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愛しの天使は渡さない!


 加江須と愛理が入店した喫茶店を店の外の物陰から眺めている男が1人居た。


 「あの野郎…俺の天使と仲良く何を話してやがる。くそっ…あの寄生虫が…!!」


 悔し気に地団太を踏む黒いコートを身に纏った怪しげな男、この人物は愛理と加江須の二人をずっと観察し続けていた同一のストーカーであった。


 「俺の天使から離れろクソ野郎が…!」

 

 愛理と向かい合って話している加江須を射殺さんばかりに血走った目で睨みつける男。


 この男と愛理との出会いは男の落としたハンカチから始まった。


 平凡な会社員だった男は大した能力も持っておらず、いつも会社では上司に嫌味を散々と言われ、同僚からは陰で嘲笑われていた。そして今から一か月前に上司が仕事でミスを侵した。その上司の犯したミスは会社にとって相当の損失を招く事となった。だがそのミスを上司は部下である自分に擦り付けたのだ。    

 当然上司に失敗を擦り付けられた事は多くの同僚に訴えたが、日頃のミスも多い自分とは違い業務の成績が良く会社に何度も貢献して来た上司の言う事を誰も疑いもせず自分がクビとなった。


 「(あそこから俺の人生は一度狂った…)」


 クビになったその翌日、男はなんと会社帰りの男を人気の無い場所で包丁で襲って殺害してしまった。

 捕まる事を覚悟していた男だったが、幸運な事に手袋をはめての犯行で凶器には指紋もなく目撃者も居なかった事から通り魔の犯行ではないかと警察は思っている。もちろん被害者との周辺関係も警察は洗っている為、自分のアパートにも警察が訪れ事情聴取は受けたが犯人とは見破られずに今も牢獄に入れられてはいない。

 だが、殺人を犯してしまった男の精神は少しずつ蝕まれていった。毎日夢の中では殺した上司に同じように刺殺される悪夢にうなされ、手に残った人の肉を切り裂く感触が残り続けて一日おきにストレスから痩せ始めもう限界を迎え始めていた。そして彼はとうとう自ら命を投げ出して楽になろうと自殺まで考えていた。


 だが、そんな男に生きる活力を与えてくれた天使が今から10日程前に自分の前に現れたのだ。




 ◆◆◆

 



 職を失い人まで殺め追い込まれていた男は公園のベンチに座っていた。その傍らには大きな鞄が置いてあった。

 鞄の中には太くてそれなりに長いロープがくるまっており、彼はこの公園で首を吊ろうと考えていた。


 「ふーっ…ふーっ…」


 死を覚悟したが最後のひと踏ん張りが出来ず荒い呼吸音と共に肩を上下させ、ロープをくくろうとしている木を何度もチラチラと見つめる男。

 

 「くそ…くそぉッ!!」


 男は頭を掻きむしりながら下唇を噛み、座っているベンチをガリガリと搔きむしる。

 木製のベンチを爪でガリガリと何度も削り続け、彼の爪はボロボロになり血が滲む。指先から出た血は木製のベンチのなぞられ、指先から出た赤い塗料がベンチを汚す。

 

 「何で…何で俺が死ななきゃならないんだよ…」


 死ぬ覚悟も用意もして来たにも関わらず、いざ死を前にしてみると怖くなってしまい逆上してしまう男。彼は誰も居ない公園で独り言を大きな声で何度か呟いた後にベンチから立ち上がった。


 「…わざわざ苦しんで死ぬ事もないよな。睡眠薬でも使って死んだ方がいいかもな……」


 男はそう言ってその公園の外に出ると自分の住んでいるアパートを目指して歩いて行こうとする。

 公園の入り口付近を通って行く数人の人を見ながら男は理不尽な怒りを内心で抱いており、心の奥底で他の人間に対して理不尽な恨み言を吐いていた。


 ――『くそ…何で俺だけがこんなに苦しんでるのにお前等はそんな何も苦しんでいない気楽そうな顔をしてんだよッ!?』


 自分だって元々は真面目に働いていたにもかかわらず、それがミスを押し付けられてクビになり、挙句の果てには殺人者にまでなってしまった。


 ――『真面目に生きて来た俺がこんな目に遭っているのにお前らは悩みもなさそうにスマホいじりながらよぉ…くそ、クソ野郎どもめが!?』


 クビになった事は確かに同情に値するかもしれないが、それでも人を殺めた事はこの男の罪であるにも関わらずソレを棚に上げてすれ違う人達に心の中で罵詈雑言を吐いていた。

 

 そんなやさぐれていた男の背後から女性の優し気な声が聴こえて来た。


 「あの、これ落としましたよ」


 「え…?」


 声に反応して振り返るとソコには自分よりも年下の女学生が立っていた。

 彼女はこちらに手を差し出しており、その手の中にはハンカチが握られていた。


 「あ…それ俺の…」


 「はい、今ポケットから落ちたの見てたんです。どうぞ」


 笑顔で自分の落としたハンカチを差し出してくる少女。

 差し出されたハンカチを返してもらった男は無愛想な表情のまま無言でハンカチをポケットに仕舞い、そのまま歩き去ろうとするが彼女はそんな男の腕を掴んで引き留める。


 「あっ、ちょっと待ってください!」


 「ああ、何だよ?」


 呼び止められて不機嫌そうな声色で少女を睨みつける男。

 わずかに血走ったその眼は普通の人ならば気味悪がって離れるのであろうが、その少女は特に不快感もあらわさずに鞄の中から絆創膏を取り出し、ソレを男の指に巻き始める。


 「お、おい…」

 

 「血…出てますよ。一応軽い応急処置という事で」


 そう言いながら少女は男に微笑を向けてくれた。

 この瞬間であった、男が目の前の少女――紬愛理と出会い歪んだ愛情を持ってしまったのは……。


 今まで大勢の人間に何度も笑われてきた。それは全て自身を嘲る意味の籠った笑みであった。だが今、目の前で微笑んでくれている愛理の笑みは自分を心配し、そして気遣いの心に満ちている笑み。初めて、それも異性に向けられた優しい笑みによってこの男は愛理の虜となってしまったのだ。




 ◆◆◆




 「ああ麗しい俺の天使。きみは本当に美しい。そして…その傍らに居るあの害虫、いつまで俺の天使にへばり付いているつもりだ」


 喫茶店の外で物陰から愛理と加江須の事を観察し続ける男。

 愛理に向けるその眼は彼女に対してイカれた愛を強く感じるが、男の視界に一緒に映り込む加江須に対しては殺意に満ち満ちた醜悪な感情が込められていた。

 しかし喫茶店で愛理と同席していた加江須は席を立つとそのまま店を出て行き、残ったのは男にとっての天使、愛理だけであった。


 「ああ、こうして君を見ているだけで俺は幸せだ」


 醜い笑顔を浮かべながらそう言う男であったが、加江須に遅れて愛理の方も席を立って店の外へと出て行った。

 当然の様に男は店を出て行った愛理の後を再び尾行し始める。


 店を出た後、愛理は商店街区域を出て次第に人気の少ない場所へと歩いていた。


 「(どんどん人の気配が少ない場所に向かっている。いいぞ、周囲の目も少なくなっている)」


 男の恰好はいかにも怪しいを体現した様な恰好であったため、すれ違う大抵の人は一度は男の事をチラ見していた。しかし人の量がドンドンと少なくなってきている為に周囲の目も減って行き男の方もストーカー行為に余裕ができ始めた。


 やがてしばらく愛理に付いて行くと彼女はある公園の中へと入って行った。


 「こ、ここは…!」


 電柱に身を隠し距離を取っていた男であったが、愛理の入って行った公園を見て僅かに驚いた。


 何と愛理の入って行った公園は彼が初めて彼女と出会い、そして彼女から絆創膏を貰ったこの公園前だったのだから。


 「(こ…これはもう運命だ! そうだ、そうに決まっている!!)」


 たかだか一度愛理と顔を合わせた公園に彼女が入っただけでコレを運命の巡り合わせなどと壮大過ぎる勘違いをする男。今までは陰から見ているだけで満足していたのだが、今日の加江須と愛理とのやり取りを見ていた男は彼女をあの男に取られたくないという思いに駆られ考え方がドンドンと支離死滅となり始める。


 「(初めて俺に微笑んでくれた彼女、あの天使を盗られたくない!! そうだ、あんなクズ男なんぞに渡してたまるかよ!!)」


 加江須の事を何も知らず彼を貶す男。どちらがクズなのかは一目瞭然であるがその事実は狂い始めた自分自身では気付かない者が多い。そんな考えを持ちながら男は愛理に続いて公園の中へと入って行った。

  

 「て…天使…」


 公園の中に入るとソコには愛理だけしかおらず、他の人間は確認できない。彼女の背後に居る自分を除けばだ。


 ――ああ、今俺は天使と二人っきりだ。


 今まで眺めるだけで我慢して来た男であったが、加江須と言う少年が彼女の前に現れた事で男の最後の常識、そして我慢の壁は崩壊してしまっていた。


 「(そうだ。君は俺の物だ。俺の俺のオレのオレの…!)」


 愛理は公園の中央で今背を向けて立っており、ゆっくりと男はそんな無防備な彼女へと少しずつ近づいて行く。

 しかし男が愛理に声を掛けようとしたその時、愛理が持っている鞄の中から何やら陽気な音楽が流れて来た。

 鞄を開けて中を探り音楽の鳴り響いている物――スマホを取り出す愛理。


 「…うん…分かった…」


 掛かって来た電話に出て短いやり取りをした後、彼女はスマホの電源を切り背後へと振り返った。


 「……あなたが私をずっとつけていた人なんだ…」


 愛理が振り向くとすぐ近くまで黒いコートの男は迫っており少し怯えを見せる愛理。

 今まではずっと自分の姿を隠して愛理に接近していた男であったが、もう歯止めが利かなくなり始めた男は更に愛理へと1歩、また1歩と距離を詰めながら口を開く。


 「そうだよ俺の天使。君をあんな男なんかに盗られてたまるか。君を幸せにしてあげられるのはこの俺なんだ…!」


 男はそう言って愛理へと手を伸ばし、恋焦がれている愛しの天使を捕まえようとするが――


 「女の尻をずっと追い回していたお前じゃあ愛理の事を不幸せにするとしか思えないがな」


 「!?」


 伸ばしていた手を引っ込めて勢いよく振り返る男。

 彼のさらに背後では公園の入り口の石銘板に背を預けて不敵に笑っている加江須の姿が在った。




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― 新着の感想 ―
[一言] 電話が終わったら「スマホの電源を切る」人は少ないと思います 「通話を終える」とかの表現の方が妥当ではないでしょうか?
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