体育祭 アンタ如きが私に恋するなんて烏滸がましい
加江須が黄美に対して抱いている苦悩は結局誰にも相談できる代物ではなかった。自分のせいで幼馴染に亀裂、歪みが生じたなどと言ってもどうアドバイスをしてもらえと言うのだろうか。自分で考え、そして言うべき事があるなら自分の決断した想いを黄美に伝えなければならないのだ。
ほとんどの生徒は近々に迫っている体育祭に向けて意識を向けているが、加江須は学園でも家でも黄美の事ばかりを考えるようになった。黄美本人や仁乃や愛理などには悟られないように顔には出してはいないが精神的には加江須は追い込まれていた。
「……はぁ」
そして日は経ち体育祭前日に差し迫り加江須はグラウンドで走り込みをしながら溜息を吐いていた。
頭の中では今も黄美の事を考えてしまっており、彼女と一度話し合ってみる事が一番なんじゃないかと思っているのだが……。
「(でも何をどう言えばいいんだ? まさか今のお前は少しおかしくなっているぞ…何て言えないしな……)」
グラウンドをぼーっとしながら走っていると、後ろからドンッと誰かがぶつかって来た。
「いて…あん?」
後ろから自分にぶつかって来た相手に視線を向けてみると、自分の背後には数日前に自分に突っかかって来た男子が睨んできていた。
「またお前か。今度は何の用だ?」
「うるせぇ、前をトロトロと歩いてんじゃねぇよ。さっさと走れや」
あくまでこの男は走るのが遅い事を主張しているが、狭い一本道を走っているわけではないのだ。こんなに横の幅が広いのだから前を走っている自分など横から追い越して行けばいいだけの事。つまるところはただの八つ当たりだ。
「ほら、横にずれるから前に行けばいいだろ」
「てめぇ、真面目に走る気ないならグラウンド出ろや。こっちは明日の体育祭に向けて一生懸命走っているんだよ」
道を譲ってもまた別の理由で絡んでくる男子。
頭の中で色々と思い悩んでいる加江須は普段ならば軽く流すのだが、今の状態で下らないいちゃもんを受け流せるほど冷静ではなく反射的に言い返してしまった。
「お前こそくだらねぇ嫉妬心が理由なのにそれを隠して絡んでくる理由なんて探すなよ。こっちもいい迷惑だ」
「ああんっ! てめぇ!!」
加江須の言葉に怒りの限界値を一瞬で振り切った男子は以前と同様に加江須の胸ぐらを掴もうとするが、それよりも早く加江須は無防備な足をすくってやる。
それなりに力のこもった足払いを受けて相手は背中から倒れ込む。
「ふんっ」
一度小さく鼻を鳴らして冷めた視線をぶつけた後、加江須はそのまま走り込みを再開する。
「あ、あのやろぉ…」
間抜けに背中から地面に倒された男子は地面を一度強く叩くと、運動着についている砂を払う事もせずに加江須の背中を追って全力で走って来た。鬼の様な表情で加江須に向かって手を伸ばす男子だが、彼が加江須の背中を掴む直前に加江須の走る速度が急に速くなる。
「ぐっ、この…!」
負けてたまるかと相手の方も走る速度を上げるがみるみる内に距離は開いて行く。
「(くそっ、舐めんじゃねぇ!!)」
恥をかかされた上に距離を開けられるなど御免な男子は全速力を出して加江須に追いつこうとする。
だが全速力を出しているにも関わらず加江須との距離は全く縮まらない。いや、縮まらないどころかドンドンと着実に差は広がっている。
「はっはっはっ!!!」
汗だくになりながら加江須に負けまいと必死に走る男子であるが、加江須は走りながらも一度後ろを軽く振り返る。
「はっ…」
後ろで必死に自分に追いすがろうとしている男をくだらなさそうに一瞥した後、更に速度を上げて走る加江須。そのまま彼はドンドンと速度を上げて行き、そのまま彼は一周まわって男の背後まで来ていた。
「う、うそだろ!?」
ぜえぜえと呼吸を荒げながら後ろを見る男子。
自分だってリレーに選ばれた代表、脚には相当な自信があったにもかかわらず周回遅れと言う現実を思い知らされその顔は僅かに絶望色に染まりつつあった。
そんな男子の顔を見て加江須がトドメの一言をぶつけてやる。
「お前、本当にリレーの代表に選ばれた選手かよ? 人に小さなやっかみぶつける暇があるなら少しは走る事に専念したらどうだ? まあ周回遅れなんて無様働いているお前が練習しても焼け石に水だろうけどな」
「ぐ…あ…」
「じゃあなノロマ。お先に失礼」
何も言い返せずに声を詰まらせる男子に最後に1つ罵声を浴びせ、再び目の前の愚鈍な男を抜き去って実力の違いを見せつけてやる加江須。
「う…うそだ…」
自分がもっとも苛立ちを感じている男に格の違いをまざまざと見せつけられた男子はその場で脚を止め、そのまま地面に膝をついてしまう。
「(……少しやりすぎたか? いや、元々アイツの方から突っかかって来たんだ…)」
後ろの方で膝をついてる悲壮な姿に少しやり過ぎたかと後悔しかけるが、向こうの方から元々は絡んで来たのだ。それも理不尽な理由でだ。
「(……もう今日はここまででいいだろう。教室に戻ろう…)」
大分時間も経ったので明日に備えてもう帰宅する事とした加江須。
グラウンドからそのまま教室まで走って行き、自身のクラスに置いてある制服に着替えようとする。
教室の前までやって来た加江須であるが、クラスに入る前に前回の教室内で起こっていた出来事がフラッシュバックした。
「(まさか…また居ないよな?)」
気配を消してゆっくりと教室に近づく加江須、そのまま扉の小窓から教室内の様子を窺ってみる。
教室内は無人で、以前の様な幼馴染の奇行現場を目撃する事は無かった。
「ふう…」
誰も居ないと分かり一安心する加江須。
そのまま彼は扉を開けると教室の中へと姿を消していった。
◆◆◆
加江須が教室へと戻っていた頃、グラウンドでは未だに加江須に突っかかって来た男子が膝をついていた。
「くそ…くそが。何で…何であんなに速いんだよあの男…」
大量の汗を地面へと落としながら一方的に後れを取った自分が惨めで不甲斐なく、悔しさの余り再び地面を拳で殴りつける。
数日前にグラウンド内を走っていた時にはアイツはそこまで速くはなかった。しかし今は無様に周回遅れを味合わされるハメとなった。
「違う…俺が遅いんじゃねぇ。アイツが異常なんだよ」
「そうね、カエちゃんは確かに普通の人とは違うかもね」
悔し気に地面の砂を握って震える彼の背後から女性の声が聴こえて来た。
振り返るとそこには自分が恋心を抱いている女生徒、愛野黄美が立っていた。
「あ、愛野さん!?」
「……」
声を掛けられた男子は慌てて立ち上がると身体に付いている砂を払い彼女に近づこうとする。
「な、何か用ですか愛野さん」
「……臭い」
「え…?」
自分の憧れの人物に声を掛けられた男子は先程までの加江須に対する怒りも劣等感も失せ、彼女に近づいて話をしようとする。だが彼が数歩近づいたら黄美は鼻を摘まんで不快そうな声色で一言『臭い』と言い放った。
「ねえ、それ以上近づかないでくれるかしら? もうこの距離でも腐臭がするのよアンタは」
「な、何を言って…」
男子は震えながら彼女が何を言っているのか必死に理解しようとするが、脳がそれを受け入れてくれない。自分が大好きな相手が自分を貶している現実を受け入れたくないのだ。
だがそんな男の心を黄美は更に慈悲無く砕いて行く。
「アンタ見てたわよ。さっき随分とカエちゃんに絡んでいたけど何がしたいの?」
「え、い、いや…アイツがトロトロ走っているから注意を」
男子がそう説明すると、黄美は口元に手を当てて小馬鹿にするかのような笑い声を出す。
「はあ? カエちゃんにぐるっと追い越されておいて何言ってるの? ふふふ、アンタ脳みそ詰まっている?」
「え、あの…」
「ああ無理に口開かなくていいわよ。アンタ、体臭だけじゃなく口も臭いんだから。できればもう2度と呼吸すらしてほしくないんだけど」
そう言いながら再び鼻を摘まむ仕草を目の前で取る黄美。
「アンタさぁ、私の事が好きなんでしょ?」
「え、あ…はい!」
黄美の口から出て来たまさかの言葉に思わず素直に返事をしてしまう男子。
自分の想いに気付いてくれた嬉しさから少し喜びが表情に現れる彼であるが、そもそもここまで侮辱を投げつける相手がこの後にどんな言葉をくれるのかは普通に考えれば理解できるはずなのだが、残念な事に彼はそこまで思考が及ばずただ自分の気持ちに気付いてくれた嬉しさしかなかった。
そんな男に対して黄美は特大の刃物で彼の心を容赦なく切り裂いてやった。
「寝言は寝て言いなさいよこの愚図。いや、寝ている中でも私に告白なんてしてると考えると吐き気を催すけどね。アンタが私を好きでいた? はっ、分をわきまえない男ね。路傍の石如きのアンタが私に恋する事なんて許されないわ。ここまで人を不快にさせて…死んでくれない?」
「え…そ、そんな…」
黄美は足元の砂を蹴って眼前で膝をついて絶望している男子の顔面に浴びせかけてやった。
「ぷあっ!? ごはっごほっ!?」
「生憎だけど私の心はすでに私のだーい好きな幼馴染のカエちゃんの物なの。アンタが私の心に入り込む隙間なんて1ミクロンもないのよ。分かったらもう二度とカエちゃんに絡まないでくれる」
「う…うぐぅ…」
自分の大好きだった女性の罵詈雑言に心をズタズタに切り裂かれて涙を流す男子。しかしその姿を目の当たりにしても黄美はより一層不快感しか感じず、その場を立ち去る前に最後に一言だけ残していく。
「キモ…死んで」
そう言うと黄美はそのまま歩き去って行った。
グラウンドでは意中の相手にボロ雑巾の様にズタズタにされ、地面に蹲って泣いている哀れな男子生徒だけとなった。
◆◆◆
「ねぇ聞いた? この近くでバラバラに惨殺された死体が見つかったみたいよ」
「いやねぇ…もう外出すら出来ないわよ」
とあるスーパーの入り口前では、夕食の買い出しに出ている奥様方が数人集まっており、この付近で起きた惨殺事件について話をしていた。
「何でも大学生が3人に少し離れた場所でも警官も1人だそうよ。4人共、首と四肢が切り落とされていたって…」
「もう、自分の家に近くに殺人鬼が住んでいるなんて冗談じゃないわよ」
「大学生…確か襲われた子達って例のグループよね」
顔を青くしながら怯えつつ話をする奥様方。
するとその会話を聞いていた1人の雲の様な白い髪の少女がその輪の中へと近づいてきて、詳しく話の内容を訊いてきた。
「すいません奥様方、今の話、もしよろしければ私にも教えてはくれないでしょうか?」
「あらあなた…その制服は神正学園の生徒さんかしら?」
「はい、突然で申し訳ないのですが今の話についてお聞きしたいことがあるのですが構わないでしょうか?」
「え、あ…はい」
丁寧な口調と大人びた雰囲気に思わず敬語で頷いてしまう女性。まるで年上、もしくは同年代の中年女性と話しているかのような圧迫感を感じつつも少女の質問に答える。
「ニュースでも大体の事件の詳細は知っているのですが、先程そちらの奥様は〝例のグループ〟とおっしゃっていましたよね。何か襲われた方々に関して気になる点でもあるのでしょうか?」
「ああその事。襲われた大学生3人なんだけどね、結構有名な不良グループだったのよ。ガラの悪い子が集まっているから仲間内で骨折、流血沙汰もしばしあってね。この事件の犯人は内輪で起きたんじゃないかって噂されているのよ」
「なるほど…貴重なお話ありがとうございました。では、失礼します」
深々と頭を下げてその場を立ち去って行く少女に奥様方は感心したように息を吐く。
「はぁ~礼儀正しい娘ねぇ。ウチの娘も見習ってほしいものだわ」
◆◆◆
先程聞いた情報を頭でまとめ上げながら少女、武桐白はこの事件の真犯人にある可能性を感じ取っていた。
「不良グループの抗争…それでバラバラ死体など出来るとはとても……」
誤って人を殺したと言うのであればまだしも、バラバラに五体を切り裂くなど残酷な殺害を普通の人間は行わない。よほどの恨み骨髄に徹する人間ならともかく、それでも普通の少し拗ねている不良大学生の殺害方法とは思えない。
他にもこんな殺人を行う可能性のある人物像と言えば、人の命を奪う事に快楽を見出しているタイプだ。
「……〝彼女〟の様なタイプならこう言った殺害も嬉々として行いそうですがね…」
思い浮かぶのは引っ越し前に同じ転生者を狩って愉しんでいた1人の少女。
「少し調べてみますか」
普通の人間なら首を突っ込むべきでないところではあるが、この事件の犯人がもし自分の想像通りの人物ならば間違いなく自分も狙われる。ならば先に真実を明らかにし、この予想が的中しているのであればこの消失市内の転生者にも応援を頼めばいい。
「平穏な生活の為にも一肌脱ぐとしましょう」
そう言いながら白は事件現場となった場所へと向かうのであった。




