ゲダツとの遭遇
突然現れた謎の怪物の振り下ろす魔の手を紙一重で回避する加江須と義正の二人。
化け物の振り下ろした魔手は地面を豪快に抉り、周囲に激しい破壊音を轟かせる。その光景を上空から眺めている加江須は冷や汗を零す。
「マジかよ。まるでゲームの中に迷い込んだみたいだぜ」
眼下では低いうなり声を出しながら自分たちの事を睨んでいる異形な獣。
獣の見た目は全身がどす黒い体毛で覆われており、口からはまるでサーベルタイガーの様な巨大な牙がはみ出しており、その大きさはとにかくデカい。自分の良く知る猛獣達、百獣の王であるライオンと比べても2倍以上の体格だ。
「とにかくまずは様子を見て……」
「おい、何だよコレ!? おま…お前どうやってこんなに跳んで!?」
なんとか冷静に状況を判断しようとしていた加江須であったが、抱えている義正はそれどころではない。突然抱きかかえられたと思えばありえない跳躍力で飛び上がった加江須にただただ驚き、驚愕を表すしかなかった。
「お前どうなってんだよ!? 何で…なんで…」
「いいから黙っていろ! それよりも先にあの化け物の方に驚けよ!!」
「何だよその化け物って!? さっきから何言ってんだよ!?」
騒ぎ立てる義正の事をうっとおしく感じつつも、先程から会話が噛み合わない事に流石に不振さを感じる。眼下にはあれだけ威圧を放つ怪物が居るにもかかわらずそれを無視どころか気づいてすらいない。
――どういう事だ、こいつには見えていないのか?
どうやら義正の眼にはあの化け物の姿が見えていないようだが、アレが目に入らないなどあろうか?
それとも自分がおかしな幻覚でも見ているとでも言うのか……。
しかし化け物が振り押しした手で抉り取られている地面を見るとそれが幻でもなく現実であることが思い知らされる。
「(少なくとも俺が白昼夢を見ている訳じゃない。これは紛れもない現実なんだ)」
その時、ようやく彼はあの異形が何かを理解できた。
自分には見え、普通の人間には目視する事が出来ない存在。存在を食らう化け物――ゲダツ。
「そうか…あれが〝ゲダツ〟か…」
「はあっ、ゲダツって何だよ!?」
「少し黙っていろよ。一旦降りるぞ」
「え…うおぉぉぉぉぉ!?」
上空に跳んでいた二人であるが重力に従いそのまま地面へと落下していく。
とてつもない高所から落下する義正が一際大きな声を出して騒ぐ。耳の近くで喚かれうっとおしいが落下しながらもゲダツから視線を外さない加江須。
「(まずはこのうるさいお荷物をどうにかしないとな)」
目の前のゲダツよりも先にまずは手に持っている五月蠅いコレをどうにかしようと考え、地面に着地すると同時にゲダツから距離を取り義正を地面に降ろす。
「おい、少しここで待っていろ。俺に近づくなよ」
「ま、待てって…。お前は一体何なんだよ。に、人間か…?」
「(くそ…頼むから少し黙ってろよ…)」
目の前で唸っているゲダツに集中したのだが自分の事を五月蠅く聞いてくる義正。彼にはゲダツの存在が視認できていないので自分の身体能力の事をしつこく訊いてくる。アレを仕留めるまでは静かにしていてほしいのだが、そんな彼の事情などお構いなしにゲダツが動く。
「グガアアアアアアアアアアッ!!!」
特大の咆哮と共にこちらへと走ってくるゲダツ。
「…落ち着け。冷静に動きを見ろ」
声に出して自分を落ち着かせるように努める加江須。
相手は化け物であるが、自分だって人の形をしているが中身は化け物並なのだ。今だって凄まじい速度で走ってきているゲダツの動きを捉えられている。
「ヨシ、行くぜ!!」
迫ってくるゲダツに向かい走っていく加江須。
巨大な牙を備えている口を開くゲダツ。そのまま噛み付いてくるのかと思う加江須であったが、彼の予想は大きく外れる。
「ブオオオオオオオオッ!!!」
ゲダツの開いた口からは咆哮と共に黒い炎が吐き出されたのだ。
予想外の攻撃に驚くが、それを横に跳んで回避する加江須。しかし攻撃を避けると同時に自分の行動のミスに気付く。
「やばい! そこから離れろ義正!!」
「は? は、離れろ?」
自分が攻撃を避ける事は出来たのだが、回避した炎はそのままさらに後方に居る義正へと目掛けて走っていく。
大声でその場から逃げるように叫ぶ加江須であるが、義正の眼にはゲダツだけでなくソレが吐き出した炎すら見えていないのだ。当然、今自分に危機が迫っている事など理解できずにその場から動こうとしない。
――訳も分からず彼が首を傾げた瞬間、どす黒い炎が義正の体を包んだ。
「おがッ!? オアアアあああああッ!?」
全身が炎で包まれその場でのたうち回る義正。
加江須の眼には彼の体が業火に見舞われているよう映っているのだが、炎が見えていない本人は突然全身が燃えるような熱と痛みに襲われた気分であった。
「あづ、あづいいいいいいいい!?」
ゴロゴロとその場を転がる義正であるが彼の体には未だ炎が纏われており、彼の肉体を焼き続ける。
その様子を見ていた加江須は思わず吐き気を感じてしまい口を押える。胃の中の物が逆流しそうになるがなんとかこらえ、義正の元まで駆けつて炎を消そうとする。
しかし加江須が硬直した一瞬の隙に先にゲダツが動いていた。加江須の頭上をジャンプして通り抜け、義正へと駆け寄って行ったのだ。
「な、ゲダツ!?」
ゲダツは加江須など目もくれずにのたうち回る義正へと真っ直ぐに向かっていく。そのまま転げまわる義正を強靭な脚で思いっきり踏みつぶした。
「あびゅ!? ぶぶぶ…!?」
耐え難い熱に身を焦がされていた義正は今度は耐え難い力で潰される。思いっきりゲダツは彼を地面へと叩きつけ、強い衝撃を受けた義正は口から大量の泡とそれに混じり血を流す。
「ぎ…義正…」
唯でさえ大きな火傷を負っていた死に体であったのに、その上あの怪物に地面に叩き付けられればもう彼が助かるとは思えなかった。
ゲダツが叩きつけた衝撃で炎を鎮火したが、そこから露わとなった彼の姿は酷いを通り越して惨かった。皮膚は焼けただれ、全身の至る所から点々と赤い染みが制服を汚している。さらには叩きつけられて腕や脚が変な方向を向いていた。
「ぶぶ…うぶぶ……」
なにやら呻いている義正であるが、痛みと熱でもはや正常な思考は出来ず、まるで壊れた携帯の様に唸り続ける事しか出来なかった。
自分の身に何が起きたか理解できない義正ではあったが、それでもまだ微かに思考は生きておりこの場から逃げなければと逃走を試みる。
「ぐぐぐ…ぎぎ…ぎ…」
這いずってでもこの場所から逃げようとする義正であるが折れ曲がった手足がその場で動くだけで先には進めない。それでも賢明に逃げようとバタバタと体を動かし続ける義正。
しかし必死に生き延びようともがく彼の頭部はゲダツによって思いっきり地面へと押しつぶした。
人の居ない廃工場の敷地にグチャと言う生々しい音が響く。
「ぐっ!?」
その光景を見て加江須は思わず一歩あとずさり、再び吐き気が込み上げ始める。
視線の先では頭部を潰されている義正が激しく手足をバタバタと動かしており、その動きが一層の事加江須の気分を害する。
しかし義正の動きは次第に遅くなり、最後はビクビクと一際大き痙攣をした後にピクリとも動かなくなった。
「お…おい義正」
潰されている義正に声を掛ける加江須であるが当然返事は帰ってはこない。
物言わぬ躯と化した義正を呆然と見つめる加江須。そんな彼の視線などお構いなしにゲダツは大口を開き彼の頭を咥え、食した。
視線の先でクラスメイトが餌とされている光景、ほのかの臭ってくる血の鉄臭さに咀嚼音。その全てがこの信じがたい光景をフィクションではなくリアルだと加江須の心に訴える。
「………そうかよ」
ここまで来て加江須はようやく自分の覚悟の薄さを理解できた。
転生してから手に入れた力に浮かれ、クラスメイトに羨望の眼差しを送られ、この先の人生を楽しく謳歌できるのではないかと考えていた――だがそれでは駄目なのだ。
「お前の様な怪物と戦う為にこの力を手に入れた。この非日常の中で生きるために……」
加江須の話など我関せずにゲダツは義正の亡骸を胃袋に収めている。その光景を見て加江須は逆に冷静さがドンドンと増していく。
もしも自分が負ければああして無残に喰われ、胃袋に収められる。
「そうはいくかよクソッたれが…!」
そう言うと彼は自分の頬を力いっぱい叩き根性を注入する。
パンッと弾ける様な音が響き、義正を完全に腹に収めたゲダツが振り向く。
「グルルルル…!」
義正を喰い終わったが満腹になって立ち去ろうとはせず、今度は加江須を狙う。
自分を餌として見ているゲダツを氷の様に冷たい目で見つめる加江須。彼は手首をクイクイと動かし臆せず挑発する。
「来いよ畜生が。……ぶち殺してやるよ」
睨みを利かせて声を出す加江須。その声色は今までとは違い低く、さらに彼の目付きが明らかに変化していた。
そんな加江須の変化に気づいたのかゲダツは彼に近づこうとはせず、唸り続けるだけであった。
「来ないのかよ。ならこっちから殺しに行ってやるよォッ!!!」
一気にゲダツへと向かっていく加江須。
迫りくる脅威を取り除こうと再び炎を吐こうと口を開くゲダツ。しかし彼が炎を吐きだす前に加江須は両手から炎を噴射し一気にゲダツの目の前まで距離を詰める。
「コイツを喰らいな!!」
噴射している炎をそのまま開かれているゲダツの体内へと流し込む。
膨大な炎を体内に送られ瞳が血走るゲダツ。そのまま渾身の力を籠めた拳で顔面を殴りつける。
彼の拳は想像以上に強力で、ゲダツの顔面が血をまき散らしながら陥没し、とどめに殴りつけた拳から炎を発火し、ゲダツの全身を丸焼けにする。
悲鳴を上げながらその場で転がるゲダツ。先程の義正の様に今度は自分が業火で全身を焼かれのたうち回る。
そんなゲダツに手のひらを向け、加江須が小さな声で呟いた。
「お前の焦げる臭いは鼻が曲がりそうだ。さっさと消えろよ畜生が…」
そう言って特大の火炎玉を作り出し、それをゲダツへと叩きつけた。
神力から生みだされた炎は一瞬でゲダツの肉も骨も焼きつくしていく。
「………」
ゲダツを焼いている炎をブンッと思いっきり腕を振るいそこから発生した風圧で払いのけてみると、そこのは獣の跡を残した焼け跡だけがその場に残っていた。