
加江須の背中に手を回してギュッと力強く抱きしめる黄美。
今、自分の腕で包んでいるこの温もりが本物である事を再認識すると、黄美の表情はへにゃーっと呆けた物へとなる。
「えへへ…本当に幸せ。こうしてあなたが私の腕の中に入る。こうしてあなたと抱き合えている…♪」
甘ったるい幸せの絶頂に居る黄美の姿を見て小さく口元を綻ばせる加江須。
「(ああ…また黄美と昔の様に戻れたんだな…)」
ある時期から自分と彼女は幼子の時の様に互いに笑い合う事が無くなった。転生前には自分の告白も存在も否定され、蘇った時には自分と彼女はもう昔の様な仲の良かった幼馴染時代には戻れないと半ば諦めていた。
だが自分は彼女と和解でき、そして今はこうして互いに触れ合える。互いに抱き合えるのだ。それがとても幸せであった。
「じゃあ、また明日な」
加江須はしばし黄美と抱きしめあった後、彼女の体を離して別れようとする。だが引き剝がされた黄美は少し不満そうな表情をしている。
「もう少し…一緒に居たいな…」
「もうお前の家の前だぞ。そろそろいい時間だし…」
「う~…」
加江須の言っている事も理解できるがやっと親密な関係になれたのだ。もう少しだけ彼と一緒に居たいと思う黄美であったが、ここでごねても彼に迷惑がかかってしまう事を理解して無理な引き留めはしない。しかし、やはりこのままただ味気なく別れるのは嫌なので1つおねだりをする黄美。
「じゃあ…もう一度アレをしてよカエちゃん」
「アレ?」
黄美の抽象的な表現に首を傾げる加江須。もう少し具体的に言って欲しいと口を開こうとするが、それよりも先に黄美は言葉の意味を理解させてくれた。しかしそれは口で言うのではなく、態度で表現して教えて来た。
「ん……」
目をつぶって口先をそっと前に出すポーズを取ってくる黄美。
少し朱色に染まった頬とその仕草で彼女の要求を理解できた加江須は一度周囲に人の気配が無い事をちゃんと確認すると、そのまま自身も目をつぶり目の前の幼馴染兼恋人に軽いキスをしてあげる。
「…あんま外でこういう要求は今後控えてくれよ」
頭を掻きながら恥ずかしそうに目を逸らす加江須。
逆に黄美の方は満足げな表情をしており、確認こそしたが周囲の目など気にしなくても良いとすら思っていた。
「いいじゃない見られたとしても。私はむしろカエちゃんと交際出来た事が広まればいいとすら思っているんだから♪」
一切包み隠すつもりのない黄美を見て思わず苦笑いを浮かべてしまう加江須。
もしかしたら今の彼女ならば本当に交際の事実を周囲に自分から拡散しかねない。
「まああんまり付き合っている事を自分から言いふらしたりはちょっとな…。もし聞かれたら答えても良いけど…」
「分かってるって。わざと言いふらす様な真似はしないから」
そう言うと黄美は手を振って自宅へと小走りで向かう。
途中で一度立ち止まって加江須に再度手を振って来たので、それに応答して加江須の方も離れている彼女に手を振った。
返事を返してもらった黄美は嬉しそうな顔をしながら家の中へと姿を消し、残された加江須も自分の家へと歩を進め始める。
「さてと…これから大変だな」
黄美を含めて仁乃、愛理、氷蓮の4人の恋人が出来た加江須は幸せを感じつつも今後は益々騒がしい生活になりそうだと思った。しかしその表情には微塵も不安など感じられず、喜びの色が表情にありありと浮かんでいた。
◆◆◆
加江須に送り届けられた彼女達は加江須と別れた後、それぞれが全員似たり寄ったりの反応を家の中で見せていた。
――氷蓮はと言うと……。
「いやぁ…まさか加江須とこんな関係になっちまうとはなぁ。世の中どうなるか分からねぇもんだよな」
「…ん、そーだねー…」
リビングでクッションを抱きしめながら半ニヤけ状態で余羽に話しかける氷蓮。
喜びを堪え切れずに抱きしめているクッションをぎゅっーと力強く抱きしめており、逆に話を聞いている、と言うよりも聞かされている余羽は床に寝っ転がりながら興味なさげに雑誌を読んでいる。
明らかに人の話を真面目に聞いている様には見えない態度ではあるが、そんな事など全く気にせず独りで話を続ける氷蓮。
「これで加江須とは正式に恋人になったけど……いやぁ緊張するよなやっぱり!! 勢いでキスまでしちまったけど…もうどうしたもんかねぇ!!!」
顔を真っ赤にしながらも喜びの表情でクッションをバンバンと叩いて興奮している氷蓮であるが、相も変わらず素気の無い反応を見せる、と言うよりも反応すらほとんど示さない余羽。
「……はぁ」
一度雑誌から目を離してすぐ傍で騒いでいる氷蓮の事を見つめる。
今も嬉しそうに手に持っているクッションをバンバンと叩いてきゃーきゃーと独りで盛り上がっている。
自分と同居している彼女の恋が実った事は確かに喜ばしい事ではあるが、この様子だと今後しばらくは惚気話を聞かされ続ける事になるのかと思うと少し憂鬱だ。
「なあなあ、やっぱり恋人同士だから何か特別な呼び名とか考えた方がいいと思うか?」
「…そーっすね。いーんじゃないの…はぁ…」
このテンションで今後しばらく惚気られると思うと……はぁ……。
氷蓮とは対照的にテンションが地べたまで下がっている余羽はもう一度大きな溜息を吐くのであった。
◆◆◆
――愛理はと言うと……。
自宅へと送り届けられた愛理は自分の部屋に戻ると落ち着きなく部屋の中をグルグルと歩き回り続けていた。傍から見ると奇怪な行動ではあるが、今の自分を見物している人間が居る訳でもないので構わずに歩き続ける。
「う~…どうしよどうしよ…」
余羽のマンションで正式に加江須の彼女に自分はなれた。それは凄く嬉しいのだが、恋人となった事で少し不安に襲われもした。
「(今まで通りに接する事が出来るかな? もし付き合い始めてからギクシャクし始めたらどうしよう)」
マンションに居た時は自分以外の彼女も近くに居たので妙な安心感? の様なものがあったのだがいざ1人となると不安が湧いてきてしまった。
「と、とにかく変に接し方を変えたりしたら加江須君も戸惑うかもだし、極力今まで通りの私で接しよう」
ただ正式に恋仲になったのだから甘えれる時は甘えようとも小さく決心した愛理であった。
◆◆◆
――仁乃はと言うと……。
「ぼー……」
心ここにあらずと言った感じでリビングでテレビを観ていた。しかしどう見ても顔をテレビに向けているだけで映像をちゃんと観ている様には見えず、実際に映像など入ってこなかった。
扉が広くと入浴後の妹の日乃がバスタオルで頭を拭きながらリビングへと入って来た。
「お姉、私はもう上がったから入ってきたら?」
「うん…」
妹の言葉に返事をする仁乃であったが、一向に立ち上がって浴室に向かう気配が無い。
「お姉聞いてる? おーふーろー」
「うん…」
またしても返事はちゃんと返してくれるのだが立ち上がろうとはしない。
いい加減な返事ばかりで一向に動こうとしない姉に不信感を抱く日乃。部屋の中にいくつか置いてある姉の趣味のぬいぐるみを1つ手に取って様子を窺ってみる。
「お姉の大切なにゃん吉クン燃やしても良い?」
「うん…」
「あっ、全く人の話きいてないじゃん」
大切なぬいぐるみを燃やすと言っても『うん』としか返答しない姉を見て本当にどうしたのかと気になり始める。
「(お姉がここまで心ここにあらずとなる原因……考えられるのは……)」
日乃は猫のぬいぐるみを床に置くと、少しわざとらしく声量を上げてある人物の名前を呟いてみる。
「……加江須」
「!?」
日乃の口から出た名前を聞いて今までと違い大きく反応を示す仁乃。その反応1つでまた彼の事で悩んでいると嫌でも理解できた。
「なーにお姉、またあの人と何かあったの?」
「な、何かって何よ!?」
「いや…こっちが聞いてるんですけど?」
「べ、別に何もないわよ! お風呂行ってくるわ!」
そう言うと急いで部屋を出て行く仁乃。
扉を開けて部屋を出て行った姉の様子に自分なりの考察をする日乃。
「ん~…もしかして少しは仲が進展したのかな?」
実際には少しどころか恋人となりゴールすらしているのだが、まさか一気にそこまで発展しているとは思わず心の中で姉の事を応援する妹。
「(まっ、頑張れお姉。モタモタしてると他の人にあの人を盗られちゃうよ)」
実際には姉だけでなく他の3人の女性も加江須と結ばれているのだが、流石に普通の女子中学生にはそこまで大胆な発想は思い浮かばなかった。
◆◆◆
――そして黄美はと言うと……。
「うふふ…こっちの名前はどうかしら?」
家に戻った彼女は何やら紙にいくつもの人の名前を書き記していた。しかし紙面に書かれている名前はどれもこれもこの世には〝まだ〟存在しない名前である。
つまりそれはどういう事かと言うと――
「すくすく育って欲しいと願っての名前? それとも真面目な子に育って欲しいと願って考えるべきかしら――未来の私とカエちゃんの子供の名前♪」
恋人となってまだ初日にも関わらずもう将来の子供の名前を考えていたのだ。
「うふふ…どうせなら私とカエちゃんの名前から取って考えようかしら♪」
そう言うと黄美は名前決めの作業に没頭し続けるのであった。
こうしてこの日、久利加江須にはそれぞれ性格に違いのある個性的な彼女が4人もできたのであった。




