小心者に対する呆れと化け物に対する恐怖
「死ねやぁ!!」
罵声と共に拳を突き出してくる義正に対し、それをあっさりと避けて腹部に一発カウンターの拳を叩きこんでやる加江須。
鈍い音と共に入った拳は義正にとてつもない痛みを与え、その一発だけで思わず膝をついてしまう。
「…うぶっ、おげ…おえ…」
痛みだけでなく吐き気まで込み上げてくる義正はその場で膝をつきながら腹を押さえて苦しがる。その反応を見て逆に加江須は少し焦り始めた。
「お、おい大丈夫か?」
加江須としてはそうとう手加減してのパンチだったのだが、どうやら喧嘩を仕掛けてきた相手に負けはしなくとも少しビビってしまったようで加減を少し間違えた様であった。
苦しそうにうずくまる義正を心配そうに見つめる加江須の反応は、痛みを以上に義正の怒りを買ってしまい彼のタガはいよいよ外れ始める。
「ゆる…さねぇ…」
義正は立ち上がると加江須を睨み、そして彼から離れて廃工場の方へと走って行った。
「(なんだ…逃げようとしてるのか?)」
義正の取った謎の行動に首を傾げる加江須。しかし同時にちゃんと走れていることから重症ではない事が判り安堵の息を漏らす。
「ん? …何か探しているのかあいつ」
廃工場へと走って行った義正はそのまま工場の中へは入らず、その入り口付近で何かを探しているように見えた。
一体何をしているのかと様子を観察していると、彼が地面に落ちている〝何か〟を探し当てたようでソレを拾い上げる。
「おいおいマジかよ」
遠くからでもハッキリと義正が何を拾い上げたか確認でき、思わず彼の神経が正常かどうかを疑ってしまった。
目的のブツを拾い上げた義正は自分を目指して一気にダッシュで戻って来る。
――彼の手に握られているのは鉄パイプであった。
錆びついた鉄パイプを強く握りそれを使う事を躊躇いがないと目を見れば理解できた。
「マジで人でも殺す気かよ。一旦冷静になれ」
「うるせぇんだよッ! 口でグチャグチャ言わずに実力で止めてみろよ!!」
「……もう一度言うぞ。やめておけ」
「黙れぇ!! その頭トマトみたいにしてやらぁッ!!!」
片手から両手持ちに変えて躊躇わずに自分の脳天へと鉄パイプが振り下ろされる。
頭部に振り下ろされたパイプに対して加江須は避けようとはせず、無造作にそれを掴んで止める。そのまま流れるようにがら空きとなっている腹部に先程と同じ威力で拳を叩きこんでやる。
「おげぇッ!? ぐは…ぐが…」
「馬鹿野郎が。マジでこれは行き過ぎだぜ」
奪い取った鉄パイプを遠くに投げ捨てる。
眼下でうずくまる義正を冷めた目で見つめながら、彼がしゃべれるようになるまで待ち続ける。
「で…でめぇ…ごふっ…」
「これ以上ふざけた事をしようもんならもう少し痛い目に遭ってもらうことになるがどうする?」
「ぐ…ぐぐ…」
殴られた腹部を押さえながらゆっくりと立ち上がる義正。
痛い目に遭わせようとしていたはずがよもやの返り討ちの合い苦汁を舐める結果となってしまった。
しかもそれが今まで平々凡々だと思っていた大して興味も無いクラスメイトであれば悔しさは普通よりも倍増であった。
「(何で俺様がこんなクソ相手に跪いているんだよ!? 今まではこの場所で、このやり方で全部うまくいっていたじゃないかよ!!)」
先程うっかりと口を滑らせた義正であるが、過去に彼は加江須のように気に入らない生徒をこの場所に呼んでは脅していた事があったのだ。しかもその中で1人の生徒に対しては暴行すら働いている。
彼が直接暴行に及んだ相手は同じバスケ部の後輩であった。
1年生でありながら自分と同じレギュラーが噂され、しかも先輩である自分に対して軽薄な態度を取った事で苛立ち、この場所に呼び出して暴力行為を行った。しかしこの直接暴力を振るった事が不味かった。後輩には脅して学校側に自分の犯行であることを隠させたが、それとは別の問題が義正の心の中に生まれた。
――自分よりも弱い後輩を痛めつけた際、彼は暴力に対して快感を覚えてしまったのだ。
今回も加江須をこの場所に呼んだのは嫉妬からくる怒りは当然とし、彼自身も無意識のうちに再び人をいたぶれる事を期待していたのだ。
「(それがどうして…どうしてこんな展開になるんだよ!?)」
目の前で自分を跪かせている男はクラスでも取り立てて何も誇れるものなどなかった凡人だったはずだ。それがまるで生まれ変わったかのように中身が変化している。いや、それとも元々これほどの高スペックだったのか……。
「くそが…ふざけやがって…」
ようやく腹部に発生していた痛みも引いていき、立ち上がることが出来るようになった義正。
回復を確認した加江須は拳をポキポキと小気味よく鳴らし睨みを利かせ、改めて言葉で彼を説得しようと試みる。
「もういいだろう。ここでやめれば俺も今日の事は学校側には黙っておいてやる」
「な、舐めんなや!? 何で俺がお前なんかに見逃されなきゃなんねぇんだ! この凡骨学生が!!」
「その凡骨とやらに今追い詰められているのは誰だ? お前だろうが」
こちらとしては波風立てずに終わらせてしまいたい所なのだが、この期に及んでも凡骨だのなんだの言われれば多少は腹に来てしまい売り言葉に買い言葉の様に言い返してしまう。
当然だが加江須がこう言えば義正も黙ってはおらず今度は蹴りを放ってくる。
この期に及んでもまだ攻撃を仕掛けてくる義正にそろそろ本気で苛立ってきた加江須は蹴りを掴み、そのまま彼の脚を引っ張って遠くへ投げ飛ばす。
「うわあああああああ!? がべぇ!?」
「ちっ、バカが…」
空中に放り投げられ情けの無い声を出す義正。そのまま間抜けに地面をうつ伏せの状態で滑って行った。服は砂や泥に塗れ、制服から出ている手などの皮膚は軽く擦り切れ、顔面は思いっきり打ったせいで鼻血まで出ていた。
投げ飛ばされた義正はそのままうつぶせの状態から起き上がらず、腕だけを空へと掲げて思いっきり地面をドンッと叩く。
「くそ…畜生が。なんで…なんでてめぇみてぇなカスにこんな目に遭わせられなきゃならねぇんだ…」
何も出来ずいいようにやられる現状に悔しさから何度も地面を叩く義正。悔しさから鼻血だけでなく涙まで零れてきて、惨めさをより一層際立たせる。しかしその姿を見ても加江須は特に可哀そうなどとは微塵も思わない。くだらない嫉妬心からくる僻みによる一方的な暴力、それのどこに同情の余地などあろうか。
「……まさかウチのクラスの中にこんな小心者が居たとはな……」
倒れたまま泣き続けている義正に歩み寄っていく加江須。ここまで返り討ちにされれば流石に懲りたであろうと思うのだが、しかしここでまた自分から声を掛ければ意地になって攻撃してくるかもしれない。
「(たくっ…いっそこのまま1人で帰ってしまうか?)」
そう思い歩み寄っていく足を止めようと思ったが、流石にあの状態のクラスメイトを置き去りにしていくのも気が引けてしまう。もしまた手を出して来たら組み伏せてしまおうと思いながら義正のすぐ傍まで近づいて来た加江須。
未だに嗚咽を漏らしている義正にできる限り穏やかに声を掛けてみる。
「なあ…もういいだろ。お前だってこれ以上怪我をするもんじゃないぜ」
「うるせえ…お、お前なんかに…ぐっ、何が…分かるんだよ…畜生が」
嗚咽を交えながら言い返してくる義正。まるで子供の様な姿に相手をするのも馬鹿馬鹿しく感じてしまう。ここでもし慰めでも掛けようものならまた手を出してくるだろう。
どうしたものかと悩んでいると不意に視線を感じた加江須。
――次の瞬間、全身に謎の寒気が加江須の体を走り抜けた。
「(何だ…この感覚は…?)」
今まで聞き分けの無い駄々っ子を相手していた感じで気を抜いていた加江須であったが、突然襲われる謎の恐怖に近い感覚に身をこわばらせる。
「何なんだよこの視線は…?」
「ああ…視線だぁ? なに意味不明なこと言ってんだよボケが…」
体を寝かせたまま顔だけ振り向き罵声を浴びせてくる義正。しかし今の加江須にはそんな小心者の戯言など気にもならなかった。それ以上に今もなお自分を見つめ続ける視線の方が気になり辺りをキョロキョロと見渡し始める。
加江須の謎の行動に今まで怒りに満ちていた義正の表情は困惑へとすげ変わっていた。
「(何やってんだよコイツ? マジで頭がどうかしちまったか)」
クラスメイトを凶器で殴ろうとした、お前にだけは言われたくないと加江須が心を読めるのであればそう言っているだろう。しかし今の加江須は彼の怪訝そうな視線など気にならない。それ以上に気になるのはこの寒気を走らせる謎の視線の方だ。
「どこだ? どこから俺を見て――」
そこまで口にしていた加江須であったが途中で声が詰まった。見つけたのだ、この謎の視線の正体を……。
「おいおいおい…なんだあの〝化け物〟は…」
彼の視線は前方の廃工場の中へと向かっており、その薄暗い工場の中に居たのだ。
――全身が黒い体毛で覆われた、見たこともない猛獣の様なナニカが……。
加江須と目と目が合ったその瞬間、謎の獣が咆哮を上げながらこちら目掛けて一気に走って来た。
◆◆◆
こちらへと一直線に走ってくる化け物を見つめながら焦りを見せる加江須。
いきなり焦り始める加江須の事を不審そうに見つめる義正。そんな彼の反応など気にせず大声で逃げるように促す。
「逃げろ義正! 何か来たぞ!!」
「ああ、何意味不明な事言ってんだよ?」
突然逃げろと言われても意味不明な義正。うつぶせの状態から立ち上がりはしたがその場から動こうとはしない。
そんなやり取りをしている間にも化け物はすぐ近くまで差し迫っていた。
「ええいクソ! いいから来い!!」
「うお、何してんだてめぇ!?」
迫りくる化け物に対して逃げようともしない義正を相手に埒が明かないと判断した加江須は強引な方法を取る。義正の事を抱きかかえて強引にこの場から離れようとしたのだ。
突然お姫様だっこをされて気色悪がる義正であったが、彼が口を開く前に加江須はその場から一気に高く空中へと飛び上がった。
――加江須が跳躍したその数瞬後、化け物の巨大な手が彼らの居た場所へと振り下ろされ、無人の廃墟に激しい破壊音が響き渡った。