幼馴染は悪夢を見る
少女は薄暗い暗闇の中で横になっていた。規則正しい寝息を立てながら、少し緩んだ表情を浮かべていた少女だが、しばらくすると漏らしていた寝息を止めてゆっくりと瞼が持ち上がり始める。
「……んん?」
寝起きで未だにぼやけている視界を瞳の奥に映しながら間の抜けた声を出す少女の名は愛野黄美であった。
「ん~…」
仰向けの上半身を持ち上げ天に向かって伸びを一度する黄美。その後に目元をゴシゴシと袖でこすって周囲を見渡し始めるが、ここで彼女はようやく自分の今いる場所の異常さに気付き始めた。
「え…どこなのよ此処は……?」
体を完全に起き上げて周囲を見回す黄美。
周囲は一面が暗闇に包まれており何も見えないが、不思議な事に自分の周辺だけは光で照らされていた。
「な、なんなの…?」
自分は確か自室のベッドの上で眠っていたはずだ。にもかかわらず目が覚めると見知らぬ場所で目覚めている。もしかしたら何者かの誘拐でもされたのではないかと思い彼女の顔には次第に焦りの色が浮かび始めた。
「で…出口。出口は…?」
ただ突っ立っている訳にもいかずに足を動かし始める黄美。
周囲が暗闇に照らされている中、彼女の周りだけは明かりが照らされており、黄美が歩くと彼女を照らす明かりも彼女に合わせて動き続け彼女の周囲だけは照らし続ける。
しばし歩き続けていた黄美であったが、どれだけ歩き続けても出口は見当たらずに途方に暮れ始めてしまい、彼女は一度脚を止めるとその場で座り込んで一息ついた。
「もう…ここは何なのよ…」
そう言って項垂れていると突如として目の前から光が照らされる。ソレは今まで自分を照らし続けていた光とはまた違う明かり、反射的に黄美は座りながら視線を前方へと向ける。
彼女が目を向けた前方には何やらモニターの様な物が映っていた。まるで映画館のスクリーンの様な大きなモニターに黄美はゆっくりと歩み寄ろうとする。
しかし彼女が立ち上がると同時にモニターにノイズが走り、そのノイズが収まるとある映像が映し出された。
「え…わ、私…?」
モニターに映っていたのは一人の少女。それは紛うことなき自分自身であった。
「何なのこの映像…教室…?」
見たところ映像に映り込んでいる自分は制服を着ており、場所はどのクラスかは断定できないが自分の学園の教室であった。
そして映像の中に映る自分が口を開き始めた。
『それで…私にわざわざ呼び出して何の様よ?』
映像の中の自分はどうやら何者かに呼び出されたようだ。しかし誰が自分を呼んだのかと考えていると……。
『ああごめん。わざわざ呼び出したりして…』
「カ、カエちゃん!?」
映像の中にさらに現れた人物は自分の大好きな幼馴染である加江須であった。
スクリーン越しに映る加江須は少し申し訳なさそうな表情をしながら目の前で腕組をしている映像の中の自分に謝っていた。その光景を見て無意識に黄美は自分の胸を押さえていた。
「カエちゃん…そう言えばこんな顔、よく私の前でしていたっけ…」
素直になれずに辛く当たって彼を傷つけていた頃、思い返せば加江須は何度もこんな少し悲し気な表情を浮かべていたことが多かった。あの頃はそんな彼の痛みなど気にもしなかったが、今は当時の彼のこんな表情を見ると胸が締め付けられて仕方が無かった。
過去の自分の愚かしさを悔いつつも映像から目を離さない黄美。
すると映像の中の加江須が自分に向けて勢いよく頭を下げながらこう言った。
『お前が好きだ! だから…だから俺と付き合ってくれ!!!』
「ええ!? こ、告白!?」
映像の中の加江須の告白を聞き、直接告白されたわけでもないにも関わらずに黄美の顔が真っ赤に染まった。映像の中の加江須の声色は本物と同じであり、まるで直接自分が告白されたかのような高揚感に囚われつつあった黄美。
しかし次の映像内に居る自分の言葉に彼女は思わず固まってしまった。
『…いきなり告白とか何を考えてるの?』
「え…?」
映像の中の自分の言葉に思わず疑問の声が漏れたのは二人、映像の中の加江須とソレを見ている黄美の二人から揃って『えっ』と間抜けな声が漏れた。
「な、何を言っているのよ私は…?」
映像の中の愛野黄美は自分の大好きな幼馴染から告白されたにも関わらず、それを喜ぶどころか呆れる様な態度をとっている。
何故? どうして? 映像の中の私は一体何を言っているの? どうしてそんな…そんな――そんな汚い物を見るかのような目でカエちゃんの事を見ているの……?
『人気のない教室に呼んで愛の告白? 気持ちが悪くて仕方がないわ。三流小説のよみすぎなんじゃないの?』
「ば、バカ!? 何を言っているのよ!?」
『漫画じゃあるまいし現実のこんなシュチュエーションで告白なんてしてくる奴が居るなんて驚いたわ。成功率でも上がると思った?』
「何でそう言う事を言うのよ!? アンタは彼の事が好きな筈でしょ!!!」
『大体さ、私とアンタは確かに幼馴染だけどその事実すら私にとっては吐き気がするのよ!』
「いい加減にしなさいよアンタ!!! それ以上カエちゃんの事を貶すな!!! それ以上彼の心を抉るな!!! もう口を閉じろぉ!!!」
『私は学園でも成績優秀、容姿端麗と言われている優秀な生徒! クラスメイトも教師も私の事をそう見てくれているわ! それに対してアンタは至って平々凡々のただの生徒! そんなアンタが私に告白なんて百年、いや千年早いのよ!!』
「や…やめて…お願いだから……」
気が付けば黄美は膝を折って地面へとへたり込んでしまっていた。両手で自分の顔を覆い、涙を零しながら映像の中で加江須に罵詈雑言をぶつけ続ける自分に対し、もうお願いだからやめてほしいと消え入りそうな声で訴える。しかし映像の中の黄美は自分と違い、まるで汚物でも見るかのような眼で加江須を睨みつけながら汚い言葉を浴びせ続ける。
『アンタみたいな取り柄のない愚図が幼馴染なんて私の人生の汚点でしかないのよ!! 少しは弁えなさい!!』
「もうやめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
それ以上は聴く事が限界だった黄美は両手で耳を塞ぎ、絶叫を上げながら地面に額を押し付けて目の前の映像から目を離す。
だが目をつぶり映像を見ていないにもかかわらず、彼女の頭の中には続きの映像が流れ始める。
「いや!! もう見たくない!!!」
しかし目を閉じてどれだけ訴えても彼女の頭の中には続きの光景が無慈悲にも流れ続ける。
自分の告白を踏みにじられた加江須はそのまま全速力で教室を飛び出した。その顔は自分の想いだけでなく存在までもが踏みにじられた絶望一色の表情。瞳からは光が消え失せ、生気までもが抜け落ちたかのような彼の顔は黄美の頭の中に映し出され彼女はいやいやと頭を振って苦しみもがく。
「いやぁ!! こんな映像見せないでぇ!!」
しかし彼女の訴えは虚しく頭の中に流れ続ける映像は決して途切れず、教室を出た加江須はそのまま学園の外まで走り抜ける。
そして――学園の校門を出た瞬間、走り抜けて来た車に加江須は跳ね飛ばされた。
「え…え…?」
自分の見た光景に理解が及ばず、今まで叫んでいた彼女は今度は逆に言葉を失ってしまった。
「な…何…?」
俯かせていた顔を上げると、頭の中の映像は消えて再び暗闇の目の前にモニターが出現して途切れた映像の続きを映し始める。
映像の中の加江須は車に跳ね飛ばされ、腕は奇妙な方向へねじ曲がり、全身や周辺の地面は赤い染みで彩られていた。
『ごぼっ……』
加江須は大きく咳込み、口からは真っ赤な血の塊が吐き出された。
「う…うそ…」
黄美はフラフラと立ち上がり、まるで亡霊の様なゆっくりとした歩みでスクリーンへと近づいて行く。しかし彼女が数歩歩くとスクリーンは消え、また元の暗闇へ戻った。
「あ…ああ…」
スクリーンが消えた後、今度は今まで自分を照らしていた明かりも消え、完全な闇の中へとポツンと取り残される黄美。しかし一面が闇で覆われても彼女はそんな事など気にもせず、先程まで自分が見た映像の事だけしか頭の中になかった。
「カエちゃん…カエ…ちゃん……」
映像の中の自分に送った愛を踏みにじられ、そして罵詈雑言を浴びせられていた加江須。そしてそのショックから教室を出て…そして…事故死した。
「あ…ああ…ああああああああああああ!?」
自分の見た映像を思い返した黄美は頭を掻きむしりながら絶叫を上げ、その場で大声で泣き叫んだ。
そして彼女が絶叫を上げた直後、黄美の居た暗闇の世界が一気に光で覆われた。
◆◆◆
「いやあぁぁぁあぁぁぁああぁぁ!?」
絶叫を上げながら彼女は勢いよくベッドの上から上半身を起こした。
「はぁ…はぁ…え…ここ…?」
荒い呼吸と共に周囲を見渡す黄美。そこは何も変わらない、いつもの自分の自室であった。
「ゆ…夢?」
自分が今まで見ていたものが全て夢であった事を理解した黄美はほーっと安堵の息を吐き、心の底から安心しきった表情を浮かべていた。
「良かった…本当に…」
額に手を当てながらそう言うと、額がぐっしょりと汗で濡れていた。いや、今更気づいたが額だけでなく全身もぐっしょりと汗をかきパジャマも湿っている。
時計を見るとまだ普段の起床時間よりも1時間も早く起床しており、もう一度寝直そうかと考えたが濡れた身体がどうにも気になり彼女はベッドから降りた。
「シャワー浴びよう…」
そう言いながら部屋を出ようとする黄美であったが、彼女はどうにも先程まで見ていた夢が気になってしょうがなかった。
浴室まで辿り着いた彼女は身に着けている物を脱いで温かなシャワーで身体を洗い流す。
「………」
温かいお湯が汗の染み付いた身体を洗い流す感覚を味わいながら、彼女は先程の悪夢について考えていた。
悪夢の中では、まるで汚い物でも見るかのような眼で自分は彼の事を見ていた。そして彼からの愛情も踏みにじった。勿論、そのような記憶は自分の中にはない。アレは間違いなくただの悪夢に過ぎない。
「でも…もし私が素直になれずにいたら……」
――もしかしたらあのような未来もあったのではないだろうか?
「な、何を考えているの私は。アレは夢…ただの…夢なんだから……」
そう言いながらも彼女は得体のしれない不安が胸の内から消えずにいたのだった。




