小さな嫉妬心からくる暴行
体育の時間からしばらくが経過して今はもう昼休みになっていた。
加江須のクラスもお昼時という事で学食へと向かう生徒が何人かいるが、その一方で教室にとどまり続けている生徒も大勢いた。
教室内では加江須の席の周りにクラスメイト達が集まっており、体育の際のバスケの試合で加江須の魅せたスーパープレイの数々について話し合い、彼の周りは興奮に包まれていた。
「それにしてもお前凄かったな! あんなプレイングなんてテレビでしか見たことないぜ!」
「本当だよねぇ。久利君って実は運動神経良かったんだね」
「私も驚いたなぁ。 ねえ、何で帰宅部なんてやっているの? 運動部に入ったらいいのに…」
男女問わず加江須に声をかけてくるクラスメイト達。
あまり大勢の人間に囲まれる経験も少なく、しかも集まっている大部分のクラスメイトとは日頃からほとんど話もしているわけでもないので少し戸惑ってしまう加江須であるが、そんな彼の心境を知らず盛り上がるクラスメイト達。
しかしその輪の中から少し離れた席では加江須の事を忌々しそうに見ている者がいた。
「………」
盛り上がっているクラスメイト達の反応を面白く思っていない生徒の名は義正一郎。朝の試合で加江須と戦っていたバスケ部のレギュラー生徒だ。
あの時の試合は結局、加江須が一方的に点を取り続けワンサイドゲームで敗北を期した。活躍するどころかむしろ赤っ恥をかいてしまう結果となったのだ。
机の下では強く拳を握り悔しさを紛らわせようとする一郎であったが、そんな彼をさらに刺激するかのような発言が聴こえてきた。
加江須の周辺を囲んでいるクラスメイト達とは別に、教室の入り口付近で二人の女子生徒がこちらを見ながらクスクスと笑いながら会話をしていた。
「――それにしても義正のヤツ見た? 帰宅部相手に圧倒されてて情けないの」
「本当、レギュラーメンバーだって普段から威張っていたのにねぇ」
それなりに離れているので会話を全て拾う事は出来なかったが、それでも自分を馬鹿にしている事は十分に伝わって来て拳を握るだけでは足りず唇を噛んで悔しさを滲ませる。
「(くそっ、ふざけやがって!!)」
自分に対する陰口、そして加江須に対する羨望の声が耳障りで仕方なく教室を出ようとする義正。
入り口付近で自分の陰口を呟いていた女子たちは噂の張本人が近づいてきて会話を打ち切る。
「どけよ!!」
「イタっ!?」
入り口付近に居た女子の1人の肩を突き飛ばすように押し出し教室を出ていく義正。
突き飛ばされた女子は肩を押さえながら遠ざかって行く義正の背中を眺めながら文句を口にする。
「何よアイツ。自分が恥かいたからって八つ当たりとか…」
「ほんと、サイテー…」
元々は彼女たちが陰口を言っていた事にも原因はあるのだが、それとは別に義正はクラス内では中々に横暴な人間だと思われていたところもあった。
スポーツでの成績は良く、大会などでもそれなりに名を轟かせているほどの生徒ではあるのだが、その優秀さゆえに驕りが強くなっていき今ではクラスでも部活内でも調子に乗っている事がしばし見られるようになった。
そんな彼が得意のバスケで一方的にやられたので内心ではざまあみろと思っているクラスメイトも彼女たち以外にも何人か居た。今陰口を言っていたこの二人も彼が善良な人間ならばこんな悪口は言わなかった事だろう。
しばらく見えていた義正の背中は曲がり角を曲がって消えていき、姿が確認できなくなった事を認識した二人はべーっと舌を出して義正の事を馬鹿にするのであった。
◆◆◆
昼休みが終わってから午後の授業も終了し現在は放課後となった。
授業が全て終わり帰宅時間となった加江須達。
クラスメイトの皆はそれぞれ部活動へ向かったり、友達と一緒に帰宅するなど行動をとり始める。その中で加江須も特に用事もないのでこのまま家へと帰ろうと席を立った。
「おい、ちょっといいか?」
「え…義正?」
席を立った直後に声をかけてきたのは義正であった。
別段普段からロクに会話もしたことが無い相手に呼び止められて何の用事なのかと思う加江須であったが、自分を呼び止めた義正の表情はどこか険しく、まるで敵でも見ているかのようであった。
「少しツラ貸せよ」
「え、話ならここで……」
「いいから来いよ!!」
口を挟んできた加江須の机目掛けて思いっきり拳を振り下ろす義正。彼の怒号と机を叩いた衝撃音にクラス内に残っている者達は何事かと驚き振り返る。
静寂に包まれた教室、そんな周囲の反応など気にもしないかの様に自分だけを見つめてくる、というより睨みつける義正。
「わかったよ。とりあえず教室出ようぜ」
義正とは違い周囲の視線が気になる加江須は彼の言葉に従って一緒に教室を出ていく。
二人が教室を出ると中からは何やら小声でヒソヒソと話し声が聴こえてきた。義正の耳には何を言っているのか聴き取ることが出来なかったが、超人と化した加江須は耳をすませば内容を把握することが出来た。
――『何アレ? でかい声出して…』
――『あれじゃないか。朝一のバスケでボロボロに負けたから…』
――『ああ~納得だわ』
クラスメイトの会話内容を聞きながら加江須は目の前で歩いている義正の姿を見て納得できた。
確かにバスケ部レギュラーメンバーである自分が加江須の様な平凡だと思っていた生徒に負ければ、ましてやそれが公衆の面前ならば悔しさだけでなく怒りも感じるかもしれない。
「(しかもコイツって普段からクラス内でも少し図に乗っている事もあるからな…はぁ、面倒だな…)」
恐らく人気の無い場所まで行ってそこで何かしらの文句、いや僻みでもぶつけてくるのだろう。無駄な時間だと思うがここで断れば後がさらに面倒になりそうだと思い諦める。
◆◆◆
加江須が予想していた通り、義正は人気の無い場所まで自分の事を連れて来た。
ただ予想外であったのは、てっきり校舎裏かと思っていたのが学校を出て大分離れた場所まで連れてこられた事だ。
二人が今いる場所はもうすでに誰もいなくなり、いたるところが錆びれている人気の無い廃工場であった。その工場が佇んでいる広い敷地内で向かい合って立っている。
「それでわざわざこんな所まで連れて何だよ? 学校まで出るなんて人に聞かれたら不味い話でもあるのか?」
最初は試合での文句でもダラダラと垂れるのであろうと思っていたのだが、学校を出てから少し危機感を覚え始めた。ただ話をするだけなら学校内でも人気の少ない場所は十分にあるはずだ。そこを選ばず誰も人が近づかないような場所まで連れ込んできた以上、ただ話をするだけで終わってくれるとは思えなかった。
警戒心を色濃く出している加江須、何をしてくるのかと内心で身構えていると義正が口を開いて話しかけてきた。
「おいおいそんなに警戒するなよ。別に大した話があるわけじゃないよ」
そう言いつつ今まで不機嫌そうな表情をしていた義正であったが、急に笑みを浮かべながら近づいてきた。薄気味悪い笑みを貼りつけながら歩み寄り、落ち着いた口調で話しかけてくる。
「ちょっと聞きたいことがあってな…お前さ……」
そこまで言うと今まで笑みを浮かべていた彼の表情はいきなり般若の様な怒り顔と豹変し、ぶら下げていた右腕を振り上げそのまま殴りかかってきた。
「オラぁッ!!!」
風を切りながら殴りかかってきた義正であったが、加江須の眼にはあまりにも遅く感じたので至近距離でも楽々と躱す。
「くそ、てめぇ!?」
「おいおい何考えてんだよ? いきなり暴力とか…」
「うるせぇ、このカスがッ!!」
問答無用で攻撃を仕掛けてくる義正であったが、それを全て紙一重で回避する加江須。
自分の攻撃がいなされている事に義正の怒りのボルテージは上昇していく。しかし彼の怒りが上がったからと言って攻撃が当たるようになるわけでもなく、むしろうっとおしく感じた加江須は彼の背に回り背中を軽く蹴り飛ばしてやった。
後ろから蹴り飛ばされた義正はそのまま前のめりに倒れ込んだ。
「少し落ち着けって。まずは理由の方から話せよ」
落ち着いた口調でなだめつつ理由を尋ねる加江須であったが、地面に転ばされ、さらには制服を汚され、その上に冷静に諭す様なその態度にむしろ義正の怒りが爆発する。
起き上がった彼は目を血走らせながら獣の様なうめき声にも似た声を漏らす。
「てめぇ…殺す。ぜってーぶち殺してやらぁ……」
拳を握りバキバキと鳴らして構えを取る義正。
血管が切れそうな程の怒りを宿している相手に対しても未だ加江須の余裕は崩れない。自分がもはや化け物じみた力を手に入れてしまっている以上むしろ目の前の男が哀れにすら見えてくる。
――とりあえず事情位はちゃんと聞いておくか。
できる事なら話し合いで済ませたい加江須は両手を軽く上げて戦う意思がない事示し、その上で改めて何で自分に怒っているのか尋ねる。
「お願いだから落ち着いてくれよ。俺が一体何をしたんだよ?」
「何をしただぁ? 試合であれだけ俺をコケにして起きながらよくもまぁそんな事を……」
歯ぎしりをしながら子供の様に地団太を踏む義正。彼は加江須の事を指さしながら廃工場の中まで届くと思う程の大声を出し理由を話し始める。
「バスケ部のレギュラーであるこの俺を公衆の面前でコケにしやがって! おかげでクラスのバカ共からも白い目で見られ散々だ! どう責任とってくれんだよ、ああオイッ!?」
「……別にお前を貶めようなんて考えてはいなかった。ただ純粋に自分の力を確かめたかっただけだ」
「確かめたいだぁ? 帰宅部のお前が何で今更スポーツマンみたいに振舞うんだよ? 今まで実力を隠して俺の様な奴をあざ笑っていたのか…ああッ!?」
怒鳴り散らし唾を飛ばして掴みかかろうとする義正。
しかしやはり加江須の眼には彼の動きは見え見えであり、掴みかかろうとする彼の手を逃れて距離を取る。
すまし顔をしながら相変わらず見せつけるその動きに義正はぺっと唾を地面に吐く。
「今までは大人しくしておいて心の中では俺をお山の大将とでも思っていたのかよ。そういう舐めた態度を取っていたてめぇは許せねぇ。少し痛い目に遭ってもらわねぇとな……」
「……ようするに嫉妬かよ。こんな所に呼び出して暴力なんて学校側に知られたらどうなるか考えてみろよ」
「うぜぇんだよ! そんときゃあ〝あの時〟の様に脅してもみ消すだけだ」
「(あの時だと。コイツ他でもここに誰か呼び出してこういう事してんのかよ)」
想像以上に危険な生徒がクラス内に潜んでいた事を理解し、もしも転生前に絡まれていたら危なかったと内心で安堵する。
「何ホッとしてんだてめぇは!! ぶち殺す!!!」
そう言って義正は拳をきつく握りながら迫ってきた。
これ以上は口で説得しても無駄だと悟った加江須は疲れたように溜息を吐き、仕方がないと言った感じで構えを取った。